津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■BBC放送を観る

2022-09-20 09:04:00 | 徒然

 エリザベス女王の国葬、最初NHKニュースで眺めていたが、とぎれとぎれになるのでインターネットでBBC放送の画面で一部始終を放送時間(9:00終了)いっぱいを観る。
イギリスの伝統に裏打ちされたこれぞ「国葬」、安倍さんの国葬はまずい時期にかさなってしまい、どうしても比較されることになるだろう。
聖歌がながれる荘厳なゴシック建築のウエストミンスター寺院の見事な空間、またその後の砲車に乗せられた棺を守る葬列の壮大な列と音楽、附き随う緩やかな歩みの長い列、イギリス連邦各地から参列した人々の華やかな衣装、木々の緑ゆたかなバッキンガム宮殿からウィリントンアーチまで砲車の跡に歩んで続く新国王と家族たち、伝統と格式に裏打ちされた見事なものだった。
その後映像は途切れたが、霊柩車に乗せられウインザー城に運ばれ教会の墓地に夫君に並んで埋葬されたという。

天皇をはじめとする各国の国王や大統領などが映し出されることも一切ない。たんたんと荘厳な儀式の模様が放送される。
そして、これを見送る幾重にも重なる沿道の人々の数、愛されたエリザベス女王を見送った。


 私たちはかって昭和天皇の大喪の礼を拝見しているが、いかにも日本の国らしい素朴なたたずまいや、長い歴史を伺わせる荘厳な儀式であったことを思い出している。
形こそ違え、国民がこぞって弔意をひょうした。

 今回のエリザベス女王の葬儀は、国葬とはどういう物なのかを知らしめた。
国民の絶大な賛同が得られぬ安倍氏の国葬は、大いなる禍根を残すかもしれない。
せめて国会の決議を経るという手続きは必要ではなかったのか。手遅れとなった今、後味悪くその日を迎えようとしている。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

■熊本城自焼説と西南役

2022-09-20 07:27:14 | 歴史

 宮本武蔵の二天一流は明治にいたると、青木規矩男なる人が宗家となった。

 歴史とか人生とか、天は面白い巡り合わせを演出する。青木はある時、飽田で少学校の教師をしている姉を訪ねて、用務員室でしばらく待った。
するとそこの用務員(元軍曹・村上猪源太)が声を掛けてきて、規矩男が「島崎の出身」だと話すと、西南の役の時は「段山の戦い」が激しくて島崎も激戦地だったと語り出した。
そして、熊本城の火事について語りだし、「あれは司令官の谷干城の指示を受けて、自分が火をつけた」と語ったという。
軍曹として司令官・谷干城に近侍していたのだろうか。50年は人に話さないでほしいと、村上猪源太は申し添えたという。
この話は具体的で、今日では熊本城自焼説の大きな拠り所となっている。
しかし、司馬遼太郎などはこれに異を唱えている。それは籠城の為の兵糧を全部失ったことを理由としている。
熊本城の籠城は2ヶ月に及んだ。突囲隊の必死の攻撃はまさに食料の確保でもあった。

 熊本城では本丸御殿建設に当たっては、事前の調査が行われ、青木が用務員から聞いた通りの場所が火元であることが確認されたという。
兵糧を失しなう危険を承知で放火を為し、谷司令官は熊本城自焼説を秘匿しようとしたのか?永遠の謎である。

 熊本史談会では来年1月の例会で、各地の西南戦争遺蹟調査に当たられた中原幹彦氏をお招きして「西南戦争の考古学&よもやま話」をお聞きする。
広範な地域で西南戦争に関する話は残っているが、これとても145年という年月を経ると忘れ去られるばかりである。
私は今、石牟礼道子の「西南の役伝説」を読んでいる。これは、戦争そのものの話ではない。
痛めつけられた庶民の当時の噂や風説を通して、子々孫々伝えて行こうという彼らの思いを代弁する。
「想うてさえおれば、孫子の代へ代へときっとなる」と・・・


                                   中村幹彦著 西南戦争のリアル 田原坂 (シリーズ「遺跡を学ぶ」153)

                                   西牟礼道子著 西南役伝説

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする