津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■司馬遼太郎が間違ったと思われる一節

2022-09-16 11:24:11 | 書籍・読書

 先にも書いたが、終活の為に本を処分しているが、ふと目に留まった本の頁をめくると、すっかり手が留まり時間を費やしてしまう。
現在「翔ぶが如く」の第六巻に釘付けになっている。
その中に、明らかに司馬氏が人物を取り違えているとされる一文がある。
池部吉十郎等が組織した「熊本隊」に関するものである。

  学校党は、幕末における公武合体派(佐幕派)だったとはいえ、薩摩の島津久光のような狂信的な保守主義ではなかった。
  かれらの出身は石取り階級が多く、また旧細川藩における官僚層の出身もしくはその子弟が圧倒的で、要するに薩長両藩に
  壟断されている東京政権については、肚をうちわれば、「天下をニ、三の旧雄藩に専有していいのか」という、維新に乗り
  おくれた細川武士の雄藩人としての素朴な自負心と憤りからその反政府熱は出ているといっていいであろう。
   かれらは、池部吉十郎に統御されていた。池部は肥後の西郷という異名さえあったほどに人望のある男で、かつては二
  石の身分であり、幕末では細川家を代表して京都にあり、公用人として奔走し、幕末における薩長の倒幕活動を陰に陽に索
  制した。が、薩長が成功して新政府ができた。池部としては、満腔の不満があって当然であろう。

この文章の着色した部分は、池部吉十郎ではなく上田久兵衛だとされる。「肥後の西郷」とは久兵衛が西郷と比べても引けを取らぬ大兵の体つきであったし、後半部分は久兵衛の京都留守居役時代の事を指しており明らかな間違いであることを、上田久兵衛の研究をされていた鈴木喬先生や、川尻の郷土史家・西輝喜先生(小説「柳絮の舞)からお聞きした。
先にも記した通り、司馬氏には資料収集の係が居られたというが、この「翔ぶが如く」の大作に於いては、このような間違いも生ずることであろう。

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■西郷隆盛、京町へ現る

2022-09-16 07:52:57 | 書籍・読書

 押し入れの本を整理する中で、司馬遼太郎の「翔ぶが如く」(文芸春秋社)が七冊そろって顔を出した。
一冊目からパラパラを頁をめくってみるが、本を処分するときはこんなことはせずに一気呵成にしなければ元の木阿弥になる。
丁度いま、私は西南の役について調べている処で、司馬がこの熊本を西郷軍が散々に踏みつぶした不毛な戦いをどう書き表しているかを知りたくなった。
全部を読む気力はないから、第六巻の西郷軍の薩摩出発から読み始めようと思い、まずは拾い読みを始めた。

西郷は陸路加久藤越えをして人吉に入り、球磨川下りをして八代へ、それから川尻に着くとここに本營を構えた。
その後、城下の北岡神社に本營を移し、その後二本木に移ったとされるが、この程度の事は承知していた。
司馬氏には、資料を収集する係がいたと聞いたことがあるが、熊本に於ける地名など小字で表記するなど徹底している。
何か齟齬はないかと目を皿にしているが現在の処見受けられない。

 熊本史談会では、西郷が植木あたりの温泉に入ったのではないかという事で議論がある。明日の史談会ではそんな報告もあろうかと楽しみである。
西郷は京町口の前線に突然姿を現したということを、司馬氏は鹿児島県立図書館が所蔵する「実歴譚」という、河野圭一郎という人が書き残した史料をもとに書いている。

 「私の隊が居た所は、出町の加藤清正の墓地のある所なり」と言い、略図も添えてある。

その略図はこの本では紹介されていないが、墓地ではなく荼毘に付した場所の事であろう。
この場所は静慶庵と名付けられ、現在は九州森林管理局内にその碑がのこる。
3月3日の夜、その河野の赤尾口の陣に突然西郷が現れたというのである。

 「田原は、苦戦ち、聞き申した。破れはし申さんか」
 田原(田原坂)が苦戦と聞いたが、破れはしないだろうか、ということである。

 かれはさらに「行って、様子を見て来もそか」(中略)とさえいった。

河野は驚き、斥候を出しておりそろそろ戻るころだと押しとどめ、丁度牛鍋を作っていたものを進めたという。
その内に斥候が戻り「田原は大丈夫」との報告を得、

 西郷は説明ももとめず、感想もいわず、それはよかったと言い残して去った。

その赤尾口に屋敷があった吉田如雪は「西南の役見聞記」という貴重な記録を書き残している。
吉田の家は新宅が近くにあり、そちらにいたのであろう、当然のことながら全く気付いていない。
 三月三日の記録には「熊本城攻守共休戦の如し、砲声殆んど絶するに似たり。」とあるのみである。

北岡の本營からこの赤尾口までどこを通ってきたのだろうか。いずれにしても西郷が隠密に赤尾口まで来たというのは本当らしい。

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