津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■熊本の纏

2022-09-29 14:02:09 | 史料

                      
       

  平成17年(2005)6月24日付けの熊本日々新聞が顔を出し、「探訪・江戸文化 in 熊本」に「火事と纏」という文章が掲載され、この纏も紹介されている。
これは熊本市立図書館藏の「中根家文書」に紹介されている、手控えと思われる熊本の夫々の町の「纏」の図である。
江戸期、熊本府中には、新町一丁目(1町)・新町二丁目(6町)・新町三丁目(4丁)・蔚山町(1町)・職人町(4町)・西古町(11町)・中古町(11町)・東古町( 町)・紺屋町(7町)・京町一丁目(1町)・京町二丁目(1町)・今京町(1町)・出京町(3町)・新坪井町(12町)・細工町(7町)・本坪井町(6丁)など計86の町があった。
(但し、資料に依り異同がある)
それぞれの町が単独であったり、またいくつかの町が合わさったりして消防の組織・鳶役が作られていたことが判る。

熊本に於ける火消しの制度は、安永10年(1781)12組の火消し組が編成されたという。
     ■円居(まといと読む)
これは、熊本の火事では1,778軒が消失したという一番被害の大きかった安永7年(1778)閏7月28日の娯楽寺丁より出火した火事を受けてのことであろう。
細川藩政期に於いて、寛永16年から大きな火事が67件に及んだ。細川家の入国は寛永9年だが、何故16年からとするのは、別の資料に依ると花畑邸で「ボヤ火事」が起きていることによるのだろう。■花畑御屋敷・今昔
以下、大きな火事について触れた過去のブログである。

     ■宝永四年山崎町の火事-焼けだし

     ■享保の火事(1)
     ■享保の火事(2)  
     ■享保の火事(3‐了)

     ■享保十四年・藪の内火事

                     火の要慎さっしゃりませ



 

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■不思議な家紋の正体

2022-09-29 06:32:59 | 家紋

                        

    細川家家臣のお宅の家紋をご紹介しているが、何とも名前が判らず、またヒントにも行き当らずというものが幾つかある。
昨日の■御侍帳・家紋から考える(44)でご紹介した藤懸家の家紋も、その際たるものであろう。
一つは「丸に三文字紋」これは、藤懸氏でググってみると「武家家伝_藤掛氏」に尾張織田氏庶流としてこの家紋が紹介されている。
もう一つがこの不思議な形の家紋で、原寸8㎜×5.5㎜をスキャンして拡大してみると、不思議な形の紋に白地で切り抜かれているのは「結び雁金」か?
手元にある数冊の家紋帳を一頁づつめくりながら確認しているが、基本になっているのは「舵紋」だろうか?

                          舵紋 – 家紋DB
 本来はこういったものだ。もう捨てようかと思っていた丹羽基二氏著の「家紋」(昭和51年7月発行の22版)に出ていたものだが、その説明に「舵紋の使用家は寛政重脩(修)諸家譜では、織田家から出た藤懸氏・・・」とあった。
調べてはみるものだ。
とすると、「結び雁金抜き舵紋」とでもいうのだろうか。

また、「肥陽諸士鑑」にも諸家の家紋が紹介してある。ここにある藤懸氏の項の家紋を先に見ればよかったと悔やまれるが、これはまさに「舵紋」である。今一つ小さい不思議な家紋が描かれていたが、非常に小さいので何が何かわからない。これもスキャンして拡大してみた。
                      
 ここまで大きくすると、下の家紋は丹羽基二氏著の「家紋」に類似の紋  三つ舵紋(みつかじ):家紋のいろは  「三つ舵紋」が紹介してあり、それから類推すると「丸に三つ結び雁金抜き舵紋」とでもいう事に成ろうか。
只々感嘆するばかりである。
 

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