例えば「■■ニ申上せ候道具、はやとく下候」という文章があるが、この「はやとく」がどういう意味なのか正解が得られないでいる。
この言葉、時折散見されており、なんとなく「早や とっくに」といったニュアンスで捕らえているが、WEBで検索しても駄目だし、古語辞典を眺めても登場しない。
まさか細川家の「方言漢字」ならぬ「方言言葉」なのだろうか。ご存知の方がおられればご教示賜りたい。
豊臣秀吉室・高台院の実方木下家は、高台院の兄・家定の家系で長兄は歌人としても名を知られる勝俊である。
二男・利房の家系が備中足守藩主となって明治に至っている。
一方その弟・木下延俊は豊後日出藩主となり、細川忠興の妹・加賀を正室としたため、細川家とは大変親しい間柄である。加賀の娘・御豊が木下利當に嫁いでいる。
末弟は小早川秀秋という関係である。
その木下延俊の嫡男・俊治が二代目日出藩主となり、弟・延次が5,000石という破格の分知を受けているが、この人物は豊臣秀頼の隠し子だという伝聞がある。
一方三男・三郎左衛門は細川忠利と木下延俊の約束事として、日出藩が無事嫡男が継承したのを受け、正徳元年に肥後入りし千葉城に居を構え、以降明治に至った。
其の後、現在の蔚山町に屋敷替えとなり、明治に至るまで長くこの地に留まりこの周辺は「木下町」と呼ばれている。
最近その子孫「嘉納」の先祖附を見ていたら、三郎左衛門ーーー平馬==三郎左衛門(伊学)と続いているが、この三代目・伊学なる人物について「實平山才蔵弟伊学」と小さな書き込みがあった。
さて何方だろうと平山才蔵で検索してみたら、細川家家臣に平山家があった。
木下家の宗家足守藩主家の4代公定の弟・藤栄の二男筋である。この才蔵の弟が伊学で、この人物が肥後木下家の3代目を継承していた。
こういう細やかな発見は、地道に「先祖附」に目を通さなければ得られない喜びである。
豊臣家系木下氏と細川家略系図
+------木下家定---+---勝俊(長嘯子)
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| +---利房-------+---利當----利定----+---公定=====利潔・・・・・・・→(備中足守藩主)
| | | | ↑
| | | +---藤栄---+----利潔
| | | |
| 豊臣秀吉 | | +----才蔵---長助・・・→(細川家臣・平山氏)
| ‖ | | |
+------高台院============+---利次(旗本3,000石) +----伊学
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細川藤孝----------+---忠興-----忠利
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| | +----於岩 松平忠重室(上総佐貫→駿河田中→遠江掛川藩主)
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| | +----於豊 木下利當室(備中足守藩主)
| +---加賀 |
| ‖ ----+----於栗 (梅松院室)
+----木下延俊
| ‖-----+---俊治・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・→(豊後日出藩主)
| ● |
| +---延次・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・→(寄合交代衆)
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| +---三郎左衛門---平馬==三郎左衛門(伊学)・・・・・・→(細川家臣・木下家)
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+---小早川秀秋