津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■なつかぬ犬

2023-03-23 17:05:33 | 史料

 寛永二年十二月中津の三斎から小倉の忠利に宛てた書状である。
中津の三斎の許へ、後水尾天皇の御意として、娘(三斎女・万)婿から、鷹狩用の犬を一匹頂戴したいと言ってきている。面白いのは三斎は鷹狩に犬を使わないと言っている。それゆえに息・忠利に献上する犬の調達を依頼している。
これは「婿殿」のためにも人肌脱がねばなるまいから、宜しく頼むという事である。
ちょうどこの時期、細川家は後水尾天皇のご所望により香木・初音をご披露するという栄誉な事があったが、天皇は「たぐいありと 誰かはいはん 末匂う 秋よりのちの 白菊の花」と歌にちなんで「白菊」と勅命された。
この様なことも、娘婿の辨殿(烏丸光賢)辺りの仲介によるものではないのか?少々うがった考えだろうか。

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  尚々、なつかぬ犬にて候條、自然綱計にてハくいきる事も可在之間、犬くさり在之候は、御付候て可給候、以上
態令申候、不被存寄儀ニ而候へ共、従 禁中以辨殿被 仰出候は、豊後・豊前之内ニ能鷹犬在之由、達 叡聞候、可然犬一ッ上候へと 勅諚ニ候間、御返事ニ、我等は野山かけて、犬一切つかひ不申ニ付不致所持候、定而越中持可申候間、上させ可申旨 勅答申候、此間忘氣故失念候、明後十五二、万所へ人を上次ニ、此犬上申度候條、其地ニ而之上々之犬一匹明十四日御ひかせ候而可給候、右之分ニ候間、能を御撰候而給候は満足可申候、爲其申候、恐々謹言
                               三 齋
   十二月十三日                        宗(花押)
       越 中 殿
           進之候

 意訳
存知よらざることではあるが、禁中より辨殿(弁官‐烏丸光賢)をもって仰せだされたことは、豊後・豊前の内から良き鷹狩の犬がいるようだとの叡聞が達せられた。しかるべき犬を一匹上げる様にとの勅諚であるから、ご返事に申し上げたことは、私どもの鷹狩は野山を駆けまわり犬は一切使わないので所持して居りません、定めて越中守忠利が所持していると思いますので、こちらから差上げる旨をお答え申上げた。しばらくの間忘れていたが、明日十五日に万(三齋女・烏丸光賢室)に人を遣わし、その次にこの犬を差し上げたいので、小倉において上々の犬一匹を選び、明日十四日これを引いてお届けいただきたい、良い犬を戴ければ満足この上ない、
 尚々なつかぬ犬であろうから、綱ばかりでは食切ることもあるだろうから、鎖縄を付けて頂戴したい、以上

 

 

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■奉公構・谷 権右衛門

2023-03-23 08:53:30 | 先祖附

 細川家家臣・谷家(1,500石)の初代・内藏之允(衛長)は丹波山家藩16,000石・谷出羽守衛友の末子(五男)である。
衛友は死に当たって、この内藏之允に相続させることを遺言している。処が二男が徳川家に仕えていたこともあり、幕府は二男をして10,000石で相続せしめた。6,000石については兄弟や甥等に分知された。
この山家藩の相続問題には、細川三斎・忠利が遺言の履行を言い立てて援助したが、幕府の受け入れる所とはならなかった。
三斎の砂をかむような思いが残されたた文書に伺える。     『細川家史料』にみる山家藩谷家御家騒動記
色々な解説を読むと、衛長の生母が豊臣一族‐木下左近将監の娘であることによるとする指摘がある。

 細川家はこの内藏之允を、「元和八年豊前小倉ニ罷下り則御知行千石被為拝領候 爲妻三渕伊賀守様御息女(幾久)被下候」として豊前に迎えた。
三渕家は細川幽齋の実方であり、息女は三斎の従兄妹に当たる事からも気の使いようが伺える。

 二代権右衛門は養子だが、その父に荒木権右衛門なる人物がいるが、この人物も細川家に召し出されているが、先主・板倉伊賀守から「御構御座候而其後御暇被下候」という処分を受けている。これはいわゆる「奉公構」だと考えられ、権右衛門は世忰の世話になっていたのだろう。
細川家家臣の中で「奉公構」の処分を受けたのは、この人物の他には見受けられない。

そして先祖附はこの権右衛門を荒木摂津守曽孫と紹介している。「此者妻浄勝院様御養女ニ而御座候 右之通之様子ニ而荒木権右衛門世忰権右衛門儀則浪人ニ而御国居申幼少ゟ姉聟細田栖隠方育置細田氏を名乗せ子分ニ仕置候 」とあり、この世忰が谷家の二代目・谷権右衛門である。下の「細田家系・本姓荒木氏」系図の上段の克之がその「御構」に遭った父権右衛門、下段・中央に「三郎」とあるがこれが、谷家二代目の権右衛門のことである。

                                                                                                                              

 

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■頭痛4日目

2023-03-23 07:14:11 | 徒然

 昨夕37.7度の熱発が有り頭痛が半端ではないので、20時には早々ベッドに入りました。
二日続けての11時間睡眠です。喉が渇く事はなはだしく、ペットボトルに水を入れて1時間おきにのどを潤しました。
熱は平熱に戻ったような気がしますが、頭痛は相変わらずです。今年はインフルエンザの予防注射をしていないので罹患したのかもしれません。
今日もお天気は雨もよう、終日読書でもして過ごすことにしましょう。

             病にも色あらば黄や春の風邪  虚子

           

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