寛永二年十二月中津の三斎から小倉の忠利に宛てた書状である。
中津の三斎の許へ、後水尾天皇の御意として、娘(三斎女・万)婿から、鷹狩用の犬を一匹頂戴したいと言ってきている。面白いのは三斎は鷹狩に犬を使わないと言っている。それゆえに息・忠利に献上する犬の調達を依頼している。
これは「婿殿」のためにも人肌脱がねばなるまいから、宜しく頼むという事である。
ちょうどこの時期、細川家は後水尾天皇のご所望により香木・初音をご披露するという栄誉な事があったが、天皇は「たぐいありと 誰かはいはん 末匂う 秋よりのちの 白菊の花」と歌にちなんで「白菊」と勅命された。
この様なことも、娘婿の辨殿(烏丸光賢)辺りの仲介によるものではないのか?少々うがった考えだろうか。
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尚々、なつかぬ犬にて候條、自然綱計にてハくいきる事も可在之間、犬くさり在之候は、御付候て可給候、以上
態令申候、不被存寄儀ニ而候へ共、従 禁中以辨殿被 仰出候は、豊後・豊前之内ニ能鷹犬在之由、達 叡聞候、可然犬一ッ上候へと 勅諚ニ候間、御返事ニ、我等は野山かけて、犬一切つかひ不申ニ付不致所持候、定而越中持可申候間、上させ可申旨 勅答申候、此間忘氣故失念候、明後十五二、万所へ人を上次ニ、此犬上申度候條、其地ニ而之上々之犬一匹明十四日御ひかせ候而可給候、右之分ニ候間、能を御撰候而給候は満足可申候、爲其申候、恐々謹言
三 齋
十二月十三日 宗(花押)
越 中 殿
進之候
意訳
存知よらざることではあるが、禁中より辨殿(弁官‐烏丸光賢)をもって仰せだされたことは、豊後・豊前の内から良き鷹狩の犬がいるようだとの叡聞が達せられた。しかるべき犬を一匹上げる様にとの勅諚であるから、ご返事に申し上げたことは、私どもの鷹狩は野山を駆けまわり犬は一切使わないので所持して居りません、定めて越中守忠利が所持していると思いますので、こちらから差上げる旨をお答え申上げた。しばらくの間忘れていたが、明日十五日に万(三齋女・烏丸光賢室)に人を遣わし、その次にこの犬を差し上げたいので、小倉において上々の犬一匹を選び、明日十四日これを引いてお届けいただきたい、良い犬を戴ければ満足この上ない、
尚々なつかぬ犬であろうから、綱ばかりでは食切ることもあるだろうから、鎖縄を付けて頂戴したい、以上