久々、高祖父・上田久兵衛のことに触れるが、久兵衛は一時期、京都留守居役として幕末の京都で活躍をした。
西南戦争の際には、西郷隆盛との関係が疑われて、熊本隊の池邉吉十郎と共に斬首の刑に会った。
昭和3年発刊の「肥後藩士・上田久兵衛先生略傳幷年譜 全」(熊本地歴研究會・鈴木 登編)に次のような記録がある。
慶応3年12月4日の日録「東大史料編纂所収蔵資料(コマ番号78参照)」
土州嘗て上田に国事を託す
「夜有中山書報儲駕登上京之儀、及坂下(本)龍馬逢暗殺、後藤象二郎走免之事、
葢刺龍馬者土州人也、余於是疑念氷散、抑余之在京之日、容堂公窃令其大夫森下又平、
託余以其國事、其議論吻合、今日土州之論 與前日相鉾楯、初知皆此輩之要之者也」
竜馬殺害の犯人は「土州人也」としている。
「久兵衛は竜馬殺害の犯人を知っているのではないか」という疑いをもって、斬首されたのではないかという穿った見方がある。
明治10年9月29日、久兵衛は無念の内にこの世を去ったが、久兵衛が知りうる竜馬殺害についての事柄は、永遠の謎となった。