高祖父の岳父たる上田久兵衛は、娘婿たる我がひい爺様を「藤聟」と呼んでその日記などに記している。
「藤聟」をどう読んだのだろうかという疑問がいまだに解決できないでいるが、NHKの大河ドラマ「光る君へ」で、紫式部が「藤(とう)式部」と呼ばれて云う事から「とうのむこ」と呼んでいたのではないかと思い始めた。
日頃の会話では名前を呼んでいたろうから、これは日記のみに現れる「愛称」みたいなものだと思われるが、考えてみるとなかなか洒落た高祖父さまだと思ってしまう。
久兵衛の名も慶応・明治期に成ると「休兵衛」としたが、「官名」たる「兵衛」の使用が制限されると「休(やすむ)」と改名した。
「やすみ」かもしれないが?
「藤聟」たるひい爺様は又太郎(諱・安正)という名だが、その父親たる高祖父も名乗りは又太郎で諱は「安玄」である。「玄」の字は「くろ・しず・しずか・つね・とお・とら・のり・はじめ・はる・はるか・ひろ・ひかる・ふか・ふかし」などと読むらしいが、恥ずかしながら私は高祖父爺様の諱をどう読むのか知らないでいる。
私は「又太郎じいじいさま」で通してきたから、今ではどうでもいいと思っているが、「藤聟」も「安玄」の読みも未解決事項のままで今年も年越しである。
goo blog お知らせ
goo blog おすすめ
カレンダー
最新記事
カテゴリー
- ご挨拶(277)
- 年表(8)
- 論考(73)
- 熊本史談会(159)
- 講演会(49)
- イベント(42)
- 人物(290)
- 先祖附(325)
- 花押(45)
- 熊本地震(176)
- 地図散歩(131)
- 色・いろいろ(29)
- 自分史(25)
- 木下韡村日記(5)
- 細川小倉藩(550)
- 恕斎日録(鶴崎編)(1)
- 私の本棚(6)
- 創作(9)
- 細川家譜(167)
- 史料(2009)
- 古写真(26)
- 俳句(76)
- 家紋(109)
- 有吉家文書(84)
- 旦夕覺書(46)
- 保存(17)
- 展覧会(134)
- オークション(513)
- 堀内傳右衛門覺書(27)
- 侍帳(11)
- 小川研次氏論考(27)
- 沼田家文書(11)
- 催し物(4)
- 熊大永青文庫研究センター(1)
- 掃苔(9)
- 爺の遠吠え(1)
- 歴史(2540)
- 恕斎日録(39)
- 書籍・読書(1056)
- 新聞(114)
- 熊本(830)
- 徒然(2535)
- 随想(9)
- memo(114)
- 些事奏論(22)
- 建築(23)
最新コメント
- 津々堂/■佐藤家と草野家
- 草野/■佐藤家と草野家
- 荒木幹雄/■「堀内傳右衛門覺書」‐(25)
- 津々堂/■吉原実氏論考御紹介ー『隔冥記』に現れる勧修寺家と飯山佐久間家の交わり(2)
- 津々堂/■難行苦行
- 大原/■吉原実氏論考御紹介ー『隔冥記』に現れる勧修寺家と飯山佐久間家の交わり(2)
- 柴田/■難行苦行
- 津々堂/■「東風」という風
- ツツミ/■「東風」という風
- 津々堂/細川家家臣・大木氏
バックナンバー
ブックマーク
- 肥後細川藩捨遺 - 管理人のメインサイト。
- 九州の雄・肥後熊本五十四万石を、237年にわたり統治経営した細川家の歴史と業績をご紹介するサイトです
- goo
- 最初はgoo