先の日曜日には熊本城調査研究センター主催の「熊本城と地形・地質-周辺地形・地質の成り立ちとその利用に迫る」講演会に出席した。
250名先着とあったが、ほぼ満員で皆さんの関心の高さがうかがえる。
立派な冊子を頂戴したが、具体的な講演内容とともに熊本城の立地である茶臼山の粗方の姿を知ることができた。
国土地理院の地理院地図(電子国土WEB)のツールにある「断面図」で、塩屋町(旧・古城)から旧千葉城の間を調べてみると次のような高低差が見て取れる。
この断面は縦横比が1:15なのだが、我々が良く知る「茶臼山之図」と比較してみると、あの絵図にいかに混乱させられていることが判る。
縦横比1:1にすると同じ熊本城の本当の高さ関係を知ることができる。
茶臼山はほぼ標高45mほどの高まりである。熊本市内の熊本城周辺地(新町や熊本市役所など)の標高は12mほどだから約30m余程の丘陵地である。
それも天守周辺は盛土が為されていることが判る。
京町台から古京町の標高は約32mであり、立田山断層が百間石垣下を走り、二の丸広場はを含む城地は隆起したのであろうとの説明があったが、aso4の地層が断層となっていることからすると、その隆起はわりと新しいものであり、今般の熊本大地震での熊本城の多大なる被害も、断層由来の原因も考えられる。
いままでもやもやしてきた、熊本城地茶臼山の正体を見た気がしている。