過日細川家・白金邸のことを書いたが、悪友からクレームが来た。
その記事の頭書に「 WEBで紹介されている「大江戸切絵図・芝高輪編(位置合わせ図)」をみると、細川家の白金邸は旧・東海道「二本榎木丁通り」に面していることが判る。
それは、文字の書き込みの向きが表している。(縦書き文字の頭部分が正面を示す。)
ところが厄介なことに、永青文庫に残る「白金邸」の図面を見ると、方位(右下表示)が記されているがこれだと入り口は北向きになっているから、これだと説明がつかなくなってしまう。」と書いたが、「随分以前、お前書いた文章と全く違う」との指摘である。
随分以前の文章とは「高輪皇族邸」は旧・細川家下屋敷」のことで、82歳爺はこの文章をUPしていたことをすっかり忘れていたし、白金邸の玄関が「二本榎木丁通り」に面しているという文言を取り消さなければならない。
そこで「細川家・白金邸のこと」においての頭書を修正し、朱書きで説明文を入れさせていただくことにした。
この記事に於ける主目的は、赤穂義士の切腹の場所に至る道筋の説明であったのだが、往時の白金邸玄関の位置について、「大ぼけ老人のたわごと」となってしまったことを、大いに反省してお詫び申し上げる。
そしていつも厳しい指摘をしてくれる悪友に感謝をしたい。