麒麟の脚のごとき恵みよ夏の人 金子兜太
金子兜太氏の訃報を知って、すぐこの句を思い出した。
すくやかな若い女性がすらりと伸びた足をあらわにして、夏の暑さをものともせずに歩いている。
ショートパンツかミニスカートかと余計な想像をたくましくさせるような句である。長い脚は「恵」である。うらやましい。
句集を一冊持っているが、これがまた見つからない。今日は又段ボールを引っ張り出して探さなければならない。
ご冥福をお祈りする。
麒麟の脚のごとき恵みよ夏の人 金子兜太
金子兜太氏の訃報を知って、すぐこの句を思い出した。
すくやかな若い女性がすらりと伸びた足をあらわにして、夏の暑さをものともせずに歩いている。
ショートパンツかミニスカートかと余計な想像をたくましくさせるような句である。長い脚は「恵」である。うらやましい。
句集を一冊持っているが、これがまた見つからない。今日は又段ボールを引っ張り出して探さなければならない。
ご冥福をお祈りする。
二四六
慶四(ママ)八月廿日けん物殿・かけゆ殿・宇右衛門殿寄合被 米田監物・沼田勘解由・沢村宇右衛門
成候時伺候也、御奉行衆・修理・勘兵衛被居候也
覺 御老中御寄合二伺候頭書也
「運上なしとの儀」
一在郷え商人参候儀、御停止被成候二付、商札を上ケ可申
と申候者ハ、當年之運上如何様二ヵ被仰付候哉、得御意
候事
「不極」
一當町人在郷二て胡麻・荏子其外石物を買申儀如何様ニ可
被仰付候哉、得御意候事
「村之つけ入なき様ニ往来可申付也」
一在々宿町之市ニ爰元より商人参、物を賣、又百姓之もの
をかい申候、是ハ最前御奉行衆へ御尋申候えへハ、市参
と申候へて村々え付入無之様ニさへ仕候ハヽ、市場え出
入くるしかるましき哉と被仰渡候ニ付、其分ニ申付置
候、向後彌左様ニ可申付哉、奉得御意候事
「過怠と奉行衆・勘兵衛被申候、監物殿ハ時宜ニより可
申との儀」
一自然御諚を背、在郷え商人出入仕候時、其者之儀籠舎可
申付候哉、過怠可申付候哉、此御定を被仰付可被候事
「兼て不定儀とけん物殿御申候」
一御家中下々又百姓町え出、理不儘成狼藉成儀を仕候ハヽ、
随分なため候ても先へ不参と記ハ其場ニてからめ取可申
哉、但主人或は郡奉行衆えつれさせ届可申哉、得御意申
候事
已上
慶安四年八月廿日 國 津
吉 傳
二四七
承應元年十月廿七日佐渡殿御上り前、式部殿にて御寄
合佐渡殿・監物殿・式部殿・頼母殿・左馬殿え勘解由
殿・御奉行衆・修理殿・勘兵衛殿御参會之所にて伺申
候也
得御意候覺 御老中御寄合之所にて伺申候頭書也
「可然様ニ可申付儀」
一御町中ニ殿様御長柄衆・御駕衆ゑんひき宿を仕居申候、
此者共は面々屋敷を被下たる者ニて御座候處ニ、ぬし屋
敷をは人にかし、又は作事等成不申候とて明キ屋敷ニ仕
置候て町屋ニ居申候、惣て御切米取共町ニ宿本定メ居申
候ヘハ町之為ニ悪敷御座候間、ケ様之者共町をのけ可申
哉、得御意候事
「御奉行衆・屋敷奉行へ談合ニて可然との儀」
一町屋敷之間、御切米取衆之明屋敷御座候間、町なミそろ
い不申、火用心・掃除以下萬事しまりニ悪敷所も端々ニ
御座候間、ケ様之所をは御屋敷御奉行衆え談合仕候て町
屋敷ニ取込、可然所をハ一二ヶ所ほと宛町屋敷之内ニ可
仕哉、得御意候事
「右同断」
一立田口須戸の左脇ニ町屋敷の割あまし廣サ壹尺程ニ入町
なミほとの空地御座候、須戸之外の道ニも不成所ニて御
座候ニ付、町ニも道ニも片付不申候て町之方え付候てか
きをゆひ廻し、當分ハわつかの地子を出しさいゑんなと
仕ものニ御屋敷奉行より預ケ置被申、須戸之内外之境ニ
て御座候間、此割あましの地町屋敷之内ニ仕候て須戸一
面ニ仕、内外之境しまり申候間、町屋敷ニ可申付哉、得
御意候事
「両人ニ預ケ被置候事ニて候間如何様ニもよきやうにまか
せらる之由」
一其町々之別當共心得ニより諸事しわさ悪敷、町内之者迷
惑かけ御町之為ニ不成儀をも御座候通内々承届申候、ケ
様之所を彌細カニ承極不覺悟成別當も先やすませ申候
て、別人ニ可申付哉、得御意候事
「右同断、佐渡殿御申候ハ古町廣ク候間左様ニ可有之候、
如何様ニも能様ニ可申付由」
一古町殊之外廣ク御座候を別當三人にてさはき申候、殊ニ
別當共之挨拶も能無御座候由承候、古町三ケ一程之町をも
所ニより別當三人・五人ニて申付候町數多御座候故、諸
事しめしをも漸一往申付置候様ニ相見へ申候、所廣クむ
さと仕たる者共集り居申候ニ付、何事そ出来仕候儀ハ多
分古町よりおこり、一圓しつかに無御座候間、三人之別
當ニ古町を三ツニ分て面々之さはきに申付候ハヽしつま
り可申候、左様ニてはしづまり不申候間、手永を分可申と存
候、古町之儀先町奉行衆も如此被申候由承候事
「尤ニ被思召候間ケ様ニ申付候へ之由」
一町くすし玄昌儀、是跡より八代・鶴崎・野津其外在郷方
々え病人御座候て町醫師被仰付被置候時、主手前ニかヽ
へ居申候病人をもはつし参、數度御奉公申上候、今度天草
え町醫師被遣候ニも、町くつし共ニくし取申付候處ニ、
玄昌申候ハ年若ク御座候間ケ様之御奉公似合たる儀ニ存
候間、主可参と申候て届参候、惣ていしや内功者之御用
なと被仰付候様成くすしハ二三人も先町奉行衆より被申
上、町役差除被申候、然は玄昌儀も已來御用被仰付醫師
二て御座候間、町役御赦免申内ニ被仰付被成候哉、得
御意候事
已上
承應元年十月廿四日 國 津
吉 傳
Wi-Fiの機械が調子悪く、インターネットが使えない状態が発生、現在機器の取替をしているがなかなか接続に至りません。
明日はサクサク動くようになんとかしたいと思いますが、明日ブログが遅れました時は、いまだ接続不良であることをご理解ください。
宜しくお願い致します。現在は故障がちな古いルーターを使用しています。
二四四
正保四年三月御上洛之刻萬得御意覺書
覺
「奉行共相談仕運上をまけ可遣候、他國酒留候も如何ニ
候、何も相談次第之事」
一御町中酒屋共申候ハ他國より参候酒不被成御留候得は爰
元之酒屋共迷惑仕候、例年さへ他國より参候酒能賣レ申
候、當年よりハ他國酒大分可参様ニ存候、左様ニ御座候
得は爰元之酒屋共つふれ可申と存候、奉得御諚候事
「已來も此分ニ可申付候也」
一御客屋ニ年中御町より仕候夫仕、大方七千程仕候、其外
銀子三貫目程宛入申候
「奉行共相談可然様ニ可申付候也」
一御客來御作事、其外御町中ニて御普請被仰付候時ハ御町
中より手傳之人足出シ申候、御町中ニて之儀は仕候ハて(てハ?)
不叶儀と奉存候、方々竹木取ニ参候儀殊之外迷惑を仕ニ
付、奉得御諚候事
「國之者共ニ可申付也」
一御國之者、他國より参候者ニても萬勧進追入可仕と申者
ニは可申付候哉、奉得御諚候事
「入候時ハ何時もひきこわし見苦敷無之様ニ可申付也」
一御町末々方勢屯出見せ仕度由御町之者共申候間、奉得御
諚候事
「本國へ可遣候事」
一新壹町(丁カ)目ニ罷居候八兵衛と申者、元来大垣之者ニて御座
候、御先代より御町ニ罷居申候、身上不罷成候間、妻子
共ニ本國へ罷登度由申候間、奉得御諚候事
「先如何候間様子可見也」
一御町人之内他國へ奉公ニ罷越候者も御座候、其者共爰元
ニ親兄弟御座候ニ付折々参候て逗留仕候、殊ニ島原ニ居
申候者共度々参候、向後は奉公抔ニ参候儀留可申哉、奉
得御諚候事
「何ほと入申候とも可遣也」
一方々え遣候もの共遣銀大分之儀ニ御座候、御留守中も遣
候て相替儀無御座候とも様子言上可仕哉、奉得御諚候事
以上
正保四年三月十日
貴 角
小 五 郎
右之通書付ニて得御意候處ニ、御肩書之ことく被成御意
則其書附御前ニ被成御留候、以上
二四五
覺
「家持渡候事不入義あいたいニ可仕候事」
一諸奉公人之請人幷賣買之受人共、書物ニ仕置候米銀辨申
儀不罷成と記ハ、家持ニても其者を渡可申哉、借家へ相居
候ものハ自然ハ渡申義も御座候、奉得御諚候事
「かまい計なら町ニ置候事不苦也」
一御家中より構御座候者は、永ク商人ニ罷成候共御町ニ置
申間敷哉、奉得御諚候事
「是ハ奉行共と談合可仕也」
一御町人在々へ酒を賣遣候ヘハ、又在郷ニても運上を出し
申ニ付、迷惑仕候ニ付罷出事成不申候、ふたへに罷成
候、在郷へ罷出候事成不申候ニ付、次第ニ酒造申儀減り
申候事
「國之者ニハ可申付也」
一河原ニて追入仕度と申上ルニは可申付哉、奉得御諚候事
慶安二年二月廿五日 貴 角
住 甚 (住江甚兵衛 1,000石・慶安二年二月~ 熊本町奉行、寺社奉行兼)
二四三
御町之儀諸事得御意候覺書
申上覺 佐渡殿え御寄合之刻御相談にて相究也
「彌さい/\慥成者を可遣候、嶋原へ遣候もの一段よく
候、見はからひて銀子を可遣候也」
一方々え町人を遣申候て様子承届候様ニと御老中被申付
候、遣候物ニ誓詞を申付堅をんミつにて遣申候、嶋原ニ
は前かと御小姓衆ニて布施五郎と申候、只今ハ甚兵衛
申候、彼者不断嶋原ニ罷居候、爰元ニ母・兄弟共罷居申
候ニ付、御國御赦免候由ニて切々参候、此段御老中え申
候得は、彼者ニ申付様子承候様ニと被申候ニ付、誓詞を
申付受人を立させ、様子折々承候事
「かくし候事をも無之候間、與り人を付候様ニハ不仕候共大
方ニ仕可申候」
一他國より奉公人爰元之様子を立聞ニ参候と相見候者ニは、
此方より横目を附置候事
「是ハ妻子なとハ不及申、母なとをもやしなひ候ものを
ば、何かたへ成ともつれこさせ候ても不苦候事也」
一御扶持放され候切米取共、人ニより他國へ参有付申候者
之おや・兄弟なと町ニ罷居候も御座候、折々参候と相見
へ申候
「是ハ銀子をへらし候て可遣候、年寄共相談仕書付可見也」
一御町中ふり賣仕者共札を渡し候て銀子上納申候、此御定
ハ臺雲様御代ニ下々奉公人無御座候ニ付、町々引込あき
なひ仕候可申間、札を被遣札銀高直ニも被仰付候ハヽ奉
公人も出来可仕由、御家老中より被申上候ニ付右之通被
仰付候、然共町より奉公ニ罷出候ものさして無御座候、
其上惣て奉公不仕小家をかヽへ、ふり賣ニて妻子をはこ
くミ申者多分ニ御座候、第一年寄病者も御座候、御町中
すへ/\かしけ申候間、札銀御へらし可被遣候哉、奉得
御諚候事
「此者ハ永ク町ニ可申付置候、切米加増可置、町ノ近所へ
屋敷見立可遣候也」
一御町ニ御附置被成候四人之歩之御小姓、諸事油断不仕候
御町之為ニ一段能様ニ委存候事
「此ふん」
一従前々御町ニ御付置被成候弐拾人之者共、御米被為拝領
候、常々能奉公仕候者ニ渡し申候處ニ忝奉存候由申上候
事
「御番ニにやわしきかるき者可申付候也」
一三丁目之御門・高麗門ニ御番無御座候、自然ハ夜中ニ他
國者も参居申候儀も御座候、高麗門ニ前かと御番御座候、
只今ハ無御座と相見へ申候事
「此申付様一段よく候、何時も町方ノハケ様ニ申付尤ニ候也」
一去ル5月古町之若キ者共四五人壹所ニ切麥屋ニて言葉か
らかひ仕候、壹人は家持五兵衛と申候、壹人ハ其町之か
みゆい左兵衛と申候、壹人は町人之下人太郎八と申候、
貮人は借家ニ罷在候傳七・甚九郎と申候、彼五兵衛と髪
ゆひ左兵衛前日からかい申候ニ付、明ル日五兵衛方より
髪ゆひニ異見仕、中直りいたし事濟申候處ニ、彼下人太
郎八、かみゆひニそびをかい申候ハ五兵衛と中直り仕候
儀さたのかきりニ候、何とてかんにん仕候と申候ニ付、
かミゆひ五兵衛所へ参り果可申と申ニ付、五兵衛も無是
非罷出、別町ニ同道仕参候處ニ彼太郎八跡より参候て五
兵衛を切申候ニ付、五兵衛組合申候て五兵衛數ケ所手負
申候ニ付、両人共ニ草臥引のき居申候處ニ同町之傳七と
申者かけ付、太郎八脇差を取五兵衛をかたにかけ召連歸
申候、かミゆひハ逃戻申候、太郎八儀ハ初中後不届者と
存、誅伐仕候、かミゆひハ先籠舎申付候、五兵衛儀ハ手
負申候所を養生を申付召置候事
「書付可見る也」
一御町中ニ奉公人ましり居申候、ケ様之者ニハ御屋敷被遣
末々ニ罷居候御町人移申候様ニ可被仰付哉、奉得御諚候
事
「過怠可申付、まけ候者ヽ手前ハ銀子を見はからひ殘置
何ニても町ニ入用之事ニつかい可申也」
一御町人之内三人銀懸けニかるたを打申候て壹人銀子拾貫
目程まけ申候、三人ニて組合打申候、先銀子取戻申候て
年季ニ預召置申候、其内銀子貮貫目程違却御座候事
正保三年七月六日 貴 角 (貴田角右衛門 正保二年十一月~寛文頃 熊本町奉行、寺社奉行兼)
小 五 郎 (小崎五郎左衛門か)
上天草に出かける途中、道の駅「宇土マリーナ」で一休み、今日は大変良い天気で暖かくマリーナの方へ足を向けると、海の向こうに普賢岳がそびえている。
1991年5月の大火砕流からもう27年もたつが、山頂の異様な形が今も当時を思い出させる。
今は穏やかな状態を写してみました。
松下述久について綿考輯録は、「従五位下、禁裏ニ勤居タリ、鞠歌ノ御伽トシテ、幽齋君御懇ニ有之」と紹介し、忠興が盟友曽我丹後守妹を養女として、述久の子松下掃部助(後・河方安右衛門)に嫁がせている。この優遇ぶりは何なんだろうか。
綿考輯録は、「或記に松下民部少輔述久 古今箱禁裏に持参仕候由 田辺御出城の刻も御忠節申上候と云々 何もいふかし」と記載している。田辺城開城に関する述久の忠節とは、果たしてどのようなものであったのだろうか。時慶記の慶長五年七月廿五日の項に「・・・八条殿(智仁親王)ヨリ御使(大石)甚介来、門ニテ逢、松下民部少輔(述久)○○○○上洛珍重申述候・・・」とある。このことが、田辺城開放についての事とは断定できないが、述久が八条宮智仁親王の下で動いていることが分る。同七月十八日項は「長岡越中女衆(ガラシャ夫人)ハ昨夜自殺・・・」とし、十九日は「・・・丹後国ヘモ功(攻・人数)衆越由申候・・・。・・・丹後義ヲ無心元旨申候、同也足(中院通勝)ヘモ以使者申・・・」と心配し情報交換が行われている様子が伺える。廿四日、「八条殿(智仁親王)へ徳善院(前田玄以)云伝被申儀申入、御盃給、也足(中院通勝)へモ遣人、対談候・・・」そして前段の松下民部少輔の動きである。九月三日項には「丹後へ幽齋(長岡藤孝)扱ニ日野大納言(輝資)、中院(通勝)、富少(秀直)同心ニテ下国也・・・」これらの人たちは九月廿一日「丹後ヨリ上洛ト、遣使、飛鳥井預使、又此方ヨリモ祝着ノ旨申遣候」とある。禁裏方の尽力により、田辺城が開城されたことが伺える。述久もその一員として走り回ったのであろう。
あちこちの戦いの終息が見えた、慶長五年九月には八条殿(智仁親王)の元で蹴鞠が催され、幽齋も出席し、述久は御次を勤めている。
十月十九日には也足軒(中院通勝)へ寄合、「源氏講在之」ここにも述久の名前が見える。
この年の末、細川家は慌しく新しい領地豊前へ旅たつことになる。
細川藩の年貢収取の基本は「土免」「有畝」「徳懸」だとされる。(新熊本市史・通史編第四巻 近世Ⅱ 年貢収集取体制の整備 松本寿三郎氏)
(1)土免(つちめん・どめん)農民が耕作する農地に対する負担可能な最高限度の年貢額=目標年貢額
(2)有畝(ありせ) 課税対象とする農地の耕作面積
(3)徳懸(とくかけ) 作毛の一品ごとに領主側の取分「徳」を定め、早く収穫できる作物から順に取り立てること。
前回で豊前小倉時代が終了、今回から熊本編です。
二三八
御書出之寫
一留守之時用閊(ツカエ)候儀、横目申付候て其段諸奉行へ届置可申
候
一國中ニ迷惑ニつまり候者自害之事、郡奉行へ目安を上ヶ
候得と可申付候、又りふしんニ迷惑ニつまり候由申候ハ
ヽ其一ツニ懸り可申との事
一國中ニて不濟公事、町奉行可相濟候、公事之日限相定横
目を呼濟候、六ヶ敷公事ハ奉行相談可申候
一郡奉行も公事批判申付時は横目をこひ候へと可申付候
事
一右之通ニ御書付此奉ニ頂戴仕置候間、可得其意候、以上
寛永拾二年十一月十三日
二三九
覺
一小判 壹匁
二銀子 五拾五匁
三同 三拾五匁
四同 三拾目
五同 貮拾五匁
一割たはこ仕もの銀子壹枚
一今より引籠人ハ其役壹ばい
一酒のふり賣は熊本中在郷共ニ古よりのことく賣申間敷候
一町方之分ハ御町奉行札を出シ可被申候事
右之札不取ニ若賣買仕ものを札取候者見付候ハヽ、其見
付候者札銭を札もたさるものニ出させ可申候事、札なし
のもの随分見付可申出候事
二四〇
札銭不出覺
一駄賃取 一鹽賣 一在郷よりのやさいうり 一浦々より
出ル肴うり 一薪うり幷松ふしうり 一のう具うり
右之六ヶ條之分は札を出し札銭ハ出させ申間敷候、但薪
賣之儀は札なしニ可被申付候
寛永十六年三月八日
此書物御家老衆・御奉行御相談之上相極り候、判形候へ
て被下候様ニと申候處ニ、それニ及さる儀ニ候間此分ニ
申付候へと被仰候、覺之ために我等共印形を付召置申也
二四一
御町萬御定 御老中御かた書也
覺
「當年計札銀可免也」
一寶町・大工町・こん屋町去年本庄ニ移申候間、未有付不
申候、當年之札銀被成御免被下候へと申候事
「打くたき銭主へ可進、地かねになりともうり候へと可申
付也」
一ゑり出申悪敷、いずかたへ捨可申哉之事
「御奉行見はからいそれ/\に札銀可相定也、年十二三よ
り下のわらへ札銀なしニ可申付也」
一年罷寄候者幷わらんへ札銀少御へらし被下候様ニ申候事
「吟味被仕、其上を以かさねての相談也」
一町はつれニ罷居候、今度御扶持放され候もの共札之儀
を申候、遣可申哉之事
「ミセも出し如何様の賣買も可仕候、御ふち人之分家ニう
りかひ仕間敷候」
一御職人町家賣ニ職人之外ニは賣申間敷由、前々より被仰
付候由ニ候、賣申間敷と存者も御座候得共、職人之外ニ
は賣申ものも無御座候、御職人町之者共迷惑仕候、如何
可被仰付哉之事
「急度申付儀惣て難成事也」
一受人之事
「札遣儀無用」
一他國より参候商人・ふり賣之者ニ札遣可申哉之事
右者正保二年三月四日ニ長岡監物殿ニ佐渡殿・式部殿・
奥田権左衛門殿・西郡要人殿・堀江勘兵衛殿・朝山修理
殿・興津佐大夫殿・御横目和田主膳・藤本伊右衛門・乃
美市郎兵衛・金守形右衛門何も御寄合ニて御相談の上如
此ニ御座候て、御老中之御かた書也、以上
正保二年三月四日 貴 角
小 五 郎
ニ四ニ
御老中御相談ニて相極書物
覺
「縁ニつけ申女ハよく候、しんるひの外ハ女遣ハヽ本主
へ取戻可申也」
一上方より十年切ニ抱下し申女、縁ニ付申候も御座候、御
町中ニてハ置申候ても銀子さへかさみ不申候ハヽ不苦儀
ニ可有御座候事
「本國へかへし可申候、かやうのものハ以来も戻し可申候
也」
一本坪井町借家ニ居申町人、元来夫婦共ニ筑後之者ニて御
座候、御先代より爰元え罷越居申候、身上不罷成候間本
國へ罷歸度由、惣てヶ様之者ハ如何可有御座候哉之事
「御銀奉行衆ニ預ヶ置候、内記殿より被遣候金小判十一
両・銀子十枚、惣兵衛かり申候ニ付先受取可申候也」
一新貮丁目惣兵衛手前不被罷成候ニ付、船三艘所持仕候、
御米不断御積せ被成被下候様ニと書物差上申候事
右御老中御かた書也
正保二年十一月十五日 貴 角
小 五 郎
明日18日熊本は「熊本城マラソン」が開催される。
3万人がエントリーしているという事だし、例年沿道の応援もすばらしく、天気もよさそうだしさぞかし人出も多く大賑わいすることだろう。
そんな中我々は天草まで遠征、小崎龍也氏の講演「大矢野町の歴史と地名」に出かけることにしている。
片道2時間(?)のドライブ、久しぶりの天草を楽しんできます。
中公新書「逃げる百姓、追う大名」は2002年発刊だから16年もまえのことになる。私は2010年4月に購入して興味深く拝読した。
ここでご紹介する、「大名権力と走り者の研究」の普及版といったものだそうだが、いまごろになって「歴史歌学選書」たるこの本を座右に於いてみたいという欲望と闘っている。
というのは値段が高い。日本の古本屋で10,500円とある。出してもいいが買いたい本がいろいろあって、早々にとはいかない。
Amazonを眺めたら5,714円と何とも半端な値段だがお手頃な値段である。ここが思案のしどころである。
内容については、博士論文・学術データベース「宮崎 克則 - 九州大学 博士(文学) - 大名権力と走り者の研究」に詳しい。
二三四
覺
「両人也、けん物を可相添候也」
一御年寄と申候ハ、式部少輔・頼母佐両人二て可有御座候 松井式部少輔興長・有吉頼母佐英貴・米田監物興季
哉、奉得御諚候事
「奉公人ハ年季次第、年季定上或ハ金銀米銭を遣、又奉公
可申由主人申候得共、やくそくの年季の上は下々次第をかまい可
申と申候とも主人ニ異見を可申候、年季相定法度也、御印」
一奉公人切米不足有之候ニ付いとまをこい申候之時、御國
を拂可申と申もの不届との御諚之旨、竹村彌右衛門・續
権六被申渡候、奉得其意存候事
「可為各別事、御印」
一御陣御普請之時は、置懸可為各別御諚之旨、右両人被申
渡奉得其意存候事
元和十年二月廿八日 米田與右衛門判 藤十郎是門(二代米田是政弟・550石)
飯田才兵衛殿
二三五
御印
一人うりかひ仕間敷御諚之事 御印
御印
一しち物之儀、武具・馬具・衣装ニてもなかれ申か、又其
間ニも盗物之由申懸候ハヽ、盗人をつれ來候へと申しち
やハかまい申間敷御諚之事 御印
御印
一何にてもうり物を町にかい留置候て見せニ出し候時、ぬ
すミ物之由申懸候共、右同前たるへき御諚之事
御印
一しち物之内何にてもつれかけ・ねつみ切申時、町奉行へ
相達そうれう次第ニ可相渡御諚之事 御印
御印
一しち物失候ハヽ、元一倍ニて可相濟御諚之事 御印
御印
一三年限、五年限ニ約束仕下人を置候て、其年内之間ニ下
人煩死候ハヽたかいに出入ヶ間敷御諚之事 御印
御印
一他國より走來もの爰元ニて人の下人ニ成居申候を、彼主
又は親類縁者なと跡より参候て、當所ニ罷居其下人を取
可申由申候共、返し申間敷御諚之事 御印
御印
一當所ニて物をかい候て走者、妻子・家も捨置申時ハあか
り物ニ仕、少助・甚助両人ニ可相渡御諚之事
御自筆 是も走り人仕様ニよりせいはい又ハ籠舎も可有之
候、已上 御印
御印
一走者女子を連参候時、受人無之候得共不苦御諚之事
御印
一御門・川口町人女出入之事、両人切手ニて可出御諚之事
御印
御印
一當町ニてとらへ申者於有之は町奉行へ可相届御諚之事
一川口粮米之事、両人相心得可出御諚之事
御自筆 但、上下何方え参候とても三齋様被仰ことく兵粮
なと可申付候米不足候ハヽ、ゆきヽのなるましく
候間、其段はからひ候へとの事、已上 御印
御印
一仲津より御用ハ、両人は不調法成事も候て御機嫌悪敷候
得共、我らせんかん可申付候間、式部・民部え尋、両人
ヶ様ニ申付候間其段申付候との返事仕、埒を明可申候
以上 御印
一喧嘩出来候ハヽ両方可被成御成敗、但無理を仕懸候ハヽ
其仕懸候者壹人御成敗可被仰付御諚之事
御自筆 但、仕様ニより先籠舎可申付候事 御印
一町人・奉公人之受ニ立申候ハヽ、先町奉行え相届可申候、
彼奉公人走候ハヽ取替相立濟可申候御諚之事
御自筆 但、町人受状之内を町奉行へ届候て置候ハヽ書物
之ことくはるへく候 御印
一火出候ハヽ、如先例過怠可申候御諚之事 御印
一しち物鍛冶ニ焼失候ハヽ辨可申候、但蔵共ニ燃候ハヽ互
ニ出入有間敷候御諚之事
御自筆 しょうこなき事ハ同心申間敷候、已上 御印
右ハ壹冊之御帳之寫也
二三六
覺
一不應其身物幷安キ物を買候時、隣三軒ニ届候て買可申
候、若盗物ニて其主見逢候時、主取返度と申候ハヽ町人
取候程之代銀を出させ、右買物可相渡候事
一隣三軒ニ不届買置候時、其主見逢證據於有之ハ代銀不取
ニ可返事、右之分か申付候
寛永三年壬四月十二日 御印
町 奉 行
二三七
御書之寫
一國中・町中非分成儀、下として申上ル事成間敷之由聞
届、しゅんろニ可申付候事肝要ニ候、切々御横目可参之
間、可得其意候、殊ニ町中之儀奉行人ニ能理りを聞、念
を入ろくニ可申付由可申候事
右之通被成御書候間可被得其意候、為後日候條御判形候
て可給候、以上
亥九月十一日 河喜多五郎右衛門 判
吉田 縫殿助殿
吉住半右衛門殿
・・・・・・・・・・・・・・・・(ここまで豊前時代)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
肥後・南冥 亀井魯・菜交會・兒玉亀太郎・肥後物語・S11年・熊本
筑前の儒者亀井道載が藩主治国の参考にせん為め、肥後藩宝暦の治績を廿六ヶ条に渡り書いたもので、此の種の著書中最も傑出したものである。
本書が肥後に伝わったのは、中山昌礼は寛政元年江戸から送り届けたのに始まるという。肥後流布の書には中山昌礼の跋文があるけれども、筑前
流布の書には天明元年亀井道載の序文があって近世再販したものもある。(肥後文献改題より・津々堂)
二三三
御留守之時、御分國中之公事可承旨、非仰出候ニ付、
奉窺條々 (忠利公代・於豊前)
「朱書之分ハ御自筆」
「可然候」
一月ニ六日定公事日ヲ五日・十日・十四日・廿四日・廿八
日可承候哉、奉得御諚候事
「可然候」
一公事承候所ハ、月ニ四日ハ村上八郎左衛門、二日ハ米田
與右衛門所ニて可承候哉、奉得其意候事
「尤ニ候事」
一御鐵炮衆・御弓衆・御昇衆・御長柄衆・御仲間衆・御小
人衆・御駕衆、右之衆中申事御座候ハヽ、訴状と口上承
届、非分之者を組頭ニ申渡籠ニ入置、可奉得御諚候哉、
又訴状口上ニて不被聞定時は遂糺明可申候哉、猶又無紛重
罪之者をハ應其科誅伐科申付哉、奉得御諚候事
「おやの與ニ付科申候」
一御無足衆・御門番衆之儀ハ、組頭無御座候間、直々可承
候哉、奉得御諚候事
「公事のまけ勝ハ可有之候、おもき事ハ書付の如く可申渡事」
一御馬廻衆之罪科有之時は、御組頭・御年寄衆え可申渡候
哉、奉得御諚候事
「たいていハ可申候事」
一出世之僧・平僧衆・社人衆・山伏衆なとの儀ハ如何可
有御座哉、奉得御諚候事
「公事ニ不出候ハヽ負けニて候、つミは別儀にて候事」
一重罪を其身覺候て公事聞場へ呼申候共不罷出者御座候
ハヽ、其宿所へ押掛・搦取候か、又は打果候歟ニて可有
御座候哉、其時ハ拙者三人可参候か、又誰々ニ可申渡候
哉、奉得御諚候事
「ことにより候」
一他國之者御國え参り御國之者と申事有之時は、他國之者
非分ニ極候ハヽ、籠ニ入置、其旨本國へ申届可相渡候哉
「先代之事ハ不存候、我々代々の事ニて候、然共何事ニより
可申候、大方ハ右之分ニて候事」
一人沙汰境目論何ニても御先代之事を申物於有之は、年月
を限可承候哉、奉得御諚候事
「としよりともの公事ハ書付にいたしよう」
一御年寄衆之内之者と外の者と申分御座候時は如何御座候
哉、奉得御諚候事
「むつかしき公事ハ日をかへ可申候事」
一私共三人之内相煩申候ハヽ、公事を承候日を延候て、相
煩申者得快氣候時可承候哉、若長病ニて候時は残ル二人
可承候哉、奉得御諚候事
「かつてん不参候事」
一御國之者他え走候て年を經、御國へ歸候時、落所ハ氏神
付たるへく候歟、又は娵入をもいたし奉公を仕候か、走
候刻迄罷在候所へ可付儀ニ候歟、奉得御諚候事
「前代のことく」
一養子之儀、年月被成御切可被仰付候哉、奉得御諚候事
「書物のことく出し候へと免申候、天下の掟如此ニ候事」
一借銀・借米之儀申候得共取沙汰仕間敷候哉、奉得御諚候
事
「月引也」
一奉公人罷出候時、受人を立取替を取、其年々切米時ニ成
走り申候時、受人手前より前給立申時は月ニ可被仰付候
哉、如何可有御座候哉、奉得御諚候事
「見はからい可有之事ニ候」
一奉公人取迯仕候時、受状ニ書付候とて取迯分物を受人ニ
立候へと申候時、身ニ不應ほとの儀ニ候て如何可有御座
候哉、左様ニ御座候ハヽ已來受人ニ立申者有御座間敷候
哉、奉得御諚候事
「如定」
一奉公人走申時、其女子を主人取、其上受人より前給出シ
可申候哉、女子を取遣申候ハヽ、受人ニ申分有御座間敷
候哉、如何有御座候哉、奉得御諚候事
「うけ人と相對次第」
一女子を取遣イ申候ハヽ、其前給ニ當り申候程年月を切遣
可申候哉、又は譜代ニ召仕可申哉、如何可有御座候哉、
奉得御諚候事(ママ)
「科ニよりひそん可有事」
一受人無御座奉公人、女子を捨走申候ニ付、其主人取遣ニ
申候時、自然親類御座候て、前給立可申候間、彼女子歸
可遣由候は如何可有御座候哉、奉得御諚候事
「書物のことくたるへき事」
一奉公人走り申ニ付、受人ニかヽり申時、右ニ受状取申折
節、受人居申所之代官・庄屋又は其主人ニ理り不申候ハ
ヽ、受人之手前かまひ有御座間敷哉、如何可有御座候哉、
奉得御諚候事
「けんくわハ両方成敗也、けんくわニて無之事ハ其様子ニ
より可申也」
一喧嘩出来候ハヽ療法可被成御成敗候、但無理を仕掛候ハ
ヽ其仕懸候者壹人御成敗可被仰付哉、御諚候事、但仕様
ニより先籠舎可申付御諚候事
一他國より走來もの爰元ニて人之下人ニ成居申を、彼主又
ハ親類縁者なと跡より参候て御國ニ罷居其下人を取可申
由申候ハヽ、返し申間敷御諚候事
「ちいさきものハ如此、大き成物ことハ奉行可存候」
一男女ニよらす上りものハ生源寺甚助・本庄庄助ニ相渡可
申御諚候事
「書物定候てさためられぬ事ハ可仕様無之候其ためのひは
ん人ニて候」
元和十年十二月廿四日 (二月三十日改元・寛永元年)