詩人の長田弘氏が亡くなったという報道があって、何気なく本棚を眺めていたら、田中直毅氏との対談集『この百年の話 映画で語る二十世紀』(朝日新聞社、1994年)が目に入った。
新刊で出た当時に入手してつまみ読みしただけで、20年もの間、ずっと眠っていた。「二十年前までの百年の話」だ。(いまでは文庫にもなっている。)
ここで取り上げられた映画は次の通り。
『嘆きの天使』1930年
『スミス都へ行く』1939年
『わが谷は緑なりき』1941年
『第三の男』1949年
『東京物語』1953年
『ジャイアンツ』1956年
『ニュールンベルグ裁判』1961年
『家族日誌』1962年
『博士の異常な愛情』1963年
『ディア・ハンター』1978年
『ハドソン河のモスコー』1984年
『非情城市』1989年
『ジャーニー・オブ・ホープ』1990年
ベトナムはまだアメリカと国交回復していなかった。それは本書が出された翌年の1995年のことであり、つまり、サイゴン陥落から20年後。現在はさらに20年後。現在でも傷痕は残っているわけだが、さらに当時は終わっていない問題としての認識が強かった。そのことが、『ディア・ハンター』において、帰る場所を失い廃人のようになったクリストファー・ウォーケンの顔にあらわれている。
台湾のリーダーは当時李登輝であり、政権交代はまだ実現していなかった。このとき『非情城市』が他ならぬ台湾で公開されたことが、どれだけの重要性を持つか。「二・二八事件」(1947年)に代表される、決して表通りで語られることのなかった歴史のこともある(何義麟『台湾現代史』)。また、本書で指摘されるのは、映画における「生活」という視点である。
何よりも、ソ連崩壊(1991年)からまだ数年しか経っておらず、そのことが、国家なるものを最優先するイデオロギーへの批判として、また、逆に、アメリカのシチズンシップへの評価として、この対談にも反映されているようにみえる。とはいえ、歴史の転換点において熱に浮かされているわけではない。アメリカだけではなく、「ナチス」というものへの戦後ヨーロッパにおける大きな反省が、国家と社会とを明確に区別するという考えにつながっている。この緊張感を持ち得なかった、そして、またしてもそこへ戻っていこうとするいまの日本にあって、田中氏の発言はとても大きな意味を持っている。
「ところが国家社会で「・」なしにくっついちゃう社会というか、そういう歴史的存在というのがドイツにあって、じつはわが国もそうなんですね。いまでも国家社会のために貢献するという言い方をするんですね。「国家・社会」じゃない。国家と社会がくっついている。
これを剥離して考えるという発想は、根づいていません。「国家社会」とくっついちゃっているんです。そこに対して個人というのは太刀打ちできるのか。「・」を入れないと、よわい個人は立ち向かえないんじゃないか。国家と社会を一度断ち切ってこそ、そこで個人というものの自立があるし、従って個人の責任もまたあるんだという社会の見方を鍛えないと。」