Sightsong

自縄自縛日記

アンソニー・ブラクストン『Trio (Victoriaville) 2007』、『Quartet (Mestre) 2008』

2015-05-04 22:07:49 | アヴァンギャルド・ジャズ

アンソニー・ブラクストンテイラー・ホー・バイナム、メアリー・ハルヴァーソンと組んだ作品のうち、『Trio (Victoriaville) 2007』(Victo、2008年)と『Quartet (Mestre) 2008』(Caligola Records、2008年)を聴く。(JOEさんにご教示いただいた。)

Mary Halvorson (g)
Taylor Ho Bynum (cor, bugle, tb, tp, etc.)
Anthony Braxton (sopranino sax, ss, as, bs, bcl, electronics)

Diamond Curtain Wall Quartet:
Anthony Braxton (sopranino sax, ss, as, bcl, electronics)
Taylor Ho Bynum (cor, flh, tp, tb)
Mary Halvorson (g)
Katherine Young (basoon)

両作とも文字通り眩暈がするようだ。もちろんその条件は揃っている。

重力を無視したハルヴァーソンに、やはり空中浮遊型のバイナム。そして、既存のコードや、こぶしや、泣きや、ブルースなどどこ吹く風で微分的・記号的な音を飽くことなく繰り出し続けるブラクストン。さらにエレクトロニクスの音が時空間に微妙な歪みを与える。寄る辺なき音楽なのである。いやあ、面白い。

どちらかといえば、バスーンが入ったことがさらなる刺激剤となったのか、後者のほうがアグレッシブだ。そして、ブラクストンの存在感は際立っており、かれがピロピロとまことに軽々しく吹き始めると、世界がブラクストン一色になってしまう。

「ブラクストンが好きだというジャズ・ファンを信用しない」と言い切った評論家がいたことを思い出す。

●参照
ブラクストン、グレイヴス、パーカー『Beyond Quantum』
アンソニー・ブラクストンはピアノを弾いていた
ブラクストン+ブロッツマン+バーグマン『Eight by Three』
アンソニー・ブラクストン『捧げものとしての4つの作品』
デイヴ・ホランド『Conference of the Birds』(ブラクストン参加)
ムハール・リチャード・エイブラムス『1-OQA+19』(ブラクストン参加)
Book of Three 『Continuum (2012)』(バイナム参加)
ステファン・クランプ+メアリー・ハルヴァーソン『Super Eight』
イングリッド・ラブロック、メアリー・ハルヴァーソン、クリス・デイヴィス、マット・マネリ @The Stone
メアリー・ハルヴァーソン『Thumbscrew』
ウィーゼル・ウォルター+メアリー・ハルヴァーソン+ピーター・エヴァンス『Electric Fruit』
ウィーゼル・ウォルター+メアリー・ハルヴァーソン+ピーター・エヴァンス『Mechanical Malfunction』
イングリッド・ラブロック『Zurich Concert』(ハルヴァーソン参加)
イングリッド・ラブロック(Anti-House)『Strong Place』(ハルヴァーソン参加)
ジャズ的写真集(2) 中平穂積『JAZZ GIANTS 1961-2002』


『9条を抱きしめて ~元米海兵隊員が語る戦争と平和~』

2015-05-04 09:39:44 | 沖縄

NNNドキュメント'15」枠で放送された『9条を抱きしめて ~元米海兵隊員が語る戦争と平和~』(2015/5/3放送)を観る。

元米海兵隊員とは故アレン・ネルソン氏である。アメリカではどの町にもあるという軍人勧誘の事務所において、1965年、若き日のネルソン氏は貧困から抜け出せると言われ、入隊した(日本でも、自衛隊員勧誘は同じ構造である)。そこで教えられたのは、「徹底的に何も考えず敵を殺す」こと。北爆開始から間もない1966年、氏はベトナム戦争に駆り出され、数えきれないほどのベトナム人を殺す。それはベトコン、民間人を問わないものであった。帰国後、多くの帰還兵と同様にPTSDに苦しむ。そして、1995年の沖縄における米兵少女暴行事件をきっかけに、基地や戦争という装置のからくりを明確に意識し、また、日本国憲法の第9条を知る。

ネルソン氏が憲法9条を読んだとき、飛び上がるほど驚いたという。氏は、それをキング牧師の演説と同様の水準・衝撃とする。一方、この憲法の価値をまったく認識せず破壊してしまおうとする為政者は、最近の米国での演説において、こともあろうにキング牧師の演説を引用してみせた。それは間違っているばかりでなく、植民地主義に支配される側からの肯定なのだった。

番組にはダグラス・ラミス氏も登場し、基地は、植民地主義の象徴などではなく、植民地そのものなのだと説いている。

●参照
エンリコ・パレンティ+トーマス・ファツィ『誰も知らない基地のこと』(ネルソン氏登場)
アレン・ネルソン『元米海兵隊員の語る戦争と平和』
小森陽一『ことばの力 平和の力』
沖縄「集団自決」問題(16) 沖縄戦・基地・9条

●NNNドキュメント
『“じいちゃん”の戦争 孫と歩いた激戦地ペリリュー』(2015年)
『100歳、叫ぶ 元従軍記者の戦争反対』(2015年)
『日本地図から消えた島 奄美 無血の復帰から60年』(2014年)
大島渚『忘れられた皇軍』(2014年)
『ルル、ラン どこに帰ろうか タンチョウ相次ぐ衝突死』(2013年)
『狂気の正体 連合赤軍兵士41年目の証言』(2013年)
『活断層と原発、そして廃炉 アメリカ、ドイツ、日本の選択』(2013年)
『沖縄からの手紙』(2012年)
『八ッ場 長すぎる翻弄』(2012年)
『鉄条網とアメとムチ』、『基地の町に生きて』(2008、11年)
『沖縄・43年目のクラス会』(2010年)
『風の民、練塀の街』(2010年)
『証言 集団自決』(2008年)
『ひめゆり戦史』、『空白の戦史』(1979、80年)
『毒ガスは去ったが』、『広場の戦争展・ある「在日沖縄人」の痛恨行脚』(1971、79年)
『沖縄の十八歳』、『一幕一場・沖縄人類館』、『戦世の六月・「沖縄の十八歳」は今』 (1966、78、1983年)


大島渚『Kyoto, My Mother's Place』

2015-05-04 07:28:10 | 関西

大島渚『Kyoto, My Mother's Place』(1991年)を観る。

大島渚が、英BBCから依頼されて撮った1時間弱のテレビドキュメンタリーである。なお、大島の意向により16ミリフィルムが使われており、フィルムならではの淡く美しい映像となっている。『戦後50年 映画100年』に収録されたシナリオを読んで以来ずっと観たいものだと思っていたが、2014年にようやくDVD化された。

京都は大島が生まれた場所ではない。瀬戸内の海の近くに生まれ(そのために渚と命名された)、「王子」のような幼少時代を送っていたが、小学1年を終えたころ、父親の死により、母親の実家がある京都に越してくることになる。そこは、タイトルにあるように、自分の土地ではなく母の土地であった。

開放から閉鎖へ、明から暗へ。大島は京都を憎んだ。

「権力者にはそむかず……
 隣近所に気を使い……
 摩擦を起こさず……
 火事を出さず……
 美しく飾り……
 何事にも堪え忍ぶ……
 こうして美しい京都は完成した。
 若い私にはそれが我慢ならなかった。
 どうして堪え忍ばなければならないんだ。
 京都なんか燃えてなくなればいいんだ。
 私は中世末期の戦乱の中の英雄、織田信長のことを考えていた。」

この怨嗟の声を裏返しにするとまさに大島渚の作品になる。大島が(外国向けということもあってか)外から第三者が観察したように京都の歴史を語ってみせることも興味深い。町家や街路や寺を撮るカメラアングルには、悪意が漲っている。

その一方で、語りの中と声の表情に、憎しみとは正反対の愛情も同時に強く感じられることが、実に面白い。

●参照
大島渚『飼育』(1961年)
大島渚『忘れられた皇軍』(1963年)
大島渚『青春の碑』(1964年)
大島渚『アジアの曙』(1964-65年)
大島渚『大東亜戦争』(1968年)
大島渚『新宿泥棒日記』(1969年)
大島渚『少年』(1969年)
大島渚『夏の妹』(1972年)
大島渚『戦場のメリークリスマス』(1983年)