Sightsong

自縄自縛日記

マタナ・ロバーツ『Coin Coin Chapter Three: River Run Thee』

2015-05-30 11:12:07 | アヴァンギャルド・ジャズ

マタナ・ロバーツ『Coin Coin Chapter Three: River Run Thee』(Constellation、2015年)を聴く。

Matana Roberts (as, Korg Monotron, Korg Monotron delay, Korg Monotron duo analogue, wordspeak, early 1900s Archambault upright piano)

マタナ・ロバーツは、2014年に、アメリカ南部を25日間旅した。おそらくはそのときに得た印象や社会の記憶といったものを、彼女ひとりの演奏と声、そしてサンプリングにより、ひとつの作品にした。アメリカ南部や黒人の歴史が彼女のアイデンティティにおいて重要なのだろう。

たとえば、そこで見聞きした川や野といった風景が心象となって語られる。しかし、それらは必ずしもよくは聞き取れない。マルコムXによる演説テープも、「お客さん、兄弟姉妹、淑女紳士、友人と敵のみなさん、・・・普段は人びとの前にシャツとタイなしで出ることは無いので申し訳ないのだが、・・・」といった挨拶のあとは、サウンドに混ざっていく。

もちろん演説作品ではないのだ。ここでは、ドローン(空飛ぶアレではなく)の効果が素晴らしく、とても重層的な音楽として作り上げられている。塩辛いような音のサックスも良い。

●参照
2014年6月、ニューヨーク(4) ハーレム
ハーレム・スタジオ美術館
ナショナル・アカデミー美術館の「\'self\」展


アリ・ホーニグの映像『kinetic hues』

2015-05-30 08:03:48 | アヴァンギャルド・ジャズ

アリ・ホーニグのライヴDVD『kinetic hues』(2003年、Smalls Records)を中古で見つけた。

Ari Hoenig (ds)
Jean-Michel Pilc (p)
Jacques Schwarz-Bart (ts)
Matt Penman (b)

NYのライヴハウス「Fat Cat」における演奏、しかし、制作は「Smalls Records」。自分のハコ「Smalls」でのライヴCDは沢山出しているのに、(たぶん)関係のないハコで収録するというのが面白い。「Fat Cat」には足を踏み入れたことがないが、映像で見る限り、「Smalls」よりも小さく、親密な空間のようだ。

ホーニグのドラミングは、まるでメロディを奏でる楽器のように、あるいはラップ歌手のように、ひたすら「唄う」ことに専念する。先鋭で自立型のリズムを発するプレイヤーとは対極にあると言っていいのかな。唖然としてしまう凄さというよりも、むしろ、聴けば聴くほど親しみがわいてくる。「Giant Steps」、「Summertime」、「Con Alma」、「I Mean You」といったおなじみの曲を、リズムであるはずのホーニグが成り立たせようとしている一方、ピアノのピルクはとらえがたいフレーズで斬り込んでいく。

シュヴァルツ・バルトのテナーはまったく冴えないのだが。

●参照
アリ・ホーニグ@Smalls(2015年)
ジャン・ミシェル・ピルク+フランソワ・ムタン+アリ・ホーニグ『Threedom』(2011年)


勝井祐二+ユザーン、灰野敬二+石橋英子@スーパーデラックス

2015-05-30 00:59:18 | アヴァンギャルド・ジャズ

六本木のスーパーデラックス(2015/5/29)。

勝井祐二 (vln)
ユザーン (tabla)

勝井さんのヴァイオリンには、アジアの艶歌のような親しみやすさと艶めかしさがあった。そして、たくさんのタブラによるたくさんの音色。耳が悦ぶ感覚があった。

灰野敬二 (fl, perc, ds)
石橋英子 (fl, ds)

まずは真ん中でフルートの競演、つぎに両端に置かれたドラムスの競演という変わった趣向。ドラムスもフルートも、石橋さんの演奏における静かな狂気のようなものは、この並存で引き立つ。

灰野さんのフルートは、エリック・ドルフィーのそれのように急に飛躍する感覚である。そして異様に強度のあるドラムス。それは、リミッターをすべて取っ払い、自分が傷つくほどの速度と勢いで拳を繰り出すエメリヤーエンコ・ヒョードルのようだ。おそろしいほどの緊迫感があった。

●参照
ジョン・イラバゴン@スーパーデラックス(対バンで灰野敬二)(2015年)
本田珠也SESSION@新宿ピットイン(2014年)