Sightsong

自縄自縛日記

山岡淳一郎『日本電力戦争』

2015-05-31 23:33:28 | 環境・自然

山岡淳一郎『日本電力戦争 資源と権益、原子力をめぐる闘争の系譜』(草思社、2015年)を読む。

2030年の電源構成の計画が「原子力20-22%、再生可能エネルギー22-24%、LNG火力27%、石炭火力26%、石油火力3%」(2015/4/28案)あたりに落ち着きそうである。明らかに原子力への追い風と読めるわけである。橘川武郎氏の指摘によれば、40年廃炉基準が厳格に守られるならば、仮に今後島根3号と大間が加わったとしても、原子力の比率は15%程度にしかならないだろうということだ。すなわち、40年を超える稼働か新設が前提としており込まれている。

これはなぜなのか。もちろんエネルギー・ポリティクスの結果でもある。本書は、それがいかに難題であるかを探っていく。

LNG化して運び込む天然ガスの売り手として、中東など既存の国々に加え、シェール革命を起こしたアメリカや、国家主義的なロシアが巨大なプレイヤーとして動いている。原子力について言えば、アメリカのメーカーは本体では原子力ビジネスを縮小したにも関わらず、日本のメーカーと提携して原子力輸出を押している。使用済み核燃料の再処理について、日本はアメリカに特別扱いされているが、その結果出てくるプルトニウムを軍事転用しうるポテンシャルがあることを、周辺国への抑止力として使いたい野望も見え隠れする(そこにはリアリズムはない)。核燃サイクルはまわらないものに依然とどまっているが、これをやめるとしても、青森県や原子力立地自治体、さらに再処理を依頼してきた英仏といった国の間で問題が噴出することは目に見えている。要は、前進も後退も容易ではないのである。

しかし、真っ当な旗を掲げなければならないとすれば、キーとなるのは、やはりアメリカとの関係である。その構造を変えうるのかどうかによって、エネルギーの未来も変わる。このことは軍事戦略・軍事産業と同様のように思える。

本書は、戦前からの電力業界の変遷についてもまとめている。戦中に官主導の統制的な発電・送配電の組織構造が形成され、敗戦後GHQの意向により9の民間電力会社に再編されるわけだが(沖縄を含めれば10)、その過程において、原子力が官の権益維持のために使われた経緯があることは興味深い。中曽根の原子力予算化(1954年)や、正力松太郎によるアメリカのエージェントとしての工作は、原子力産業の起点ではなかったのである。

●参照
山岡淳一郎『インフラの呪縛』
橘川武郎『日本のエネルギー問題』
大島堅一『原発のコスト』
小野善康『エネルギー転換の経済効果』
ダニエル・ヤーギン『探求』
太田昌克『日米<核>同盟』
有馬哲夫『原発・正力・CIA』
東海第一原発の宣伝映画『原子力発電の夜明け』
福島原発の宣伝映画『黎明』、『福島の原子力』
福島原発の宣伝映画(2)『目でみる福島第一原子力発電所』
フランク・フォンヒッペル+IPFM『徹底検証・使用済み核燃料 再処理か乾式処理か』
『"核のゴミ"はどこへ~検証・使用済み核燃料~』
『活断層と原発、そして廃炉 アメリカ、ドイツ、日本の選択』
使用済み核燃料
『原発ゴミは「負の遺産」―最終処分場のゆくえ3』
『核分裂過程』、六ヶ所村関連の講演(菊川慶子、鎌田慧、鎌仲ひとみ)
鎌田慧『六ヶ所村の記録』
『伊方原発 問われる“安全神話”』
『大江健三郎 大石又七 核をめぐる対話』、新藤兼人『第五福竜丸』
山本義隆『原子・原子核・原子力』
山本義隆『福島の原発事故をめぐって』
開沼博『「フクシマ」論 原子力ムラはなぜ生まれたのか』
ナオミ・クライン『This Changes Everything』
松村美香『利権鉱脈 小説ODA』


映像『Woodstock Jazz Festival '81』

2015-05-31 08:33:56 | アヴァンギャルド・ジャズ

『Woodstock Jazz Festival '81』(1981年)というDVDが出ている。その一部は観たことがあるし(15年くらい前にebayで汚いVHSのダビング物を買った)、また、やはり一部が『Creative Music Studio Woodstock Jazz Festival』(Douglas Music、1981年)というCD 2枚組になって何年か前に出たものを持っている。ひょっとしたらネットのどこかにアップされているかもね。

それにしても、こうしてまともな1時間の映像として出てくると感無量である(汚いVHSは、観ている途中で、磁気テープがデッキに巻き込まれてグチャグチャになった)。

何しろこのメンバー、感涙必至。

1) Arrival
Marilyn Crispell (p)
Howard Johnson (sax)

20代半ばの若いクリスペルが登場する。ビックリ。何でもクリスペルはウッドストックに住み、カール・ベルガーにより組織された「Creative Music Studio」で教えてもいたようだ。

2) Left Job
Ed Blackwell (ds)
Baikida Carroll (tp)
unknown (b)
Marilyn Crispell (p)
Julius Hemphill (sax)

目玉はジュリアス・ヘンフィルに、エド・ブラックウェル、そして若いクリスペル。

3) We Are
Karl Berger (balaphon)
Ed Blackwell (ds)
Aiyb Dieng (talking drum)
Nana Vasconcelos (talking drum)
Colin Walcot (tabla)

ベルガーが真ん中に座ってバラフォンを叩き、ナナ・ヴァスコンセロスのトーキング・ドラムをフィーチャーする。見事。

4) Broadway Blues
Jack DeJohnette (ds)
Pat Metheny (g)
Dewey Redman (sax)
Miroslav Vitous (b)

デューイ・レッドマンが出てきただけで涙腺がゆるむ。ちょうどパット・メセニーの『80/81』でも共演していたころか。

5) The Song Is You
Anthony Braxton (vo)

会場の外側で、アンソニー・ブラクストンが、面白そうに集まったミュージシャンたちに対して得意そうにスキャットを披露する。チック・コリアがにやにやしている。で、それは何と訊かれて、ブラクストンは「The Song Is Youだよ!」。

6) Impressions
Anthony Braxton (sax)
Chick Corea (p)
Jack DeJohnette (ds)
Miroslav Vitous (b)

昔、この音源をはじめて聴いたときにはぶっ飛んだ。何しろ「Circle」が空中分解したあとにも、コリアとブラクストンはこんな風にギンギンに共演していたのだ。ブラクストンは、テーマを吹き終わった直後は同じ音ばかりを出してヘボな即興かと思わせるが、間もなく、微分的・抽象的なソロを展開して、自分の世界を爆発させる。(ところで、ブラクストンは昔からおじさんカーディガンを着ていたのだな。)

7) Stella by Starlight
Chick Corea (p)
Lee Konitz (sax)

リラックスしたデュオ。コニッツはアルトを吹きながら声を出す芸。わたしが90年代後半にコニッツとバール・フィリップスの共演を法政大学で観たとき、コニッツはやはりそれを披露していた。昔からの得意技だったのか。

8) All Blues
Anthony Braxton (sax)
Chick Corea (sax)
Lee Konitz (sax)
Jack DeJohnette (ds)
Pat Metheny (g)
Miroslav Vitous (b)

オールスターどころでない、いや凄いね。ブラクストンとコニッツが顔を見合わせて微笑みあっていたりして楽しい。デジョネットは叩きまくり、精魂尽き果てたようで、演奏後スティックを興奮してブン投げる。

●参照(ごった煮ジャズ映像)
ジュリアン・ベネディクト『Play Your Own Thing』(2007年)
Vision Festivalの映像『Vision Vol.3』(2003年)
アラン・ロス『INSIDE OUT IN THE OPEN』(2001年)
エバ・ヤーン『Rising Tones Cross』(1985年)
ロン・マン『イマジン・ザ・サウンド』(1981年)
『Jazz in Denmark』 1960年代のバド・パウエル、NYC5、ダラー・ブランド(1962-65年)
バート・スターン『真夏の夜のジャズ』(1958年)