Sightsong

自縄自縛日記

マブタ『Welcome to This World』

2018-05-24 20:06:04 | アヴァンギャルド・ジャズ

マブタ『Welcome to This World』(Kujua Records、2017年)を聴く。

Shane Cooper (b, g, Juno 106, Korg Minilogue, Microkorg, Moog Slim Phatty, Rhodes)
Bokani Dyer (p, Rhodes, Korg Minilogue)
Marlon Witbooi (ds)
Sisonke Xonti (ts)
Robin Fassie-Kock (tp)
Reza Khota (g)
Shabaka Hutchings (ts) (tracks 2 & 3)
Buddy Wells (ts) (track 5)
Chris Engel (as) (track 5)
Janus Van Der Merwe (bs) (track 5)
Tlale Makhene (perc) (tracks 2,5,7)

『ラティーナ』誌2018年6月号の南アフリカジャズ特集に掲載されている。

実ははじめは割と大人しくパンチが無いという印象だったのだが、他のものを聴いてはまた戻っているうちに面白くなってきた。シェーン・クーパーのベースがずっと効いており、その周囲をきらびやかにまとった要素が多彩。展開が変わるときのナチュラルさが良いと思える。確かにダンサブルな時間があり、また、アフリカ音楽だと思わせてくれるメロディもある。気持ち良い。


The Art of Escapism『Havet』

2018-05-24 19:42:49 | ヨーロッパ

The Art of Escapism『Havet』(fortune、2016-17年)を聴く。

Ania Rybacka (vo, effects)
Lo Ersare (vo, effects)

「The Art of Escapism」はデンマーク在住の女性ふたりによる即興ヴォーカルデュオである。

ヨーロッパ人の声を耳に入れたいという理由だけなのだが、想像以上に幅広く、身体の内部を撫でられている感じを受ける。朗々と昔からの歌を詠むようなところもあり、また、喉歌の倍音も、コーラスにより厚みを付けたところもある。

2曲目の「Think Think Think」では、「ever」だとか「my skin」だとか言ったような「近くの言葉」とともに、「think」が重なり収斂してゆく。音声だけではなく、何かの意味を持って使われてきた言葉の力はあるものだ。仮にこれが英語でなく理解できぬ言語であっても同じに違いない。

また、東欧のバブーシュキ『Vesna』マリア・ポミアノウスカ『The Voice of Suka』でも感じたことだが、声を発したときの響きはアイヌのマレウレウを聴くときと驚いてしまうほど同じ感覚を持つMAREWREW, IKABE & OKI@錦糸公園マレウレウ『cikapuni』、『もっといて、ひっそりね。』


CPユニット『Silver Bullet in the Autumn of Your Years』

2018-05-23 20:29:21 | アヴァンギャルド・ジャズ

CPユニット『Silver Bullet in the Autumn of Your Years』(clean feed、2017年)を聴く。

Chris Pitsiokos (as, wind controller, sampler, analog synthesizer, and other electronics)
Sam Lisabeth (g)
Tim Dahl (b) on 4, 6, 9, 10
Henry Fraser (b) on 1, 3, 5 ,7, 8
Jason Nazary (ds, electronics) on 4, 6, 9, 10
Connor Baker (ds) on 1, 3, 5, 7, 8

いや何というのか・・・。

CPユニットの前作(メンバーはティム・ダールのみ共通)を含め、最近のクリス・ピッツィオコスの作品で顕著だったことは、80-90年代のジョン・ゾーン的なペラペラな痙攣への回帰、そして機械への擬態といった過激な傾向のように思えた。それこそがキメラたるクリスの真骨頂だった。

本作ではさらに突き進み、音を発する他者や機械への擬態や変身などではなく、音そのものへの変身を遂げているようである。肉体を脱ぎ捨てるだけでは満足しないのだ。クリスはどこまで行くのか。

曲によってはフリーファンクが浮上してきて、それもまた面白い。ジョン・ゾーンの疾走先のひとつがオーネット・コールマンであったことも思い出すがどうか(『Spy vs. Spy』)。

●クリス・ピッツィオコス
フィリップ・ホワイト+クリス・ピッツィオコス『Collapse』(-2018年)
JazzTokyoのクリス・ピッツィオコス特集その2(2017年)
クリス・ピッツィオコス+吉田達也+広瀬淳二+JOJO広重+スガダイロー@秋葉原GOODMAN(2017年)
クリス・ピッツィオコス+ヒカシュー+沖至@JAZZ ARTせんがわ(JazzTokyo)(2017年)
CPユニット『Before the Heat Death』(2016年)
クリス・ピッツィオコス『One Eye with a Microscope Attached』(2016年)
ニューヨーク、冬の終わりのライヴ日記(2015年)
クリス・ピッツィオコス@Shapeshifter Lab、Don Pedro(2015年)
クリス・ピッツィオコス『Gordian Twine』(2015年)
ドレ・ホチェヴァー『Collective Effervescence』(2014年)
ウィーゼル・ウォルター+クリス・ピッツィオコス『Drawn and Quartered』(2014年)
クリス・ピッツィオコス+フィリップ・ホワイト『Paroxysm』(2014年)
クリス・ピッツィオコス『Maximalism』(2013年) 


三木健『西表炭坑概史』

2018-05-23 19:36:20 | 沖縄

三木健『西表炭坑概史』(ひるぎ社おきなわ文庫、1983年)を読む。

よく知られているように、西表島には炭鉱があった(ざっくり言えば、炭鉱は石炭の鉱山を、炭坑はそれを掘りだす坑道を意味する)。その構造や日本との関係については、北海道や筑豊のそれと共通している面も特殊な面もあった。

沖縄に最初に石炭を求めたのはペリーだった。というのも、船の燃料を補給する場所として重要であり、これは現在の根拠希薄な地政学的な観点とはまったく異なる。かれらが可能性ありとした場所はなんと塩屋湾(大宜味村)であった。一方、琉球でも西表に炭鉱があることが知られてはいたが、島津には気付かれないようにしていた。しかし、明治の半ばには、日本の資源として狙われることとなった。

最初は国策として、三井物産が採炭を開始した。視察もした山形有朋の意向により、端から囚人を使う計画であり、これは北海道と同じであった。その多くがマラリアで死んだ(死んでもいい存在だった、ということである)。1895年からの台湾領有後からは、労働者として台湾人も増え、その後も、日本の他の炭鉱とは異なって朝鮮人の強制労働は比較的少なかったようである。やがて直接的な国策事業から多くの下請け業者による遂行に形が変わり、全体の事業規模も大きくなっていった。

坑道が狭く、男女一組で採炭にあたり、労賃はかつかつ(というより業者が握っていて労賃がわからない)、尻を割ることができない。筑豊の炭鉱に似たところがある。植民地支配を行った場所の出身者を除けば、労働者は沖縄ではなく日本出身者が多かったという。異なる特徴はここである。すなわち、あくまで日本のための事業であり、「炭坑切符」という支払い手段のために経済で地元が潤うことはなく、労働者を慰撫するためのお祭りでさえも日本人だけのためのものだった。このことを、著者は、「本土から集った坑夫の集団は、島の社会と隔絶した一種独特な社会を形成していた」と書いている。

三井三池炭鉱では、与論島出身者が差別的な扱いを受けたことが知られている(熊谷博子『三池 終わらない炭鉱の物語』)。これもまた差別構造を意図的に作り出した歴史だが、著者は、ここに、日本との関わりという点での共通点を見出している。

「与論の場合は、島を出た人たちが九州の社会と接触していった歴史だが、西表の場合は逆に本土の集団が島の共同体社会に割り込む形でできた歴史である。いずれにしろ資本を媒介にした異集団間の接触という点ではかわりなく、両者の間にある種の軋轢が生じていた点でも共通している。」

西表に関してはまさに地元の「搾取」という言葉があてはまりそうなものだが、このことは、戦後の建設業や基地における「ザル経済」(利益が地元を通過して日本へと流れる)と類似すると言ってもよいだろう。

「そして戦争で炭坑が崩壊するや、島の経済は大きな打撃を受けざるを得なかった。基幹産業が根付かぬまま、西表の既存村落は戦後を迎えた。戦後になって、同島が過疎化していく下地がすでにあったのである。」

●炭鉱
上野英信『追われゆく坑夫たち』
上野英信『眉屋私記』
『上野英信展 闇の声をきざむ』
伊藤智永『忘却された支配』
西嶋真治『抗い 記録作家 林えいだい』
奈賀悟『閉山 三井三池炭坑1889-1997』
熊谷博子『むかし原発いま炭鉱』
熊谷博子『三池 終わらない炭鉱の物語』
山本作兵衛の映像 工藤敏樹『ある人生/ぼた山よ・・・』、『新日曜美術館/よみがえる地底の記憶』
本橋成一『炭鉱』
勅使河原宏『おとし穴』(北九州の炭鉱)
友田義行『戦後前衛映画と文学 安部公房×勅使河原宏』
本多猪四郎『空の大怪獣ラドン』(九州の仮想的な炭鉱)
佐藤仁『「持たざる国」の資源論』
石井寛治『日本の産業革命』

●ひるぎ社おきなわ文庫
石原昌家『戦後沖縄の社会史―軍作業・戦果・大密貿易の時代―』
郭承敏『秋霜五〇年―台湾・東京・北京・沖縄―』
加治順人『沖縄の神社』
金城功『近代沖縄の糖業』
金城功『ケービンの跡を歩く』
保坂廣志『戦争動員とジャーナリズム』
宮里一夫『沖縄「韓国レポート」』
望月雅彦『ボルネオ・サラワク王国の沖縄移民』 


チャド・テイラー『Myths and Morals』

2018-05-23 13:52:14 | アヴァンギャルド・ジャズ

チャド・テイラー『Myths and Morals』(eyes&eyes Records、-2018年)を聴く。

Chad Taylor (ds)
Elliot Bergman (electric kalimba)

チャド・テイラーのドラムソロ作品であり、一部エリオット・バーグマンの電気親指ピアノが加わっている(「Island of the Blessed」)。

この電気親指ピアノによる悪夢的な繰り返しも麻痺しそうでいいのだが、それはなくても、テイラーのドラムスがもとより多彩極まりない。それでいて演奏の根っこはシンプルな感覚。

たとえば、ジェームス・ブランドン・ルイスとのデュオ『Radiant Imprints』でも親指ピアノを披露してくれたわけだが、ここでも、それによる割れた音を混ぜこんでいる。音は割れることによって、音以外の何かへと聴き手を誘う。それはルーツだとか遠くだとかへの目線となる。またそれはきっかけに過ぎず、大きなアトモスフェアを創り出し、その中からテイラー自らが鋭く丸くもあるパルスを放ちながら、力強く走りはじめたりもする。

いつまでもポテンシャルを秘めていそうなドラム世界か。魅かれる。

●チャド・テイラー
ジェームス・ブランドン・ルイス+チャド・テイラー『Radiant Imprints』(JazzTokyo)(-2018年)
ジェイミー・ブランチ『Fly or Die』(-2017年)
シカゴ/ロンドン・アンダーグラウンド『A Night Walking Through Mirrors』(2016年)
ヨニ・クレッツマー『Five』、+アジェミアン+シェイ『Until Your Throat Is Dry』(JazzTokyo)(2015、16年)
エリック・レヴィス『In Memory of Things Yet Seen』(2014年)
ジョシュア・エイブラムス『Represencing』、『Natural Information』(2008-13年)
ブッチ・モリス『Possible Universe / Conduction 192』(2010年)
マーク・リボーとジョルジォ・ガスリーニのアルバート・アイラー集(1990、2004年)
Sticks and Stonesの2枚、マタナ・ロバーツ『Live in London』(2002、03、11年)


ミルフォード・グレイヴス+ビル・ラズウェル『The Stone - April 22, 2014』

2018-05-23 13:28:27 | アヴァンギャルド・ジャズ

ミルフォード・グレイヴス+ビル・ラズウェル『The Stone - April 22, 2014』(M.O.D.、2014年)を聴く。

Milford Graves (ds, voice)
Bill Laswell (b)

このようにキャラ化した人たちであるから、名前でまず驚く。凄いですね。Stoneはさぞかし混んだことだろう。

いきなりビル・ラズウェルらしくノイズの膨満感が半端ない(ぶうぉんうぉん、じゃねえよ)。やがて野人ミルフォード・グレイヴスが参入してきて、バスドラも筋肉もヴォイスもなんもかも使いまくって爆走する。それがまったく衰えておらず、途中から想像を超える領域に猛然とダッシュし、驚かされる。わはは。

また観る機会は訪れるだろうか。

●ミルフォード・グレイヴス
ミルフォード・グレイヴス+ビル・ラズウェル『Space / Time * Redemption』(2013年)
デイヴィッド・マレイ『Saxophone Man』(2008、10年)
ブラクストン、グレイヴス、パーカー『Beyond Quantum』(2008年)
ローウェル・デヴィッドソン(1965年)
ポール・ブレイ『Barrage』(1964年)

●ビル・ラズウェル
『Blue Buddha』(2015年)
ミルフォード・グレイヴス+ビル・ラズウェル『Space / Time * Redemption』(2013年)
デレク・ベイリー+トニー・ウィリアムス+ビル・ラズウェル『The Last Wave』(1995年)
『Improvised Music New York 1981』(1981年)


マイク・モラスキー『呑めば、都』

2018-05-23 12:23:07 | 関東

マイク・モラスキー『呑めば、都』(ちくま文庫、2012年)を読む。

『戦後日本のジャズ文化』を書いた人でもあり、社会学的にぎっしりと蘊蓄が詰め込まれているのかなと敬遠もしていたのだが、そんなことはなかった。東京と東京の居酒屋を愛する人による、実に共感できるエッセイである。

なんといっても、ひとりでふらっと立ち寄ることができる居酒屋こそが良いのだとする価値観にとても共鳴する。当然、チェーン店居酒屋を激烈に嫌悪しており、笑ってしまう。また、後付けのレトロ的な雰囲気づくりにも攻撃の手をゆるめない。やっぱりね。「せんべろ」ブームも悪くはないが、その対象からチェーン店を外すべきである。

ひとり呑みの軽いエッセイだけではない。勉強になったことも少なくはない。

たとえば、かつての洲崎売春街(洲崎パラダイス)の歴史。洲崎とは、もとは根津にあった遊郭が、東大の近くにあって望ましくないというので移転された場所だが(1888年)、今度は海軍省に引き渡しを命じられ、造船所の宿舎となった(1943年)。そして大空襲で焼失し、戦後また赤線として復活。しかし、その1943年の立ち退きにより、業者たちは新吉原、羽田、立川、船橋、千葉、館山へと分散して営業を続けた。立川には「立川パラダイス」というキャバレーもあり、洲崎パラダイスを連想した人も少なくなかったはずだ、と。このように土地の記憶は分散し共有されるというわけである。

また、「下町」という視線。著者はそこに人びとのロマンチシズムを見出す一方、その呼称は不正確で広すぎるのだと言う。これは小林信彦の持論でもあったようで、葛飾柴又のような千葉の隣を下町と呼ぶことへの違和感だった。しかし、ことは簡単ではなかった。江戸時代には、浅草は、そこから神田・日本橋に出ることを「江戸に行く」と呼ぶほどの辺縁であり、戦後では、葛飾で「東京に行く」とは「浅草に行く」という意味であった。

自分などは貝塚爽平『東京の自然史』に激しい影響を受けた者であるから、下町といえば地形と自然史的な成り立ちを基本に考えてしまう。都市の成長や認識は面白い。そういえば浦安市の当代島は、いまで言えば駅のすぐ近くという認識なのだが、前に浦安で呑んでいて古くから住む方と話をしたところ、「むかしは当代島のひとは浦安に行くって言い方をしていたよ」と言い放って、驚いたものである。

ああ呑みに行かないと・・・。


ウェイン・エスコフェリー『Vortex』

2018-05-23 06:46:44 | アヴァンギャルド・ジャズ

ウェイン・エスコフェリー『Vortex』(Sunnyside Records、-2018年)を聴く。

Wayne Escoffery (ts)
David Kikoski (p)
Ugonna Okegwo (b)
Ralph Peterson, Jr. (ds)
Jeremy Pelt (tp) (track 8)
Kush Abadey (ds) (tracks 5 & 8)
Jacquelene Acevedo (perc) (tracks 4, 5 & 6)

シンプルな「どジャズ」として最高のメンバーである。「どジャズ」とはいえマインドは保守とは対極。

ウゴンナ・オケーゴは硬く刻んで安心感があるし、デイヴィッド・キコスキーの鮮やかな和音も健在。人間扇風機ことラルフ・ピーターソンもやはり無駄な嵐を起こしており嬉しくなる。

そしてウェイン・エスコフェリー。中音域で乾いているくせに、音色のグラデーションに色気がある。もっと持てはやされてもいいのに。

●ウェイン・エスコフェリー
ブラック・アート・ジャズ・コレクティヴ『Presented by the Side Door Jazz Club』(2014年)
ウェイン・エスコフェリー『Live at Smalls』(2014年)
ウェイン・エスコフェリー『Live at Firehouse 12』(2013年)


ブランドン・ロペス+ジェラルド・クリーヴァー+アンドリア・ニコデモ+マット・ネルソン『The Industry of Entropy』

2018-05-22 15:09:12 | アヴァンギャルド・ジャズ

ブランドン・ロペス+ジェラルド・クリーヴァー+アンドリア・ニコデモ+マット・ネルソン『The Industry of Entropy』(Relative Pitch、-2018年)を聴く。

Brandon Lopez (b)
Gerald Cleaver (ds)
Andria Nicodemou (vib)
Matt Nelson (ts)

何しろマット・ネルソンのテナーが独特だ。塩っ辛い音色をベースにして、ひたすらに濁流をごうごうと創りだしている。ブルージーな時間、散発的なフラグメンツを紡ぎ続ける時間、複数の流れのより合わせ、叫び。このバンドの中で、かれが時間の連続性を担保しているように聴こえる。

では他の3人はというと、つまり、時間にその都度立ち会っている。ブランドン・ロペスはダークな色で飽くことなくエネルギーを励起し続けている。アンドリア・ニコデモはヴァイブの効果を活かして火花のように音への粘着をはじき飛ばしている。また、ジェラルド・クリーヴァーは、他でもそうであるように、濁流を絶えず外へ外へとスピルアウトさせる。

この四者による拮抗が見事。

●ブランドン・ロペス
「JazzTokyo」のNY特集(2017/2/1)

●マット・ネルソン
Talibam!『Endgame of the Anthropocene』『Hard Vibe』(JazzTokyo)
(2017年)

●ジェラルド・クリーヴァー
トマ・フジワラ『Triple Double』(2017年)
スティーヴ・スウェル『Soul Travelers』(2016年)
『Plymouth』(2014年)
クレイグ・テイボーン『Chants』(2013年)
クリス・ライトキャップ『Epicenter』(2013年)
Book of Three 『Continuum (2012)』(2012年)
Farmers by Nature『Love and Ghosts』(2011年)
ジェレミー・ペルト『Men of Honor』(2009年)
ロブ・ブラウン『Crown Trunk Root Funk』(2007年)
リバティ・エルマン『Ophiuchus Butterfly』(2006年)
ロッテ・アンカー+クレイグ・テイボーン+ジェラルド・クリーヴァー『Triptych』(2003年)


タンディ・ンツリ『Exiled』

2018-05-22 14:33:34 | アヴァンギャルド・ジャズ

タンディ・ンツリ『Exiled』(Ndlela Music Company、-2018年)を聴く。

Thandi Ntuli (p, key, vo, backing vo, spoken word (track 1))
Sphelelo Mazibuko (ds)
Keenan Ahrends (g)
Spha Mdlalose (backing vo)
Benjamin Jephta (b)
Marcus Wyatt (tp, flh)
Mthunzi Mvubu (fl, as)
Justin Sasman (tb)
Sisonke Xonti (ts) (tracks 2, 5, 8, 13,15)
Linda Sikhakhane (ts) (tracks 1, 6, 7, 9, 10, 12)
Vuyo Sotashe (vo, backing vo) (track 9)
Kwelagobe Sekele (additional sounds) (track 4)
Lebogang Mashile (poetry, spoken word (track 8))
Tlale Makhene (perc) (tracks 5,12).

『ラティーナ』誌2018年6月号の南アフリカジャズ特集に、タンディ・ンツリのインタビューが3頁掲載されている。彼女のバックグラウンドはジャズ、クラシック、ヒップホップ、ソウルなど幅広く、南アのアイデンティティも受け継がれていることがわかる内容だが、それはなにも驚くべきことでもないのだろう。むしろ、タイトル(exiled)の意味を、「政治的な過去」と現在とを結びつけるために使ったのだという回答に興味を覚えた。

政治的に苛烈な色が音楽作品として反映されているわけではない。それよりも、確かにサウンドは越境的でもあり、南アということばに戻りたくなるようなときもあり、とても面白い。

彼女のピアノは透明感があって清冽な水のようである。ヴォーカルの使い方のセンスがときにエスペランサの音楽のようでもあり、またアンサンブルの雰囲気はまさに南アのベキ・ムセレクを思わせる(かれが亡くなってからもうすぐ10年!)。彼女は注目する作曲家としてアンブローズ・アキンムシーレとジェラルド・クレイトンとを挙げており、そういったコンテンポラリージャズの感覚もある。

なかなかの傑作。ライヴもいつか観てみたい。


アレクサンドラ・グリマル『Andromeda』

2018-05-22 06:40:28 | アヴァンギャルド・ジャズ

アレクサンドラ・グリマル『Andromeda』(Ayler Records、2011年)を聴く。

Alexandra Grimal (ts, ss)
Todd Neufeld (g)
Thomas Morgan (b)
Tyshawn Sorey (ds)

何か意識の蒸留過程を経て出されてくる音の美的なものを、トッド・ニューフェルド、トーマス・モーガンともに強く感じないわけにはいかない。それに加えて、音が鳴る周波数ということではなく、やはり出し方の過程というところで、タイショーン・ソーリーのドラムスにも共通の意識があるように聴こえる。

この独特な3人とともに遊泳するグリマルのサックスの断片もまた面白い。


石原昌家『戦後沖縄の社会史―軍作業・戦果・大密貿易の時代―』

2018-05-21 17:13:30 | 沖縄

石原昌家『戦後沖縄の社会史―軍作業・戦果・大密貿易の時代―』(ひるぎ社おきなわ文庫、1995年)を読む。

本書は大きく2部で構成されている。前半は敗戦直後の沖縄における軍作業の実態、後半は1952年までの大密貿易の姿について。

敗戦直後とはいえ、沖縄においては、その時期に戦前、戦中、戦後が混沌として入り混じるという状況が生まれていた。すなわち、周知のように、1945年6月23日(22日説もあり)の牛島中将自決による組織的戦闘の終結を境に、すべてが説明できるわけではない。単純に言うとしても、本島の読谷付近では4月1日に米軍が上陸し、そのときから多かれ少なかれ沖縄住民たちにとっては米軍支配のもとで新たな労働が生まれた。

労働にはさまざまなものがあった。米軍の物資を持ちだす「戦果」は生きていくための手段でもあり、抵抗の手段でもあった。ここでの聴き取りからは、なかには米国人の側に立ち、コザ暴動の際にも抵抗する沖縄人としてのシンパシーを抱けなかった者や、大学で英語教育を受けていたがために米軍のスパイ活動にスカウトされそうになった者など、労働が非常に多岐にわたっていたことがわかる。その全貌はいまも明確でないに違いない。なぜなら、沖縄タイムス中部支社編集部『基地で働く』には、旧知念村にCIAの設備があったことが書かれており、それまで知られざる事実だった。

「戦果」は大変大きな経済的価値を持っていた。それは、台湾、中国、日本との間で、統制化にも関わらず密貿易の形で取引された。そうしなければ建物ひとつ建たず、食糧さえも入ってこなかった。従って、1952年に琉球政府が機能しはじめるまでは、警察もそれを積極的に黙認した。

ここで台湾がやはり重要である。ジャン・ユンカーマンの映画『老人と海』でも直接的に描かれているように、与那国島と台湾とは目に見えるほど近い。もとより台湾の住民は、沖縄の住民に強い親近感を持っていたという。交流もあった。だが、敗戦により線が引かれた。また大陸の外省人(1947年には二・二八事件が起きる)に取ってみれば、沖縄人はあくまで皇民化教育を受けた日本人でしかなかった、ともいう。

密貿易は、奥野修司『ナツコ 沖縄密貿易の女王』にも描かれているように、非常にハイリスク・ハイリターンの活動だった。1日に公務員1か月分の宿代を払い、その桁がひとつ増えるほどの金額を1日で稼ぐようなものであり、皆が利ザヤに群がった。2か月もあればひと財産が出来た。

そのハブは、与那国であり、台湾であり、中国との間では香港・マカオであり、日本との間では口之島(1946-52年の米国統治の北端)であった。驚くべきことは、薬莢などの物資が中国に渡り、場合によっては、共産党軍が国民党軍を攻撃するために用いられたということであった。

また先島における自衛隊の強化が進められているいま、国境のやわらかいあり方を想像するためのものとして、密貿易を生み出した背景は共有されるべきものである。

●参照
ナツコ
『老人と海』 与那国島の映像

●ひるぎ社おきなわ文庫
郭承敏『秋霜五〇年―台湾・東京・北京・沖縄―』
加治順人『沖縄の神社』
金城功『近代沖縄の糖業』
金城功『ケービンの跡を歩く』
保坂廣志『戦争動員とジャーナリズム』
宮里一夫『沖縄「韓国レポート」』
望月雅彦『ボルネオ・サラワク王国の沖縄移民』


松風鉱一トリオ+大徳俊幸『Earth Mother』

2018-05-21 10:43:29 | アヴァンギャルド・ジャズ

松風鉱一トリオ+大徳俊幸『Earth Mother』(コジマ、1978年)を聴く。

Koichi Matsukaze 松風鉱一 (fl, as, ts)
Toshiyuki Daitoku 大徳俊幸 (p)
Tamio Kawabata 川端民生 (b)
Ryojiro Furusawa 古澤良治郎 (ds)

ジャケット写真はdiscogsより

ウルトラレア盤である。わたしも10年以上前にヤフオクで数万円で眺めたことがあるのみで、最近ではなぜかジャイルス・ピーターソンが選んだ日本ジャズのコンピにタイトル曲だけが収録されている。

そんなわけで長いこと興味だけはあったのだが、最近、松風さんに同時期に師事していたことがあるきょうだい弟子のSさんが貸してくれた。なんでも知り合いが地方都市のレコ屋で数千円で見つけたそうである。(この時代にそんなことが。)

1曲目のお馴染み「Images Alone」はフルートであり、いまの松風さんの演奏よりもストレートに聴こえる。大徳俊幸さんはエレピを弾いており、そのマッチングが良い。

2曲目のタイトル曲、3曲目の「Zekatsuma Selbst」(このときからヘンな名前を使っていたのか!)、4曲目の「Round Midnight」までアルト(これだけピアノ抜き)。特に「Round...」でアルトがささくれていて、孤独な道を歩いている感覚が、既に松風鉱一である。それに加えて何が素晴らしいかというと、すべてにあの川端民生さんのベースの音が響き渡っている。古澤良治郎さんのドラムスもどたばたと人間くさい。全員で意外にもハードに攻めている。

最後の「Don't Worry About Tenor Saxophone」のみテナーであり、この濃淡もまた良い。

掛け値なしの名盤じゃないか!

●松風鉱一
松風鉱一カルテット+石田幹雄@新宿ピットイン(2018年)
今村祐司グループ@新宿ピットイン(2017年)
松風M.A.S.H. その2@なってるハウス(2017年)
松風M.A.S.H.@なってるハウス(2017年)
渋谷毅オーケストラ@新宿ピットイン(2017年)
渋谷毅オーケストラ@新宿ピットイン(2016年その3)
松風鉱一カルテット+石田幹雄@新宿ピットイン(2016年)
渋谷毅オーケストラ@新宿ピットイン(2016年その2)
松風鉱一@十条カフェスペース101(2016年)
渋谷毅オーケストラ@新宿ピットイン(2016年その1)
渋谷毅エッセンシャル・エリントン@新宿ピットイン(2015年)
松風鉱一カルテット+石田幹雄@新宿ピットイン(2015年)
渋谷毅オーケストラ@新宿ピットイン(2014年)
5年ぶりの松風鉱一トリオ@Lindenbaum(2013年)
松風鉱一カルテット@新宿ピットイン(2012年)
渋谷毅オーケストラ@新宿ピットイン(2011年)
松風鉱一トリオ@Lindenbaum(2008年)
松風鉱一カルテット、ズミクロン50mm/f2(2007年)
原みどりとワンダー5『恋☆さざなみ慕情』(2006年)
松風鉱一『Good Nature』(1981年)
『生活向上委員会ライブ・イン・益田』(1976年)
カーラ・ブレイ+スティーヴ・スワロウ『DUETS』、渋谷毅オーケストラ
森山威男『SMILE』、『Live at LOVELY』 
反対側の新宿ピットイン
くにおんジャズ、鳥飼否宇『密林』


シカゴ/ロンドン・アンダーグラウンド『A Night Walking Through Mirrors』

2018-05-20 18:16:01 | アヴァンギャルド・ジャズ

シカゴ/ロンドン・アンダーグラウンド『A Night Walking Through Mirrors』(Cuneiform Records、2016年)を聴く。

Chicago / London Underground:
Rob Mazurek (cor, sampler, electronics, voice)
Chad Taylor (ds, mbira, electronics)
Alexander Hawkins (p)
John Edwards (b)

シカゴ・アンダーグラウンド・デュオのふたり(ロブ・マズレク、チャド・テイラー)に、UKのふたりが加わった形。

この相乗効果がすばらしい。シカゴのふたりであればもう少しシンプルな到達点が見出されたであろう。これに、冗談のように粘っこく強いジョン・エドワーズの弦と、燃えるようなエネルギーを放出するアレキサンダー・ホーキンスが重なることによって、絶えず分厚くあり続けるサウンドが創出されている。タイプは異なるが、ジャコ・パストリアスの傑作『Word of Mouth』の有機的な分厚さを思い出す。

●チャド・テイラー
ジェームス・ブランドン・ルイス+チャド・テイラー『Radiant Imprints』(JazzTokyo)(-2018年)
ジェイミー・ブランチ『Fly or Die』(-2017年)
ヨニ・クレッツマー『Five』、+アジェミアン+シェイ『Until Your Throat Is Dry』(JazzTokyo)(2015、16年)
エリック・レヴィス『In Memory of Things Yet Seen』(2014年)
ジョシュア・エイブラムス『Represencing』、『Natural Information』(2008-13年)
ブッチ・モリス『Possible Universe / Conduction 192』(2010年)
マーク・リボーとジョルジォ・ガスリーニのアルバート・アイラー集(1990、2004年)
Sticks and Stonesの2枚、マタナ・ロバーツ『Live in London』(2002、03、11年)

●アレキサンダー・ホーキンス
ザ・コンバージェンス・カルテット『Slow and Steady』(2011年)

●ジョン・エドワーズ
ユリエ・ケア3、リーマ@スーパーデラックス(2017年)
ジョン・ブッチャー+ジョン・エドワーズ+マーク・サンダース『Last Dream of the Morning』(2016年)
エヴァン・パーカー+ジョン・エドワーズ+クリス・コルサーノ『The Hurrah』
(2014年)
三上寛+ジョン・エドワーズ+アレックス・ニールソン『Live at Cafe Oto』(2013年)
ジョン・エドワーズ+オッキュン・リー『White Cable Black Wires』(2011年)
ロル・コクスヒル+ジョン・エドワーズ+スティーヴ・ノブル『The Early Years』(2004年)
パウル・ローフェンス+パウル・フブヴェーバー+ジョン・エドワーズ『PAPAJO』(2002年)


『南京事件 II』

2018-05-20 10:13:49 | 中国・台湾

「NNNドキュメント'18」枠で放送された『南京事件 II』(2018/5/20再放送)を観る。『南京事件 兵士たちの遺言』(2015/10/4)の続編である。

前回から、清水潔ディレクターらのもと、さらに取材が進められてきたことがよくわかる。もちろんそれは歴史研究の積み重ねという観点では当然の結果ともいうことができる。

●敗戦直後から、陸軍は連合軍からの戦争犯罪の追及をおそれ、内部資料を焼却した。市ヶ谷では3日間煙が立ちのぼり続けたという。しかし戦後になって、その燃え残りが発見された。やはり、南京攻略の資料が燃やされた中にあったことが裏付けられた。
●となると、一次資料として、前回で紹介された陸軍の歩兵第65連隊の従軍日誌がさらに重要視される。その分析が、前回から進められている。
●すでに非武装・非抵抗の住民を殺すことは国際法で禁止されていた。だが、日本軍は住民を集め、機関銃や銃剣で虐殺した。
●これに対し、実は武装していたのだという反論があった。しかし、それはあり得なかったことが、従軍日誌からわかった。
●また、いちどは川に逃がしたが向こう岸からの銃撃に驚いた住民たちが戻ってきて反乱を起こし、それに対し自衛するために殺したのだという反論もあった。しかし、この歴史修正主義的な言説にはルーツがあった。すなわち、南京事件否定の本はだいたいは60-70年代に出てきた本(鈴木明『「南京大虐殺」のまぼろし』、1973年など)を根拠としており、それらの本は1960年代に65連隊長であった両角業作氏が福島の地元紙に寄せたインタビューを原典としていた。しかし、両角氏は虐殺現場には立ち会っておらず、後付けで自身の免罪のために話したものであった。

なるほど、怪しげなネタをもとにした歴史修正主義は、地道な一次資料で潰していかねばならないということである。素晴らしいドキュメンタリーだった。

●南京事件
清水潔『「南京事件」を調査せよ』
『南京事件 兵士たちの遺言』(2015年)
『従軍作家たちの戦争』、笠原十九司『南京事件論争史』
陸川『南京!南京!』
盧溝橋(「中国人民抗日戦争記念館」に展示がある)
テッサ・モーリス=スズキ『過去は死なない』(歴史修正主義)
高橋哲哉『記憶のエチカ』(歴史修正主義)

●NNNドキュメント
『南京事件 兵士たちの遺言』(2015年)
『ガマフヤー 遺骨を家族に 沖縄戦を掘る』(2015年)
『9条を抱きしめて ~元米海兵隊員が語る戦争と平和~』(2015年)
『“じいちゃん”の戦争 孫と歩いた激戦地ペリリュー』(2015年)
『100歳、叫ぶ 元従軍記者の戦争反対』(2015年)
『日本地図から消えた島 奄美 無血の復帰から60年』(2014年)
大島渚『忘れられた皇軍』(2014年)
『ルル、ラン どこに帰ろうか タンチョウ相次ぐ衝突死』(2013年)
『狂気の正体 連合赤軍兵士41年目の証言』(2013年)
『活断層と原発、そして廃炉 アメリカ、ドイツ、日本の選択』(2013年)
『沖縄からの手紙』(2012年)
『八ッ場 長すぎる翻弄』(2012年)
『鉄条網とアメとムチ』、『基地の町に生きて』(2008、11年)
『沖縄・43年目のクラス会』(2010年)
『風の民、練塀の街』(2010年)
『証言 集団自決』(2008年)
『ひめゆり戦史』、『空白の戦史』(1979、80年)
『毒ガスは去ったが』、『広場の戦争展・ある「在日沖縄人」の痛恨行脚』(1971、79年)
『沖縄の十八歳』、『一幕一場・沖縄人類館』、『戦世の六月・「沖縄の十八歳」は今』 (1966、78、1983年)