Sightsong

自縄自縛日記

金城功『近代沖縄の糖業』

2018-05-20 09:04:38 | 沖縄

金城功『近代沖縄の糖業』(ひるぎ社おきなわ文庫、1988年)を読む。

沖縄における砂糖(伝統的には黒糖が中心)の歴史をまとめた本である。名嘉正八郎『沖縄・奄美の文献から観た黒砂糖の歴史』よりも体系的・分析的に記述されている。

古くは15世紀の三山統一の頃には砂糖が生産されていたらしい。もとは中国の技術である。その後、1609年の島津による侵略を経て、17世紀には、琉球王国は多額の借金を島津に負わされた。その返済のためにはじめられたのが、砂糖の専売である。平たく言えば経済的な支配のはじまりである。

江戸末期からは「前代」という農民への借金制度が導入され、明治期に本格化した。甘蔗(さとうきび、なお甘藷はサツマイモ)の農民には生産や資本のためのオカネが足りない、そのために借りるのはいいとしても、容易に想像できるように、それは生産した砂糖を安く買い叩かれることとセットであり、農民はたいへんな困窮へと追いやられることとなった。また明治期には砂糖消費税も課せられ、それは卸売価格や消費者価格へは上乗せされる結果にはならず(いまの感覚では当然だが)、やはり、農民の生産原価を圧迫した。

一方、1895年から領有した台湾においても甘蔗と砂糖の生産が本格的に進められた。台湾では構造的にうまく砂糖生産地としての形を作ることができたにも関わらず、同じく植民地支配を行った沖縄では、さほどうまくいかなかった。より消費者に求められるようになった砂糖は黒糖ではなく精製する分蜜糖であったが、その転換もできなかった。明治になって大きな期待とともに八重山でも糖業が開始されたが、やはり結果は思わしくなかった。

本書からは、その根本的な原因が、糖業をモノカルチャー化してしまい、また農民を抑圧するだけでは産業として健全に育成することは難しかったところにあったのだということがよくわかる。

沖縄といえば黒糖だ、といういまのローカルフード的な目線を外してみるための良書。

●沖縄の糖業
名嘉正八郎『沖縄・奄美の文献から観た黒砂糖の歴史』

●ひるぎ社おきなわ文庫
郭承敏『秋霜五〇年―台湾・東京・北京・沖縄―』
加治順人『沖縄の神社』
金城功『ケービンの跡を歩く』
保坂廣志『戦争動員とジャーナリズム』
宮里一夫『沖縄「韓国レポート」』
望月雅彦『ボルネオ・サラワク王国の沖縄移民』


アンテローパー『Kudu』

2018-05-20 08:22:10 | アヴァンギャルド・ジャズ

アンテローパー『Kudu』(International Anthem、2017年)を聴く。

Anteloper:
Jaimie Branch (tp, synth)
Jason Nazary (ds, synth)

このアンテローパー(Anteloper)は、ジェイミー・ブランチとジェイソン・ナザリーとのデュオユニットである。どうやら共演は2002年から積み重ねてきたようなのだけれど、今回の新機軸は、トランペットとドラムスとのデュオというだけでなく、お互いにシンセも弾いて新たなサウンドを志向したところにある。

聴いてみると、なるほどご本人たち曰くの「electric brain child」という言葉がハマる。キーボードの存在で、カラフルになり、ダンサブルでもあり、かなりうきうきする。そしてやはり、ジェイミーのトランペットが本当に好きである。パワフルだからこそ、音量だけでなく振幅がとても大きく、そして何よりも色気がある。

それにしても、「International Anthem」レーベルによるシカゴからの新たな波は最近刺激的だ。

●ジェイミー・ブランチ
マタナ・ロバーツ「breathe...」@Roulette(2017年)
ジェイミー・ブランチ『Fly or Die』(-2017年)

「JazzTokyo」のNY特集(2017/9/1)

●ジェイソン・ナザリー
クリス・ピッツィオコス『One Eye with a Microscope Attached』(2016年)


ビル・マッケンリー『Solo』

2018-05-19 18:49:56 | アヴァンギャルド・ジャズ

ビル・マッケンリー『Solo』(Underpool、-2018年)を聴く。

Bill McHenry (sax)

ビル・マッケンリーのソロサックス集。ほとんどに曲名が付されておらず、まるで毎日のエチュードのエクササイズのようだ。

マッケンリーはフリー寄りの演奏をすることはあっても苛烈だったり奇抜だったりすることも特にないし、かといってソニー・ロリンズやケン・ヴァンダーマークのように豪放だったり、スタンダードが特に巧いというわけでもない(アンドリュー・シリルとのデュオを観たとき、「Bye Bye Blackbird」のアドリブは実に物足りなかった)。

そうではなく、ほとんどの部分を中音域で攻める。しかし聴けば聴くほど味がある。音色を微妙に変化させているし、ときにスティーヴ・レイシーばりにベンドさせたりもする。微妙な倍音も良い。おそらく自分の片手でピアノを弾きながらの共演も響きに工夫があって面白い。なんだか動悸動悸する。

●ビル・マッケンリー
アンドリュー・シリル+ビル・マッケンリー『Proximity』(2014年)
ビル・マッケンリー+アンドリュー・シリル@Village Vanguard(2014年)
エリック・レヴィス『In Memory of Things Yet Seen』(2014年)
US FREE 『Fish Stories』(2006年)
ビル・マッケンリー『Ghosts of the Sun』(2006年)


アンドリュー・ラム『New Orleans Suite』

2018-05-19 07:30:53 | アヴァンギャルド・ジャズ

アンドリュー・ラム『New Orleans Suite』(Engine Studios、2005年-)を聴く。

Andrew Lamb (ts)
Tom Abbs (b, cello, didgeridoo, perc)
Warren Smith (ds, perc, voice)

一聴いつもと変わらないシカゴ的なサックストリオかとも思えるのだが、本盤には、2005年にニューオーリンズを襲ったハリケーン・カトリーナへの支援という意味が込められている。

従って、1曲目の「Dyes and Lyes」から皮肉とメッセージとが発せられる。というのも、この災害は、黒人貧困層に構造的・人為的な被害をもたらしたからである(「Democracy Now!」の記事)。

"Mother Nature just staged a terrorist act on ou' ass And for once in a loooooong time, not a muslim was blamed"
"We're gonna rebuild it Better than before Of course we'll have to Eliminate the poor. That includes the culture That the place was famous for"

もちろんそのような思いがありつつも、アルバム全体としては、やはり良好なシカゴテイスト。とくにアンドリュー・ラムの確信を込めてくっさく吹くテナーはいつも最高である。コードのなかで敢えてエッジを効かせるでもない。当然、フレッド・アンダーソン、ヴォン・フリーマン、アリ・ブラウン、アーネスト・ドーキンス、ハナ・ジョン・テイラーらと共通するものは自然に見出すことができる。

●アンドリュー・ラム
アンドリュー・ラム+シェイナ・ダルバーガー@6BC Garden(2015年)
アンドリュー・ラム『The Hues of Destiny』(2008年)
アンドリュー・ラム『Portrait in the Mist』(1994年)


アキム・ツェペツァウアー+フローリアン・ヴァルター『Hell // Bruit』

2018-05-19 07:11:02 | アヴァンギャルド・ジャズ

アキム・ツェペツァウアー+フローリアン・ヴァルター『Hell // Bruit』(Umland Records、2015年)を聴く。

Achim Zepezauer (electronics system)
Florian Walter (as)

ツェペツァウアー、ヴァルターそれぞれのソロ2曲ずつのカップリング盤である。ひとつひとつはとても短い。

ヴァルターのアルトは独特なものであり、色々な音をパッケージ化する。その内なる実験と試行が、そのまま外部へとショーケースのように持ちだされる。単に内省的ということではないのであり、自分の肉体の活動を公開で切り刻むような感覚がある。ただし露悪的ではない。

今年のメールス2日目ヨーロッパ・ツアー中のクリス・ピッツィオコスとのデュオを行うそうであり(つまり今日の深夜以降)、それというのも、「JazzTokyo」誌でのヴァルターに関する記事にピッツィオコスが関心を持ってアプローチしたのだという。NYならではの相手に苛烈にぶつけていくノイズ・アヴァン界のキメラが、この静かなる変態とどう対峙するか。(わたしは就寝中ですが)

ツェペツァウアーのエレクトロニクスも、また、より直接的なコミュニケーション寄りのアメリカのそれとは異なるセンスのように感じられた。もっともこれはソロなのだが。

●フローリアン・ヴァルター
フローリアン・ヴァルター+照内央晴+方波見智子+加藤綾子+田中奈美@なってるハウス(2017年)
フローリアン・ヴァルター『Bruit / Botanik』(2016年)


ラケシア・ベンジャミン『Rise Up』

2018-05-18 20:46:51 | アヴァンギャルド・ジャズ

ラケシア・ベンジャミン『Rise Up』(Ropeadope、-2018年)を聴く。

Lakecia Benjamin (sax)
Shawn Whitley (b)
Devone Allison (key)
Yeissonn Villamar (key)
Chris Rob (lead syn)
Eric Brown (ds)
Jamieson Ledonio (g)
Jeremy Most (g)
Brad Allen Williams (g, key, b, drum programming)
Solomon Dorsey (perc, b, vo, g)
Bendji Allonce (perc)
Melusina Reeburg (p)
Jaime Woods (vo)
China Moses (vo)
Akie Bermiss (vo)
Zakiyyah Modeste (spoken word)
Chandler (vo)
Nicole Phifer (vo)
Jessie Singer (tambourine, lead syn, Wurlitzer, b, sound design)
Jesse Klirsfeld (tp)
Maurice Brown (tp)
Gregorio Hernandez (tb)
Chris Soper (sound design, g, key)

このように大所帯だがビッグバンドのようにごみごみにぎにぎしたものではなく、作りこまれたコンテンポラリーサウンドである。

ラケシア・ベンジャミンは2013年にデイヴィッド・マレイのビッグバンドの一員として来日しており、そのときの勢いのあるプレイが印象的だった。後日、彼女のリーダー作『Retox』(2012年)を入手したのだが、ちょっとチャラいなと思って放置しつつも改めて聴いてみると悪くないのだった。

そんなわけでこの新譜。シリアス頭を溶かしてみればやっぱり悪くない。ソウルでR&Bでファンクで、スムースジャズで、カッチョいいな。ベンジャミンのサックスにはデイヴィッド・サンボーンのようなソフトグロウル的な音色を感じるのだが、やはり喉を物理的に開いて吹いているのだろうか。

●レイクシア・ベンジャミン
デイヴィッド・マレイ・ビッグ・バンド featuring メイシー・グレイ@ブルーノート東京
(2013年)


『Andrew Cyrille Meets Brötzmann in Berlin』

2018-05-18 20:01:30 | アヴァンギャルド・ジャズ

『Andrew Cyrille Meets Brötzmann in Berlin』(FMP、1982年)を聴く。

Peter Brötzmann (E-flat cl, tarogato, as, ts, bs)
Andrew Cyrille (ds, perc)

ペーター・ブロッツマンについては1960年代後半の『For Adolphe Sax』や『Machine Gun』などがあり、またアンドリュー・シリルについてもやはり60年代後半からのセシル・テイラーと伍しての演奏があったわけだから、その延長線上にあるものとして当然と言えば当然なのだが、やはり、このエネルギー・ミュージックには圧倒される。どうしても比較対象はかれらの現在の音になってしまい、それと比較すると違いはあまりにも大きい。もちろんどちらが良いということではないのだが、何にせよこの共演は凄い。

1曲目の「Wolf whiste」から両者ともに惜しみなくエネルギーを放ちまくる。文字どおりのヘラクレスである。一方のシリルは、現在は武道の達人然としたドラミングを見せてくれるのだが、このときはそれにマッチョな要素も加わっている。

2曲目からの「Quilt」a-cは趣向を変えており面白い(キルトである)。「a」ではブロッツマンは鳥のような高音、シリルはおそらくシンバルをスティックで擦り続けてそれに応える。「b」では一転してシリルの腹に響くバスドラ、ブロッツマンは朗々と吹くのだが、それが苛烈になってゆき、そしてなんと「On Green Dolphin Street」を吹き始める。意外に芸達者である。「c」では、シリルの繊細なシンバルワークから始まる多彩なソロを披露する。これは現在の姿にも通じているように思える。

●アンドリュー・シリル
ベン・モンダー・トリオ@Cornelia Street Cafe(2017年)
トリオ3@Village Vanguard(2015年)
アンドリュー・シリル『The Declaration of Musical Independence』(2014年)
アンドリュー・シリル+ビル・マッケンリー『Proximity』(2014年)
ビル・マッケンリー+アンドリュー・シリル@Village Vanguard(2014年)
ベン・モンダー『Amorphae』(2010、13年)
トリオ3+ジェイソン・モラン『Refraction - Breakin' Glass』(2012年)
アンドリュー・シリル『Duology』(2011年)
US FREE 『Fish Stories』(2006年)
アンドリュー・シリル+グレッグ・オズビー『Low Blue Flame』(2005年)
バーグマン+ブロッツマン+シリル『Exhilaration』(1996年)
ビリー・バング+サン・ラ『A Tribute to Stuff Smith』(1992年)
1987年のチャールズ・ブラッキーン(1987年)
アンドリュー・シリル『Special People』(1980年)
アンドリュー・シリル『What About?』(1969年) 

●ペーター・ブロッツマン
ペーター・ブロッツマン+ヘザー・リー『Sex Tape』(2016年)
ペーター・ブロッツマン+スティーヴ・スウェル+ポール・ニルセン・ラヴ『Live in Copenhagen』(2016年)
ブロッツ&サブ@新宿ピットイン(2015年)
ペーター・ブロッツマン+佐藤允彦+森山威男@新宿ピットイン(2014年)
ペーター・ブロッツマン@新宿ピットイン(2011年)
ペーター・ブロッツマンの映像『Concert for Fukushima / Wels 2011』(2011年)
ペーター・ブロッツマンの映像『Soldier of the Road』(2011年)
ペーター・ブロッツマン+佐藤允彦+森山威男『YATAGARASU』(2011年)
ハン・ベニンク『Hazentijd』(2009年)
ヨハネス・バウアー+ペーター・ブロッツマン『Blue City』(1997年)
バーグマン+ブロッツマン+シリル『Exhilaration』(1996年)
『Vier Tiere』(1994年)
ペーター・ブロッツマン+羽野昌二+山内テツ+郷津晴彦『Dare Devil』(1991年)
ペーター・ブロッツマン+フレッド・ホプキンス+ラシッド・アリ『Songlines』(1991年)
エバ・ヤーン『Rising Tones Cross』(1985年)
『BROTZM/FMPのレコードジャケット 1969-1989』
ペーター・ブロッツマン
セシル・テイラーのブラックセイントとソウルノートの5枚組ボックスセット(1979-86年) 


田中正恭『プロ野球と鉄道』

2018-05-18 13:31:07 | スポーツ

田中正恭『プロ野球と鉄道』(交通新聞社新書、2018年)を読む。

なぜプロ野球と鉄道なのかと言えば理由はふたつある。ひとつは、阪急や阪神のように自社の鉄道を利用した娯楽の開発。もうひとつは、日本列島の遠距離移動に用いられた鉄道移動という制約(もっとも、戦前は満州鉄道の「あじあ号」などを使った事例もあった)。それぞれ知らないことを教えてくれてとても面白い。愛に満ちた本は良いものである。

ひとつめの、自社の鉄道沿線におけるプロ野球のコンテンツ化。阪急の小林社長は相当にこだわり、出張先のワシントンから即座にチームを結成するよう電報を入れたという。その結果、最初の1リーグ時代に間に合って参入できた。お上品な阪急沿線であり観客動員には恵まれなかったが、ヴィジョンはそういうことであった。

もとは1934年の大リーグ代表来日試合(ルース、ゲーリッグ、沢村)があって、翌35年の日本代表(=東京巨人軍)の結成を経て、正力松太郎が音頭を取ってチームが順次できていったわけである。35年12月の大阪タイガース、36年1月の名古屋軍、東京セネタース、阪急軍、など。

従って、いまも巨人阪神戦を「伝統の一戦」と標榜するのはやりすぎである。所詮はひと月ほど他球団より早かっただけだからだ。とは言え、2リーグ分裂時に、阪神は巨人と離されると興業上不利であるから、阪急、南海との関西鉄道系と組む構想から寝返って巨人側に着いた。これがなかったら、パ・リーグはさらに東急、近鉄、西鉄を加え、電鉄リーグになっていた。つまり「伝統の一戦」という言葉は、最初から商売の言葉であったといえる。

なお、東京セネタースの名前は、出資者の有馬伯爵が貴族院議員だったことによる。それが戦時中の1940年に改名し、翼軍となる。これは有馬伯爵が大政翼賛会の理事を務めていたことに由来するという(!)。戦争の汚点は思いがけないところに見出されるものだ。

ふたつめの長距離移動。つまり、地方球団は非常に大変だった。逆にジャイアンツなどは有利であり、1964年の東海道新幹線開業(東京-新大阪)は翌65年からの9連覇を後押しした。また1975年の山陽新幹線全線開業(新大阪-博多)の影響があり、同年に広島カープが初優勝した。交通インフラの発展とプロ野球の成績が連動していたとは、まさに目から鱗である。

本書の最後には、プロ野球OBたちの証言が集められている。いないじゃないかと不満に思っていた今井雄太郎がここで登場する。さすがである。水島新司がどこかで描いていたが、ノミの心臓だったため登板前にビールを飲むこともあったという面白い人である(いつもじゃないと本人の弁)。最後に福岡ダイエーホークスに1年在籍し、西武ライオンズ戦に登板、いいように盗塁されていた記憶がある。つまり古いプロ野球の人だったのだが、それもまた良し。


フランソワ・キャリア+ミシェル・ランベール+ポール・ブレイ+ゲイリー・ピーコック『Travelling Lights』

2018-05-18 11:03:37 | アヴァンギャルド・ジャズ

フランソワ・キャリア+ミシェル・ランベール+ポール・ブレイ+ゲイリー・ピーコック『Travelling Lights』(Justin Time Records、2004年)を聴く。

François Carrier (as,ss)
Michel Lambert (ds)
Paul Bley (p)
Gary Peacock (b)

フランソワ・キャリアはカナダ・ケベック州のサックス奏者。過去にデューイ・レッドマンと共演した盤もあり興味を持ってはいたのだが、本盤ではさほど目立たない。というよりも、相手はポール・ブレイとゲイリー・ピーコックであり、明らかに役者が違う。

2曲目あたりからピーコックの香り高いピチカートが耳に残ってくる。そして3曲目の「Oceania」以降、ブレイがブレイらしさを発揮する。研ぎ澄まされた和音の美しさはもとより、その指の動きによって、タイム感まで完全に支配してしまう。たぶんブレイのファンであればここで間違いなく嬉しさに慄くことであろう。美しさの結晶は、6曲目の「Africa」の後半や7曲目の「Sea」などで惜しみなくあらわれる。

ブレイとピーコックのデュオとしては、名作『Partners』が思い出されるが、こうなるとデュオだろうと何だろうと関係ないのだ。

不思議なことに、ミシェル・ランベールのドラミングにポール・モチアンのそれが憑依したように感じる。

●ポール・ブレイ
ポール・ブレイ『Solo in Mondsee』(2001年)
ポール・ブレイ『Synth Thesis』(1993年)
ポール・ブレイ『Homage to Carla』(1992年)
ポール・ブレイ『Plays Carla Bley』(1991年)
ポール・ブレイ+ゲイリー・ピーコック『Partners』(1991年)
ポール・ブレイ+チャーリー・ヘイデン+ポール・モチアン『Memoirs』(1990年)
チェット・ベイカー+ポール・ブレイ『Diane』(1985年)
イマジン・ザ・サウンド(1981年)
アネット・ピーコック+ポール・ブレイ『Dual Unity』(1970年)
ポール・ブレイ『Barrage』(1964年)
ポール・ブレイ『Complete Savoy Sessions 1962-63』(1962-63年)

●ゲイリー・ピーコック
プール+クリスペル+ピーコック『In Motion』(2014年)
ゲイリー・ピーコック+マリリン・クリスペル『Azure』(2011年)
テザード・ムーン『Triangle』(1991年)
ポール・ブレイ+ゲイリー・ピーコック『Partners』(1991年)
キース・ジャレット『North Sea Standards』(1985年)
キース・ジャレット『Standards Live』(1985年)
ローウェル・デヴィッドソン(1965年) 


シャーメイン・リー『Ggggg』

2018-05-18 10:43:09 | アヴァンギャルド・ジャズ

シャーメイン・リー『Ggggg』AntiCausal Systems、-2018年)を聴く。

Charmaine Lee (voice)

シャーメイン・リーはオーストラリア出身のヴォイス・パフォーマーであり、本盤が初リーダー作である。いまはNYのノイズ/アヴァンシーンの尖った面々と共演しており、動画もググるといくつか見つけることができる。

自らの顔を歪ませるジャケットの印象が強いが、彼女のヴォイスも同等以上に強烈だ。超絶技巧とは言え、機械も自分の肉体と同化し、また根源的に動悸も腐りもする肉体と直結しており、ちょっと聴き手の設定するハードルをやすやすと超えてしまい怖くもある。剛田武さんは「時に金属のように冷たく、時に濡れ場のようにエロチックな口唇の摩擦音こそ、人体の神秘に肉薄する極端音楽のNORD(極北)」と表現しており同感である。

過去には、たとえばサインホ・ナムチラックだって、吉田アミさんだって、ローレン・ニュートンだって、また最近の山崎阿弥さんだって、はじめてその肉声に直接接したときには恐怖を覚えたものである。リーもまた同様に怖ろしい。


ローレン・ニュートン+齋藤徹+沢井一恵『Full Moon Over Tokyo』

2018-05-17 19:06:48 | アヴァンギャルド・ジャズ

ローレン・ニュートン+齋藤徹+沢井一恵『Full Moon Over Tokyo』(2005年)を聴く。Kadima CollectiveからCD、DVD、本のセットで出されたもののうちCD編のみがbandcampにアップされている。

Lauren Newton (vo)
Tetsu Saitoh 齋藤徹 (b)
Kazue Sawai 沢井一恵 (koto)

齋藤徹さんと沢井一恵さんとは共演を繰り返しているわけだが、たとえば、デュオで本盤の10年近く前に演奏された『八重山游行』とは雰囲気が随分と異なっている。後者の演奏にはその場での完結に向けた意思が感じられて、それは、特殊事情のもとでなされたこともあるのかもしれない。そのことは置いておいても、ローレン・ニュートンが加わったトリオという点のほうが大きいように感じられる。より空間に向けて、覚悟のようなものとともにサウンドが開かれている。

わたしがはじめてニュートンの存在を知ったのは、故・清水俊彦の文章によって、ウィーン・アート・オーケストラ『エリック・サティのミニマリズム』を聴いたときだった。このような表現があるのかと驚いた。さらに曲ではなく即興にも触れ、さらに驚いた。本盤にはそのニュートンの魅力がとても出ている。羽根のように空中をひらひらする高い声を、細切れに繰り出してゆき、宇宙的なその場限りのサウンドを目の前で作り上げてみせる。

沢井一恵さんも素晴らしくて、たとえば、「Rose Moon」においてニュートンとともに天空高くへと飛翔する世界に聴き惚れてしまう。そして言うまでもなく、テツさんのコントラバスは、ノイズの胎動のなかからときに聴き覚えのある旋律を産み出し、空中に放り投げる。

本盤は三者三様のパフォーマンスの結実のようなものだと思うが、それはどの段階でも固まっておらず、ときに、遊ぶかのようにヘンな音を立てて気をステージ外に逃す瞬間もあって、とても愉快。

●ローレン・ニュートン
ウィーン・アート・オーケストラ『エリック・サティのミニマリズム』(hat ART、1983・84年)

●齋藤徹
DDKトリオ+齋藤徹@下北沢Apollo(2018年)
川島誠+齋藤徹@バーバー富士(JazzTokyo)(2018年)
齋藤徹+喜多直毅@板橋大山教会(2018年)
齋藤徹+喜多直毅+外山明@cooljojo(2018年)
かみむら泰一+齋藤徹@本八幡cooljojo(2018年)
齋藤徹+喜多直毅+皆藤千香子@アトリエ第Q藝術(2018年)
2017年ベスト(JazzTokyo)
即興パフォーマンス in いずるば 『今 ここ わたし 2017 ドイツ×日本』(2017年)
『小林裕児と森』ライヴペインティング@日本橋三越(2017年)
ロジャー・ターナー+喜多直毅+齋藤徹@横濱エアジン(JazzTokyo)(2017年)
長沢哲+齋藤徹@東北沢OTOOTO(2017年)
翠川敬基+齋藤徹+喜多直毅@in F(2017年)
齋藤徹ワークショップ特別ゲスト編 vol.1 ミシェル・ドネダ+レ・クアン・ニン+佐草夏美@いずるば(2017年)
齋藤徹+喜多直毅@巣鴨レソノサウンド(2017年)
齋藤徹@バーバー富士(2017年)
齋藤徹+今井和雄@稲毛Candy(2017年)
齋藤徹 plays JAZZ@横濱エアジン(JazzTokyo)(2017年)
齋藤徹ワークショップ「寄港」第ゼロ回@いずるば(2017年)
りら@七針(2017年)
広瀬淳二+今井和雄+齋藤徹+ジャック・ディミエール@Ftarri(2016年)
齋藤徹『TRAVESSIA』(2016年)
齋藤徹の世界・還暦記念コントラバスリサイタル@永福町ソノリウム(2016年)
かみむら泰一+齋藤徹@キッド・アイラック・アート・ホール(2016年)
齋藤徹+かみむら泰一、+喜多直毅、+矢萩竜太郎(JazzTokyo)(2015-16年)
齋藤徹・バッハ無伴奏チェロ組曲@横濱エアジン(2016年)
うたをさがして@ギャラリー悠玄(2015年) 
齋藤徹+類家心平@sound cafe dzumi(2015年)
齋藤徹+喜多直毅+黒田京子@横濱エアジン(2015年)
映像『ユーラシアンエコーズII』(2013年)
ユーラシアンエコーズ第2章(2013年)
バール・フィリップス+Bass Ensemble GEN311『Live at Space Who』(2012年)
ミシェル・ドネダ+レ・クアン・ニン+齋藤徹@ポレポレ坐(2011年)
齋藤徹による「bass ensemble "弦" gamma/ut」(2011年)
『うたをさがして live at Pole Pole za』(2011年)
齋藤徹『Contrabass Solo at ORT』(2010年)
齋藤徹+今井和雄『ORBIT ZERO』(2009年)
齋藤徹、2009年5月、東中野(2009年)
ミシェル・ドネダと齋藤徹、ペンタックス43mm(2007年)
齋藤徹+今井和雄+ミシェル・ドネダ『Orbit 1』(2006年)
明田川荘之+齋藤徹『LIFE TIME』(2005年)
ミシェル・ドネダ+レ・クアン・ニン+齋藤徹+今井和雄+沢井一恵『Une Chance Pour L'Ombre』(2003年)
往来トリオの2作品、『往来』と『雲は行く』(1999、2000年)
齋藤徹+ミシェル・ドネダ+チョン・チュルギ+坪井紀子+ザイ・クーニン『ペイガン・ヒム』(1999年)
齋藤徹+ミシェル・ドネダ『交感』(1999年)
齋藤徹+沢井一恵『八重山游行』(1996年)
久高島で記録された嘉手苅林昌『沖縄の魂の行方』、池澤夏樹『眠る女』、齋藤徹『パナリ』(1996年)
ミシェル・ドネダ+アラン・ジュール+齋藤徹『M'UOAZ』(1995年)
ユーラシアン・エコーズ、金石出(1993、1994年)
ジョゼフ・ジャーマン 

●沢井一恵
映像『ユーラシアンエコーズII』(2013年)
ユーラシアンエコーズ第2章(2013年)
ミシェル・ドネダ+レ・クアン・ニン+齋藤徹+今井和雄+沢井一恵『Une Chance Pour L'Ombre』(2003年)
齋藤徹+沢井一恵『八重山游行』(1996年)
ユーラシアン・エコーズ、金石出(1993、1994年)


デイヴ・レンピス+ティム・デイジー『Dodecahedron』

2018-05-17 12:47:01 | アヴァンギャルド・ジャズ

デイヴ・レンピス+トィム・デイジー『Dodecahedron』(Aerophonic Records、2017年)を聴く。

Dave Rempis (as, bs)
Tim Daisy (ds)
w/special guests
Jason Adasiewicz (vib)
Jim Baker (p, electronics)
Fred Lonberg-Holm (cello)
Steve Swell (tb)
Katie Young (bassoon/electronics)
Aaron Zarzutzki (electronics)

前半はレンピスとデイジーとのデュオ、後半は曲によって異なるゲストが参加している。散漫な演奏になるかなとも危惧したのだが、結果的にはまったく反対となった。

すなわち、レンピスのアルトとバリトンの表現の幅がゲストによって拡張され、いろいろな側面を見せてくれている。

フレッド・ロンバーグ・ホルムのチェロは分散型ではなく大きな波を作ってはサウンドの位置を励起するのだが、それに対し、レンピスはまるでオーネットのように応じる。ジェイソン・アダシェヴィッツのヴァイブやジム・ベイカーのピアノによる閃光の連続があると、より肉声的なレンピスのサックスが際立つように聴こえる。スティーヴ・スウェルのトロンボーンはのたうつ蛇のような生命力を持ったものであり、レンピスは負けじとふたりで耳の鼓膜が痒くなるような周波数を発する。

エレクトロニクスも面白くて(誰が誰だかわからないのだが)、場合によっては、間合いをはかって近づいてくるというより、容赦なくそこに突如出現する。あるいはサウンドのアトモスフェアの創出に回る。レンピスは相手のエレクトロニクスに応じて、破裂音、叫び、アトモスフェアの重ね合わせ、マルチフォニック、エレクトロニクスへの擬態といったように、時々刻々と攻め方を変える。

ところで最後の曲でスティーヴ・スウェルと遊びながら、レンピスの頭の中には「Corcovado」があったのではないかと思うがどうか。

●デイヴ・レンピス
デイヴ・レンピス『Lattice』(2017年)
GUNWALE『Polynya』(2016年)
レンピス/エイブラムス/ラー+ベイカー『Perihelion』(2015-16年)


カーロ・デローザ『Brain Dance』

2018-05-16 20:14:03 | アヴァンギャルド・ジャズ

カーロ・デローザ『Brain Dance』(Cuneiform Records、2009年)を聴く。

Carlo DeRosa (b)
Mark Shim (ts)
Vijay Iyer (p, key)
Justin Brown (ds)

目当てはいくつかあった。

カーロ・デローザのカッチョいいベーステク。宇宙遊泳的なジャスティン・ブラウンのドラムス。尖がったヴィジェイ・アイヤーのピアノとキーボード。

で、ぜんぶ一応は聴けるのだけれど、驚くほどつまらない。以上。

●カーロ・デローザ
ジーン・ジャクソン(Trio NuYorx)『Power of Love』(JazzTokyo)


滝田ゆう『下駄の向くまま』

2018-05-16 19:35:58 | 関東

神楽坂のクラシコ書店に足を運ぶといつも閉まっていて、先日、ようやく入ることができた。想像通りステキな古書店で、ほどよく整理されている。しばらく悩んで、2冊をわがものにした。そのうちの1冊、滝田ゆう『下駄の向くまま 新東京百景』(講談社、1978年)。

東京の盛り場や渋い町を散歩し、そのまま飲むだけのエッセイである。だけ、なのだが、もちろん面白いのだ。自由になったらいくつか健在の飲み屋に行こう。どじょうは別に食べなくてもよいのだけれど。

やはり、滝田ゆうの絵を味わうには単行本くらいでないと物足りない。たとえば、合羽橋商店街の奥行きの表現力といったら素晴らしいものだ。今回じろじろと観察していて、意外に建物の線がよれておらず真っすぐだということを発見した。よれるのはマチエールであり気持ちなのである。

ところでもうひとつ発見。旧赤線の洲崎パラダイスの入り口あたりに洲崎橋があったわけだが、いままで、あのへんだろうと漠然としか思っていなかった。実はよく行くインド料理店のカマルプールのすぐ向こう側だということがわかった。なお橋が架けられた川は、滝田ゆうが訪れたときには水が流れず草ぼうぼうであり、いまは緑道になっている。

●滝田ゆう
滝田ゆう展@弥生美術館


マカヤ・マクレイヴン『Highly Rare』

2018-05-16 18:52:44 | アヴァンギャルド・ジャズ

マカヤ・マクレイヴン『Highly Rare』(International Anthem、2016年)を聴く。

Makaya McCraven (ds)
Junius Paul (bass g)
Nick Mazzarella (as)
Ben Lamar Gay (cor, diddley bow, voice)
with cameos by
Gira Dahnee (background voice)
LeFtO (turntables)

2016年11月、シカゴのDanny's Tavernというライヴスポットに、LeFtOのDJをサポートするという形でシカゴの面々(International Anthemオールスターズ)が入ったときの記録。もとはカセットテープでリリースされている。

確かに異様にカッコ良くてずっと聴いていても快感物質が分泌されまくる。ドープ、クール、コミューン的、民族音楽的、まあ何でもいいのだけど。それにDJイヴェントでの生演奏でアガることだってもう珍しくもないのだけど。オーネット・コールマンのモロッコとの出逢いを追体験しているみたいだ。

このサウンドや、ここにも参加しているベン・ラマー・ゲイのサウンドなどが中核となって、従来の文脈でのシカゴのジャズとどう結びついてどんな異形生命体となっていくのかに興味がある。

●ベン・ラマー・ゲイ
ベン・ラマー・ゲイ『Downtown Castles Can Never Block The Sun』(-2018年)
マシュー・ルクス(Communication Arts Quartet)『Contra/Fact』(-2017年)
ジェイミー・ブランチ『Fly or Die』(-2017年)