Sightsong

自縄自縛日記

沼田順+照内央晴+吉田隆一@なってるハウス

2018-05-07 07:20:23 | アヴァンギャルド・ジャズ

昼のなってるハウス(2018/5/6)。

Jun Numata 沼田順 (g, electronics)
Hisaharu Teruuchi 照内央晴 (p)
Ryuichi Yoshida 吉田隆一 (bs)

ぱっと見た時点でえええと笑ってしまったメンバー。これは目撃しないわけにはいかない、と、入院中の病院から抜け出して駆けつけた。何でも仕掛け人は沼田社長(この日、ぎっくり腰)。

ファーストセットから面白い。照内さんはピアノでピアノとして参入するが、そのうちになぜか眼鏡をふっ飛ばしてしまい、足許にも見つからず続行。しかし横のふたりの音に恍惚としているように見える。そしてプリペアドへと移行し、沼田さんとともに割れた音でナマ音感のバリトンサックスを挟むような構造になった。

セカンドセットでは、事前に「意外とメロディアスだったのでめちゃくちゃにしよう」という協議があったらしい。照内さんは最初から内部になにやら放り込みまくり、うちわで扇ぎ、もっと割れた。吉田さんのバリサクにはめちゃくちゃさによってさらに火が点いたようで、ウェットなマシンガンと化し、ひたすら吹き続けた。沼田さんのエレクトロニクスも暴走が面白いのだが、さらに面白いことは、天気予報のアナウンスなどのサンプリングによって収束を目指す先が、なぜか夕陽のあたる昭和の街角になっていることであった。

●沼田順
中村としまる+沼田順『The First Album』(2017年)
RUINS、MELT-BANANA、MN @小岩bushbash(2017年)
内田静男+橋本孝之、中村としまる+沼田順@神保町試聴室(2017年) 

●照内央晴
『終わりなき歌 石内矢巳 花詩集III』@阿佐ヶ谷ヴィオロン(2018年)
Cool Meeting vol.1@cooljojo(2018年)
Wavebender、照内央晴+松本ちはや@なってるハウス(2018年)
フローリアン・ヴァルター+照内央晴+方波見智子+加藤綾子+田中奈美@なってるハウス(2017年)
ネッド・マックガウエン即興セッション@神保町試聴室(2017年)
照内央晴・松本ちはや《哀しみさえも星となりて》 CD発売記念コンサートツアー Final(JazzTokyo)(2017年)
照内央晴+松本ちはや、VOBトリオ@なってるハウス(2017年)
照内央晴・松本ちはや『哀しみさえも星となりて』@船橋きららホール(2017年)
照内央晴・松本ちはや『哀しみさえも星となりて』(JazzTokyo)(2016年)
照内央晴「九月に~即興演奏とダンスの夜 茶会記篇」@喫茶茶会記(JazzTokyo)(2016年)
田村夏樹+3人のピアニスト@なってるハウス(2016年)

●吉田隆一
藤井郷子オーケストラ東京@新宿ピットイン(2018年)
MoGoToYoYo@新宿ピットイン(2017年)
秘宝感とblacksheep@新宿ピットイン(2012年)
『blacksheep 2』(2011年)
吉田隆一+石田幹雄『霞』(2009年)


川島誠+齋藤徹@バーバー富士(JazzTokyo)

2018-05-06 11:24:09 | アヴァンギャルド・ジャズ

バーバー富士における川島誠・齋藤徹デュオ(2018/4/9)のレビューを、JazzTokyo誌に寄稿しました。

#1010 川島誠×齋藤徹

Makoto Kawashima 川島誠 (as)
Tetsu Saitoh 齋藤徹 (b)

●川島誠
2017年ベスト(JazzTokyo)
川島誠@川越駅陸橋(2017年)
むらさきの色に心はあらねども深くぞ人を思ひそめつる(Albedo Gravitas、Kみかる みこ÷川島誠)@大久保ひかりのうま(2017年)
#167 【日米先鋭音楽家対談】クリス・ピッツィオコス×美川俊治×橋本孝之×川島誠(2017年)
川島誠『Dialogue』(JazzTokyo)(2017年)
Psychedelic Speed Freaks/生悦住英夫氏追悼ライヴ@スーパーデラックス(2017年)
川島誠+西沢直人『浜千鳥』(-2016年)
川島誠『HOMOSACER』(-2015年)

●齋藤徹
DDKトリオ+齋藤徹@下北沢Apollo(2018年)
齋藤徹+喜多直毅@板橋大山教会(2018年)
齋藤徹+喜多直毅+外山明@cooljojo(2018年)
かみむら泰一+齋藤徹@本八幡cooljojo(2018年)
齋藤徹+喜多直毅+皆藤千香子@アトリエ第Q藝術(2018年)
2017年ベスト(JazzTokyo)
即興パフォーマンス in いずるば 『今 ここ わたし 2017 ドイツ×日本』(2017年)
『小林裕児と森』ライヴペインティング@日本橋三越(2017年)
ロジャー・ターナー+喜多直毅+齋藤徹@横濱エアジン(JazzTokyo)(2017年)
長沢哲+齋藤徹@東北沢OTOOTO(2017年)
翠川敬基+齋藤徹+喜多直毅@in F(2017年)
齋藤徹ワークショップ特別ゲスト編 vol.1 ミシェル・ドネダ+レ・クアン・ニン+佐草夏美@いずるば(2017年)
齋藤徹+喜多直毅@巣鴨レソノサウンド(2017年)
齋藤徹@バーバー富士(2017年)
齋藤徹+今井和雄@稲毛Candy(2017年)
齋藤徹 plays JAZZ@横濱エアジン(JazzTokyo)(2017年)
齋藤徹ワークショップ「寄港」第ゼロ回@いずるば(2017年)
りら@七針(2017年)
広瀬淳二+今井和雄+齋藤徹+ジャック・ディミエール@Ftarri(2016年)
齋藤徹『TRAVESSIA』(2016年)
齋藤徹の世界・還暦記念コントラバスリサイタル@永福町ソノリウム(2016年)
かみむら泰一+齋藤徹@キッド・アイラック・アート・ホール(2016年)
齋藤徹+かみむら泰一、+喜多直毅、+矢萩竜太郎(JazzTokyo)(2015-16年)
齋藤徹・バッハ無伴奏チェロ組曲@横濱エアジン(2016年)
うたをさがして@ギャラリー悠玄(2015年) 
齋藤徹+類家心平@sound cafe dzumi(2015年)
齋藤徹+喜多直毅+黒田京子@横濱エアジン(2015年)
映像『ユーラシアンエコーズII』(2013年)
ユーラシアンエコーズ第2章(2013年)
バール・フィリップス+Bass Ensemble GEN311『Live at Space Who』(2012年)
ミシェル・ドネダ+レ・クアン・ニン+齋藤徹@ポレポレ坐(2011年)
齋藤徹による「bass ensemble "弦" gamma/ut」(2011年)
『うたをさがして live at Pole Pole za』(2011年)
齋藤徹『Contrabass Solo at ORT』(2010年)
齋藤徹+今井和雄『ORBIT ZERO』(2009年)
齋藤徹、2009年5月、東中野(2009年)
ミシェル・ドネダと齋藤徹、ペンタックス43mm(2007年)
齋藤徹+今井和雄+ミシェル・ドネダ『Orbit 1』(2006年)
明田川荘之+齋藤徹『LIFE TIME』(2005年)
ミシェル・ドネダ+レ・クアン・ニン+齋藤徹+今井和雄+沢井一恵『Une Chance Pour L'Ombre』(2003年)
往来トリオの2作品、『往来』と『雲は行く』(1999、2000年)
齋藤徹+ミシェル・ドネダ+チョン・チュルギ+坪井紀子+ザイ・クーニン『ペイガン・ヒム』(1999年)
齋藤徹+ミシェル・ドネダ『交感』(1999年)
齋藤徹+沢井一恵『八重山游行』(1996年)
久高島で記録された嘉手苅林昌『沖縄の魂の行方』、池澤夏樹『眠る女』、齋藤徹『パナリ』(1996年)
ミシェル・ドネダ+アラン・ジュール+齋藤徹『M'UOAZ』(1995年)
ユーラシアン・エコーズ、金石出(1993、1994年)
ジョゼフ・ジャーマン 


DDKトリオ『Cone of Confusion』(JazzTokyo)

2018-05-06 11:19:45 | アヴァンギャルド・ジャズ

JazzTokyo誌に、DDKトリオ『Cone of Confusion』(Bruit / Sound & Site Specific Activities、2017年)のレビューを寄稿しました。

#1515 『Demierre – Dörner – Kocher / Cone of Confusion』

Jacques Demierre (p)
Axel Dörner (tp)
Jonas Kocher (accordion)

●アクセル・ドゥナー
DDKトリオ+齋藤徹@下北沢Apollo(2018年)
DDKトリオ@Ftarri(2018年)
アクセル・ドゥナー+村山政二朗@Ftarri(2018年)
PIP、アクセル・ドゥナー+アンドレアス・ロイサム@ausland(2018年)
「失望」の『Lavaman』(2017年)
「失望」の『Vier Halbe』(2012年)
アクセル・ドゥナー+オッキュン・リー+アキム・カウフマン『Precipitates』(2011、-13年)
アレクサンダー・フォン・シュリッペンバッハ『ライヴ・イン・ベルリン』(2008年)
アクセル・ドゥナー + 今井和雄 + 井野信義 + 田中徳崇 『rostbestandige Zeit』(2008年)
『失望』の新作(2006年) 

●ジャック・ディミエール
DDKトリオ+齋藤徹@下北沢Apollo(2018年)
DDKトリオ@Ftarri(2018年)
広瀬淳二+今井和雄+齋藤徹+ジャック・ディミエール@Ftarri(2016年)

●ヨナス・コッハー
DDKトリオ+齋藤徹@下北沢Apollo(2018年)
DDKトリオ@Ftarri(2018年) 


藤井郷子オーケストラベルリン『Ninety-Nine Years』(JazzTokyo)

2018-05-06 11:12:47 | アヴァンギャルド・ジャズ

JazzTokyo誌に、藤井郷子オーケストラベルリン『Ninety-Nine Years』(Libra Records、2017年)のレビューを寄稿しました。

#1516 『藤井郷子オーケストラベルリン / Ninety-Nine Years』

Satoko Fujii Orchestra Berlin:
Matthias Schubert, Gebhard Ullmann (ts)
Paulina Owczarek (bs)
Richard Koch, Lina Allemano, Natsuki Tamura (tp)
Matthias Müller (tb)
Jan Roder (b)
Michael Griener, Peter Orins (ds)

●藤井郷子
MMM@稲毛Candy(2018年)
藤井郷子オーケストラ東京@新宿ピットイン(2018年)
晩夏のマタンゴクインテット@渋谷公園通りクラシックス
(2017年)
This Is It! @なってるハウス(2017年)
田村夏樹+3人のピアニスト@なってるハウス(2016年)
藤井郷子『Kitsune-Bi』、『Bell The Cat!』(1998、2001年)

●マティアス・シューベルト
7 of 8 @ Jazzkeller 69(2018年)


アダム・ラーション『Second City』

2018-05-05 19:17:56 | アヴァンギャルド・ジャズ

アダム・ラーション『Second City』(Inner Circle Music、2017年)を聴く。

(bandcampのジャケット画像では『Tale of Two Cities』となっているがいいのかな)

Adam Larson (sax)
Rob Clearfield (p)
Clark Somers (b)
Jimmy Macbride (ds)

2015年にNYのsmallsで知らずにこの人を聴いたところ、自信満々の堂々としすぎるくらいのプレイに驚いてしまった。ファビアン・アルマザン、ルディ・ロイストンという実力者を控えてアルトを鳴らし切っていた。日本では無名に近いが、たぶんまだ20代後半である。

ここでもほとんどオリジナル曲を吹き鳴らしている。テクは完璧で見るからにプライドが高そうなのも無理はない(邪推だけど)。こんなどジャズを聴くと嬉しくなる。わたしもまた若いときからアルトを真面目にやりなおせるなら、こんな風に吹いてみたい(あるいはアーニー・ヘンリーのように)。

●アダム・ラーション
アダム・ラーション@Smalls(2015年)


スリランカの映像(12) レスター・ジェームス・ピーリス『Madol Duwa』

2018-05-05 15:07:07 | 南アジア

スリランカの巨匠映画作家レスター・ジェームス・ピーリスが99歳で亡くなった(2018/4/29)。

かれの作品はなかなか観る機会がなく、また日本では限られた特集上映(福岡アジア美術館など)でいくつかの作品が上映されたのみである。わたしも2本しか観ていないのだが、あらためて探すと英語字幕版の『Madol Duwa』(1976年)を見つけることができた。

スリランカ南部の村。少年が小さいころに母親が亡くなってしまい、それを機にすっかり悪ガキ仲間とつるむようになる。俺たちはヴェッダー(スリランカの少数民族)だと名乗って、父親の再婚相手を茶化していた女の人に矢を射ったり。ナッツの農場に侵入して盗みを働いたり。両親が手を焼いて別の人に預けるのだが、そこからも逃げ戻る始末。ついにはどうしようもなくなり、「Madol Duwa」(映画字幕ではDoovaとなっているがWikipediaの表記に従う)という島に渡る。そこは未開拓の島で、かれは生き返ったように開墾に力を貸す。そして父の命が短いことを新聞で知り、故郷に戻る。

やはり巨匠ならではの、ジャン・ルノワールにも共通するようなのほほんとした余裕のある演出。故郷に逃げ帰るときに乗せてもらう小舟の周りを魚が飛び跳ねる場面など、見惚れる。また少年のどうしようもなく身動きの取れない心にも、つい感情移入してしまう。

原作はスリランカの作家マーティン・ウィクラマシンハの同名小説(1947年)である。この作家の作品は、『蓮の道』の邦訳を読んだのみだが、ストイックな主人公のよくわからなさが印象的だった。ティッサ・アベーセーカラという人により映画化されており観たいのだが、まだ機会がない(いちどネットで見つけたのだが観る前に消去されていた)。

ピーリスの映画を、追悼上映などで観ることができるだろうか。

>> Madol Duwa

●レスター・ジェームス・ピーリス
スリランカの映像(11) レスター・ジェームス・ピーリス『湖畔の邸宅』(2002年)
スリランカの映像(8) レスター・ジェームス・ピーリス『ジャングルの村』(1980年)


マーク・リボー(セラミック・ドッグ)『YRU Still Here?』

2018-05-05 10:07:26 | アヴァンギャルド・ジャズ

マーク・リボーのセラミック・ドッグによる新譜『YRU Still Here?』(Northern Spy、-2018年)を聴く。

Marc Ribot (g, requinto, farfisa, b, e♭ horn, vocoder, vocals)
Shahzad Ismaily (b, Moog, perc, background vo, vo in Urdu)
Ches Smith (ds, perc, electronics, background vo)

予想を大きく上回る迫力のアヴァンロック・ノイズ・ジャズサウンド。ひたすら大音量で流しているだけでも頭が麻痺しカッチョいい。

しかしそれはそれとして、本盤は怒りを充満させたプロテストなのだ。「Pennsylvania 6 6666」では、シャザード・イズマイリーが生まれ育ったペンシルベニアの街の記憶を語る。白人のガキどもに囲まれて、かれらはグレン・ミラーを聴いていたりもして、そんな環境の狂気と疎外感。タイトル曲の「YRU Still Here?」では、中東的なコードに乗せて、「Why you still here?」「Why still here?」と繰り返す。もちろんどこに居てもいいのだ。その腹の中には鬱積した怒りがあっただろう。そして続く「Muslim Jewish Resistance」では、「Muslim Jewish, we say never again!」と、昔から繰り返し使われてきた常套句を。

リボーはこのように話している。排他的な動きのエスカレートに対する警戒とも言うことができる。「"Beyond being a disaster for those deported, imprisoned and living in fear, ICE is building a mass extra-legal prison system into which detainees may disappear without notice, and an armed force of agents who tear apart families and violate international human rights law on a daily basis,” Ribot said. “Does anyone believe that those carrying this out will suddenly refuse to follow orders just because the victims happen to be citizens?”」(『Downbeat』誌、2018/2/22

同様の観点で、ヴィジェイ・アイヤー『In What Language?』(2003年)も参照できるのかな。

10曲目の「Freak Freak Freak On The Peripherique」では、それまでロック的にびしばし叩いていたチェス・スミスがさすがの小技も見せたりしてノリノリ。

できればブルーノート東京の公演に行こう。

●マーク・リボー
ロイ・ナサンソン『Nearness and You』(2015年)
マーク・リボーとジョルジォ・ガスリーニのアルバート・アイラー集(2014年、1990年)
ジョン・ゾーン『Interzone』 ウィリアム・バロウズへのトリビュートなんて恥かしい(2010年)
製鉄の映像(2)(ジョゼフ・コーネル『By Night with Torch and Spear』(1940年代))


フリン・ヴァン・ヘメン『Drums of Days』

2018-05-04 20:26:15 | アヴァンギャルド・ジャズ

フリン・ヴァン・ヘメン『Drums of Days』(Neither/Nor Records、2014年)を聴く。

Todd Neufeld (g)
Eivind Opsvik (b)
Flin van Hemmen (p, ds)
Tony Malaby (ts, ss) (2)
Eliot Cardinaux (Poem) (4) 

驚くほどに静かで考え抜かれた音である。これはもちろんメンバーの力量と方向性とがあってこそだ。

フリン・ヴァン・ヘメンは決して奇抜だったりことさらに目立とうとする音は出さない。ピアノにおいても、ドラムスにおいてもである。この感覚は蓮見令麻さんが本盤のレビューに書いている通りである。一聴、かれの独特さには気が付かない。しかし耳をそばだててみると、自然環境に溶け合って、アンビエントなサウンドを創りだしていることがよくわかる。気持ちいいというのか、哀しいというのか。

このことはトッド・ニューフェルドのギターについても言うことができる。考え抜いた音「しか」出さない人に違いない。また、アイヴィン・オプスヴィークのサウンドへの融合もさすがである。この中に1曲のみ参加するトニー・マラビーも然りだ。

このサウンドを物足りないと言ってはならない。聴けば聴くほど自分の動悸に気付かされるようなアルバムである。

●フリン・ヴァン・ヘメン
『While We Still Have Bodies』(2016年)
While We Still Have Bodies@Children's Magical Garden(2015年)


ティム・バーン+マット・ミッチェル『Angel Dusk』

2018-05-04 14:09:07 | アヴァンギャルド・ジャズ

ティム・バーン+マット・ミッチェル『Angel Dusk』(tim's tunes/party music、2017年)を聴く。

Tim Berne (as)
Matt Mitchell (p)

なるほどこのようにサウンドが変化するのかとちょっと感激。

バーンとミッチェルとはともに複雑なコンポジション(ミッチェルのソロピアノによる『Forage』と同じくバーンによるものだろうか)をひたすらに追及し、その執念とそこからの逸脱とにひやひやさせられる。シンプルであるだけになおさらだ。

バーンのアルトはSnakeoilなどのグループにおける演奏とはやや違い、裏声的な音色も含め、ダークにうねる。もっと爪をたてた猛禽類のように動くことができたのは、Snakeoilなどグループの中における存在だったからかもしれない。

そして知的でスリムに輝くミッチェルのピアノ。その、バーンとつかず離れずのラインが素晴らしい。ときにソロにもなり、たとえばネイト・チネンのレビューにあるように、6:40-7:15あたりのピアノソロは緊張のなかの別の緊張を創りだしている。

●ティム・バーン
ティム・バーン Snakeoil@Jazz Standard(2017年)
イングリッド・ラブロック UBATUBA@Cornelia Street Cafe(2015年)
ティム・バーン『Incidentals』(2014年)
イングリッド・ラブロック『ubatuba』(2014年)
ティム・バーン『You've Been Watching Me』(2014年)
ティム・バーン『Shadow Man』(2013年)
チェス・スミス『International Hoohah』(2012年)
ティム・バーン『Electric and Acoustic Hard Cell Live』(2004年)
ティム・バーン『The Sublime and. Science Fiction Live』(2003年)
ティム・バーン+マルク・デュクレ+トム・レイニー『Big Satan』(1996年)
ジョン・ゾーン『Spy vs. Spy』(1988年)
ジュリアス・ヘンフィルのBlack Saintのボックスセット(1977-93年)

●マット・ミッチェル
マット・ミッチェル『A Pouting Grimace』(2017年)
2017年ベスト(JazzTokyo)
ティム・バーン Snakeoil@Jazz Standard(2017年)
マリオ・パヴォーン『chrome』(2016年)
クリス・デイヴィス『Duopoly』(2015年)
マット・ミッチェル『Vista Accumulation』(2015年)
ティム・バーン『Incidentals』(2014年)
マリオ・パヴォーン『Blue Dialect』(2014年)
ティム・バーン『You've Been Watching Me』(2014年)
ティム・バーン『Shadow Man』(2013年)


メアリー・ハルヴァーソン『Code Girl』

2018-05-04 08:37:22 | アヴァンギャルド・ジャズ

メアリー・ハルヴァーソン『Code Girl』(Firehouse 12 Records、2016年)を聴く。

Amirtha Kidambi (vo)
Ambrose Akinmusire (tp)
Mary Halvorson (g)
Michael Formanek (b)
Tomas Fujiwara (ds)

メアリー・ハルヴァーソンが詩を書き、それをアミリタ・キダンビが歌う。本盤が録音されたのと同じ2016年にThe Jazz Gallryでこけら落としのライヴが行われ、そのレビューを書いたシスコ・ブラッドリーによれば彼女がヴォーカルと共演したり詩を書いたりするのははじめてだとあるが、いま考えると、PEOPLEの3枚のことを忘れていたのではないかな(わたしも翻訳時にはPEOPLEを未聴で気付かなかった)。

それはさておき、なかなか独特で良いグループだ。ジャズ感覚はプレイヤーの色によるもので半分。縦ノリでその上でのユニゾンと逸脱により快感を生み出している時間も多々ある。グロテスクでガーリーなポップス感もある。よろすずさんたちはチェンバーロック的な側面について発言していた。上記シスコさんのレビューでは「各々のメンバーが自身の声を展開し、直接、お互いを信頼しつつ応答し、そこかしこで即座に合体するという、緊密な連携である。」と書いており共感する。

メアリーはリズムと音程とを意図的に過激に歪ませる。今後フォロアーも増えてきそうなものだがどうだろう。マイケル・フォルマネク、トマ・フジワラの個性も聴きとることができる。そして何よりもアンブローズ・アキンムシーレである。いつものフォーマットでなくてもかれのトランペットの音は濃密で知的、だからと言ってせせこましくなくて外に開かれている。3年前にトム・ハレルと並んで吹くところを観たが、それはもう対照的で動悸がするほどのものだった。「Code Girl」のトランぺッターは都合によってアダム・オファリルに替わったりもしているようだが(今月のVision Festivalに行く予定だった・・・)、やはりアキンムシーレを観たい。

●メアリー・ハルヴァーソン
トム・レイニー・トリオ@The Jazz Gallery(2017年)
メアリー・ハルヴァーソン『Paimon: Book Of Angels Volume 32』(2017年)
トマ・フジワラ『Triple Double』(2017年)
メアリー・ハルヴァーソン『Away With You』(2015年)
イングリッド・ラブロック、メアリー・ハルヴァーソン、クリス・デイヴィス、マット・マネリ @The Stone(2014年)
『Illegal Crowns』(2014年)
トマ・フジワラ+ベン・ゴールドバーグ+メアリー・ハルヴァーソン『The Out Louds』(2014年)
メアリー・ハルヴァーソン『Meltframe』(2014年)
アンソニー・ブラクストン『Ao Vivo Jazz Na Fabrica』(2014年)
イングリッド・ラブロック(Anti-House)『Roulette of the Cradle』(2014年)
『Plymouth』(2014年)
PEOPLEの3枚(-2005、-07、-14年)
トム・レイニー『Hotel Grief』(2013年)
チェス・スミス『International Hoohah』(2012年)
イングリッド・ラブロック(Anti-House)『Strong Place』(2012年)
イングリッド・ラブロック『Zurich Concert』(2011年)
メアリー・ハルヴァーソン『Thumbscrew』(2013年)
ウィーゼル・ウォルター+メアリー・ハルヴァーソン+ピーター・エヴァンス『Mechanical Malfunction』(2012年)
ステファン・クランプ+メアリー・ハルヴァーソン『Super Eight』(2011年)
ウィーゼル・ウォルター+メアリー・ハルヴァーソン+ピーター・エヴァンス『Electric Fruit』(2009年)
アンソニー・ブラクストン『Trio (Victoriaville) 2007』、『Quartet (Mestre) 2008』(2007、08年)


キース・ティペット『The Nine Dances Of Patrick O'Gonogon』

2018-05-03 10:45:40 | アヴァンギャルド・ジャズ

キース・ティペット『The Nine Dances Of Patrick O'Gonogon』(Diucus Music、2014年)を聴く。

Fulvio Sigurta (tp, flh)
Sam Mayne (as, ss, cl, fl)
James Gardiner-Bateman (as, fl)
Kieran Mcleod (tb)
Rob Harvey (tb)
Tom McCredie (b)
Peter Fairclough (ds, perc)
Keith Tippett (p)
Julie Tippetts (voice, lyrics)

どうやらキース・ティペットが心臓発作と肺炎とで苦しんでおり、本盤の売却収益がすべて本人のもとにいくとある。それもあるし、もとよりティペットは特別なピアニストでもあるから、bandcampでデジタルアルバムを購入した。

あらためて現在のかれの演奏を聴いてみると、プリペアドピアノを駆使し、執拗な低音と轟音の繰り返しによって独自の世界を構築したときのサウンドとは違う。作曲とアンサンブルを重視し、その中で本人のソロも聴かせる形である。かつて、とは言え、1997年に法政大学で、また2003年に新宿ピットインで観たときのそのような姿はあくまでソロなのであり、そんなに昔のことではない(そのあとにも再来日したはずだ)。

むしろ別のティペットの魅力に触れられるというべきか。それに予見をもって聴いたからティペットらしさの記憶との違いが気になるのであって、それなしに接してみれば、曲の中で浮上してくるティペットのピアノはやはり良い。キースと同い年のジュリーも1曲で歌っており嬉しい。

●キース・ティペット
キース・ティペット@新宿ピットイン(2013年)
キース・ティペット+アンディ・シェパード『66 Shades of Lipstick』(1990年)
ルイス・モホロ+ラリー・スタビンス+キース・ティペット『TERN』(1982年)
キース・ティペットのソロピアノ(1981-94年)
キース・ティペット『Ovary Lodge』
(1973年)


石田幹雄『時景』

2018-05-02 13:44:37 | アヴァンギャルド・ジャズ

石田幹雄『時景』(GAIA Records、2017年)を聴く。ようやくライヴ会場で入手した。

Mikio Ishida 石田幹雄 (p)

石田幹雄はいつもそのたびに、新たな言語を生み出す。ドゥルーズ=ガタリふうに言えば新たな数列を創出する。和音のchord、言説やルールの論理が依って立つcodeのいずれのコードをもその場で作りだす。

その状況証拠がライヴでの苦悶し苦闘しながらの演奏だ。この珠玉の、あまりにも美しく、文字通り独自のピアノの音は、それなくしてはこの世で形にならなかった。本盤でも石田さんの声が背後に聴こえてくる。定さんが「彼がどれほど苦しげに音を絞り出しているか、一つの音を生み出すためにどれほど全身全霊を傾けているか、その目で確かめてほしい。」と書く通りである(>> JazzTokyoにおけるレビュー)。

どの一部分、どの断面も何にも似ていない。

●石田幹雄
松風鉱一カルテット+石田幹雄@新宿ピットイン(2018年)
齋藤徹 plays JAZZ@横濱エアジン(JazzTokyo)(2017年)
後藤篤『Free Size』(2016年)
松風鉱一カルテット+石田幹雄@新宿ピットイン(2016年)
田村夏樹+3人のピアニスト@なってるハウス(2016年)
松風鉱一カルテット+石田幹雄@新宿ピットイン(2015年)
5年ぶりの松風鉱一トリオ@Lindenbaum(2013年)
纐纈雅代 Band of Eden @新宿ピットイン(2013年)

松風鉱一カルテット@新宿ピットイン(2012年)
寺田町の映像『風が吹いてて光があって』(2011-12年)
吉田隆一+石田幹雄『霞』(2009年)
石田幹雄トリオ『ターキッシュ・マンボ』(2008年)


『While We Still Have Bodies』

2018-05-02 10:35:43 | アヴァンギャルド・ジャズ

『While We Still Have Bodies』(Neither/Nor Records、2016年)を聴く。

CDで聴きたかったのだけど、昨年末に来日したベン・ガースティンに訊くと、持ってくるのを忘れてしまった、と。あまり動けない機会でもあるし、bandcampのデジタルアルバムで。

Ben Gerstein (tb, radio, cell phone)
Sean Ali (b, cassette player)
Michael Foster (ts, ss, cassette player)
Flin van Hemmen (perc, mp3 player)

本盤が録音された前年の2015年に屋外でのライヴを観たときには、マイケル・フォスターとベン・ガースティンの管楽器ふたりによるトリッキーな演奏に注目していた。フォスターの声は多彩で、サックスを地面に付けて吹いたり、ペットボトルを朝顔に入れたり(本盤でも水がぶくぶくいう音はかれによるものか)。ガースティンもやはりトロンボーンという楽器に縛り付けられないユニークな演奏であり、フォスターと一緒に口琴を弾いたりもした。

ここでもその印象は強くなるのだが、一方、そのときには脇役的に視ていたショーン・アリのベースとフリン・ヴァン・ヘメンのドラムスもかれら同様にユニークだと思えた。何しろ、ガースティンに、前観たけどそのときはヘメンじゃなかったよねと言ってそりゃ誤解だと完全否定されたくらい。

アリのサウンドへの関わりはかなり繊細なもので、音色は幅広い。フォスターらの発する音に即応している様子がよくわかる。また、ヘメンのドラムスはこれ見よがしなものではなく、確かに蓮見令麻さんが書いたように、「音の手触りには深く自然な充足感がある」のだ。かれらの貢献があって、このバンドのサウンドが一聴人工的なものであっても、それが自然の中における人間の振る舞いだと感じられるものになったに違いない。

●参照
「JazzTokyo」のNY特集(2017/4/1)(マイケル・フォスター+リチャード・カマーマンの「The New York Review of Cocksucking」)
「JazzTokyo」のNY特集(2016/5/1)(マイケル・フォスター+レイラ・ボルドレイユ『The Caustic Ballads』)
While We Still Have Bodies@Children's Magical Garden(2015年)
イングリッド・ラブロック UBATUBA@Cornelia Street Cafe(2015年)
イングリッド・ラブロック『ubatuba』(2014年)


宝示戸亮二のピアノソロ3枚組

2018-05-01 20:20:41 | アヴァンギャルド・ジャズ

宝示戸亮二のピアノソロ3枚を収めたボックスセットを聴く。

Ryoji Hojito 宝示戸亮二 (p, small instruments, voice, etc.)

『A Man from the East: Solo Piano in Russia 1993』(darko、1993-94年)は93年のモスクワとノボシビルスクでの演奏に加え、モスクワからかなり離れた町での調律もされていないピアノを使った94年演奏を収めたミニCDが付いている。『Pliocine: Live at Tampere Jazz Happening 1998』(darko、1998年)はフィンランドにおける演奏。『Aciu! Live at Vilnius Jazz Festival 1999』(darko、1999年)はリトアニアにおける演奏。

おもちゃをひっくり返したような演奏(というか、文字通りおもちゃを使ったプリペアド演奏)により、実際に焦点がばらばらにされる。その中から童歌や抒情をつまみ出すような瞬間はたまらない。サウンドは小さくも大きくもあって、かなり惹かれる。

昔からいちどはナマで観たかった人だが、なかなか好機が訪れなかった。今年になり同じ北海道の吉田野乃子さんと共演していて、その記事を読んで驚いた。1990年にデイヴィッド・モスとツアーで共演したというのだ。知らなかった。録音があれば聴いてみたいところ。