洲本城址
2021年08月21日 | 城
洲本城址へ。
雨雲レーダーを見ると激しい雨を降らせそうな雨雲が接近中。急いで登りました。
洲本城址案内図
年表
洲本城は1526年に三好氏の重臣・安宅治興が築城。治興の後は養子安宅冬康(三好長慶弟)、冬康死後は長男信康、
二男清康へ受け継がれ、1581年の淡路討伐の際に総大将羽柴秀吉に降り、城は仙石秀久に与えられた。
しかし秀久は九州征伐の際に軍律違反を犯して高野山へ追放され、かわって脇坂安治が城主となり、天守が造営された。
一旦廃城になった後に再び洲本城が使われることになり、江戸時代になると山の上では不便ということで山の下に
堀を作って「下の城」として活用されたらしいです。
大手門の石垣
石垣はしっかりと残っています。
模擬天守 模擬天守の中では最も古く、昭和3年に作られたようです。
洲本・大浜方面
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洲本城は1526年に三好氏の重臣・安宅治興が築城。治興の後は養子安宅冬康(三好長慶弟)、冬康死後は長男信康、
二男清康へ受け継がれ、1581年の淡路討伐の際に総大将羽柴秀吉に降り、城は仙石秀久に与えられた。
しかし秀久は九州征伐の際に軍律違反を犯して高野山へ追放され、かわって脇坂安治が城主となり、天守が造営された。
一旦廃城になった後に再び洲本城が使われることになり、江戸時代になると山の上では不便ということで山の下に
堀を作って「下の城」として活用されたらしいです。
大手門の石垣
石垣はしっかりと残っています。
模擬天守 模擬天守の中では最も古く、昭和3年に作られたようです。
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