すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

桜待つ、逸る心

2021年04月13日 | 
 先日の夜、NHKBSで「生中継!一目千本、吉野の桜」という番組が放送された。今年の桜情報はある程度知っていたし、予想通りに盛りの過ぎた桜の姿だったし、一週間前は…といった映像が流れ、興味は半減した。もちろん、映像より本物であり、それを待てばいいのだが、なんとなく逸る気持ちがあり苦笑する。


 日本人と桜のつながりについては言い尽くされているが、「花といえば桜」を表すことがその象徴。「花見」の一語通りだ。手元に置いて時々見る『「歳時記」の真実』(石寒太)には、「さくら」の語源が記されていた。「『さくら』の『さ』は田の神の意、『くら』は、その依りどころ」つまり桜は「田の神の出現」なのだ。


 そう考えると、農耕社会と強く結びつく。しかし花を鑑賞するという文化が中国から伝わり、都を中心に「花見」が盛んになったそうで、西暦900年代には既に吉野山が桜の名所となっていたとされる。千年以上の時を超え、人の目と心を楽しませてくれる桜。よく言われるように「散る」美しさにも、人は共感する。


 写真を撮る者であれば、風物としての桜は見逃せない。全くの初心者からプロまで、ネットに挙げられている桜の写真はいったいどれほどあるのか。自分も写真中心のブログを設けていた時に、少しだけ載せている。役場のカレンダーに採用された一葉もある。せっかくカテゴリーにしたのだから、振り返ってみたい。



 今週末から、「今年の傑作」を目指して撮りはじめたい。自分自身で気分を盛り上げることが大事なので、データを見直しここにアップしてみよう。まずは、一昨年に撮った町内の川沿いの遊歩道の桜。これはお気に入りで、実は図書館のエントランスにこんな形で掲示した。人出と花粉に気をつけ今春も花を愛でたい。

桜を特化したいのは…

2021年03月08日 | 
 「桜は好きですか」というアンケートをとれば、日本人ならかなり高評価が出てくることは間違いない。理由は様々だろうけど、多くの人にとって小さい頃からの馴染みがある。大概の学校では敷地内に必ず在るといってよい。開花の時期には地域差があるが、行事や出来事に彩りを添える大きな役割も担ってきた。


 数えてみると、65年間のうち55年を「学校」という場で過ごしてきたことになる。大学はどうだったかおぼろげだが、毎年桜を見上げてきたと思う。しかし同じキャリアを持つ者も少なくない。桜を一つ特化したいと思うのは、単に思い入れに過ぎないだろう。還暦を迎える齢に、こんな文章を書いたこともあった。

さみしいから桜並木を撮る

 その文章にリンクしていた写真ページはもうない「最後の桜」と題した文章もここには載せていない。それらを何かしらの形で残したい気持ちが、こうしたカテゴリーを作らせたのだろう。まったくの素人写真とはいえ、いくつか印象深いショットもある。その一つは10年前に撮った。実に、鮮やかに覚えている。


 M小での運動会前の練習。隣接する中学校のグラウンドで、子どもたちの活動する様子をカメラ片手に見ていた。横にある野球場に保育園の子どもたちが散歩にきていて、年長児は先生と一緒に揃って歩いている。そしてそれより小さい子たちがひと時、桜の大樹の下に腰をおろし微笑みながら、前を見つめていた
と、あったはずのこの写真がどこを探しても見つからない…まさしく整理下手の顛末に。