すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

「運動」とは、ねばり強さである。

2006年07月31日 | 読書
『運動論的学校づくり』(大森修著 明治図書)を読んだ。

 いつもながら、明快な主張にあふれている。
 表記の仕方なのだろうか若干文章が読みにくい箇所があったのだが
それでも、校長職としての「責任」と「課題」に正対している姿は揺らぎもしない。
 大森先生の明快さは、この文章一つでわかる。

      教育を語るときに使われる比喩は枚挙にいとまがないくらいである。
      比喩を使って語られている場合には、次のように考えたらよい。
      「ようするに、分からないのだ。」


 書かれている内容に関しては、県が違えども当面している問題がある。
 コンピュータ、安全管理、特別支援教育、一年生への対応等々ほとんどあてはまることが多い。
 しかし、「それらが課題となっているか」「課題への取り組みを考えているか」「動き出しているか」と問われれば、非常に心許ない現実とも言える。

 自らの非力さを棚に上げながら、この本の構成に一つの方向を見いだしている。
 最終章は「授業づくりの技術力」である。学力を保証するという、学校の核となる仕事へ校長としてどう動くか、が記されている。最後は「習慣化」を取り上げて終わることにその使命を感じた。
 何にしてもねばり強さが求められている。

「縦」を重んずる心

2006年07月29日 | 雑記帳
 モラロジーの研究会で野口芳宏先生のお話を聞いた。

 今回のテーマは「縦の道徳、横の道徳」。
「縦」と「横」の比較を、自然界のもの、熟語によるイメージの違いなどで押さえながら

 人間の生き方においては、基本的に「縦」が大事であり、「横」は附属であることを説かれた。

 これは教育も同様であり、縦の教育こそ中心であり、横は従であると強調された。歴史的な経緯と照らし合わせて「教育勅語」と「教育基本法」の精神を比べてみたとき、私たちが育ってきた戦後社会で縦と横のどちらが強調されてきたかは明確であり、その結果どうなっているかもまた明白であることは、言うまでもないことだった。

 そうした流れの中で、具体的な提言として「親孝行の復活」を掲げたことには納得がいった。そしてそれは、教育の「戦略」としても有効であるとともに、教育者としての立場の私たちの精神のあり方も同時に問うことになる、きわめて現実的で当事者性の強い提言、課題であったように思う。
 
 先生は自らの財布を開けて、ご両親の写真を入れてあることを示した。
 今までの先生のご著書の中に幾度も書かれている父母への恩は、そのような形でも日常化されている。
 
 わが師の深い懐に湛えられている水は、汲めども汲めども尽きないことを感じた。

「耳の鍛え」を、思い起こした

2006年07月28日 | 雑記帳
「教育の鉄人」杉渕鐵良氏(東京・五反野小)を迎えての研修会を持った。

 かつて、杉渕学級を参観したときの私なりの分析キーワード
「スピード」「バリェーション」「イメージ」が今回の講座でもフルに発揮されていて、
参加者の反応も大変よく主催者の一人として本当にいい内容になったことを喜んでいる。

 杉渕氏の言葉で今回特に印象に残ったのは、「耳の鍛え」である。
2月参観時の感想にその点について触れた者としては、非常にうなずくことが多かった。子どもたちの「聴く力」の衰えは知らず知らずのうちに進行しているかもしれない。杉渕氏がテレビのテロップの例を挙げたが、まさにその通りであると思った。
 学校現場でも似たような?ことが進行していないか。自分自身を振り返っても、多くの子をひきつけるためにパネルやカードという視覚情報を使うことが日常化している。そのことをプラスの教育的効果とばかり考え疑ってもこなかった気がする。

 もちろん担任外という立場で時々前に立つという設定の中でなら、それほどの重さはないかもしれないが、視覚情報を頼りにすることの意味づけは、この際突き詰めて考えるべきと思わされた。
 そういえば、担任をしていた時に「聴写」「暗写」という活動に取り組んだ授業を提示したとき、参観した指導主事から「鍛えの姿が見える」と誉められたこともあった。
 そのことを継続的に意識できなかったわが身の積み重ねの薄さも感じた。

夏休み「思い出先取り」短歌作り

2006年07月27日 | 教育ノート
夏休みが間近に迫った19日。
担任がお休みだったので、1時間もらってこんな学習を試みた。
4年生での活動である。


『もうすぐ夏休みだね。楽しみにしていることあるでしょう。どんなことが楽しみかな』
と問いかけて、次々に発表させる。

「地区での旅行」「キャンプ」「遊園地にいくこと」「プール」
等々、にこやかな顔での発表が続く。
ひとつひとつ板書していく。
ひと通り終わったら、目をつむらせその場面を想像させる。

目を開けさせたら、真面目な表情で言う。
『さて、皆さん。今目をつむっている間に、夏休みがぱっと終わってしまいました』
「エーッ、」と驚いてくれるよい子たちである。

「ほんとはもうすぐ始まる夏休みだけど、終わってしまい楽しい思い出があったなあ」
という気持ちで、想像して短歌を書くことを話す
(形式については、以前教え、一つ程度五七五七七に合わせて作った経験がある)

●想像して、夏休みの心に残る思い出を短歌にしよう

いくつかポイントを挙げ、板書する。

・板書されたことをてがかりに
・場所、人を入れてみよう
・色、音、声なども入れるとおもしろい
・読んでみてリズムがあれば「六」「八」もある
・もし全然考え付かなかったら「モデル」を出すので、真似してもよい

ここからは個人で作業。
結局10分経たないうちに全員が一つ目の作品を仕上げたので、
「モデル」は出さないまま、個別指導に切り替えた。

個別指導のポイントは、以下のようなことである。
・具体的な名前(人など)を入れてみたら、
・同じ言葉はなるべくつかわないほうがいいよ

遠足後に初めて作らせたときより、
かなりスムーズに楽しい作品が出来上がった。
多い子で5つ、全員が2つ以上作ったので
最後に自信作を読み上げさせて終わった。


遊園地フリーパスでのりほうだい
わたしのおすすめジェットコースター(N)

しんせきといっぱい遊んで楽しいよ
おひるごはんはかにとおすしだ (K)

夏の夜花火の色がきれいだな
パチパチパチと音がしている (M)

ドキドキのサマーコンサート
じゅんびしてきれいな音のえんそう会だ (Y)

もういやだすずしくなって、暑い夏
わすれてたなあプールに行こう (A)


縷述「つながる授業」その3

2006年07月25日 | 教育ノート
 学期末のふりかえりの時期、自分の授業チェックの視点として、①と②で書いたことを「(子どもと子どもが)つながる授業」の観点風にまとめてみると、以下のようになるでしょうか。

 □ 学習形態に変化をもたせることができたか
 □ 子どもの実態にあった指示を出すことができたか

 
 「形態」の方は振り返りが容易と思いますが、「指示」となるとさてどうだったか、難しいことかもしれません。毎日数時間行われる授業で、数多く出されるだろう指示を振り返ってみることは、授業そのものを総括すると言ってもいいことなのかもしれません。

 あくまで一つの考え方としてですが、ふだんの指示を思い起こすため、次のような区分で文章化してみました
(例 「23×3の計算の方法を考えよう」という課題をペアで話し合わせる設定)

 ①「計算の方法を話し合いなさい」(活動指示のみ)
 ②「23×3の答を求める方法を話し合いなさい」(ねらいに近づけていく指示)
 ③「23×3の答を求める方法を話し合って、二つ以上見つけなさい」(数を入れて目的化)
 ④「23×3の答を求める方法を話し合って、できるだけたくさん見つけなさい」(拡散思考)
 ⑤「計算の方法を話し合って、板書のような形でまとめなさい」(集約思考)
 
 自分だったらどんなパターンが多いか、それはどうしてか…日常の授業の点検としても有効かと思います。

夏を迎える心

2006年07月24日 | 教育ノート
一学期最後の学校報、わずかなスペース。
書きたいことは結構あったが
「夏を迎える心」が一番大切だなと思った。
ぴったりの詩を見つけたので、紹介した。



 児童生徒をお持ちのご家庭では、「夏休み」は毎年繰り返されているとお感じになっていることでしょうが、考えてみると一人一人の子にとっては「□年生の夏休み」はたった1回きりなのです。また、我々大人にとっても「□歳の夏」はたった1回きりと言えます。

 夏だから何かいいことがあるとは言えないのですが、四季のあるこの国では、やはり夏が一つのピークなのかな?などと思うこともあります。
 つい最近、下の詩を目にした時も、そんな感じが一つ強まりました。北国に住む我々には春を待つ心の方が強い気もしますが、夏の印象もまたくっきり浮かびます。
 
 からっと晴れ上がった空、プールに響く声、夜空に上がる花火、遠くから帰省した懐かしい顔…そんな日はもうすぐです。

    空の下    
           高田敏子

 梅雨の晴れ間の
 空を見ながら
 みんなが待っている
 子どもには子どもの夏が
 若者には若者の夏が
 年よりには年よりの夏が
 近づいてくるのを
 待っている

 毎日何かしらん
 悲しいことが起こったり
 さびしいことがあったりする
 それでもみんな待っている
 梅雨の晴れ間の
 空を見上げて
 新しい夏を待っている
 近づくものを待っている

適当な水と光を与えてください

2006年07月21日 | 教育ノート
保護者向けのお知らせとしてはきわめて一般的なことであるが
通信簿の見方について、それが配布される前に考えてもらいたいと思って
下のような文章を書いた。



「通信簿は、5人の人に読まれるものだから…」
 そんな言葉を聞いたことがありました。父、母そして祖父母…最後の一人は「神棚や仏壇にいるご先祖様」という内容でした。これは、記述する私たち教員の心がけを説くもので、そういう意識で一人一人の通信簿に向かいなさいという教えです。私事ながら、そういえば昔、母が神棚に上げていたことをかすかに覚えています。

 通信簿(本校では学校・家庭連絡票としました)の形はずいぶん様変わりしましたし、昔ほどの有り難味は薄れているのかもしれません。しかし、なんといってもそれは、子どもたちが4ヶ月間頑張ってきた内容とその出来具合を示していることに違いはありません。その意味では、子どものある一面(それも結構大きな部分を占めている)をはっきり表しているということです。

 連絡票に書かれてあることは、実はみんな「子どもの中にあるもの」ですが、担任が文章や印で目に見える形にしたものです。それを材料に、いろいろと話してみることが大切ではないでしょうか。「もっと頑張れ」「ここを気をつけろ」…もちろんそういう言い方もあるでしょう。しかし、やはり「できたこと」「伸びていること」を認めてあげることを忘れないようにしたいものです。

 「子どもの中にあるもの」をすべて他人が見通すことはできません。その中から何が伸びていくかは、小学生のうちはまだまだわからないはずです。明後日、持ち帰った連絡票をご覧になったら、ほんの小さくても芽が出ているもの、まだ芽をださず眠っているかもしれないもの…そんな力を見つけて「適当な水と光」となるような声をかけてやっていただければ、と思っています。(7/18)

『オレ様化』を照らし合わせてみる

2006年07月19日 | 読書
集団の持つ強制力から離れても
教師の叱責の意図など考えなくても
平然としていられる小学生の存在に驚いたことは確かだが、
それも「時代の流れ」といった漠然としたとらえ方をしていた。

そうした子どもはやはり稀であったし
「言葉の使い方」について目覚めた自分は
指導についての技術や技能でカバーできるはずという考えであったろう。

しかし、教室での授業場面以外で目立ってきたことがあった。
例えば、廊下にゴミが落ちていても拾わない子である。
「○○さん、そこにゴミが落ちているよ」と声をかけても
拾わずに平然として、教師が拾うのを見ていられる子である。

これは『オレ様化』で指摘されている
掃除のとき教師に促されても机を運ぼうとしない

「消費社会的な子」

の出現である。

教師ともクラスの仲間とも共同性を感じていない子

である。

そうした子が私の周囲にぼつぼつ見え始めたのは
平成に入ってからのように思う。
手を拱いていたわけではないが
まだなんとかなるのでは…という意識も強かった。

そして、平成10年だったろうか。
私にとっては忘れられない子が、目の前に現われた。

算数を教えていたときのことである。
筆算を間違えている子がいた。
順番通りに進めなかったことが原因である。
「Aくん、ここ間違っているよ」と指摘したことに対して
こんな答えが返ってきた。

「ぼくは悪くありません」

えっ、何、何を言っているの、と強く感じたことを覚えている。
Aは悪くないを繰り返すばかりだった。
今思うと、たまたま起こった出来事とも言えるのだが
私にとっては『オレ様化』の中にある次のことが、
始まりを迎えた一言だったと言っていいかもしれない。

子どもたちはすべからく自分について
「外」から批評されることを拒むようになった。




『オレ様化する子どもたち』を読み進めて

2006年07月18日 | 読書
諏訪哲二氏の著書『オレ様化する子どもたち』(中公新書ラクレ)を読んだ。

自分の読解力不足を感じながらも、至るところで刺激をうけた。
少しずつ記しながら、頭の中を整理していきたい。

まず、「子どもの変化」に対してすっきり整理できた気がする。

「農業社会期」→「産業社会期」→「消費社会期」

という区分は納得できる。

東北の農村では、その区切りに都会との誤差があるのだろうが
自分が勤め始めた数年、つまり昭和50年代中頃から60年代初め頃を
振り返ってみたときに
「農業社会期」の特徴~言うことを素直に聞く
「産業社会期」の特徴~きちんと話せばわかってくれる
といった傾向性は確かにあった。
しかしそれが徐々に崩れていったことも、確実に思い起こせる。

委員会活動の時間だったろうか。
何かを言いつけても、さぼってばかりでやらない子がいて
再三の注意も聞かず
「それなら、やらなくていい!だまっていろ!」
と言われ、平然とその言葉通りにできる小学生が
目の前に現れたのは、その頃だった。

そして、自分自身は「言葉の使い方」でそれを乗り切ろうとしていた。

ぶれない芯のある見方

2006年07月11日 | 雑記帳
先週の研修会で、ノンフィクション作家立石勝規氏の講演を聴いた。
「二百から三百人規模の講演はあるが、千人を越す聴衆を前にしたのは初めて」
という立石氏は、その登場の仕方で、
私たちを惹きつけ、氏自身をまず落ち着かせた。

プログラムにはもちろん書かれていないのだが、
進行者による紹介などまったくないままにステージに突然登場し
演台の前でマイクをもち「前口上」を語り始めたのである。
自分自身の専門である環境問題のことや出自のことを10分ほど喋り
講師席についたのだった。
それから、大会実行委員長による「講師紹介」が始められるという
異例のスタートだった。

形式を崩すことは、
「何かおもしろいことが始まる」という期待感を抱かせる。
立石氏の講演もその期待に反せず、内容の濃いものだった。
「ものの見方」という演題に即したものとしては
地元である青森県の話と、野口英世に関するエピソードが大半だった。
豊富な読書量からくる様々なうんちくがなかなか興味深かった。

なかでも、地元津軽に伝わるという「雁風呂伝説」
渡り鳥が海上で翼を休めるために
枝木をくわえて津軽の海岸まで飛んでくる。
浜に枝木を置き、さらに南方を目指す。
そして春には、北方へ帰るために、
一旦置いた枝木を再びくわえ飛び立っていくのだという。
残された枝木は、北方に帰ることができずに、
力尽きてしまった鳥の分ということになる。

津軽の民は、そんな枝木を集め、浜沿いで風呂を沸かした。
そして、通りかかる旅人たちをその風呂でもてなした、という。
風呂につかる旅人は、そしてもてなす地元の民は、
どんな思いで海峡を眺めたことか…
心揺さぶられる風景が目に浮かんだ。

要項のレジュメに資料として載っていた「仰げば尊し」の歌詞。
出身校の同窓会長を務める氏が、出席した母校の卒業式で
その歌が歌われないことに憤っていた。
友人の校長にその理由を問うて、一応の納得はするが
腹の中ではもちろん納まってはいない。
自分の教わった恩師のエピソードを紹介しながら、
教育愛について後半の多くの時間を割いたのは、
聴衆に対するアピールでもあったろう。

複雑になりすぎた学校教育を取り巻く現状…
絡み合う糸に気をとられ過ぎて、肝心な一本の芯を見失っていないか。
そんな氏のストレートな思いが伝わってくるまとめ方だった。

多面的な見方を強調するような意図だったろうが
実は、ぶれない芯のある見方こそ「ものの見方」である
と、私はそんなふうに聴いた。