すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

多忙と成果

2005年04月29日 | 読書
では、教師は手を抜いているのだろうか。そんなことはない。三日間でも、学校で観察すれば、教師がいかに多忙をきわめ、過酷な状況で頑張っているか理解いただけるはずだ。頑張っているのに成果がでないというのは、組織の「仕組み」に問題があると考えざるを得ない。
吉永順一「家庭教育ツーウェイ№1 P83」(明治図書)


今日頑張った分の成果が上がったか、と自分に問う。
今月頑張っただけの手ごたえが上がったか、と自分に問う。
冷静に、成果を口にできないようなら
やはり「仕組み」は疑ってみる必要はある。

自分を大切にしている程度の大切さ

2005年04月27日 | 読書
子どもは自分も大切にし、相手も大切にしたいという思いを抱いています。他人を大切にした時だけ誉められ、自分を大切にした時には批判されると、物事に取り組む際、子どもは極めて消極的になっていきます。「人を優先的に大切にしろッ!」といわれても、どれくらい大切にしらいいのか見当がつきません。「自分を大切にしている程度の大切さ」という基準はどうしても必要です。
高橋良臣「学校マネジメント№572 P67」(明治図書)


他者に大切にされた経験を持たない子は
自分を大切にすることはできないだろうし
結局それは他を大切にできないことになる。
自分を大切にする程度は
自分で作り上げるものではなく、
他者との経験によって出来上がっていく。

メディアとのつきあい方学習

2005年04月26日 | 読書
これからの情報教育に必要なことは、メディアの操作法の習得でもメディアの仕組みの学習でもなく、メディアを道具として使いこなし、生活や仕事を便利に豊かにしていくという「メディアとのつきあい方」を身につけるということである。メディアを否定するのではなく、かといって称賛するのでもない。その特性を知り、必要に応じて使いこなす力の育成がメディアとのつきあい方学習だ。いわば「メディア生活論」だ。
堀田龍也「児童心理№818」(金子書房)


必要に応じて使いこなすためには
まだ少し壁の高さを感じているし
向こうの景色にある地雷のような存在も恐怖だ。
しかし、これはみんなで乗り越えなければならない。
(それにしても停電の影響で、
 丸一日も復旧できない校内ネットワークの脆弱さよ)

診断、測量の必要性

2005年04月24日 | 読書
従来の教師像と現在の教師像の一番大きな違いは、これまでは「計画を立てて、計画通りにこなす」教師であればよかったのが、「学級・個人の状態を把握して、その状態をもとに指導を工夫する」。つまり「診断(測量)」の必要性である。
上條晴夫「子どものやる気と集中力を引き出す授業30のコツ」(学事出版)


「診断や測量」をしてこなかったわけではない。
しかし、もう一歩突っ込んだものが求められている。
定点的な診断、測量を行い、そこから足を進めるイメージである。
そのために自分なりのスタイルを持たなければならない。

結果論としての安全

2005年04月22日 | 読書
ぼくたちは「安全」の意味を取り違えているのではないでしょうか。「安全」をシステムではなく情緒でとらえすぎているのではないでしょうか。本質的に「危険」な場所の学校が、なぜ現実にはめったに「危険」にさらされないか。それは学校が「安全」だからではなく、「危険」にさらしてやろうという悪意が(たまたま)向けられなかっただけにすぎないのです。結果論としての「安全」ですね。
重松清「明日があるさ」(朝日文庫)


善意で成り立っている学校は理想だ。
しかし現実を見れば、
そんなふうに思い続けることが
実は善意という名の悪意であることに
気づかなければならない。

もう一度、酒井式

2005年04月21日 | 読書
もう一度酒井式の四原則を思い出してほしい。
一、踏ん切る(見切り発車の原則)
二、集中する(かたつむりの原則)

三、「良し」とする(肯定の原則)

四、それを生かす(プラス転換の原則)

酒井臣吾「教育トークライン271」(東京教育技術研究所)


描画指導に生かすこれらの原則は
実は、学習や仕事など日常に当てはまることにある時気づいた。
迷いが出たときに、このどれかを思い出すと楽になる。
そして、この一連の流れは一つの思想だと思う。


業績についての観念

2005年04月20日 | 読書
「教師は毎日の授業を通して学力を上げていますが、そのことを具体的に説明できますか」と講演などで聞いてみるが、答えはゼロである。学力を挙げていないのではない。「業績」についての観念が希薄なのである。業績評価を上げることを教師に求める前に学校としてどう取り組むかを明確にすべきである。
高階玲治「現代教育科学№584」(明治図書)


「業績」を「子どもの姿」に求めることが本質であり
それがほとんど全てであることを教師は知っている。
同時に、その曖昧さや伝える術の困難さをいつも感じている。
しかし、そこに留まっていては明るさを見出せはしない。

達成動機への道筋

2005年04月18日 | 読書
効率優先の少人数学級による学習集団よりも、いろいろなかかわりの中で、多少の時間はかかるし、我慢や苦労もしなければならない、そういう時間を過ごす人間関係の中で、最終的に《皆で協力して分かった》という充実感を味わわせることを大事にしたい。その過程で、我慢した子ども、苦労した子どもはそれぞれの達成動機を持ち、その気持ちが習熟度別学習や家庭学習への意欲へ転化していくのである。
長南博昭「学校マネジメント№573」(明治図書)


その形態の目指すものは確かであるが
その形態をとるための条件にもっと敏感でありたい。
枝を伸ばすためには、幹の太さが必要であり
枝ぶりに心を奪われてはいけない。

「教師」と「先生」

2005年04月18日 | 読書
「教師」は、一時間の授業で勝負するようだが、「先生」は一年間で勝負すると考えている。つまり、「教師」は一つ一つの「授業」が勝負の場であるわけだが、「先生」は一年間の「生活」丸ごとが勝負になる。でも、そこまで抱えきれないというのも本音だろう。私は「先生」というのは美しい言葉だと思っている。その裏では人間丸ごとのドロドロの戦いがある。
丸山久夫「授業づくりネットワーク№238」(学事出版)


いい教師が必ずしもいい先生とは限らない。
いい先生が必ずしもいい教師とは限らない。
しかし、いい教師はいい先生を目指している。
いい先生もいい教師を目指している。
その戦い方に目をつけてみたい。

開かれた偏愛の能力

2005年04月17日 | 読書
教師にとって重要な資質は、子どもにとっての魅力的な先行者たりうることであるが、それは開かれた偏愛の能力と深く関係している。その教師が魅力ある人間であれば、その教師の偏愛するものを学びたくなる。そしてその教師が多くのものを偏愛し、幅広い世界を持っているとき、魅力的な人間になる。
齋藤孝「くんずほぐれつ」(文春文庫)


教師の持つ力を測るものさしは
こうした視点でも作られるべきだと思う。
教員養成の現場がどうか、
いやそれ以前の選抜方法はどうか
…結局、すべての教育現場に関わる問題である。
そして、今いる人材にその能力は十分足りているか。