すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

令和五年霜月雪降る前に

2023年11月24日 | 雑記帳
11月19日(日)
 悪天候。本当なら週末の雪予報に向けて冬囲いをしたいところだが…。ここは無理をしないことに。大相撲は中日。今場所は貴景勝に期待しつつも限界はあると内心思っていて、予想通りになる。途中出場の朝乃山戦がそれを物語った。今週末の天気予報が気になる。土曜「こどもブックフェスタ」。日曜に研修会がある。



11月20日(月)
 今日は朝と夕方に、非常に嬉しい連絡メールが入る。いい一週間になりそうな予感がする。こども園の読み聞かせ日程の連絡不備があることに気づき、電話をして調整する。早めに気づいてほっとする。教職時代の最後に研修のために書いたメモを見つけ、題を見て思わず微笑む。題して「思い込んだら(重いコンダラ)」



11月21日(火)
 今週末に迫ったイベントの準備を猛然と進めている。物品準備は8割方完了。合間に、文科省の読書関連サイトを見つけ、ブログアップする。天気がいいので早めに退勤し、東側窓やデッキの囲いを取り付ける。スノーダンプも出す。いよいよ冬間近だ。陽が落ちる前に出来たので、馴染みの理髪店で散髪をする。


11月22日(水)
 久しぶりに自転車通勤。今年はあと何回乗れるか?今日は「いい夫婦の日」。例年この日は夫婦モノの図書紹介を続けている。当然ながら、時代と共にあり方が違っていることが一目でわかる。金曜の読み聞かせに「雪の結晶」の写真集を入れようと思いつく。年に二、三度しか使わない専用グラスで一応(笑)乾杯する。


11月23日(木)
 録っておいたBSドラマを見ていたら、クライマックスでJアラート画面になってしまった。一昨日の夜かあ…北朝鮮めえ。明日の読み聞かせのためのチェックと練習をする。勤労感謝の日であり、「新しい趣味」をテーマに展示紹介をブログアップした。今日は晴れの予報だがあまり日が射さず、まさに晩秋の味わい

霜月、つくづくのこと

2023年11月19日 | 雑記帳
 大相撲九州場所が始まった。見所はあるがそれより残念なことが一つ。行司木村玉治郎の引退である。個人的に所作としては一番の存在だったので、つくづく惜しい。メディアの報道では何か不穏な感じもうける。組織とか協会とか様々な問題はどこにもあろう。行司という一種の様式美を追求するには潔さが必要か。


 かつての同僚に請われて、昔作った個人集約を差し上げることにした。幸い残部がいくつかの号であった。そのために見直してみると、はああっと思う。古いのは20年以上前だ。書き手自身がそこに見るのは「自分」であり、当時の拙さも熱さもふっと甦ったりする。つくづく冊子という形にまとめて良かったと思う。




 週末の朝食にあんパンを食べるのが我が家の定番。通常は「つぶ」だが今回は「こし」だった。それを食した後、用事で出かけた道の駅で見つけた、S木まんじゅう(笑)。つい買ってしまった。昼食のデザート用だから仕方ない。そこまでは良かったが、今日お土産としていただいた「赤福」。つくづくあんこに塗れる日。


 家族の誕生日だったので、隣市のY澤弁当(笑)の月替わり弁当を注文した。唐揚げと玉子焼き付で楽しむ。先月も講師接待に利用したが、この店の一つの特徴は手書きのお品書きにある。活字と何が違うと問われたら、独特の味を添えると言っても良い。つくづく手書きは心配りなのだと見入ってしまう。残したい。

11月15日になれば…

2023年11月16日 | 雑記帳
 「人生で2度交通事故に遭うのは平均的」と、かなり昔に大叔父から聞いたことがある。その信憑性がどれほどかわからないし、また交通事故の程度をどうとらえるか難しいので、不確かな言説かもしれない。しかしその言葉に乗ってみると、自分はもう体験済なので、残りの人生は安泰か…と楽天的に考えている。


 一度目の高校2年生のバイク事故は入院したし、その後のことにかなり影響を与えたと思う。しかしそれはひとまず置いて、この季節そして11月15日になれば思い出すのは、通勤途中に峠の坂道で滑ってきた乗用車に前方衝突された件である。あれは2002年だから20年以上過ぎた。瞬間の怖さを教えてくれた経験だ。




 その日は初雪。しかも積雪20㎝以上あったと思う。もちろん除雪体制はばっちりではあるが、雪国に住む者の多くが知るように「初日は危険」は、毎年繰り返される教訓である。峠の登りが始まってまもなくのくねくねと緩いカーブが連続する道だった。まるで我が車を目がけたように、その軽自動車は滑ってきた。


 ハンドルを切ったが右前面部へ衝突。左側はガードレールもない5,6メートルの崖だった。車体は傾いたままかろうじて止まってくれた。もう少しスピードが出ていたら、コンマ何秒違って衝突箇所がずれていたら…と思わざるを得なかった。車から抜け出しほっと一息つくが、肝心の対向車の姿が見えないではないか。


 右手に建つ家屋手前の側溝を見ると、自動車がすっぽりそこに嵌っている。泣き叫ぶ女性の声。えっ、えっと思いつつ家屋に入って電話を借り、救急車を呼んだ(携帯電波が届かない時代)。結果、怪我なく救急車は戻った。一番痛いのは私の心の傷である。購入して数か月のGoldのForester。今頃はロシアか(笑)。

「ととのえの日」静かに内省

2023年11月11日 | 雑記帳
 今日11月11日は、10月10日と並んで「記念日」が多い日らしい。その日に何かが始まったのが定番だろうが、それ以上に語呂合わせや並び数字の形からイメージしやすい点があるだろう。50を超す「~~の日」が並んでいる。意味不明も多いなか、「美しいまつ毛の日」や「いい出会いの日」は、なるほどねと思う。


 なかでも気に入ったのは「ととのえの日」。考えたねえ…と思い、その由来を見てみたら、雑学ネタ帳には次の表記あり「サウナ浴により心身ともに健康になった状態をサウナ用語で「ととのう(ととのえる)」という。より多くの人にこの「ととのえ」体験を通して健やかに過ごしてもらうことが目的」そうか、サウナか。


 まあ、それはさておき「整え・調え」は、無頓着で才能なしを自認する身にとっては憧れの語でもある。もちろんもはやこの齢になって、根本的な改善は望むべくもない。せめて、周囲に迷惑がかからぬ程度、身内が恥ずかしい思いをせぬように心がけたい。例えば、昨日は人の集まる場に出向き感ずることもあった。





 順番を守ったり、他者が迷惑にならないよう配慮したりするのが日本人にとって美徳の一つだ。それは依然として多くの人が保ち続けていることだが、よく見聞きするスーパーの駐車場等の停車の仕方一つとっても、自分勝手な行為が散見されている(高齢者が多いと…)。これは「整え」の解釈不足にあるのではないか。


 「正しい状態」の見方は多様化している。秩序や調和は大切だが、強制しないというのが今風だ。しかし、何のための秩序、調和かと問えばそれは明らかに全体の幸せに行き着く。形を乱す行為をするとき、心の中で自己が肥大してはいないか。振り返って思い当たることもある。「ととのえの日」…静かに内省したい

立冬~忘れるために書く

2023年11月08日 | 雑記帳
 月曜、読み聞かせ予定日ですがインフルエンザの感染拡大が懸念され…と電話をもらい、中止となってしまった。今回は「ねこ4連発」と題して新旧取り混ぜたラインナップを考えていた。結構迷い抜いた末の構成だったので残念である。中学年相手はしばらく計画がないし、いつなら出来るだろうか。肩透かしだ。


 一方、こども園の方は火曜、水曜と続く。4冊読むが1冊入れ替えた。先月末に読み聞かせて、反応が今一つだったので変更した。宮西達也作品は広い世代に受け入れられるはずだが、年齢によってイメージが難しいものもある。その時わからなくとも…という思いもあるが、やはり「目」が食いつかないと駄目だ。





 今週末の予報に「雪マーク」が見えたので、タイヤ交換をしようと思い立った。足腰には結構な負担だが、自分で出来るうちはやっておきたい作業だ。これで業者頼みをすれば、今後ずっとそうなるだろうから…と予想できる。折しも、亡き友の命日でもある。俺はまだやれるぜ、と心の中で呟いてみるのも悪くない。


 図書館で「雑誌総選挙」という企画を始めた。たくさん予算があれば揃えたいのだが、そうもならない現状を抱え実際は苦しい。さて、この頃自分の雑誌離れが著しい。ただその中で読み込んでいるのが、ミシマ社の『ちゃぶ台』。今回の特集が妙に面白い。「自分のなかにぼけを持て」。これは生き延びるための格言だ。


 必要があり教員現役時代の原稿を見直した。そこで大切なことを思い出す。ある子の行動の意味がつかめなかったのだが、ああそれはこの出来事があったからだと解釈できたのだ。書き留めておいたおかげで、脳内に記憶がよみがえるのは珍しくはない。そう、忘れるために書いているわけだから、と一人納得する。

瀬戸際で押し合ってはいけない

2023年11月05日 | 雑記帳
 昨夜は4年ぶりとなる地区「芋の子汁会」。コロナ禍が収まってようやくということである。予想していたことではあるが、参加者は明らかに減って20人程度だった。しかも全員が50代以上というのはやむを得ない。近隣どこも同じ悩みを抱えているわけで、この現実をどのように受けとめるか、瀬戸際にある。



 某菓子店で売っていた、中学生考案という「藍染ロール」!!


 話題は、当然のことながら「クマ」である。町内で襲われた方の重傷の話は痛ましい思いがしたし、もはやけして他人事ではない。ほんの二か月前、孫と一緒に「あの繫みにはクマがいるかな」と散歩して歩いた道と目と鼻の先であり、あの事故から行くのは控えているし、来春以降であっても警戒心が募るのは確かだ。


 連日の報道は今後の対策をどうするかに集約されている。大きなスタンスで語れば生態系の変化であり、人間の責任の重さは言うまでもなく、しっぺ返しを食らっている現実…それは地球規模の温暖化による気候変動と関わっていることは誰しも想像できるだろう。この問題も瀬戸際。そこで留まっている自分たち


 会に同席していた首長から聞いた。児童生徒にクマよけ用の鈴を配布したら、登下校時「鈴の音がうるさい」と苦情があったという。こんな片田舎の町でもそう言い放つ人のいる情けなさ。単に個人の問題ではなく、そうした風潮に染まっていく社会全体の怖ろしさまで感じさせる。しかし、縮こまってはいけない。


 公共施設の勤務者として、今ことさらに意識している点がある。何かトラブルめいた件があったとき、「利用者様」といった態度を強く出す方は少なくない。その際、最終的に「みんなで作り上げていく」姿勢を共有できるように収めることが肝心だ。誰しも瀬戸際、そこでは押し合うことなく、支えあう道を探したい。

参参参(36&37)マンネリズム、あっ

2023年11月04日 | 読書
 10月下旬からから今週にかけて、再読本3冊と買い求めた本3冊。相変わらずのラインナップになったようだ。これもマンネリズムか…あっ、いい意味で。


『内田樹の生存戦略』(内田樹  自由国民社)

 男性向けの月刊誌に連載されている「人生相談」。2012年から2016年分が載っている。平川克美の同類書と同じく、答えは書かれていないパターン。言うなれば「メタ人生相談」。つまり、問いを出す背景、心理などについて詳しい。最初のあたりはバラエティに富んでいて面白いのだが、後半は政治一辺倒になっていて少しだらけた。そのことを著者自らあとがきにも記している。それは当時の政治状況に照らし合わせれば、なかなかの「歴史的資料」になっている。





『生きのびるからだ』(南木佳士  文春文庫)
 この本は再読なのだが、どうしたわけかメモを残していなかった。書名に記されていることの実感を、繰り返し語っているエッセイだ。からだとこころが一つのもののように思えてくる一節をメモしておきたい。「『わたし』が消えれば消えるほどからだの動きは本来備えていた能力を発揮してなめらかになる」



『マンネリズムのすすめ』(丘沢静也 平凡社新書)
 上掲書に引用があったので興味を惹かれて購読した。これも再読で、こちらは昨年末にしっかり感想を残していた。そこに書いていないことで、実に身に染む一言がある。「今日のように商品や情報があふれかえっていると、賢い選択をしようとするあまり、信じられないほどの時間とエネルギーを使うことになる」常に最適を求めようとしなくていい。



『上野千鶴子のサバイバル語録』(上野千鶴子  文春文庫)
 7回目のコロナ予防接種!!待ち時間のために、書棚から薄い本を引き抜いた。これは今年2月に読んでいる。読むほどになかなか含蓄がある語録。「コトバは現実ではない。むしろ、コトバが現実をつくる。だとしたらコトバによってつくられた『現実』には『ほんとうらしいウソ』と『うそっぽいウソ』があるだけだ」。さあ、そのハザマで人はどう生きる?



『松本隆のことばの力』(藤田久美子・編 インターナショナル新書)
 松本隆へのインタビューをもとに構成した一冊。代表的な詞をちりばめつつ、松本の独白のようなタッチで書かれている。あっという間に読みきった。作詞家としての道程がよくわかる。当たり前のことだが、残っている歌の偉大さを想う。つまり「同時代では玉石混交でどれが本物かわからなくても、時は残酷だから、結局残るのは本物だけだ


『よくわからないけど、あきらかにすごい人』(穂村弘  毎日文庫)
 対談集。10名の名人、達人の域の人物と語っている。相手自体をあまりよく知らないと楽しめない部分も多いというのが正直なところ。ただ、全体的にソフトな雰囲気は伝わってくる。なかでも佐藤雅彦(映像作家)とのやりとりはよかったなあ。表現における「神様のものさし」という語は、頭の中に残りそうだ。


旅に満たず満たされ

2023年11月01日 | 雑記帳
 久しぶりに隣県山形へ。いわゆるコロナ禍が収まってからは初めてか。接種証明のいらない宿泊だから…。ここ三年ぐらい、割引は十分利用した。それも社会還元と口にしたが、正直割引が無くなるとやや出足が鈍る。やはりセコイと苦笑する。そういう精神では、なかなか寛げないぞ…とわかってはいるが貧乏性だ。


 天気が悪く紅葉は今一つだが、食と温泉でのんびりできれば…と考え、昼は「手打ちそば」の店へ。住宅地にあるそこは2階が玄関のお洒落なつくり。老夫婦二人の切り盛りか、雰囲気はゆるやかに流れていた。出てきた蕎麦は確かに手打ちだが、これは…と絶句するほどの普通さであり、そば王国にもばらつきがある。




 泊まったのは古い旅館をリニューアルしたという宿。決め手はドリンクインクルーシブ(滞在中の飲み物無料)である。しかし、これも「バイキング不得意」を自認する者にとっては、なかなかに難しい話だ。食事前に旨いと多く飲めば、料理は楽しめない。ビール、日本酒、ワイン…と堪能しつつ、どこか満たされない


 露天には、直径一間以上の味噌樽を使った風呂桶があった。食事前はメインテナンス中と書かれてあり何だよと思ったが、就寝前に再び行ったら湯が張られている。月が雲に遮られながら薄明るく、湯面を照らす。他に客は誰もいない。こんなにいいロケーションはかつてあったか。味噌樽に浸かり心身を大きく伸ばす。


 朝、地元新聞を見てにやり。さすがのローカルさ、愛着を感じる紙面づくりだ。休日・平日を問わない頻度で芋煮が催される証拠と言える。さて、旅の目的の一つはあるお菓子を買い求めること。直売は店のみである山田屋の富貴豆。帰宅してから、さっそく賞味し、とたんに笑顔が出る。この味は唯一無二だと思う。