すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

陥穽から風穴をさがす…未了

2007年12月31日 | 読書
 今年の読了は103冊。
 読みかけが2冊。買ってはあるが手にとれない本が6冊ある。もっともそのうち4冊は今日宅配で届いたものだが。

 良くも悪くもこんな感じの読書であった。
 つまりそれなりの冊数はこなしているが、乱読気味に次々に手にするが、方向性も定まらず追求性も弱い。
 今年の読書記録をたどってみて、著者で目につくのは内田樹氏ぐらいであり、教育書も印象としては3割程度か。

 年間100冊を目指してから9年が経った。そのうち達成できなかったのは2004年だけであった。150近く読了した年もあったのでおそらく今年で1000冊は越していると思う。
 活字好き、雑誌好きであり、様々な場所で活字を追うことになるが、結局「それが、どうした」(by伊集院静)という気持ちも湧いてくる。

 まさに、陥穽。
 腰のあたりまで埋ってきた夥しい数の書物から、風穴をさがす年にしたいと思っている。

陥穽から風穴をさがす…3

2007年12月30日 | 雑記帳
 参加しているMLで「通知表」のことが話題になった。
 いわゆる所見欄のパソコン記入が許可されているかどうかということが発端だった。
 この問題は、おそらく「情報管理」と「伝達方法による保護者の心証」がポイントになるだろうと以前から考えていた。

 しかし、それ以上に本質的なことは「何のための通知表か」という点である。

 学校から保護者に対して、「通知・連絡」が必要なことは言うまでもないし法的にも定められている。
 ただそれが「通知表」という形式に拠るということは示されていないのである。
 とすれば、それは学校裁量であり、様々な形式・内容が検討されていい。

 が、現実にはそういう余裕がないことは自明である。
 慣例化していることを大きく見直すだけの、時間的な余裕そして精神的な余裕…

 いや、それは言い訳だ。
 結局は、ビジョンでありそれを組み立てる戦略の無さなのである。
 「出口を変えることの有効性はかなり高い」とずっと前から思ってきたのではなかったか…
 明確な課題として浮かび上がらせなければならない。

 ともあれ、MLでの情報提供で大きな学びが二つあった。
 一つは紹介された坪田先生のサイトの文章である。さすがとしか言いようがない。

 もう一つは、野田芳朗先生の発言であった。
 効率化へと進む中で、選択できる自由を説き、自ら手書きにこだわる、その精神に強く心を揺さぶられた。

確かに『くだらない法律集』だ

2007年12月28日 | 読書
 作家の椎名誠が薦めていた『世界一くだらない法律集』(デビット・クロンビー)を読んでみた。

 確かに、笑える。
 帯に載っているものだけで想像がつくだろう。
 これらが法律として実際にあると言うのである。

 風に向かって鼻くそを飛ばしてはいけない(アメリカ・アラバマ州)

 おかっぱ頭の教師を昇進させてはいけない(アメリカ。アーカンソー州)

 バスに乗っているときに眠ってはいけない(イギリス・ロンドン)


 真偽を疑いたくなる文言だらけである。
 理由や経過などはいっさい付記されていない。
 しかし、実際に存在するのだろう。アメリカ諸州の法律が中心になっていることや、合間に収録されている「法律にまつわるジョーク集」を読むとそう思えてくる。

 「アメリカは訴訟社会」という言葉を聞いたことがある。
 このジョーク集に書かれている大半が、弁護士を揶揄、愚弄している事実からも想像できることだ。
 従って、ここに書かれてあるトンデモナイと思われる法律も、結局「それに絡む訴訟が、何かあった」→「今後の裁判のために、立法化しておく」という経過をたどったのではないか、と予想されるのである。

 それにしても、である。

 燃えている建物の中で食事をしてはいけない(シカゴ)

 こんな状況までが、(きっと)訴訟のネタになるアメリカっていう国は、いったいなんだと思えてくる。

 それと同時に、きっと言葉の範囲、解釈の難しさも伴うのだろうな、と想像をめぐらしてみる。
 つまり「燃えている」状態とは?「建物」とは何か?「食事」の種類は?などのように…。
 こうして言葉を操る人間が訴訟を勝ち抜いていく。弁護士はその象徴的な職業だということがわかる。

 途中から全然笑えなくなり、滅入ってくるような本だった。
 ジョークを解さない日本人だと笑いたけりゃ笑え。

陥穽から風穴をさがす…2

2007年12月27日 | 雑記帳
 秋田県の学力検査の平均点(小学生)が全国トップだったことに関しては、マスコミなどでも結構取り上げられている。12/19の朝日新聞の記事も少し話題になったようだ。横浜の野中信行先生もブログで取り上げていらした
 しかしその渦中?にいる私たちは、それをどう受けとめどう進んでいくのか実はあまり明確になっていない気がする。

 他県との比較では諸々のデータに関して低迷している現状のなか、この結果を生かして「教育立県」を目指したいという県教委の考え方も頷ける。しかし、「では何をするか」と問い詰めてみるとき、様々な方策を考えても行く先がぼんやりとしている不安は拭いきれないのである。まさか、今回点数が悪かった部分の対策をしていけばそれでいいなどと誰も思っていないはずだ。

 これは結局、地方と都会の問題と重なっていく。グローバル化の中での地方自治体のあり方が問われている。平均点を上げることが、どんな人材を育てようとしているのかという点にはたして結びついているのか。現場の我々には確かに荷が重いのかもしれない。
 しかし、たくさんの優秀な人材が輩出できたとして、それらの行方が本県に「幸せ」をもたらすものになるのかという疑問をもってはいけないものだろうか。

 唐突ではあるが、プロ野球の広島カープの主力の流出にもイメージが重なる。自前で育ててきたプレーヤーは他球団へ渡り、大リーグを目指す…そのこと自体は責められないかもしれないが、残された球団の光は確かに弱くなっていく。では、その育成に関わった人たちは何のために力を注いだのか、ということにならないか。

 精神科医の和田秀樹氏が、夏ごろに雑誌連載していた文章を思い出した。ネット上でも見ることができた

 具体的な施策として見えるものがあれば、地方の一教員の思いは少し晴れる気がしている。
 それにしても、今になって考えるとあの「ふるさと納税」を言い出した菅前総務大臣が、我が秋田県の(それも私の勤めている市)出身者であることは実に象徴的である。

年を越すにもパワーが必要だ

2007年12月25日 | 教育ノート
 この頃は、誕生日よりも新年の方が「一つ齢をとった」という感覚にさせられる。そういえば「昔は誕生日など祝う習慣がなかった」という文章を何かで見かけたことがあった。
 ともあれ、あと一週間。いくつかの仕事や雑事は残っているが、比較的自由な時間が持てそうだ。いつもの年より綿密な計画立てをしながら、年越しを迎えたいと思っている。

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 「走」と「戉(エツ)」から出来ています。「走」は「はしる・あるく」ですが、「戉」は「まさかり」の意味です。
 この組み合わせから二通りの解釈がされています。
 一つは、まさかりのように足をぐっとひっかけてのりこえるということです。
 そしてもう一つは、まさかりが神に奉げられたことから、出発の時そのまさかりに足を乗せ、霊力・呪力を身に移して出かけていくという意味です。
 どちらにしても「越える・越す」にはパワーが必要であることがわかります。
 もちろん個々の思いとは関わりなく時は過ぎていきますが、節目には精一杯足を踏ん張って、神聖な力を感じつつ自ら踏み出していく…そんなふうに年越し、新年を迎えたいものです。
(12/25)
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陥穽から風穴をさがす~1

2007年12月23日 | 雑記帳
 先日、加藤廣氏の文庫本を読んでいて「陥穽」(かんせい)という言葉を初めて知った。私たちの今を表わす象徴的な言葉ではないだろうか…などと頭をよぎり、気になっていた言葉である。

 そしてたまたま今朝訪れた内田樹氏のブログでも、その言葉の入ったタイトルを目にした。

 「接続的コミュニケーションの陥穽」
 

 大学で行われたある講演に触発されて、論が展開されている。一部を引用する。

そういわれてみると、若い人たち(に限らぬが)最近は「空気」とか「場面」とか「流れ」とか、そういう「メッセージが置かれている文脈」を指示することばがコミュニケーションの場で優先的に選択される傾向がある。

 今年の流行語にもなった「KY」。
 そのもともとは、日本人の持つ「察する」ということだったかもしれない。しかし、そこに込められていた他者の気持ちの理解が実に表面的になって流布しているが「空気を読め」ということなのではないか。

 内田氏の次の言葉に頷いた。

 そんなに「場の空気が読める能力」って大事なんだろうか。
 私はそこにひっかかってしまったのである。
 「場の空気が読めないやつとは暮らせない」と公言するのはかまわないけれど、そういう人は「他者との共生」とか「多文化共生」とかいう社会理論にもきっぱり反対すべきではないのか。


 今、私たちに求められているものは何か。
 「KY」と名づけ人を退けることではなく、きちんと内容を伝えることであり、そのための方法や技術を探ることにある。

 そう考えると、別に「KY」が増えたって構わないのではないか。
 むしろそう名づけられることを怖れて、きちんと理解しない、表現しないことがどれほど問題なのか。

 ここは一つ「AKY」(@池田香代子『このくにのメルヒェン』)宣言をしてみるか。
 「あえて空気を読まない」である。

ものは、汚れをもたらす

2007年12月20日 | 読書
 まど・みちおの作った「朝がくると」という詩がある。

 朝がくると とび起きて
 ぼくが作ったのでもない
 水道で 顔をあらうと

で始まる有名な詩だ。

 この詩は例の『心のノート』にも取り上げられたように、日本人の価値観に強くフィットするのだと思う。
 私自身にもそういう思いがある。
 繰り返される「ぼくが作ったのでもない」。
 水道、洋服、ごはん、本やノート、ランドセル、靴、道路…
 老境間近?になった今でさえ、たまに「ああ俺は何も作れないのか」とふとよぎることさえある。
 第一次産業や製造業に対して少しコンプレックスを抱いているような…

 ところが『豊かさの探求』(加藤廣著・新潮文庫)を読んでいて、えっそうなのと今さらながらに教えられたことがある。
 歴史モノのベストセラー作家である著者は、「もの作り」について先人の様々な言葉を拾ってきて、こう結論づける。

 古代から近世に至るまで、貴族や権力者は、武人における武器を唯一の例外として、実用的なことを軽視~もっとはっきりいえば軽蔑~してきました。(略)現代人は実用的なことばかりに価値観を追い求めています。

 胸に手をあてると、さもありなん。
 そして、それが何故いけないかと問うたとき、このような先人の言葉がとどめをさす。

 機械術と呼ばれるものは、社会的な汚れをもたらす

 溢れかえるゴミ、廃棄物の例は挙げるまでもない。
 必要か必要でないかさえ判断できないほど圧倒的なものを抱えて暮らしているのが、今の私たちである。

 もの作りを目指す心は、人間の本質的なことだと思う。器用な手足を使うことによって脳を発達させてきたのだから。
 しかし作ったものによって様々な争い、諍いが起きたことも確かだ。

 「もの作りにばかりのめり込み、心を作ってこなかった」なんて格好いい言葉を使いたくなるが、そんな言葉は、今はもう力を持たない。
 いずれ溢れかえる「ものによる汚れ」が、例えば制限の見えない消費志向のように個人の心まで侵食していることは確かだろう。
 ものをめぐった人と人との争いではなく、ものと人との対決のような風景も思い浮かぶ。

 本当に欲しいものとは、いったい何なのか。
 それは自分で作れないものなのか。
 ものの消費に明け暮れないで、夜はそのことをぼんやり考えるのもいい。
 
 そして、朝がくると…

ダ・カーポはもうないのですか

2007年12月19日 | 読書
 かなりの雑誌好きを自称しているが、その中でも愛読していたのは『ダ・カーポ』である。様々な分野の話題があるのがいいし、本についての情報も豊富だ、何よりB5版というのが持ちやすい(風呂場でもトイレでも)。

 購読を始めてかなりの年数になるが、とうとう。
 そう、とうとう休刊である。実質、廃刊ということだろう。
 隔週刊で620号というから二十五年以上は続いたわけで、このご時世では偉いというべきか。

 雑誌好きは、特集よりも連載に惹かれることが多いと思うが、ダ・カーポで好きだったのは、昨年まで続いた「日記」だ。大崎善生、常盤新平、坪内祐三の三人のつれづれは実に楽しみであった。
 自分が書けない日記に、いやそう過ごせない日記的日常に惹かれたのかな。

 少し以前の連載だが、ドリアン助川による「自分相談」という巻末のコーナーも愛読した。
 この人の書く文章の切れ味と諧謔性には、到底叶わないと思わされた。
 その後、私の手に取る雑誌にはあまり登場しなくなったドリアン(今は、TETSUYAでしたったけ)
 はどこへ行ってしまったのか…。
 ネットで探したら、ホームページを見つけた。
 さすがである。

 ちょいと真面目なところでは、「メディア時評」も、勉強になった。
政治や世間の有様を決して表面だけでは見ない鋭い突っ込みには、なるほどと思わされることも多かった。
 齋藤貴男はその執筆者の一人であるが、編集部は意識して最終号の「ジャーナリスト入門」に取り上げたか。さもありなん。ダ・カーポの向ける社会への目は、明らかにこの齋藤氏に近い部分が多かったと思う。

 この仕事は強いものに逆らってナンボ。間違っても弱いものいじめはしない。

 それはともかく、現在連載している金田一一穂の「ことばのことばっかし」も愛読していた一つである。言葉もダ・カーポの大きなテーマであった。金田一氏も最終号にこの雑誌への思いを語っている。
 うんうん頷きながら、最後の連載を読んだ。

 このくらいの手軽さで、このくらいの質を維持することは、とても難しいのかもしれない。いやな時代になってきたように思う。

偽りは人の為なのか

2007年12月18日 | 教育ノート
 今年を表す一字が「偽」というのはやはり妥当なところか。
 しかし改めてそのつくりを見ると不思議な字である。
 「為」という字は、実は結構思い入れがあって、「教務通信」を作ったときのタイトルにしたものだった。「つくる」と読んでいた。

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 世相を表す「今年の一字」が「偽」となりました。
 印象の悪いこの字は「人」と「為」の組み合わせです。「為」は「手を加えて様子を変える」という意味ですから、人が手を加えて変えることから「うわべをつくろう」という意味になったようです。

 「為」はもともと「爲」という字で「爪(手)」と「象」から出来ました。
 象を手なずける様子だと言われています。昔、中国では象を使った土木工事が多かったようで、物事を「為す」ために巨大な象まで利用できる人間の力や技を表している字なのです。
 そこへさらに「人」が加わると「いつわり・にせ」の意味になるのは、人が増えることで悪い部分も増えていくように思えて複雑な気持ちです。
(12/18)
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「結果をそろえる教育」だと言うのか

2007年12月17日 | 雑記帳
 先週の研修会で聞いた講話の中に、考えさせられる言葉があった。
 講師は県都に勤めておられる学校長で、県内ではいわば実践肌の校長として著名な方と言っていいだろう。
 配布された資料の中にも同様のことが書いてあったので、そこを抜書きしてみる。

 ・・・その子の持っている個性や能力に応じないで、結果をそろえる教育がはびこってきました。このような現象の始まりの時期は、小学校で「児童会長」が無くなり、代表委員会によって「回り番」で物事を進めながら、リーダーを育てずに、教師がその役割を奪ってしまった時期と一致します。

 私がずっと勤めてきた小さな町でも、ほぼ同じ頃にその「始まりの時期」があったろう。振り返れば、昭和62年か63年だと思う。「児童会長」という名称がなくなり「運営委員会」「企画委員会」という名称で、数人によって会を進めていくように切り替わった。学級でも委員長という呼び名ではなくなった気がする。

 この流れに対して当時の自分はどうだったのか。
 むろん、賛成だった。多くの子に役割を体験させよう、経験させようという意図に異論はなかった。特別活動の目標に照らし合わせても、そのときはそれで妥当だと考えていた。
 しかし、現実に中学校には生徒会長が存在し、様々な場でリーダーが必要であり、皆を牽引していく力や技能に長けていることはその条件になっているのだった。
 そういう意味での養成は明らかに後退したわけだ。

 では、現場の誰かの発案で児童会長がなくなったのだろうか。そうは考えにくい。特別活動という領域の中の一つの考え方として広まったものだろう。そして、それは段階的な姿として積み上がらなかったということなのだ。
 それはそうだろう。現実社会とかけ離れた姿なのだから…。
 現実に近い上級の学校は、理念は示されても機能させなかっただけだ。

 問題提起もされずに、ずるずるとそうした「個性」は育たずに時が流れた。
 この失敗を私たちはどう見ているのだろう。いや、見えているのか。
 復元させる手立てなど考える以前の問題か。
 そしてこのことは特別活動で顕著であるが、これは教科学習の部分にも共通するかもしれない、という思いも湧き上がってくる。

 講師は、こう記す。

  「結果をそろえる教育」

 そう思って実践してきた者などいないだろう。
 しかし、履修主義に染まってきた学校は、誰が何を習得できたかへ大きくシフトしない限り、その批判を免れることはできない。