すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

組織を末期と思うとき

2011年05月31日 | 雑記帳
 ある会合に出ていて、思ってしまう。

 「ああ、これは末期だよなあ」
 
 そんな傍観者的な見方でいいのか、そんな暇があったらもっと知恵を出せ、と自分自身を叱咤する声も聞こえてくるが、どうしようもなくそういう思いが広がる。

 この組織に限らず、そんなふうに感じたことが他にもあった。何か共通していることがあるぞ…思い浮かんだことを書き留めてみる。


 創設された時代とのギャップに気づいてはいるが、事業や方法がほとんど変わらない

 予算の配分が一律になっている傾向が続いている

 人が多く集まることが大きな価値だと思っている

 参画するそれぞれの人は善意をもち続けてはいるが、それが次第に萎えてきている現状がある

 結局「来年には…」という話で決着し、今年は前例踏襲となる


 ああ、書き出したら何だか虚しくなる。新しく初めて参加する会が増えた今年だから、特に感ずるのかもしれない。
 自分の立場で一言前向きなことを喋ろうと勉めてはいるが、どうしても構造的な問題と突き当たってしまう。
 
 書き出しているうちに、どおんと重くのしかかる現実が見えてくる。

 「じゃあ、学校はどうだ?」

県民性の持つ毒と薬

2011年05月29日 | 読書
 気軽に楽しく観ていたテレビのバラエティ「秘密のケンミンSHOW」も、確かに一皮むけばそんな心理が潜んでいるんだなと、この一文を読んで納得してしまった。

 特定地域集団に対する蔑視的な語り方が執拗に繰り返されている。

 まあそれほど堅苦しく考えることはあるまいと思ってはいても、これが「政治的」な色合いを帯びれば、笑い事ではない。
 従って次の言葉はかなり、真剣に受け止めねばならない気がする。

 「県民性」をめぐる言説がもちうる「毒」と、その「毒」に根拠を与える「(擬似)論理」に、注意を払う必要がある


 どちらも『秋田県民は本当に〈ええふりこぎ〉か?』(日高水穂 無明舎出版)からの引用である。
 著者が地方紙に連載していた記事を読む機会が多かったし、方言そのものにも興味があるので、手にとってみた。

 著者言うところの、「『よそ者』の視点から見えた秋田の人と風土」が結構シビアな形で並べられている。

 〈ええふりこぎ〉とは「見栄っ張り」のこと。いつの頃からか、秋田県人の多くは自らの県民性の一つとして〈ええふりこぎ〉という言葉を使うようになった。自分も何だか簡単に言ってきた。
 しかし、著者らによる調査によれば、他県人の印象はそうでもないらしい。
 このギャップを巡ること、そしてこの言葉を一つの手がかりに行政側があるプロジェクトを打ち出した(現に我が県はそんなことをしたのだから)ことに対する論考が面白い。

 県民性であれ、血液型であれ、そうした本が売れたり、番組が作られたりする背景には、所属感を持ち安住?したいという気持ちがある。それは自分も人一倍そうだからわかる。

 そんなことにとらわれない自由さにも憧れながら、県民性という言葉がまかり通り、そこに何か「薬」になる要素もあるのなら、それを使ってみませんか、という発想をしてもいい。

 もちろん、「毒」と「薬」は紙一重なのだろうけれど。

場とは戦場のことである

2011年05月27日 | 雑記帳
 思いつきとは言えないのだが、思いつきのようにぱっと浮かんでぱっと経営計画に載せてみた(まあ、いつものことなのかもしれない)言葉が「場の意識」ということ。
 例示的に説明したことは「場の継続・場の変化・場の拡大・場に応じた評価」という四点だった。

 新年度二カ月経過を前に、このことについて改めて掘り下げて考え、今後の実践に反映させていかねばならないだろう。
 そのための学習メモである。

 まず「場」とは何か。
 学校現場でよくつかわれる「場」とは、意味の上では「学習場面」がふさわしいだろう。

 そのことを踏まえて、改めて「場」の語義などを調べてみる。

【場】~広辞苑より~
 ①物事の行われる広いところ。場所
 ②物事の行われる時機、局面。ばあい。
 ③特に、戦場をいう。
 ④演劇で、ある幕のうち、舞台装置の変換が行われず、同じ場面で終始し一区切りとなる部分。
 ⑤取引所内の売買取引をなす場所
 ⑥空間の各点ごとにある物理量Aが与えられている時、Aの場が存在するといい、Aを場の量という。
 ⑦心的過程や社会現象の生起する状況を全体構造としてとらえ、動的な過程としてそれを記述または説明するための用語


 ふだん使っている言葉でも改めて書きだしてみると興味深いものだ。①②が一般的だが、⑥⑦という学術的な用語の意味も実に面白い。
 また明鏡の国語辞典で、①として「あいている所。物などを置く所」という説明も考えさせられる。

 さて、授業における「場の意識」を考えていくと、当然、空間的な場、時間的な場の両面が必要になる。
 それはまず、ありがちな言葉であるが「場の設定」で括られるわけだが、もう少し砕けば「学習のねらいにふさわしい場になっているか」と言ってもいい。

 先に挙げた四つの例示以前に、その点が何より問われなければならない。改めてその点を思う。
 つまり、本単元、本時の学習の「場」は、空間としてふさわしいのか…これは場所はもちろん、学習者の編成、学習スタイルに大きく関わりあってくる。
 時間的な場が保障されているか、もしくは大きな見通しのなかで制限される意図が明確か。単元計画、指導過程と結びつく点である。

 さらに言えば、「教師の場」の意識。
 教師の立ち位置…物理的にも、精神的にも。大きな枠組みの中でも、具体的な一時間においても。
 時間的にとらえること。単元、授業内の活動配分という意味だけではなくて、教科学習の流れ、学級集団の育ち、個々の成長の中でどんなふうに、学びを位置づけられるか…。

 キーワードとしての「場」は、ひとまず場所であり局面であり動的過程であると言い換えられるだろうか。

 そういえば、「戦場」という意味もあったな。

現場に記録がない事実

2011年05月26日 | 雑記帳
 5月26日。ある程度の年齢の秋田県人であれば、その日は印象づけられているはずだ。

 日本海中部地震が起きた日である。

 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E6%B5%B7%E4%B8%AD%E9%83%A8%E5%9C%B0%E9%9C%87


 あれから30年近い月日が流れようとしているが、今年はまたいつもの年とは違った気持ちで振り返らざるをえないような気がしている。

 当時私は、今勤務しているこの学校(旧い校舎だったが)勤めていた。教員生活5年目。二度目の六年生担任。独身。生意気を絵にかいたような若僧だった。

 その日は何かで臨時日課だったのだろうか、まだお昼前だというのに給食準備に入っていて、私はといえば職員室で煙草をふかしながら、子どもの日記でも見ていたのだと思う。今からすると隔世の感がある。

 揺れが始まっても最初は平然としていた。学生時代に仙台に住んでいた頃は結構地震が来ていたように思うし、何年か前に宮城県沖地震も経験していたので、慣れたもんよなどと嘯いていたに違いない。
 しかし、なかなか収まらない揺れ。「どれ、やっぱり出るか」と少し不安になっている心を隠して外に出た。クラスの子どもの一人が、給食盛りつけ用の杓子を持って慌てていた姿を覚えている。
 その日はカレーだった気がする。
  
 テレビかラジオはつけていたのだと思う。にわかに慌ただしくなったのは震源が日本海で、近隣の学校が被害が出ているらしい男鹿などに遠足に出かけていたことがわかった頃からだったろうか。
 あの時ラジオで、油田のタンクが炎上し、国道が不通になっているとアナウンサーが切迫した声を出したことも覚えているが、それが誤報だとわかり、メディアからの情報に対する不信感を抱いたことも記憶にある。

 全体的に記憶はおぼろげだが、一斉避難とか集団下校にはならなかったのは確かである。
 気になって沿革や文集を見てみたが、地震という記述はどこにも探せない。それは今思うと驚くべき事実だ。

 津波によって遠足中の小学生が亡くなったことは私たちには衝撃的な出来事だった。
 しかし、安全指導の面で少なからず「想定の幅」が拡がったのは確かだったが、やはりまだまだどこか余所事のようにとらえていたのではなかったろうか。
 記録がない学校現場はそれを物語っている。

 まだ穏やかな時代が流れていたと解釈もできるが、単に能天気だっただけだと指摘できる厳然たる事実だ。

今こそ受動の力を鍛えよう

2011年05月24日 | 読書
 昨日書いた受動性、能動性のことが頭に入っていたからか、ある雑誌のページをめくっていたら、こんな言葉が目に飛び込んできた。

 能動的「受動」の力

 これは副題として書かれていた言葉である。
 いったい何のことだと予想するだろうか。

 きく力(一)

 というタイトルである。

 ああそうかと、簡単に結び付けてはいけない。
 この「きく」というひらがなをどうみるかである。

 「きく」と言えば、「聞く」があり「聴く」もある。「聴」は「心」が入っているから心を込めて聞くことなんだよ、とありがちな説明も知っている人は多いだろう。
 また「訊く」という尋ねる場合もあるとか、「効く」とか「利く」なども…。

 能楽師の安田登という方が、「子どもの『五感』が生きる教育」と題して連載しているこの論考で、「きく」に一番近い意味の漢字として取り上げられるのは、なんとこの漢字なのである。

 

 筆者は「観」の語源から「詳らかに見る」という基本の意味を取り出し、「降神を待ち、神意を問う」という複層的なイメージも含むという。
 こう書いてくると、ある言葉が近づいてくる。

 「観音」、「観世音」である。

 観音とは「音を観る」こと、つまり「きく」という意味が含まれるといえる。
 「観」とは「見る」であり「聞く」でもあると解釈される。

 「見る的な聞(聴)く」、すなわち能動的「受動」が、観音様の「観」なのだ。聞こえてくる声を聞くだけでなく、聞こえない声も聞こうとする能動性を持つ聞く、それが「観」だ。

 「きく」という行為は、受動的であることは確かだが、そこには深い世界がある。
 この論考にある「模倣神経」の存在、「思い出」という言葉にみられる受動的な反応の不思議さ…「きく」行為とは、なんと重要であろうか。

 さて、授業中のこどものつぶやきを逃さないこと、その大切さは誰しもが言う。
 しかし、私も含めて教員は「はなす」練習等は比較的行っていても、「きく」練習はなかなか意識しないし、出来ないでいる。
 能動的に観る…見る、きくことを続けていかないと、単なる狭い受動力しか持てなくなる。意図的な研修も必須だ。

 教師よ、今こそ受動の力を鍛えよう…いい結論ではないか。

アイタタタタ、それでも…

2011年05月23日 | 読書
 私が一番信じられないのは、三十歳にも四十歳にも五十歳にもなって、人から課題を押しつけられてそれに応じる受動性だ。

 アイタタタタタタ…と思わず胸を押さえてしまう。そうきましたか保坂和志、である。
 この「寝言戯言」というエッセイは愛読しているが、今回はかなり辛辣である。

 就職試験の話題から始まって、算数の文章題における子どもたちの反応、成績そしてそれに応じる能力、進学、就職、仕事の話となる。
 文章題にでてくる「よしおくん」が誰なのか、「どうしてリンゴをあげたか」に引っかかる子が多く、「問題」までたどり着けないという件が出されている。
 確かに算数の文章題に関して、人名や設定に疑問というか妄想を抱く子はいる。学年が低ければ低いほどその率は高いが、指導者の工夫によったり、訓練によったりしながら、いわば「こういうもんだ」という収束をしているのが現状だ。

 しかしそうでなければ成立しない現実、教育課程編成はそういう能力観で組織されていることは間違いない事実である。
 もちろん、受動性のみを育てようとしている教師などどこにもいない。
ただ結果として、そう受け取れざるを得ない指導をしている教師はいるだろう。
 そしてその多くは、自分をそんなふうには考えていない。そんなふうに見つめる余裕も見いだせないこともある。
 
 人間には受動性も能動性も必要だ。どちらか片方だけで生きている人などいない。
 人によって性格が様々であるというのは、このバランスのあり方を示しているのかもしれないと思う。
 どちらにも良いことがあり、怖いことがある。
 
 保坂はこんなふうに書いている。

 受動性の怖いところは、物や事の原理・法則につこうという志向を忘れ、課題を与えてきた人が満足する回答を捜してしまうこと。

 確かにその通り。
 しかし、物や事の原理・法則につくことだけで生きていくことができるのかな、と考えたりする。そんなふうに生きて生けるのは、ある種の天才かもしくは狂人か…と凡人は考える。

 凡人は、物や事の原理・法則のいくつかを離さなければそれでいいのではないか、と言い訳じみた終わり方になってしまった。

聴衆の前に立つ前提

2011年05月22日 | 雑記帳
 とある絵本作家の講演会を聴きにいった。

 自分が書いた紙芝居や絵本などを読み聞かせながら、後半に差し掛かった頃、興味深いことを話された。

 作家が絵本を読むわけ

 詩人が自ら作った詩を読んだり、絵本作家が自分の作品を読み聞かせたりする会、イベントがよく催されているようだ。
 残念ながら地方にいるとそんな機会はめったにないのだが、テレビなどでもそんな番組があり、見たこともあった。 

 今まであまり深く考えはしなかったが、作った本人が読むことによって、より味わいの深い表現があるのかな、という程度だった。
 その作家は、小学校での読み聞かせを例に、こんなふうに語った。

 対象となる子どもたちと触れ合いたい

 対象というのはつまり読者という意味だろう。
 昔、自分の子どもと遊んだり触れ合ったりしたことが創作のきっかけとなったということも話されていたので、その意味ではやや懐古的とも受け取れるし、一種のリサーチとも考えられよう。

 その作家の読み聞かせがどうだったかはともかく、紙芝居や絵本を読むテクニックは、プロや熟練者の方が圧倒的に高いだろう。
 だから、当然「かく」という表現に留めておき、「あらわす」という表現は別の人に任せるべき、という考えも成り立つ。

 しかし、その点を踏まえてなお、作家に自作を読む価値を考えるとすれば、その筋や言葉、絵や色を必ず楽しんでいるはずである、(もちろん「楽しむ」だけではないだろう)という点にあろうか。

 その心を持って聴衆の前に立つということが実は一番肝心で、その前提が作家には100%備わっている…それが、どうにも揺るがない強みである。
 その強みをもってコミュニケーションを図ろうという意欲があれば、きっと聴衆は惹きつけられる。

惜しみなく力を出させること

2011年05月21日 | 読書
 先日紹介した、道徳の副読本にも載っている上大岡トメの本をまた見つけてしまった。

 『しろのあお』と題されているが、副題が興味をそそる。

 小学生に学ぶ31コのこと

 まあ、目次をぺらっとみれば、「キッパリ」線上の小学生主人公版と言えることはわかるのだが、なかなか面白そうではないか。
 
 誰しも小学生だったことを思えば、中味は「あるある」の連続だが、どうしても途中から教師モードに入っている自分がいて、結局端を折り込んだページの「学んだこと」は、次の三つ。

 耳の穴を開いてもらうために、相手が興味を持つ話題を探そう

 時には、ボイスチェンジも効果的

 毎日、惜しみなく力を出しきろう


 と、ごく平凡な感じのものになってしまった。
 
 しかし、先の二つはともかく、三つ目は少し考えさせられるところがある。
 この本にはこう書かれている。

 小学生たちを見ていて、いちばん自分と違うと強く感じるのは、「惜しみなく、毎日全部のエネルギーを使い切っている」ということです。

 大人との比較であればそうとも言えるだろうが、最近の小学生の多くが本当にそういう過ごし方をしているかと言えば、大きな疑問符が浮かぶ。
 主人公のモデルは著者の息子らしいので、そういう姿が見られるのであれば、それはそれで伸び伸びとした家庭環境があればこそという気がする。

 去年のPTAの場だったか、保護者に向けて話したことの一つに、「お願いをぎりぎり一つに絞り込めば、学校で教室で全力を出せるように毎日送り出して欲しい」ということがあった。そのための心身の管理として…とつなげたのだが、実はこれは私たちにはね返って来る大きな課題でもある。

 つまり、そうやって登校してくる子に対して「全力を出し切らせる活動をさせているか」ということである。様々な環境に育ち、多様な条件をもっている子どもたちを相手にどのような活動をどれだけ組んでいくか…
 「全力を出させること」自体に、年々制限が加えられていくような学校を取り巻く現状がある。その点についても凝視していかねばならない。

悲しい連鎖の記事

2011年05月20日 | 雑記帳
 今朝の新聞記事は、ちょいと悲しかった。

 「募金しない生徒名掲示」と題されたその記事は、県北にある中学校のことだ。
 生徒会が自主的に企画した震災の義援金について、全生徒の協力を目標に一人200円以上で任意で募った。学校も通信で呼びかけて協力したとある。
 そして、ある担任二人が締め切りが近づいた頃、募金していない生徒の名前を書いた紙を黒板に張り、掲示後に募金した生徒の名前にチェックを入れた。
それを知った保護者から苦情があり、その掲示が外されたという顛末である。

 もちろん、金銭が絡むことに関してこういう手立てをとった担任は責められる。配慮を欠いていることは認めざるを得ない。

 ただ個人的には、それ以上に、なんだか悲しいという気分が残る。

 私たちの中に蔓延している「募金」という名の強制。「任意」という名の決定。
 全員が足並みを揃えることの大切さは認めていても、その内容や手段について検討したりする余裕もない現実。

 そしておそらくは、何かしらの理由を抱えている人たちから苦情がでていること。もしくは、単なるルーズさの詭弁としての苦情。
 苦情がどのような経緯で新聞記事になるのか、ということ。

 悲しい気分に浸っているのではなく、それらを打開する術を出してみろと自分に言いたい気持ちもあるが、とてつもなく強大な現実だ。

 しかし、生徒はそこから何を学ぶか。

 見方によっては凄い「教材」だなと思ったら、悲しみは少し和らいだ。

希望をもつために何かを続ける

2011年05月18日 | 読書
 「被災地で子どもが書いた作文」という言葉に惹かれて、また文藝春秋誌を買った。

 お目当ての記事の冒頭に「東六郷小」という校名が登場して少し驚いた。
 震災以来心の隅にその名前はあったのだが、これは大学4年次に教育実習をした学校だった。思い出が多いわけではないが、確かにその場所で教えた記憶は残っている。
 子どもたちの作文はどれも淡々とその事実が綴られており、それゆえにまた重さが伝わってくると感じた。

 それとは別稿だが、玄田有史という方が「希望学プロジェクト・釜石の火は消えない」という文章を書かれている。
 他誌でもその名前は見かけたことがある。そのときにはあまり気にとめなかったが、「希望学」とはなかなか面白い考えだなあと思った。

 調査をして頻繁に通った釜石の方々との交流もさることながら、希望とは何かという学問的な説明も興味をひいた。

 希望学では希望(Hope)を A Wish for Something to Come
True by Action と考えた。希望は「気持ち(wish)」「何か(something)」「実現(come true)」「行動(action)」の四本柱から成り立つ。


 そして氏は、こんなふうに続ける。

 過酷過ぎる状況では、最初から途方もない希望を持つのは控えるほうがいい。

 うなずける。
 比べようもない安穏とした日常であっても、時に訪れるしんどい状況のときに、気持ちや望みを強く持つよりは、目の前の何かに焦点を定めて実現するように淡々と行動する。
 その行動の繰り返しによって、希望が見えてくる場合がある。
 いや、もともと気持ちは確かに存在するのだから、その存在が大きく強くなっていくとでも言えばよいか。

 まずは「何か」を設定することから始まる。
 その何かとはきっと、いつでも目の前の些細なことである場合が多い。