今月の中頃に行われた祖父母交流会の中で
餅つきをして会食する場があった。
閉会のときの挨拶で、ほんの少しだけ「食」の話題に触れた。
「コショク」という言葉に刺激されて話してみたが
事前の調べも足りなく、少し舌足らずになってしまったと反省している。
そこで調べなおしをしてみると、
「コショク」にはずいぶんたくさんの意味が込められていることがわかった。
「個食」と「孤食」
これが私がはっきり知っていた書き方であり、
どちらもひとりで食事をする風景と思っていたのだったが
少し意味は違うようだ。
「孤食」、これは文字通り、ひとりで食べること。
「個食」は、一緒に同じ物を食べるのではなく、
親子が別にバラバラのものを食べるという意味で使われる。
そして、少しあやふやだったいくつかの「コショク」。
「固食」…食べるものがいつも決まっている
「小食」…食欲がなく、少ししか食べない
「粉食」…パンなど粉を使った主食が中心
なるほどと思う。
すべての「コショク」を改善せよということは無理な話ではあるが
いずれも成長期の子どもたちへの影響は大きいだろう。
なかでも「個食」「孤食」は、そこに悲しい風景さえ浮かんでくる。
家庭教育の中の芯とも言えることではないか。
誰の文章か失念したが、「食」に関して心に留めている言葉がある。
何を食べるかが問題なのではない。
誰と食べるかが問題なのだ。
餅つきをして会食する場があった。
閉会のときの挨拶で、ほんの少しだけ「食」の話題に触れた。
「コショク」という言葉に刺激されて話してみたが
事前の調べも足りなく、少し舌足らずになってしまったと反省している。
そこで調べなおしをしてみると、
「コショク」にはずいぶんたくさんの意味が込められていることがわかった。
「個食」と「孤食」
これが私がはっきり知っていた書き方であり、
どちらもひとりで食事をする風景と思っていたのだったが
少し意味は違うようだ。
「孤食」、これは文字通り、ひとりで食べること。
「個食」は、一緒に同じ物を食べるのではなく、
親子が別にバラバラのものを食べるという意味で使われる。
そして、少しあやふやだったいくつかの「コショク」。
「固食」…食べるものがいつも決まっている
「小食」…食欲がなく、少ししか食べない
「粉食」…パンなど粉を使った主食が中心
なるほどと思う。
すべての「コショク」を改善せよということは無理な話ではあるが
いずれも成長期の子どもたちへの影響は大きいだろう。
なかでも「個食」「孤食」は、そこに悲しい風景さえ浮かんでくる。
家庭教育の中の芯とも言えることではないか。
誰の文章か失念したが、「食」に関して心に留めている言葉がある。
何を食べるかが問題なのではない。
誰と食べるかが問題なのだ。