すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

元気がからならから元気

2011年03月31日 | 雑記帳
 学校の大晦日である。
 例年以上に何か重いものを抱えている感じが残るが、それは当然のことと受け止め、歩みを進めねばと思う。

 今年の年明けは少し健康的な不安を感じたこともあり、冴えないスタートだった。
 三学期が始まる少し前に、巻き直しとばかりに三月までにやりたいことをリストアップしてみた。
 やらなければいけない仕事だけでなく、自分の願望も含め全部で27項目挙げてみた。

 どれほど実行できたか数えてみる。
 「ほぼ完了」としてもいい項目が12。
 「着手」もしていない項目が10もある。

 理由はいろいろ考えられるが、自分のなかのマンネリズムが大きいのではないだろうか。
 だからこうやって小手先を変えてみたりするのだが、結局、最初の熱を維持できないでいる。
 十年来続けてきたホームページの「読書メモ」も、つい先週取り掛かったばかりである。三月末まで取り掛かれなかったのは初めてだ。
 http://homepage3.nifty.com/spring21/hondana.html
 内田教授の『こんな日本でよかったね』をいまだにあっさり評価できないのは何か象徴的だ。

 それでも、今年は去年より少し教育系が多いかな。ちょっとクダラナイのもあるが、結構いい本を読んでいるじゃないか。ランクも高めだ…と無理矢理テンションを上げてみようとする自分。
 まだ手をつけていない書籍もあるし、よしっと気合を入れようか。

 休日のテレビで誰かがこんなことを言っていた。

 「被災者になっていない者は、『から元気』でも何でも出したほうがいい」

 「から元気」で全て良しとは言えないだろうが、「元気がから」と落ち込んでいるよりは、かなりマシだ。
 うわべを飾る力は残っているということなので、見込みはあるかもしれない。

行為の意味を見つける

2011年03月30日 | 雑記帳
 震災の後、連日ACジャパン(旧・公共広告機構)のCMが繰り返し流されている。
 これだけ繰り返されていれば、注目度は上がるだろうと思ったが、やはりそのようである。詩集が売れ始めている。

 こころは誰にも見えないけど、こころづかいは見える
 思いは見えないけど、思いやりは誰にでも見える


 コピーとして秀逸だなあと思うし、まあ平凡な映像ではあるが、その平凡さが嫌味な感じも与えない。

 「宮澤章二」という名前がかすかに見えて、どこかで見かけている、何かで使ったような気がするとは思うのだが、記憶は不確かである。
 それで検索をしてみたのだが、これだというものにはたどり着けないままだ。
 http://acore-omiya.net/?eid=105

 しかし、CMで使われたことばの原作品「行為の意味」を読めたことは収穫だった。いい詩だなあとつくづく思う。
 コピーとしての制約をうけたフレーズとは違う力強さや気高さといったものが感じられる。それは最終連、特に終わりの二行。

 あたたかい心が あたたかい行為になり
 やさしい思いが やさしい行為になるとき
 〈心〉も〈思い〉も初めて美しく生きる
 -それは 人が人として生きることだ


 まさに行為の善的な意味。
 宮澤章二は6年前に亡くなっているが、その命日が3月11日と知って、また神妙な気持ちになってしまうのは、私だけではないだろう。

「祭り感覚」を越えて

2011年03月28日 | 雑記帳
 ネットの記事で、「週刊ポスト」の特集がいいと書いてあったので、行きつけの書店で1冊だけ残っていたものを手に入れた。
 http://news.nifty.com/cs/technology/techalldetail/r25-00005781/1.htm

 「いま私たちは何を考えどう行動すべきか」と題され、30人を越す著名人が様々な考えを述べている。
 もちろんそこに直接的な被災者はいないわけだが、自らの身の処し方を考えさせられたり、提言があったりで、総じて励まされる内容が多い。編集の意図が十分に伝わってくる。

 さてそのなかで、精神科医の斎藤環氏がその立場からこんな見解を述べている。

 震災直後は被災の有無にかかわらず、国民全体が軽い躁状態になる。・・・・(略)・・・・・これは一過性のもので、悪くいえば「祭り感覚」です。

 確かに。
 マスコミ報道の量は当然のものとしても、私たち自身もまたそのことについて語らざるを得なくなっているような気分もする。現に今自分が記していることもそうだ。氏は、これは一つの「防衛反応」と書いている。そうかもしれない。
 そして、次の文章はもっと注目しなければならない。
 
 被災者は時間の経過とともにトラウマが強くなり今度は鬱状態になります。

 そうしたことへの対策はとられ始めているのだろうが、圧倒的に不足することはちょっと想像しただけでも分かる。
 ここでも無力さを感ずるが、やはり自分にできること、例えば義援金や物資提供、さらに信頼できる方々からの呼びかけに応じたメール行動などを続けていくしかないだろう。

 忘れてならないのは、次の意識だと思う。斎藤氏はこのようにまとめている。

 ある程度長い期間、周囲の人たちが注目し続けてあげることです。

肌身で知る経験

2011年03月26日 | 読書
 職員の一人が研修会に参加して勧められたという書籍を、私も買い求めて読んでみた。

 『発達障がい児 本人の訴え ~龍馬くんの6年間』(向山洋一監修 東京教育技術研究所)

 昨年の日本教育技術学会で紹介された発達障害を持つ小学生の作文と、いわゆる向山一門の教師たちがその作文に書かれた実態をもとに著した文章を合わせた内容である。

 龍馬くんは6年生の夏休みの自由課題に、自分の障害について調べ、今まで自分がどう思ってくらしてきたのか、どうすればいいのかなどをまとめることに取り組んだ。
 広汎性発達障害について、いくらかの知識はもっているが、障害を持つ本人しかも小学生が書いた文章をこれほどまとまった形で見るのは初めてだった。

 その中で特に気になった記述は、ここである。
 図書館で大声を出し、注意書きをはられ、それ以来図書館に行ってないことに対して、本人なりの対策の文章である。

 信頼していない人からの注意書きは、混乱を招くだけ。正しいやり方は、信頼している大人から伝えた方がいい。

 現場で障害児に接するとき、気を遣う大きなポイントとも言える。
 多くの職員が信頼を得られることが望ましいわけだが、現実にはそうはいかない。そうなるための方策こそ共通理解されなければならない。

 TOSS関係の本は本当に久しぶりだ。23人が見開き2ページずつを受け持って、教科学習や生活などの視点から書いている。
 いつもながらのパターンを持つなあなどと思って読み始めた自分の頭は、先に引用したことの解を求めている。
 つまりは、障害児から信頼を得るために何をなすべきか、という点である。

 間島祐樹氏は、原則を次のように書く。

 教えてほめる。

 確かにその通り。あまりにシンプルすぎるので、小野隆之氏の文で補えば、こうなる。

 正しい行為を教える。そして、できたら褒める。

 ただ「注意書き」を貼ってすますような、「今、何をすべきか考えろ」などという安易な働きかけでは話にならない。状況を話し具体的な行動の仕方を教え、変化が見られたことを認め、褒めてやることが一歩である。
 さらに補えば、小嶋悠紀氏がこんな言葉を遣っている。

 エラーレスラーニングが信頼関係構築の要

 そのために揺るぎない技術をもって指導しなければならない。
 しかし一番肝心なのは、古い言葉ではあるが「忍耐」を持って接することではないだろうか。
 本人の持続的な意志が絶対条件でありそれを支える周囲の態勢や眼差しなどいくつかの必要条件もある。

 間嶋氏は「変化がなく、心が折れそうになる日が何度もあった」と述懐している。それを乗り越えるエネルギーが技術に注入されなければ、子どもの信頼を得ることはできないと肌身で知る経験は貴重だ。

問いをくり返してみる

2011年03月25日 | 雑記帳
 自然との関係を感じとったとき、私たちは自然の現実を知り、その自然との結びつきのなかにある人間の現実を知る。

 ふだんならば読み過ごすような一節であっても、今の心には重く響く。哲学者内山節の文章である。

 今、目の前にある現実をどうとらえるのか。これは単なる不便さや不安さを越えて、問いかけなければならないように思う。

 先日、「現実はそこにあると同時に、つくりだすものである」などと少し気取った文章を書きつけた。それを内山が語る言葉に置き換えると、こうなるだろう。

 現実とは双方向性のなかにあるのだろう。人間たちの働きかけが、気づかなかった現実を発見させる。さまざまな現実からの働きかけが、それらをとらえようとする人間たちを生成する。

 こうしている間にも避難している人たちの現実はつくりだされている。まだなお余震が続くなかで、原発倒壊による不安のなかで、行き届かない物資にいらだつなかで…。
 生命の危険を感じているなかでは、現実への対応をどうするかが全てであることは確かだろう。しかし、そこから離れた場所にいる者は、その距離に応じて、もう一つの視点を持たねばならない。

 一方で現実的な対応を考えながら、他方で根本的な問いをくり返す。

 二つの調和は無理かもしれないし、矛盾に突き当たるだろう。しかしなお、それでも必要なことだ。
 実は壊れかかってきている人間社会ということを私たちは感じ始めていながら、目を背けたり、身を任せたりしていた。
 もうやっていけないのではないかと思いつつ、根本に返って考え直してみることをためらっていた。

 国家レベルの大きな問題から職場や家族の問題まで、仮にそれぞれが三つほどの問いをくり返し、それによる行動が始まれば社会はかなり変化するのではないか、と思いつきのようではあるが実効性があると信じたい考えが浮かんでいる。 

彼岸明けに降る雪を見ながら

2011年03月24日 | 雑記帳
 我が町のホームページに「平成22年度積雪状況」というページがあり、今冬は結構アクセスしていた。
 昨年度との比較をしていて、その差が興味深い。
 昨年はこの彼岸中に0㎝という記録が出ている。けれど今年はまだ1メートルを越す高さである。
 http://www.town.ugo.lg.jp/administration/detail.html?id=1306&category_id=55

 21日に墓参したときも、やはりいつもの年とは雪の高さが違うことは明らかで、ほんの少し顔をのぞかせた程度の墓石の前に、お供えするのはなんだか申し訳ないような感じだ。
 昨年末に他界した叔父の塔婆もまだ半分は埋まっていて、「まだずいぶんあるなや」などとつぶやく声が聞こえてくる気がする。

 それでも手を合わせれば、自分や周囲のことだけでなく、この震災で亡くなられた方のご冥福を祈る気持ちがわき上がり、長く佇んでしまった。
 予想できたこととはいえ、夥しい死亡者の数に火葬さえままならない状況が出てきていると新聞で見た。遺族の心の痛みはどれほどのものだろうか。

 私たちが住む地域では学校が春休みになっても雪は降り続き、雪消えも思うにならない。部活動関係の保護者はグラウンドの排雪をしたいが、押し寄せられた量的な多さ、そして器機の燃料不足という両面からなかなか手を出さないでいるようだ。
 きっと新年度の行事予定にも大きく影響が出ることだろう。

 しかし、それでも残った雪が消えないということはない。
 時期が遅れたとしてもきっと黒い土が顔を出した時は、私たちはその解放感に心浮き立つだろう。
 
 そう考えると、あの地震、津波がもたらした現実というのは、あまりにつらいものだな、と思いはまたそちらへ向かう。。
 瓦礫が片づけられ、整備が始まり、痕跡が残らぬように復興がなったとしても、きっと心に降り積もった氷のような悲しみが全て溶けてしまうことはなく、様々な形で欠片を残すに違いない。

 せめてその地に温かい陽の差す日が多いことを願う。
 この地に今もちらちらと降る雪など、本当に何ほどのものかと思う。
 まあそう書きながらも、土が恋しくなっている気持ちが湧き上がってくることは止められない。

祈る作家の言葉

2011年03月22日 | 雑記帳
 仙台在住の作家伊集院静が週刊誌に文章を寄せている。8ページにもわたって、地震発生から一週間ほどのことを書いている。

 この時期、ペンを持つ人たちがどんな発言をするか、少し興味があり、多少の切抜きを始めた。今読んでどうということはないが、読み直す時期がやってくるように思っている。

 避難所では技術を持った方が重宝され、貴重な働きをしているし、ボランティアとしても有効な場面が多い。
 では、作家なら何をすべきか、と考えたとき、ペンを持つ余裕があるならばそれで発信してみせることこそ大事と思う。

 その日の夜半から「仕事場に入り、ローソクの下で午後から起こったことを簡単でもいいから記しておくことにする」と動いた作家は、かなり詳細に自分の身の周りで起きたこと、見聞きした情報について思ったことを綴った。

 それはやはり、自分の内部に蓄積された情報によって「動き」が見つめられ、この非常時に起きる様々な事象に疑問を投げかけたり、感心したりする内容となっている。
 作家だからと言って何か劇的な感じ方や動きをしたわけではないが、自分の感性を書き留めるプロは違うなあと感じた。

 その夜、カップ麺を食したあとに庭に出た作家はこう記している

 空を見上げると、驚くほど星があざやかである。
 ――何だ?この異様なあざやかさは…。
 空を見上げながら、いったい何人の人がこの星空を見ているのだろうかと思う。


 そういえばその夜、自分も玄関から外に出て月を見ていた。
 下弦の細い月がこんなにも明るかったとは…と感心してシャッターをきったが、うまくは撮れなかった。停電がもたらした人の世の闇を、こんなにも明るく照らす自然もあることを久しぶりに知ったのだった。

 震災によってえぐられる人の心の醜さも指摘しながら、同時に人々の逞しい生命力を信ずる作家の次の言葉に励まされる。

 希望の光というものは万人に同じかたちで差すものではないが、それでもいつかは誰にも差すものだ。

 具体的な支援とともに、祈りの言葉の力も大きい。 

今、その言葉は重い

2011年03月21日 | 雑記帳
 連休中に部屋の片づけを思ったが、二日間給油待ちをしたせいもあったりで何か気乗りせず、半端な形となってしまった。
 それでもいくらかと思い、書棚のファイルをめくっていたら、あれっと思う資料が一つ出てきた。

 平成11年の秋に研修会に参加して、それを校内向けに報告したB5版の記録である。
 
 「防災教育・災害時の心の健康に関する研修会」と記してある。そういえば、あの神戸の震災の後にそうした対策がとられ、その類の研修会が続けてもたれた時期があったことを思い出す。

 ごく簡単なメモ程度のものだが、「災害時の子どもたちの心のケアについて」という精神医療センターの方の講話を聴いて「印象に残った言葉」を書き留めてある。

 天災に対しては、人の心は強い。しかし、人災は人の心を傷つける。

 テレビを中心とした報道がどの程度真実を伝えているかは、なかなか予想しにくい。しかし、この週末に画面に見えた姿の中に、確かにたくましい気持ちの存在を確かに感ずることがある。
 むろん結論づけることではない。立ち直れないほどの哀しみや傷を抱える人は数多くいるのだろうと思いつつも、しっかり向き合っている人も少なくないと信じたい。

 しかし、その後に被災地で起こっている、ある意味で人災的な出来事に対してどう対応していくかは、心配が残る。悪い条件が重なりあうことによって、支援がスムーズに行き届いていないことが指摘されている。誰一人いち早い安全安心の確保を願わない者はいないだろうが、歯車をうまく重ねるのは、そんなに簡単なことではないのかもしれない。

 もう一つ、かなり重い言葉がメモされている。災害時の子どもの心理について書かれている箇所だ。

 子どもたちは、先生を見ている

 被災地での教職員の奮闘に心からの敬意を表する。
 そして今同じ時間を共有している私たちもまた、その意識を忘れず復興を支えていかねばならない。

給油待ちで、『生きる歓び』

2011年03月20日 | 読書
 3月4日に入れたきりのガソリン。地震のあった11日に実は入れるチャンスがあったのだが、スタンドの職員に「緊急でなければ」と言われて、列をつくるのを止めた経緯がある。
 幸いなことに勤務校は近いので、それほどの危機感を持たず、スタンドに並ぶ長い行列を横目で見てきたが、もう限界に近くなった。

 昨日の朝、縁者に連絡を入れたら、何とかなるという。とあるスタンドのカード会員440名分が確保されている。№423というスタンプの押された整理券をもらい、カードを借りることが出来た。
 整理券があるものの少しは早めにと並んだのが9時半前。
 それでも結局ハイオク2000円分(12.2ℓだった)が入れられたのは、正午近くになってからだった。
 会議等で出かける予定はあるが近範囲だし、あとは通勤だけであれば、4,5日は持つだろうとほっとした思いになる。

 また、本来であれば休日のなかをたくさんの関係職員が、寒い中を道路の安全確保、車の誘導や給油に頑張り、「お待たせしてすみません」と声をかけてくれることに、温かいものを感じた。
 避難所のある地域とは比べものにはならないが、ここにも一つの底力を見る思いがする。

 待たされるのは覚悟のうえだったので、読みかけの文庫本を持っていった。

 『生きる歓び』(保坂和志  中公文庫)

 昨年から少し気になっている作家である。同年代であることや、独自の視点から綴る強さのある文章に惹かれている。
 冒頭の1ページは句点がなく、言葉を書き並べて状況を語っていて、何か落ち着かない気分で読み始めることとなった。もちろん、それは作者が伝えたい思いを表すスタイルとして選択したことだ。
 
 墓地に放置された子猫をどうするかと思いを巡らすなかで、作者はこう書く。

 人間の思考力を推し進めるのは、自分が立ち合っている現実の全体から受け止めた感情の力なのだ。

 「純粋な思考力」などたかが知れていて、目の前で起こったこと、見たことを基盤に思考するのが人間だということだ。
 ごくもっともなことのように思えるが、時々私たちはそこを乗り越えて物知り顔で、様々なことを語ったり、言い合ったりする。

 この時代、ごく身の周りしか見ないということは非難されるのかもしれない。しかしまたいくら目を凝らしてもテレビ画面から伝わらないこともあるし、原発問題のどの記事を読んでも自分が何かアクションできるかといえば皆無だ。

 情報を遮断するということではないが、今だからこそ自分の生活を見つめ、身の周りで動く現実に目を凝らさなければならない。
 募金や物資援助が始まっている。そしておそらく被災者受け入れなどもあるだろう。それらをどう目の前に引き寄せ、どう対応していくか、そんなふうに焦点化していくことは、生きる歓びにつながっていく気がする。

 現実はそこにあると同時に、つくりだすことでもあるのだから。

教師・賢治の輝き

2011年03月18日 | 読書
 一週間前に読んだ本。地面と海面が大きく揺れる前日にメモしておいたものだ。

 『教師 宮沢賢治のしごと』(畑山 博  小学館)

 芥川賞作家が教え子たちへの取材、証言を基に書き上げた。80年代の名著といってもいい本だろう。
 たしかこの本を基にドラマなども作られたのではなかったかと記憶している。

 教師としての宮沢賢治をどう評価していいか…これはどういう視点で賢治をとらえるか、賢治に何を感じて向かっているかによるのだと思う。賢治を研究する方々が他にどんなことを書いているのかも興味が湧く。今まであまり印象的なものには出会っていない。

 さて、本書のなかで文句なく「ええっ、凄い」と感じたのは、次の箇所。長坂俊雄という教え子の言である。

 農業実習のあと、生徒たちを二組に分けて、ディスカッションさせることもよくありましたよ。あるときのは、「春を好む者」と「秋を好む者」に分けてやりましたよ。・・・(略)・・・・
 ときには好まない者が好む組に回されたりします。


 単なる二組に分けたディスカッションでなく立場を替えて行ったりしていた、という教え子の言葉から想像される学習はまさにディベートそのものである。
 大正時代の東北で行われていたことに何か感動すら覚える。
 当時の高等教育における教授手法の中にディベートがあったのかどうか調べもしないで断言はできないが、まさに賢治ならではの場の設定のように思う。思考、発想の広がりを求める声が聞こえるようだ。

 「再現 代数の授業」の章における進め方は、「活用」「活用」と叫ばれている現在の教育風潮を皮肉っているのではないかと思えるほどだ。(もちろんこの本の発刊された頃には考えられなかったことだが)。

 そこで賢治は、生徒が登校に要する平均速度を扱っている。
 単に「かかった時間」を「距離」で割るのではなく、一日一日の自分の登校の様子や状態を降り返らせ、いくつもの計算式を書かせる作業を通してから抽象化に持っていくのである。
 著者はこう書く。

 一見無味乾燥に見える 分子/分母 という式にも、実はそんな「心」の軌跡があるのだということを、賢治は教えたいのである。

 学問はかくあるべしという一つの姿を見る思いがした。

 賢治という才能は、所詮教員という枠の中に納まりきれるものではなかったと思われる。しかし、その五年間の輝きが生涯のなかでもかなり貴重であり清々しさを感じるのは、けして私だけではないだろう