すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

原点回帰・現実直視

2012年04月30日 | 雑記帳
 春休みだったろうか。BSで観た岩井俊二監督のドキュメンタリー映画「friends after3.11」は見応えがあった。
 http://iwaiff.com/fa311/

 特に二人の話、インタビューに強い印象が残る。

 一人は、小出裕章氏(京都大学)。反骨の原子力研究者というのはあまりに陳腐な形容であるが、そのどこまでもしなり強い考え方の語りに圧倒されそうだった。

 そしてもう一人は吉原毅氏。
 あの城南信用金庫理事長である。
 震災のすぐ後に「脱原発」を表明し報道されたことは当然知っていたが、じっくりとその考えを聞いたことがなかったので、とても新鮮だった。その筋の通った話し方は、思わずこちらの背筋も伸びてくるようだった。

 その吉原氏の対談記事が、『通販生活』の今月号に載った。
 「落合恵子の深呼吸対談」という連載のゲストである。いかにも『通販生活』らしい内容だが、改めて吉原氏の素晴らしさ、企業人としての矜持がひしひしと伝わってきた。

 信用金庫の目的は、おカネ中心の世の中がもたらす弊害を是正し、地域を守り、地域を幸せにすることです。

 恥かしい話、銀行より規模の小さい金融機関という程度の認識しかなかった。
 しかし、協同組合運動をルーツに持つこの組織の理念はしっかりしたものだった。
 翻って、では他の団体、組織はどうなのか…と考えれば、傑出している発信の重みがわかる。

 こういう大変なときに勇気を持って発言しなければ、誇りも何もなくなってしまう。
 自分に囚われると勇気は後ろに引っ込んでしまう。


 予想するに難くない数々の抵抗や他企業からの厳しい目があった。
 それらを振り切って、原点を守り、かつ現実を直視した行動を起こしているのである。

 3割の節電、電力のPPSへの切り替え、節電推進のためのローンや預金商品、そして自前の現地ボランティア活動…他に行っている企業もあるとは思うが、それらもきっと企業理念に従って明確に行動しているのだ。

 揺さぶられて見えてくることは、やはり「姿勢」である。

 それは、「原点回帰・現実直視」。

 ここ数日、結局同じことを書いている気がする。

手放さず持ちたいもの

2012年04月29日 | 雑記帳
 近くに県立の養護学校があり、年間通じての交流活動が行われている。
 一昨日の夕刻から今年度の職員の顔合わせということで小宴が持たれた。

 平成に入ってすぐ始まったこの交流は20年以上の歴史を持つ。
 教育計画冊子を紐解いてみれば、文部省(当時)指定として始まったようだが、これだけ長い間継続できたことには、それなりのきっと理由があるだろう。

 中心になって動いた職員の力が大きいだろう。
 もちろん「成果」と言えることも多いに違いない。
 けれど、長い年月の間にたぶんに面倒なことが増えたり、疑問が湧いてきたりということも少なくないはずだ。
 それを乗り越えて続けられてきた理由の一つには、代々、これらの学校に勤めた教職員が等しく心の中に持つ思いがあったからではないか、そんなことを想像した。

 挨拶の中で、次のように表現した。

 今、学校は、教員は、スピードを求められ、成果を求められ、数字を求められ、サービスを求められ、説明を求められ…そんななかで右往左往している気配があります。
 しかし、明日花が咲かなくとも、三年後や十年後、もっと先を見通して、行われるべきことがあるはずだ、という思いは、私たち学校教育に携わる人間は必ず心の隅で手放さずに持っているのではないでしょうか。
 大げさかもしれませんが、この交流の継続もその一つの証しだと考えています。


 昨日書いたことと絡めれば、「目的」である。
 目的は、やはり結構遠い場所にある。

 視線を時々遠くへ放たなければ、ありかを忘れてしまう。


 久しぶりにフォトブログをアップ。好きな季節である。
 http://spring21.cocolog-nifty.com/blog/2012/04/2012-dd5a.html

四週目、ちょいと一息

2012年04月28日 | 雑記帳
 連休を待ち焦がれていたわけではないが,正直ほっとしている。
 ブログへの書き込みは,ある意味自分のバロメーター。ここしばらくはぐんと落ちたのは,花粉もひどいしバタンキューの頻度が多かったからだ。

 三年ぶりの転勤だったので,やはり留任しているときよりは量的にも仕事は多いし,ちょっと立ち止まって考えなければならない事項が結構あったなあと思う。

 つまり「引き継ぐか,手直しするか」という点である。
 振り返れば,結構多くのことが決められ,軌道に乗った一か月だが,自分が考えたことの判断の基準はなんだったのか。

 ひとつは間違いなく「何のためにしているかが明確かそうでないか」。
 何事も目的を持って始められているが,人は時にして「そのまま踏襲」というひどく効率的な手段を用い,まったく別の方向に作用していたなどということもある。

 例えば、ちょいと口を出したのが教室掲示である。
 共通の掲示物があることは珍しくないし,悪いことでもないだろう。
 しかし,それが活用されていなければ,ただ目障りな?文章や図があるだけで,かえって学習活動の障害にならないか。

 また,そこに書かれた言葉が本当に実現可能かどうかという吟味も大事だ。
 もし「すべてに一生懸命がんばろう」というような目標が掲示されている教室があるならば,それは言葉への冒涜,信頼を逆に失わせるといった話を,我が師より聞いたことがある。
 美辞麗句に走りやすい教育界への警句でもあろう。

 目的は何か再考する…今,本当に大切だと思う。

 目標ばかりが乱立していて,子どもたちの行き着く場所は依然として靄の中だったりしないか。少なくとも,行き着かせたい場所のイメージを明確に思い描いていることは必要ではないか。
 先行きの不透明さや閉塞感ばかり評論家のように唱えたって仕事は進まない。

 その姿を見据えたとき,そういうルートを示しているか,方法や手順は有効か,考えるべきことが浮かび上がってくる。

 そうあろうとして、見直した4月…半分ぐらいかなあ。

子育ての極意本

2012年04月24日 | 読書
 『すこしの努力で「できる子」をつくる』(池田清彦 講談社文庫)

 子育て世代にとっては,魅力的なタイトルである。
 やり直しのきかない齢の者にとっても,興味深い内容だった。

 三つのキーワードをピックアップすれば,次の通り。

 ①臨界期

 ②ミラーニューロン

 ③大人の「楽」


 臨界期がこの本の骨格になっている。
 これは自分がずっと以前から気にとめている「発達段階と教育課程」と重なるし,もう少しじっくりと考えたい気にさせられた。
 と言ってもなかなかやらないテイタラクです。

 ミラーニューロン,これは乳幼児期に大切なことだが,学童期でも同じではないかと考えた。
 この考えがいわゆる「上機嫌」の発想につながると確信した。マガイモノと言うなかれ,すべては真似から始まる。

 大人が楽しむ,三つ目が一番難しく,一番根本になるような気がした。
 いくら理論を知っても,それを,「楽」しんで,「楽」に実行できなければ,根本のところは伝わっていかない。
 もちろんそのことで力む必要はないのだが,肩の力を抜いて…時々でもいいから,と思うことが肝心だ。

 各章のまとめとして「×やってはいけないこと」や「◎やるべきこと」等々が具体的に記されていることが,わかりやすい。
 時には「◎やるべきこと」が「特になし」と書かれてあるところが,特にいい。
 こう考えられることこそ,子育ての極意であろう。

混沌の中で際立つ人物像

2012年04月21日 | 読書
 『お父やんとオジさん』(伊集院静 講談社文庫 上下巻)

 上下巻あわせて800ページを超す長編である。
 解説の池上冬樹はこう書いている。

 戦争小説、冒険小説、ミステリ、家族小説などあらゆるジャンルの魅力を内包していて、たっぷりとした読み応えをもつ。

 まさしくその通りだと感じた一冊である。
 
 例えば「戦争」ということ。
 朝鮮戦争についてはとおりいっぺんのことしか知識がないが、実際の攻防がどのようであったか、想像を広げることができた。
 この背景を抱えてかの半島の現在があることはもちろん常識であるが、その理解がほんの少し深まったように思う。

 在日の問題があちらこちらに潜んでいた時代は、一見関係が希薄に見えるこの地方にもあったし、その時の人々の思いを想像してみることは、今私たちが直面していることとけして無関係ではない。それは血の存在であり、信義とは何かという問いかけであったりする。

 例のミサイル問題がひと段落した直後に読み始めたわけだが、この時期に文庫化されて手にとったことは何かの縁だろう。
 この小説の主人公は追い詰められながらも、家族という希望の光を見失わずに生きた。実世界の北の国に生きている人たちは、はたして何を光としているのだろう。
 そこまで対照的にとらえるのは見当違いなのかもしれないが、運命ということの大きさを考える。

 「お父やん」と「オジさん」という、題名の二人はくっきりと対照的であった。
 そしてそれを分けたのは、ある意味で人間の意固地さのようなものだったか。

 伊集院ファンにとっては、『海峡』三部作に代表される自伝的な作品(エッセイも含めて)につながるところが見えていて面白い。
 とにかく、めっぽう格好いいことだけはこの著も同じだし、舞台の混沌さが壮絶なだけに、人物が際立って見えてくる。

命がけで言葉に向き合う

2012年04月19日 | 雑記帳
 「おぎゃーっ」と産まれてきたときには、まわりは全部、他人の言葉ですよね。
 お母さんでもお父さんでも、誰でもね。
 赤ちゃんは、人の言葉を聞いて、だんだん覚えていく。
 つまりはじめは、言葉は完全に他人のものだった。
 では、いつ、自分のものになるんだろう。
 

 谷川俊太郎(対談「詩人の命がけ」より)
 http://www.1101.com/tanikawa_inochigake/index.html

 ズシンと手応えのある対談だった。

 言葉の達人と呼べる人こそ、言葉との距離を正確に計っている。
 言葉の大きさをちゃんと知っている。

 知らないのに、知っているふりをすることだけは止めようと思うのだが、それを時々忘れてしまう。

「質問できる授業」を問う

2012年04月18日 | 雑記帳
 「質問できる授業をしてこなかったらではないでしょうか」

 報告者の女性はそんなふうに語った。
 ある会議でグループ協議がおわり、一つのグループが指名された。協議題が指定されてあり、その一つ目である「問いを発する子どもの育成」について話し合ったことの要点として、そんな言い方をした。

 少し引っかかりを覚えた。
 というより、突っ込みたくなる衝動か。

 「質問できる授業」って何だ。
 「質問できる授業」はどんなイメージでとらえられているのだろうか。
 「質問できる授業」という括りは、どこか旧態依然としているように感じるのは私だけだろうか。また大雑把すぎるようにも見える。

 講義型の授業において最後に「質問はないか」と口にするパターンは、かなり古典的な風景のようであるが、今も多くの教室で行われている。
 「わかりましたか」や「ここまでいいだろうか」という言葉であったとしても、教える者と教わる者の関係に変わりはないし、それが効率的な一つの形であることは否定できないだろう。
 だから、実は教師の説明が上手であり、全員を納得させることができればいい授業であり、質問がないことはある意味で素晴らしいとも言える。

 そのことを前提にしながら、また同時に問題視しながら、子どもに質問力を養うために、授業づくりは考えられなければならない。

 一つは講義型の授業の工夫を通して、もう一つはいわゆる活動重視の授業への変換を通して、ということになるだろう。

 「質問できる授業」の意図したことが前者ばかりだとは思わないが、どこかそんなニュアンスを感じてしまうのは、その内容についての説明が皆無だったこともあるだろう。そして集まった世代の授業観に私自身が不信感を抱いていることもあるのかもしれない。
 (個人やグループを批判するつもりはなく、実際に話し合ったりしていないので)

 では、どう言ってほしかったか。どう説明してほしかったか…つまり、これは私の授業観なのかもしれない。
 まあ、これも大雑把とは言えるが、

 「質問できる仕掛けがある授業」
 「質問できる過程を組み込んだ授業」
 「質問できる形態を持つ授業」

 こんな柱立てであろうか。
 少なくともこの程度まで踏み込まないと、今目の前で見ている授業が「質問できる授業になっていない」というは容易いが、改善策は具体的にならない。

 何故変わらないのか、何故変えれないのか…まず、その問いを持ち、そして発する前に少し掘り下げることが大切だ。

贅沢を感じ取れる身体

2012年04月15日 | 雑記帳
 昨日書いた,ある総会のことでもう一つ。

 会が始まる前に,それぞれの団体の代表者によって打ち合わせがあり,そこで「次年度のこの総会をどうしたらいいか」という提起がなされたようだ。
 つまり,多くの人が集まって開催する従来の形でいいのか。あつまる必要があるのか,ということを,全体に訊いてみて,来年度以降のことを考えようということらしい。

 4月当初の忙しい時期に,子供たちを早めに放課して,一か所に一斉に集まることの意味を問うのは当然といえば当然だろう。
 団体の中心になって事務をしている方々にすれば,その準備の大変さもあるし,また逆に集合の機会がなければ集金をどうするかという問題なども絡むし,考えは分かれるように思う。

 しかし,普通の(再び,普通って何か!)会員にしてみれば,会議は精選してほしい,必要なしという意見のような気がする。

 それだけ各校現場での仕事は詰まっているし,ここに来て,形式的な!話を聞いて拍手をして終わるよりは,もっと生産的なことができるだろう,と考えるのは当然なのかもしれない。

 私にしたって半分はそう考える。

 しかし,そのもう半分で,こんなことも考える。

 遠藤周作の文章に,「無駄があるから,情緒がある」というような言葉があるらしい。(これだと会そのものを無駄と考えているのかと言われそうだが),こういった決まりきっていて無駄な時間を過ごしているように見える,その時間はやや「ゆとり」っぽくないか,という考えだ。

 あれをしてこれをしてと,びっちりする事の詰まっている現場においては,校外の研究会組織で感じ取れる自由さもあるように思うのである。かつて「その姿を,ゆとりと呼ぼう」と題した一文も書いたことがあった。

 先の提案が総会廃止の方に向かうと,おそらくは教員同士が直接会う機会が一つ減ることに少し危惧を覚えてしまうのだ。

 今日読んでいた,昔のキャッチコピーを集めた本に,こんな一節があった。

 会う,贅沢。

 今,この贅沢さを感じ取れなくなっている自分たち。
 そんな身体で,子どもたちに向き合うことができるのか。

マイク以前、マイク使用

2012年04月15日 | 雑記帳
 水曜から校外の会議等が昨日まで続いた。
 特に金、土は宴会もあり、毎年のこととはいえ疲れが残る。

 いくつか振り返りながら書き留めておこうと思う。

 「伝える」「伝え合う」という言葉は,学校や教育界の用語としてずいぶん普及しているし,会議のたびに何度も使われる。
 しかし,そのわりに,そう言っている自分たちはどうなのだろうと思わされる機会が相変わらず多い。

 年度当初,たくさんの人が集まる場で,またそんなことを感じた。
 ある団体の総会に出席して,規模はおよそ100人,体育館にゴザを敷いて行う形なのだが,マイクなしで話そうという人がいた。
 意図はわかるし,大きく強い声であれば,その考え方も結構ではあろう。しかし失礼ながらあの声ではほとんど聴き取れない参加者が大半だったと思う。
 そこには,もしかしたら言っても言わなくともいいようなことだから,聞こえても聞こえなくとも構わないという意識があったのだろうか。
 その状況を見過ごしている周囲(自分も含めて)にも責任はあるかもしれない。

 進行している中で,事務局が説明することが何回かあった。
 当然,マイクは使われたが,機器の接触が悪いのか,繰り返しオフの状態があって非常に聞きづらく,内容がほとんど聴き取れない状況だ。
 これも言っている本人が気付かず,そのままの状態で続けられた。
 ここにも同じようなことを感じた。会場から指摘がなければそれでいいのか。

 最低限,音声として聞こえているのか。
 次に,内容が伝わっているのか。
 そして,意図を理解してもらえているのか。

 そういう段階を今更持ち出すまでもないだろう。

 では,自分はどうかと問われれば,もしかしたら…という不安も出てくる。
 野口先生に教わったマイクを胸固定して話すということだけは意識できていたようだが,相変わらずの早口だったし,もう少し内容を絞るべきだったか。

 マイクで伝えること,伝える以前のこと…実情はかくも様々である。

みんな普通である普通

2012年04月13日 | 読書
 察するに「普通」の反対は特殊で、特殊なままでは人に伝わらないので、同意を得るべく別の「普通」に着地してしまうのだろうか。いずれにせよ「普通」には、意味を超えたブーメラン効果のような作用が潜んでおり、その対義語もやはり「普通」のような気がするのである。
 高橋秀実~「とかなんとか言語学」(「波」の連載)より

 「普通」の対義語が「普通」だなんて、普通考えないでしょう。その特殊さが私を惹きつけたのだが、考えてみると、そういう出来事(現象というべきか)は、まあごく普通のことなんだよね。

 結局、普通を意識している限り、いくら他の人と違うことをやってみたって、それは普通を枠をはみ出ることなどはできない。しかし、普通を意識しないなんてことが、普通できますかねえ…といつまで経っても、普通から逃れられなくなる自分。