すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

shopな生き方考

2015年08月31日 | 雑記帳
 6年生の外国語活動を見ていて、ある問いが浮かんだ。shopとstoreはどう違うんだろう。例語はflower shop, department store, convenience store, book shop だったし、なんとなくstoreは範囲が広く、総合的で、shopは小規模で限定的なのだと予想できる。辞書を調べてみたらやはりそんな意味であった。


 しかし、ここからまた興味ある記述があるから、辞書は面白い。ジーニアス英和辞典によると、まず原義の違いが興味深い。shopは「小屋」であり、storeは「補充する」である。「小屋」からは「(通例小さな)店」「小売店」がイメージできるし、「補充」は「いろいろな種類の品物を売る店」と結びついて自然である。


 複数の辞典に載っているが「米ではstoreの方が好まれる」。アメリカでshopというと特定品売り場や専門店を示すらしい。この事実はどこか意味深い。そういえば授業の中でも英語指導助手の方が、警察のことでアメリカはpolice boxはあまりなく、police staionであるという話をした。大きいことが価値なのだ。


 原義から派生してか、shopには店の他に、仕事場、事務所、買い物、工作、探しまわる、などの意味がある。一方のstoreは貯え、貯蔵所、保管する、用意するなどの意味が出てくる。ずいぶんと対照的であることがわかる。shopは「これしかない」に近く、storeは「何でもある」。強引に連想すれば幸せの形か。


 幼かった頃身近にあったshopは次々に姿を消していき、替わりに同じような貌をしたstoreが全国各地にできた。その場所に行くことが心弾む時期もあったが、本当に欲しかったものは、そこには売っていなかった。それはおそらく、どこかのshopにあるはずと勇んで向かう道の端で光っているものかもしれない。



 この駄文を書いた後に、たまたま録画しておいた先週の「NHKプロフェショナル仕事の流儀」を視た。「小さな名店スペシャル」と題され、「肉」と「コーヒー」の二人のプロが登場する番組だった。自分が少し曖昧なままにぼんやり名付けた「shopな生き方」がそこにぴたりとある気がして、少し驚いてしまった。



地方で生きていく知恵を

2015年08月30日 | 雑記帳
 7月中旬に異業種の方々と懇談する機会があった。県や町の課題は人口減、高齢化、少子化等いつものことになるわけだが、各々の仕事として具体的な事実や傾向を聞くと、実に多面的に問題点が拡がっていることがわかる。自分たちが勤める学校現場にあっても、児童生徒数減を単純にとらえてはいけないと感じた。


 銀行の支店長さんから聞いた話である。一人暮らしの高齢者が亡くなる。都会へ出ているその息子、娘たちは、残った資産の処理をすることになる。多くの場合、預金などは地元の支店などから引き出され、都会に移されるのだという。言われてみればもっともな話である。地方から都会へ流れるのは人だけではない。


 先週、地元企業社長を招いて講演会を持った。建設業を始め、解体・産業廃棄物処理、そしていちご栽培・販売、さらにEM菌や木質ペレットストーブ等広く事業を展開している。バイタリティはもちろん、感心するのは事業に着手する際の目の付け所である。無駄と言われることや問題点に正面から向き合っている。


 地方で生きていくとは、結局そういうことかもしれない。問題点や困難点を解消、解決するという思考の上に、それが雇用を創出したり、他の活動と結びつくことによって活性化したり、さらには環境面で貢献できたりする有機性を重ねられるか…。経済として成り立つことは考えるが、それ以上の理念を持つことだ。


 異業種の方々との懇談でも自らのアイデアを語る方もいた。単独でなく、そうした動きが集合、集団化することに活路は見いだせるだろう。学校教育にあっても、無理だろうと思っていたことに手をつけてみて、そこを起点に新しい動きをつくる…今までもいくつか出来たはずだ。ない頭から知恵を絞りだせ。

ヨセルとマンシウコクと

2015年08月29日 | 読書
 「9+4ハ イクツ デスカ」という問いのあと、「9ニ ナニヲ ヨセルト 10ニ ナリマスカ」「4ハ 1ト ナニヲ ヨセタ モノデスカ」とある。「ヨセル」が「足す」であると想像できるが、こういう言葉を使っていたとは知らなかった。数学専攻であれば周知のことかもしれない。「寄せ算」と呼んでいたらしい。



 広辞苑や他の辞書にもあった。そもそも「寄せる」の意味のなかに「一カ所に集める・呼び集める」があり、そこから「加える」になったことは十分予想される。「9ト □デ 10 , 2ハ 1ト□」を答えさせてから「9+2」という筆算が出てくる流れだが、意図はわかるがちょっと強引な感じもする並びだ。



 低学年なので絵も多くある。写真が1ページだけ使ってあり「水筒」と「コップ」が写されている。量の学習であり「何杯分」と問いかけがされている。面白いのは(7)「水ノ イッパイ ハイッタ コップガ アリマス。モウ ツ ジヤウナコップヲ ッテ テ コノ ヲ ツノコップニ ハンブンヅツニ ワケナサイ


 それ以上の記述はないので、その後どうするかは考えどころだ。しかし水のような連続量を「半分にする」という作業自体は、シンプルだが非常に大事な活動のように思う。そうした体験が「測る、計る、量る」ことに結び付くのは当然だ。機械化、デジタル化が進むことはそういう感覚を得る場が減っていることだ。


 さて、昭和19年という時代を考えさせる言葉がいくつか本の中にある。「テンチャウセツ」から日の丸の数、図形には「マンシウコク」の旗が出てくる。お宮で「石ヲ 並ベル」労力奉仕?が出てくる。この教科書で学んだ方々は今80歳ということになる。中身は忘れていても、沁みわたっている何かはあるはずだ。

カズノホンヲ ヨミマシタ

2015年08月28日 | 読書
 調べ物があって、2階の教材室をごそごそしていたら、古い資料があり、悪い癖で見入ってしまう(おかげでまた肝心のことが…)。かなりくたびれた教科書らしき冊子を発見。これはあまりに見所があるので、持ち帰ってじっくりとページを開くことにした。表紙に「カズノホン 三」「モンブシャウ」と書かれてある。


 裏に持ち主の名前が「菅原静子」(行書なので、たぶん)と毛筆で記されていた。奥付では昭和19年刊である。「」とあるので三年生と思いきや、そうでもないようだ。教室の絵があり次の文章で始まっている。「二年生ニ ナッテ、カハッタ コトガ イロイロ アル デセウ。アナタノ ケウシツハ カハリマシタカ。


 そこから「席がどんな所にあるか」「生徒は何人か」「近所の入学者数は」などという問いが続く。その後「勇サン」を例に「地区内の学年別の人数」を知らせ、「ミンナデ ナン人デスカ」といった構成である。現在でも十分通用しそうだし、活用などと言わなくとも、生活における「数」の認識は押さえたいことだ。


 次は時計が登場して、学校へ出かけるときの時刻を書きこませる。「勇サン」の例も出てくる。そして学校における時間に関する問いが続く。例えば「ジュゲフハ ナン分カンデ ヤスミハ ナン分カン デスカ」などである。昨日の午後3時頃に何をしていたかという問いは、次を考えると時間に結び付くので面白い。


 5ページからは遠足に行った場面である。牧場へ行って、馬の数を取り上げてたし算の設定をつくっている。時代を感じさせるのは「花子サンハ 來ル トチュウデ ワラビヲ 七本 トリマシタ」…このままでは、現在の2年生には通用しないだろうな。代替はあるだろうか。次は計算だが、その言葉遣いに驚く。

 (ツヅク)

実は大人に贈りたい

2015年08月27日 | 読書
 【2015読了】85冊目 ★★
 『先生たちがえらんだ 子どもに贈りたい120の言葉』(佐々木勝男  民衆社)

 知っていた言葉は1割にも満たなかった。本当に、この世は言葉であふれている。学校に入っている間に、誰にどんな言葉をかけられるかは、子どもたちにとってとても重要だし、教員としてそのストックが多いことは一つの財産である。そうした読書体験が自ら紡ぐ言葉かけに通ずるのではないか。そんな気がする。


 例えば、いじめ問題に悩む中学生に対して、具体的な対応とともに、どこかでこんな言葉があれば、小さな支えにはなるのではないか。

 あなたにとって/苦手な人や/やっかいな問題は/あなたの中に/愛という作品を/創るための/かけがえのない/材料です/大切にしましょう
 (葉 祥明)


 そうした悩む子どもを持つ親には、この言葉を贈りたいし、一番身近にいて、一番実行しなければならないのは何かを考えてほしい。

 家庭とは、ほんとうに私たちが安心して失敗することのできる場所。失敗しても、それで迷惑をかけた相手に憎まれないというか、その上であらためてお互いに和解し合うことのできる場所。その基本的なモデルです。
 (大江健三郎)


 教育の場にいる私たちもまた、閉塞感のある現実からどこか逃げたいような気持にとらわれることがある。だから何かに特化して励んでみたり、思考停止に近い状態で日常の仕事をこなしたり…。人間相手にすることが一番めんどうであることを忘れがちだ。わかっちゃいるが、と言ってはいけない真実はこの言葉だ。

 人間的に値打ちのあるものは、めんどうくさいこと。 (山田洋次)


 少し目を広げて締め括ってみよう。この夏は「戦後70年」の話題が多かったが、そういう節目に臨む私たちの基本的な態度は、30年前、1985年に当時の西ドイツの大統領が行った演説の中にあった。同じ敗戦国として、日本はどうなのか。まずは先頭に立つ我が国の宰相に、勝手ながらこの言葉を贈ってみよう。

 過去に目を閉ざすものは、結局のところ現在にも盲目となります。 (ヴァイツゼッカ―)

適当な言語の適当な見解

2015年08月26日 | 読書
 【2015読了】84冊目 ★★
 『走らないのになぜ「ご馳走」? NHK気になることば』(NHKアナウンス室 新潮文庫)

 言葉の雑学本である。
 一章の初めの項目「なぜ『もも』なのに『ひざ枕』?」が示すように、ふだんは気に留めない事柄でも、問われてみると「えっ」と思ってしまうような、言葉うんちくを語りたい自分などに向くような本である。


 慣用句やことわざ、警句など、その解釈は結構人によって違うものだと言うことを改めて知る。
 例えば『継続は力なり』…これはよく使うが、「続けることが成果に結び付く」以外にも、「続けるためには努力が必要」という意味もあるらしい。で、正しい解釈は、というと、これはわからないが結論という。つまり辞書やことわざ辞典には載っていない。
 大正期の夜間中学の校訓であったことが判明したという記述も興味深いが、結局「受け止め方は個人に任せられている」ということだ。

 それこそが、日本語の大きな特徴とも言えるのかもしれない。

 もともとの意味があっても、違うニュアンスで受け取られ、そして別の意味で使われ始め、それが拡がることによって、意味が拡大したり、新しい使い方が主流になったりする。
 日本語のもついい加減さとも言えるが、柔軟さと捉えることもできる。
 二重の意味で、「適当」な言語と評していいだろう。


 「感動にも『鳥肌が立つ』?」という項目で書かれてある、若者が使う「やばい」という言葉について、個人的見解を述べてみたい。

 本著の中にはこう記されている。

 「やばい」は、本来は”危険だ”という意味ですが、最近はおいしいものを食べたりかっこいい人に会ったりすると「やばい」という若者もいます。”とてもおいしい””かっこよすぎる!”という意味で使うのですね。

 この「やばい」は、若者(だけでなく広い年齢層)にある無関心、無感動の蔓延がもたらしている表現ではないかと想像している。
 つまり、心が動いてしまうことが「やばい」という、自分に引き付けた感覚なのではないか。
 「あまり心を動かしたくないのに、それが崩れてしまいそうで、危ない」…

 感動を他者に知られたくないという構えを持っている反面、実は感動を知ってほしいという願いも持っている。
 そして「やばい」という言葉が多用されたことによって、その動きを肯定しても構わないような雰囲気を作っていった…そんなふうに言えないだろうか。
 直接的に「よさ」「素晴らしさ」をいうのではなく、少し否定的な、逆説的なニュアンスを込めてみた、というような見方もできるか。

 と、読み進めて「方言」を扱ったところで、この「やばい」と同様に使われる山形の方言があると書かれてあった。

 「やんだぐなる」…隣県なのでもともとの意味はわかるが、これが「やばい」と同じ用法で使われるとなると…「感動をうまく表現できない」という所に通ずるだろうか。

 では、わが秋田では…。該当する言葉はまだ流行って?いない。

 いや、昔から「こてぁられねぁ」という誉め言葉があったではないか。

 そして、それは「こたえられない」ということではないか。

 そうだ、結局「やばい」も「やんだくなる」も、「こたえられない」つまり我慢できない状況の一歩手前の言語化なのだ。


 かなり「適当」な見解であった。

最後の夏休み、たぶん

2015年08月25日 | 雑記帳
 今年の夏休みは、前半と後半にくっきり分かれた気がする。前半は7月下旬から8月1週目の研修ウィークに向けた準備やら実際の運営やらで、目まぐるしくも充実した日々を過ごすことができた。春以来少しずつ構えを作ってきたことでもあり、3つの会ともにそれなりの成果を挙げられたことを素直に喜びたい。


 後半はお盆前から少しまとまった休暇をとれたので、私事はたくさんあったがそれなりにゆったり過ごせた。我が子はさておき、親類の子どもたちの成長を見るにつけ、自分が確実に歳をとっていることを感じさせられる。しかも身体は衰えていき、精神は成熟していないという有様なので、少し辛く思えたりする。


 読書冊数は18冊。まずまずか。研究会関連の再読も結構あり、それも印象深い。時を隔てて読むと、目をつけるポイントが違うのは当然か。それがその期間の自分の成長(変容?)なのだろう。同じ文章であっても、読み手や環境が変化したことで、意味や価値が変わるというごく当たり前のことが新鮮に思えた。


 「戦後70年」に関した記事や放送などが多かった。一部しか見ていないが、戦時を描くものはどれも、人間、特に日本人の周囲に流されやすい弱さがあぶり出されている。社会環境の激変もあるし、以前のように戦争に向かう道がパターン化されるとは思わない。しかし、民族の弱い部分はまだ改善されていない。


 「戦後70年」と実感を持って言える人は80代以上の層であろう。特に戦後生まれにとって、その言葉はどれほどの歴史認識を抱えているかで重みが違う。自分も含めて重みを抱えていない者は、ある意味その軽さを生かして俯瞰して視ることが大事だ。いろいろな記事に触れ、ぼんやりとそのことを考えた夏だった。

自前でつくる気概と手法

2015年08月24日 | 雑記帳
 浅舞酒造の森谷康市氏の話を聞いた。杜氏の講演という機会はめったになく、日本酒に興味ある者にとっては納得するやら、考えさせられるやら、なかなかいい時間であった。酒のことがメインだが冒頭に語ったのは「人前で発表すること」の意義について。「振り返る」「まとめる」と実にシンプルで明快に括った。


 業者相手に初めて話をすることになるまでのエピソードがいい。断ろうと思って恩師?である方に電話をしたら「チャンスを与えたのだ」と即座に切られた。そこから本当の修業が始まった気がする。ポイントは三つ「習う」「自分を見せる」「まねする」…何事にも通ずる。もう一つ「公言する」も大きな鍵となる。


 商標である「天の戸」とはつきあいが長い。本当に気に入ったのは「美稲(うましね)」という純米酒に出会ってからだ。全量を純米にしたのは、つい3,4年前だから、この「美稲」の存在は大きかったのでは、と勝手に想像する。大阪駅前の飲み屋で、天の戸を話題に主人と日本酒談義を交わしたことも懐かしい。


 最近では「天黒」にはまった。黒麹で仕込む純米原酒である。500MLボトルで発売した「黒」も好きだったので、こういう系統が好みなんだな(と個人的趣味を書いているだけ)。「妄想的『酒』分解図」という講演資料があって、口に入れる時系列の味、香りが示され興味深かった。自分はどの部分に重きを置くか。


 ホームページの表紙にもある「この風景をビンにつめたいと思います。」というコピーは実に秀逸で、また味わい深い。風景にある田んぼで収穫される酒米を使い、仕込み水は流れる川が伏流水となり湧き水である。その精神は従業員の雇い方や仕事の仕方にもあらわれていた。ある意味では自前のブリコラージュだ。


 教育もブリコラージュの発想がほしいとつくづく思う。しかしそれを妨げる要素は大きい。常に他との比較にさらされ、画一化的な動きに収斂されている印象だ。酒造りも地味で手間のかかる、ある意味画一的な作業である。しかしそこに自前で育て、つくる気概と手法があれば美酒は醸し出されるのだ。何を学ぶか。

雨を覚悟の、今年も花火

2015年08月23日 | 雑記帳
 今年はなんと、最前列の桟敷席で見られることになった。大曲の花火である。知り合いが世話してくれるというので、今年は自分で申し込まなかった。届けられたチケットを確かめると、1ブロックという表記、しかも一番前である。これで天気さえ良ければ…と浮き浮き気分で待った当日の朝は、強い雨降りだった。


 空を気にしつつも「降ったら降ったでそれも一興」と午後から大曲へ向かう。駐車後、花火大橋を渡って会場へ。もう既に雨武装をして長靴を履いている人もいる。杖をつきながら一人でとぼとぼ歩く高齢者、車椅子の方…ここまでして集まる魅力とは何か。混雑の道を向かう個の心が描く風景が少し見える気がする。


 桟敷にもう少しで着く前、長い列のなかで昼花火が始まった。まあ、これはそんなに重要視していないが、曇り空ゆえに光る度合いは結構いいではないか。席に陣取るとポツリポツリと落ちてきた。それでも合羽を着ればそんなに気にならない。昼花火が終わった途端に、少し強く振り出し、一斉に傘の花が開いた。


 それも5分ほどだったか。あとはすっかり上がり、夜花火開始時刻は絶好の状態だったと思う。花火を文章で表現できるほどの筆力はないが、花火と自分の間にあるのは川と川辺だけであり、今年もまた満喫できた。なんといっても提供花火の包み込まれるようなひと時…秒刻みで心が高揚していく感覚を味わえる。


 最近はマスコミなどにも花火師が取り上げられることが多い。大曲の上位入賞常連の一人、長野の青木煙火はこんなふうに語っている。「うちが年間に手作りする花火は大小3万発。でも、よくできたと心底納得できるのは1発あるかないか」これでもかと納得するまで作り続ける魂は、見る者に伝わっているはず。

犬の頷きと理屈

2015年08月22日 | 読書
 【2015読了】83冊目 ★★
 『夫は犬だと思えばいい。』(高濱正伸  集英社)


 「花まる学習会」代表の著者が、夫婦論、男女論を書いた。塾での指導を続けていく中で強く感じたあること、それはおそらく多くの教育関係者がそう思うこと。「親を変えなければ、根本は改革できない」…その中心となる母親を対象にした教室を開くなかで、夫の存在との関わりを考え、表題のことばが生まれた。


 あるようでなかった内容だなと思った。次のように書かれている。「異性を異性として理解しようという知恵が授けられていないから、男が女をバカにしたり、女が男を切り捨てたりすることで終わってしまう。」スポット的に、男と女の違いを学ぶことがあっても、確かに位置づけられていない。性教育の核にすべきだ。


 子育てを終わった世代である私のような者でも、ああこうすればよかったのかと過ぎし方を振り返させられた。男女の違いについて4ページにわたって表がある。多くの項目で頷けた。「行動の源」で男は知識、女は感情が典型的か。また自分や家人に当てはまらないことも散見され、それがある意味の個性なのだろう。


 教育に直接的に関わる記述も当然あり、興味深い。家庭教育の範疇だが「文章題の指導は、母親以外がよい」とある。ここにある「文章題を解く力」の向上に六つものの条件を挙げたことはさすがだ。そして、そういう複雑な要素があることに対して母親は絶対ダメで、第三者がいいという論理は説得力があった。


 現役教員が参考にしたいこともあった。例えば若い男性教員が保護者の母親を相手に話す場合など、次の鉄則は心に入れておきたい。「異性間には、お互い『それのどこが面白いの?』と感じずにいられない壁が存在します」。私たちは理屈を話す職業ではあるけれど、それが伝わるためには壁の存在を意識する必要がある。