すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

唐突に年度末挨拶

2017年03月31日 | 読書
Volume44

「日本は全体計画を構築するのは苦手で、局所的な対応策を精緻に構築することには長けているということだ。(略)これが国民性や民族性、あるいは遺伝的要因のようにかなり深いところで規定されている性質なのだとすれば(略)無理して長期的な社会設計を確固たるものにしようとするよりも、その都度その都度の対応でやっていける程度の規模の展開にとどめることを考えた方がいいのではないか。」


 佐倉統東大教授のことば。生態学や霊長類学を専門にしながら、科学技術社会論などに研究の中心を移しているという学者のようである。
 「『便利』は人間を不幸にするのですか?」という連載論文を読んだときに出会った文章である。



 教職に就いていた経験をもとに語ってしまうが、いわゆる教育施策と呼ばれることや、その他諸々の「上」からの通知なども、ある意味では「長期的な社会設計」を意図しているだろう、と思う。

 そうした一つ一つを批判するつもりはないし、方向として賛同できるものもあるのだが、多くの場合それらが示された後にある「ご指導」なるものが結構邪魔だなあ、惑わせているなあと、何度も思った。


 一言で言えば「現場を信じろ」ということ。
 計画を鑑みながらの「局所的な対応策」は「おてのもの」なのです。

 さらに言えば、「上」が指導助言と称して現場に携わっている者の裁量を狭めるような行為は、教育を歪める危険性を多分に持っていること。
 方々にその自覚をしっかり持ってほしいと切望します。

 多くの頑張っている現場教員にエールを送り、年度末のご挨拶といたします。

鍵を見つけられないまま

2017年03月30日 | 雑記帳
 とある役所に出向いて、とある部署の一室を訪問した。
 今までに一度も入ったことがなかったスペースだったので、持ち込んだ書類を見てもらっている間に、ついキョロキョロしてしまう。

 係の方の机上にゴム印の入った箱があり、部署に関わる名称や地区名などの印が、やや無造作に置かれてあった。
 かつては学校でも、氏名印や成績に関する印などが使われていて、少し懐かしい気持ちが湧く。



 ふと見ると、実に興味のそそられる、少し大きめの印が横になっている。

 「第1の鍵」

 そして、少し離れた隣には、

 「第2の鍵」


 なんだ。

 ゴム印にする必要性があるものだろうか。
 つまり、一度に何度も押す、しかも押すスペースが決まっているようなもの…
 
 そもそも「~~の~~」という表記が、ゴム印らしくない気がする。

 では英語にしてはどうだ。

 「ファーストキー」
 「セカンドキー」

 あまり意味がないか。
 何かの鍵の順番を示すことは間違いないが、それであったら、「鍵番号」という欄を作り、その枠内に「1」とか「2」とか書けば済むのではないか。

 「第1の」「第2の」と書く意味は、はたしてなんだ。

 偉そうである。

 きっと、重要なことをアピールするために、ただの「1」「2」ではなく、「第1の」「第2の」と付けた。

 順番だけは間違わないように強調したのだろうか。
 普通の金属ではなく、貴重な材質を使って作っている鍵だろうか。
 もしかしたら一つの錠を開けるために、違う種類の鍵を順番に使うのかもしれない。
 そうしないと開かない部屋には、いったい何があるんだ…

 と、もはやゴム印の問題から、その鍵自体まで妄想が及ぶ。


 「はいっ、これでいいですよう」

 係の男性から声をかけられる。

 「あの、この第1の鍵って…」などとは訊けない。

 「ありがとうございました。」
 と何事もないように、にこやかに御礼を述べる。


 この件に関する「鍵」を見つけられないまま、退室することになる。

 あの箱の中に、「第3の鍵」と書かれた印があるかどうかも、定かでないまま…。



 と、今読んでいる宮沢章夫のエッセイ風に、どうでもいいことを書いてみました。

ちょっと低いところで…

2017年03月29日 | 読書
Volume43

「たとえば、日本語をしゃべるぼくと、アメリカ語をしゃべるジョージが、おたがいにコミュニケーションしようと思ったら、英語で話すにしても、日本語で話すにしても、ちょっと程度の低いところで、コミュニケーションが完成するのだと思う。」




 ひと月ぐらい前に、『ほぼ日』で糸井重里が書いた文章が、ずっと心に残っている。
 「ちょっと低いところで落ち合おう」と題されたそのコラムは、今の私達がおかれている現状に対する身の処し方を、のんびり風に見せながら、鋭く提起している。

 世代間の違い、仕事の違い、育った環境の違い…様々な違いを持つ人間同士が、否応なく混じり合う世の中になってきている。

 しかし、齢をとるほど変化を嫌うのは世の常であり、自分自身もそうした感覚が強くなっていることは否めない。
 そして、自分の矜持なりモットーなりを崩さず暮らすことは、それなりに価値が高いと考えている。
 そういうふうに見える人に魅力を感じたりする。

 その「高さ」は貴重なものであるにしろ、そればかりに固執していては、きっといつか見渡せば、か細く頼りないまま風に晒されていたということになるのではないか。

 「ちょっと低いところ」を馬鹿にしてはいけない。
 その低いところで明日につながる土壌ができていくことを意識したい。

個が決める。物の支配

2017年03月28日 | 読書
 何度目かは忘れたが『北の国から』の再放送を観た。2002年最終篇の重要なポイントが「拾ってきた家」にあることは、ファンなら承知のことだ。それはこのドラマで倉本聰が一貫して言い続けてきたことの、一つの結論だろう。使い捨ての物質文明に対する批判と、最後に何が残るかを明示した結論は印象深い。



2017読了32
 『人にはどれだけの物が必要か』(鈴木孝夫 新潮文庫)


 この本の存在は知らなかった。裏表紙には「地球規模の環境破壊を前に、人間と社会のありかたを問い直し、究極的エコロジーライフの実践を説く古典的名著」と記されている。確かに、時代は少し前だけれど、著者自身の徹底的な倹約やリサイクルを紹介しつつ、それを実践する根拠と理念について論理的に語る。


 「人にはどれだけ物が必要か」という問いかけに対する結論は、直接的に書かれていない。なぜかは誰しもわかる。つまり「人」が様々であるから。ただ、それが最大の起点になっていることは自覚しよう。地球上に暮らす「人」の生活の違いは、「物」の需要供給の偏りに支配されているが、個が決めることもできる。


 著者は「地救(球)原理」つまり「地球は自分のもの」という認識を持つことを呼び掛ける。そうすれば、日常の暮らしにおいて、または政治的な行動の仕方において、一定の筋道を作ることができるはずだ。しかし現実は、個人レベルでも、国レベルでも厳しい。著者は諦めてはいないが、次のように書いてもいる。

 「われわれ人間が生きるためと称して、どんどん森を切り干潟を埋めていろいろな物を生産し、それを無駄に消費してゴミの山を築くのも、これまた自然の定めで仕方なのないことなのかも知れないと、何か悟ったような気持ちになったりもするのである。」


 ここには「人間もまた自然」という意味を、複層的にとらえる考え方があり、では今、一人一人がどうするという新しい問いも生まれてくる気がする。

快挙への道を振り返る

2017年03月27日 | 雑記帳
 語られずにはおられないが、語ることのできない境地のような…。

 様々な報道、情報番組等で今回の稀勢の里優勝は取り上げられるだろう。
 単純に「喜ぶ」ということを超えた心持ちだ。

 相撲ファン、稀勢の里ファン、関心はないが話題なので、という人、それぞれの捉え方があるが、3月26日の「快挙」はいつまでも残る。

 「がっかり山」と呼んで御免なさい。
 去年の秋から書いてきたことをきちんと示します。


9月13日秋場所
 秋場所初日、満員御礼。初めての聖地にはたくさんの発見があったが、それはさておき、取組は波乱の幕開けだった。大相撲を見ている方なら、誰もが注目している稀勢の里。タクシーの運転手、夕食時の隣席の人たち、翌日の寄席での落語のマクラ…頻繁にその敗戦が語られた。それはまさしく「メンタル」だった。


9月27日秋場所
 一方の稀勢の里。家庭内で勝手に「がっかり山」と名づけた。素人が見てもわかる技術的な欠点を修正できないままに、夢が小さく萎む結果となった。これだけ日本中の声援を受けながら上へ進めないのは、稽古や準備の様子を聞くにつけ、本人はもちろんだが、周囲にも責任があるような気がしてならない。残念だ。



11月26日九州場所    
 結局、豪栄道の綱とりはなくなり、稀勢の里の少しの復活?が見せ場をつくることとなった。最終的に1,2敗に残る2横綱がこの後どうなるか、先は読めない。どちらが勝ち抜くにしても力が拮抗していることは確かだ。王者白鵬は棚上げしても、番付が上の者が、番付通りの勝敗を残すことが最も大事だと改めて思う。


1月24日初場所
 求めたいのは気迫、精神力。ただ、それをどのように発揮するかは一律ではない。大相撲という極めて日本的なパターナル社会の中でも認めざるを得ない。しかし、もし一敗で並んだ場合のメンタルを考えれば、その後の取組の不安要素は、比べ物にならなかっただろう。その日の勝負の神が微笑んだというべきか。

「私は立ち止まらないよ」と繰り返す

2017年03月26日 | 読書
 「私は立ち止まらないよ」…詩集は、その一行から始まる。おそらく日本で最も名の知られているだろうこの詩人は、仕事の範囲の広さで多くの人に印象づけられている。まさしく「立ち止まらない」姿と言ってもいいが、それはかつて詩人が口にした「フロー」という響きと結びつく。従って「物語」も流れている。


2017読了31
 『トロムソコラージュ』(谷川俊太郎  新潮文庫)



 この詩集は「長編物語詩」を中心に構成されている。「物語」と「詩」の対比についてあまり考えたことはなかった。しかし、この著のあとがきでも触れられているように、確かに対照的な面を持つ言葉と言える。ごく単純に考えれば「長い」と「短い」、「時間的」と「空間的」…ただ、詩人はこんなことも書いている。


 詩と物語のバランスが、特に実人生の上では大切だと遅まきながら私も気づき始めていて


 従って、この詩集はその点を意識されていると言っていいだろう。作者独特の言葉遊び的な要素も盛り込んではいるが、そこはやはり現代詩のジャンルであり、難解に見える。ただ個人的に本当に今さらだけれども「詩の特徴が繰り返しにあること」を強く認識できた価値は高い。特に「この織物」にある一節が響く。


 「文様は繰り返す/繰り返すがいいのだ/どこまでもいつまでも」
 「木は繰り返す/葉を茂らせ葉を落とし/実を実らせ実を落とし」
 「人も繰り返す/獣も繰り返す/生まれ番い死ぬ/うまあれつうがいしいぬう」



 詩は歌であり、祈りであり…という。それを発する時、人はきっとその場を動かない。しかし人は動かざるを得ない生き物だし、それが物語と呼ばれる姿だ。その「バランス」を考えて生きる人など稀かもしれない。ただこの二つの意識に気づくことは大切だ。そのうえで「私は立ち止まらないよ」と繰り返したい。

履歴に漂う寂寞感

2017年03月25日 | 雑記帳
 人の集まるところで雑談をしていて、話の合間にちょっと調べたいことがあった。ここで登場するのはスマホ。もはや辞書替わりだけでなく、脳味噌替わりか。思い出せないこともすぐそれに頼りたくなる。イカンなあと思いつつも、画面操作をする。さて、少し経って何気なく履歴を見たら、淋しい雰囲気が漂う。



 「NHK連続テレビ小説一覧」…「べっぴんさん」も終了間近。十歳ほど年配の方から「最初の番組は何か…」と訊かれた。その方は「おはなはん」と言ったが、私は「うず潮」と思った。検索で「おはなはん」は昭和41年、「うず潮」は39年と判明。正解は昭和36年「娘と私」。その頃家にはテレビがなかったんだ。


 「山形新幹線」…秋田新幹線が開業20周年を迎えた報道を読み、山形の方が先だったのか、しかし最初は…と思い調べた。初めは山形市までの開業で新庄まで延伸したのは、秋田の後だった。横手以南の地区は大曲駅利用が多い現状で、新庄の意識は薄い。結局、鉄道普及に関しては取り残されたとしみじみ思う。


 「速報WBC準決勝」…惜敗した米国戦。TBS系の放送がない本県では、スカパーか隣県の電波が届く箇所でしか観られない。従って、ネットの文字中継?で我慢なのだ。なんという臨場感のなさ。ドラマはともかくスポーツ中継では実に悔しい。なんでも全国に4県しかないらしい。情報格差とまでは言わないが…。


 「『必』の筆順」…理解していたつもりでも、あるポスターに間違った筆跡があったので、念のため検索した。確かに覚えていた通りであったが、改めて思い出したことも…昔の文部省『筆順指導の手引き』には「いろいろあるけど…」となっていた。だから大人の言い方としては「必の筆順に、必ずという正解はない」。

水を差す男

2017年03月24日 | 読書
 ここにもいた。「水を差す」男。この人はその行為をこう語る…「こもりがちな空気は常に換気すべきなのである」。私であれば小豆煮に喩え、こんなふうに捉えている。「料理に限らず物事は熱で進む。ただあまりにも強火だったり、煮続けたりすると煮こぼれる。状況を見て少し冷ます必要がある」。その役割は大事だ。


2017読了30
『結論はまた来週』(髙橋秀実  角川書店)



 この本は10年ぐらい前に書かれた文章も収められている。当時から数年前まで見られた様々な風潮に、水を差し続けている著者の記録だ。「脳ブーム」「グローバルスタンダード」「自分探し」「ミシュラン・ガイド」「上から目線」「うつ」…と、単純に言えば「流行」のモノ・コトを、斜め47度あたりからバッサリ斬る。


 「『本当の自分』こそウソ臭い」の章は、水を差す真骨頂だ。どこかに「本心」というモノが実在していると信ずる心理を、こう言い切る。「『本当の自分』という発想は、本人は逃げ道を確保しつつ、こちらの評価を観照できるポジションに立つということ」。本人が探る「本心」などいかほどのものか。そんな暇はない。


 当然ながら「個性」や「自分らしく」という常套句も斬られる。自意識の拡大が世の中に広がった場合の窮屈さを、漱石の小説など引用して語る。「人は名前があるだけですでに個性」という一文もお見事。そんなふうにみんなが思えたら楽だろう。個性を謳う世の中は、実際は長所ばかりに目をつけ弱点を疎外する。


 「うつ」という言葉から転じた「器(うつわ)」に目を向け、人間は内面にこだわり過ぎるという指摘も頷ける。当時のヒット曲を揶揄したまとめに納得した。「私たちは『世界に一つだけの花』ではなく、『世界に一つだけの花瓶』。さあ、いろいろな花を生けてみようではありませんか」。そう、水を差すことも忘れずに。

同調の追求という見方

2017年03月23日 | 雑記帳
 大相撲春場所が続いている。取組のあいだに「横綱名勝負」というVTRが流され、昭和期からの名力士たちの対戦が見られる。当然、見どころいっぱいで楽しい。戦い方のほかに目が向くのは力士たちの体型である。締まっているなあと感心する。ただ、「立ち合い」がラフでいい加減な取組みも目立つのはどうしてか。


 現在は、仕切りをする時はしっかりと両手をつくように指導されている。ところが「名勝負」の中には、ほとんどつかず(というより、かなり腰が高い段階で)向かっていく取組が少なくない。特に「大鵬・柏戸」時代がひどい気がする。スピーディーさを感じることも確かだが、正直少しだらしない印象を持ってしまう。



 今読んでいる本に、相撲の立ち合いに関した記述がある。相撲は格技というだけでなく、奉納があるように儀式的な面を強く持っている。立ち合いは最も重要であり、かの本は「息を合わせる同調の追求」とまで言い切る。従って昔は「待った」は普通であり、明治時代の場所には54回もかけた取組もあったという。


 今場所も立ち合いに関したトラブルが目立つ。初日、二日目と息が合わないままに始まった印象をうける取組が複数あった。テレビ解説でも触れられていた。もちろん視聴者は勝負に重きを置く。しかし見続けるほどに、攻め方や凌ぎ方に目が惹かれ、究極的には「立ち合い」に最大の見所があることに気づくのである。


 「同調」があれば時間前に立つことも許される。何度か目にしたが、今は皆無と言ってよい。時間が「約束事」になるのは何だかつまらない。優勝争いが白熱すると、そういう真剣勝負の雰囲気が出てくるだろうか、と期待している。五日目の高安・正代戦の立ち合いで響いた音は、久々に凄みがあった。また見たい。

「泣く」にもレベルがある

2017年03月21日 | 雑記帳
 絵本作家内田麟太郎氏のお話を聴いた。私にとっては『泣きすぎてはいけない』が印象的な絵本だ。ある研修会で秋田市の谷京子さんを講師に迎えたときに紹介していただいた一冊だ。その後、勤務校でBGMつきで低学年に向け読み聞かせをした。孫を思う祖父の心情がひしと迫ってきて涙ぐんだことを覚えている。


 内田氏が会の冒頭で、自ら作品を朗読された。それは『ぼくたちはなく』という題の作品だった。その後に語られた継母との確執や、悪夢に嗚咽する話などを聴くにつれ、どうもこの「泣く」ということが、この作家のキーワードではないかと感じた。「泣く」とはどういうことか。単に「涙を流す」ことだけではない。



 広辞苑の第一義は「精神的・肉体的の刺激に堪えず、声を出して涙をながす」。教師や人の親であれば、こんなことを語った記憶がある人は多いと思う。「赤ちゃんとは違うのだから、泣いてばかりいてはわからないよ」。そう考えてみれば、赤ん坊に限らず「泣く」ことはある意味で重要な伝達手段と言えるかもしれない。


 大人でも言葉にできないから泣くことはある。感情が理性を制御できない状態だろう。従って、逆に泣くという行為の正直さは捨てがたいし、論理ばかりに毒された心身にいい面もあるように思う。しかしまた「泣く」ことに振りまわされる心には「筋力」がつかないイメージがある。「泣く」にもレベルがあるようだ。


 フーテンの寅さんの言い草ではないが「顔で笑って心で泣いて」ということが、大人の一つの条件なのか。どのような状況であれ「声を出して涙を流す」泣く体験は、多くの人間を鎮めたり、次に向かわせたりするきっかけをつくるためにある。ただし「声」や「涙」に自分の心が引きずられないことも、学ばねばならない。