すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

明日から「明日からではなく」

2010年03月31日 | 雑記帳
 学校の大晦日は、やはりふりかえりが必要だろう。

 今年度のスタートは、転勤だけでなく校外の新たな仕事を抱えたため、順調とはいえなかったと思う。
 学校経営全般に自分なりの構想を示したり、いくつか留意することを当初は継続したりしたつもりだが、ヘタってしまったというのが正直なところだ。

 学校報52、校内報18という数はどうなんだろう。それは量的なことより質的にどうだったかが評価されるべきことか。
 私に直接届く評価の声は多くないが、自分自身の「発信する構え」…つまり自分の考えや思いを流し、顔を見せておくというねらいはある程度達成されているようにも思う。
 5月からの学校ブログもなんとか継続しているが、続けることによって自分のペースを作っていくんだなと改めて思ったりする。

 町内の研究公開が決まっていたために、制限されたなかの研修活動はやや不満が残った。ただ、外部講師を招いたセミナーを再開できたことは嬉しい。若手教員も多いので刺激になってくれることと信じている。
 次はもう一歩進めて有機的に、といった考えがあり、じっくりと考えねばならないだろう。

 「学力向上」「安全・安心」と、どうにも文句のつけようのないねらいやスローガンが、学校全体を包んでいる。
 間違いであろうはずのないそういう文言は、幅広くとらえられるべきとわかっていても現実はかなり限定された施策や手立てになってはいないだろうか。それが実は子どもの育ちを阻害していないか。

 今までもそんなことを思っていたが、今年度はことさらに強く感じ、同時に打開できないもどかしさも感じた。

 総論や印象でなく、具体的に示す必要がある。
 もちろんそれは数値もあるのだろうが、何より子どもの姿として示していくことである。

 今たまたま、今日届いた小谷美紗子のCDを聞いていたら、「僕は教師です」と始まる曲が流れてきた。
 タイトルは「明日からではなく」。
 先延ばしをせず今からということなのだが、まあ、とにかく明日からです。

整理の季節に愚痴る

2010年03月30日 | 雑記帳
 憂鬱な季節になった。
 どうしても整理を始めなければならない。
 まあ手始めに、中谷彰宏の本でも読んでみようか。
 そんなことしているから進まない(笑)

 何度も書いているが、整理整頓能力に欠けていることは自覚している。
 しかし、中谷本を読み、あることに気づく。

 結局、テーマがないんだな。

 テーマさえしっかりしていれば、余計なものに気をとられる必要はない。
 もちろんテーマから外れても、しなければいけないこと、どうしても欲しいものなどはあるわけで、それはそれなりの処理をしている。
 しかし、こと仕事に関するものでは、まああちこちに散乱している、とにかく「とりあえず残しておく」という発想の塊みたいなもので、どうにも収拾がつかないことの繰り返しである。

 ある時、思いついて、机の引き出しの一つを「ゴミ箱」とした。
 パソコンからの発想である。結構これは良かった。
 「取りあえず残す」から「取りあえず捨てる」へ。
 書類等が激減まではいかなかったが、工夫次第で自分も捨てられるんだ、という思いは持てた。

 ただ、その後、机環境?の変化によって継続できていないのは、決定的な効率性を実感できなかったのだと思う。
 常々「自分には整理整頓の才能がない」と広言しているが、実はこうれは言い訳ではないかという気がしてきた。

 結局、書類に、物に埋もれているのが快感なのではないか…ぞっ、ゴミ屋敷予備軍か。
 人から見たら何の価値もないものに愛着を抱き、あたかもそれが心の隙間を埋めてくれるように感じている。おお、恐ろしや。

 そんな自分も捨てられずに残しておいてしまうから、この状態なわけである。

 やはり、机の上も引き出しの中も、結局、頭のなかみが反映されているに過ぎないのだ。

数値化の問題と向き合う

2010年03月29日 | 読書
 80年代後半に発表された深澤久氏の道徳実践「命の授業」は衝撃的だった。
 追試という形で当時受け持っていた学級で行った記憶がある。
 道徳に腰がひけていた自分が、ほんの一歩前へ進むきっかけを作ってくれたようにも思う。

 さて、今さらながら『道徳授業言論』(日本標準)を手に入れて読んだ。2004年の刊である。
 がっしりとした骨太の内容であり、納得、共感できる点も多かった。
 
 第三部は「評価篇」と名づけられ、最終章は「マクロの評価」である。そこで深澤氏は次のような「仮説的提案」をする。

 ~「道徳性」を数値化する ~
 
 大きな問題である。避けて通れない問題である。
 生きるとは何か、道徳とは何か、学校とは何か、指導とは何か…そういう問いを踏まえて検討されなければならない。
 
 指導がある以上評価があるということを前提とすれば、一面で数値化の存在を否定することはできない。
 そして数値化を避けて通っている現状において、正対しないまま数値化もどきが行われている事実もあろう。

 この問題に向き合うことは、やはり大きく指導の質とかかわってくるだろう。
 何が数値化できるか、数値化は何を目指すか…
 (考えてみれば「命の授業」も数値化の問題だ)

 新年度の新たな提案の一つに、学級経営におけるチェックリストの活用がある。
 つまりそれは数値化の問題と向き合うことである。

気は心を伝える

2010年03月28日 | 雑記帳
 家の者と話していて「キハココロ」という言葉がでた。

 当然「気は心」ということなのだが、そう思いつつ、この諺はなんか変だなと感じてしまった。

 意味は「量や額はわずかだが、誠意がこめられていること」とかなり一般的に知られているが、文章として「気≒心」となっているのはどういうわけか。

 もしかしたら「機は心」とか「喜は心」とか、もしかして「器は心」だったりして…などと想像が跳ぶ。

 辞典で調べても、検索しても「気は心」で間違いないわけだが、では「気」と「心」をどう解釈すればいいのか。それが意味とどう結びつくのか。

 ありました、ありました。

 宋学で、「理」が万有を支配する原理であるのに対して、万物を形成する元素を「気」という。〔「こころ」という語が精神活動を行う本体的なものを指すのに対して、「気」はその「こころ」の状態・反応など現象的な面をいう傾向が強い。「気は心」という言葉も、表面的な「気」のはたらきは本体としての「心」の表れであるという考え方に基づく〕
 
 さすが、goo辞書です。

 しかし、「表面的な『気』のはたらきは本体としての『心』の表れである」という考え方はずいぶんと範囲が広いように思うが、それが金品に特化されたのはどういうわけか。
 
 結局のところ、目に見えるものの強さということになる。
 それをあえて「気」と名づけたままにしておくことで、人は自分の思いを伝える術としたのかもしれない。

 ことわざ辞典には、「気は心」の意味に、こんな文章があったことも添えておこう。

 少しではあっても人のために尽くしたと思えば気が済むこと。
  

定点としての学校

2010年03月27日 | 雑記帳
 閉校や学校統合について語るとき、教育効果や経済性が検討され、それぞれの立場で意見が交わされる。
 そうした場にあって、自分なりに個別の問題、例えば複式指導のことやスクールバス通学のこと、また学校が地域に及ぼす影響などについて考えはあるのだが、話していていつもどこかすっきりこなかった。

 三十年以上も学校に勤めてきた者の思いとして、学校がなくなることをその程度でしかとらえられないのも情けないなあと感じることもあった。

 最近は統合問題が提示されれば、保護者の年齢層より祖父母の年代の反対が目立つそうである。それは、ノスタルジアと簡単に片づけていいものか、そこに大事な意味はないのだろうか、そんなことも考えていた。

 しょっちゅう訪問している内田樹教授のブログを読んでいたら、こんな一文に出会う。

 学校というのはそれがある場所も、建物も、教育プログラムも、校歌も、制服も、どうでもいいような校則も、できるだけ変えないほうがいい。
 
 「変化」は私にとっても高い価値を持つキーワードであり、いきなりこんなことを語られると面食らう。
 しかし、一面でなるほどと思う。学校に通うということは、ある景色や価値観をくぐりぬけることで、大小の違いはあれくぐりぬけた者たちにとっての定点となる。
 その存在は変化をしないことが、大きな価値となっていく。
 内田教授が語るイメージは高校や大学かもしれないが、小・中学校でもその思想は必要ではないか。

 変化してもいい要素はかなり限定される。根や幹にかかわる部分をやせ細らせてはいけない。そして、一番変えてはいけないのは、おそらく「場所」になるだろう。
 その一点を持ってしても、拙速な統合は考えものだと思う。

 内田教授の次の一文は、少し感動的ですらある。

 そこに戻ると、自分にとって何が正しいのかがわかる場所。自分はこれからどういうふうに生きようとしていたのかがはっきりと思い出せる場所、そのような場所であることが学校の責務だと私は思っている。
 
 多くの人が定点を失った。これ以上失いたくないという思いである。

失速の原因を生かす

2010年03月25日 | 教育ノート
 「声日記」と名づけた校内報を出している。

 現任校に勤め始めた4月からのスタート、滑り出しは結構快調で一学期に10号出すことができたのだが、後半見事に失速。三学期はわずか2号で、2月は一度も書けなかったという体たらくである。

 そもそもこの校内報を始めたのは、去年の4月9日にこのブログに書いてあるとおりなのだが、所詮思いつきのスタートだったので、この程度だったか、という思いも残る。
 
 しかし、肝心なのは具体的な動きであり、その意味では失速の原因は、ネタを探せなかったということに尽きるのである。
 つまり自分が書いてある「校内を歩き、校外を歩き、子どもと喋り、そして本も読み」でいえば、特に三学期は「校外」「子ども」が足りなかったのは明らかだ。

 何事にもいったんスピードが落ちると、それを挽回するには結構なエネルギーがいる。しかしある意味で原因がわかっているのだから、そこに勢いがでれば、なんとかできるだろうという見通しもある。
 「校外へ出てみる」「子どもと喋る」この二つを、来年度の課題の一つとしてみる。

 経営のための大きなテーマは、また別にあるのだが、少なくてもその二つはテーマに迫るための邪魔ではないし、むしろそれらの視点からテーマを見るという意味で、かなり戦略的な意味を果たすようにも思えてくる。

 声日記の継続を決める。

好つごうな条件を数える

2010年03月24日 | 読書
 岩波新書(黄版)の再読である。

 『知力と学力』(波多野諠余夫・稲垣佳世子著)を読んだ。
 1984年の発刊であるが、なかなか刺激的であった。書名からだと知力と学力の定義や違いなどが話題になっているように思うが、実はこの副題が内容となっている。

 学校で何を学ぶか 

 日常生活における人の有能さを検証したデータから始まり、そこで学ぶことの限界を提示し、では学校ではどんな能力をのばすことになるのかという本題に迫っていく。
 そこでの結論、見方をもとに、現実の学校における指導のあり方を問うという流れと言っていいだろう。

 学校は一般的知的能力をのばすか、基礎技能を身につけさせるか、理解を深める場であるか…それらの論題に対する結論は、必要条件でもなく、十分条件でもないことが提示されている。
 各種の実験が今となっては多少古さを感じさせるが、納得させられるだけの根拠はある。

 もちろん、それらの提示が学校の有意性を否定するものではない。この書にも、その点は何箇所かにわたって強調されている。つまり学校は

 好つごうな条件をいくつも備えている
 
ということである。

 その「好つごうな条件」を、自分の頭で数え上げてみて、それをどう生かすかという、基本的なことを、今この時期に考えてみることも無意味ではないだろう。

見えるまで待つ

2010年03月23日 | 雑記帳
 録画したままになっていたプロフェッショナル仕事の流儀を見た。

 岡田倫代

 上田泰己

 定時制高校教師である前者の、生徒の包み込み方は、並外れているように感じた。
 本人の思い、考えが顕在化することを待つという行為があまりにも徹底していて、途中で「どうしてこの人は教師を選んだのだろうか」とそんなふうに思わせるほどだった。
 「教える」という行為の深さや幅広さを感じた。

 生命科学の研究者である後者は30代前半、世界から注目を浴びている学者だそうである。
 私たちが抱いている研究者のイメージとは少しかけ離れている「格好良さ」を感じた
 様々な意見を組織していくという力量が大きいのだと思う。

 高校時代の恩師を見舞う中で、手渡された一冊の古い本。余命わずかなことを知っている恩師は「それを君に貸すよ」と言ったという。
 「それをどうやって返すのか」と自分に問い続けていることが、最も格好良かった。

悲しきストリートビュー

2010年03月20日 | 雑記帳
 新聞で、グーグルマップのストリートビューが秋田県にも拡大、しかもそれは隣市の湯沢市である、というような記事を見かけたのは、今月に入った頃だったと思う。
 なんで湯沢市なのかというちょっとした疑問を持ちながらも、年度末の忙しさに紛れてそのままだった。

 今日、マップで確かめることがあって、ふとそのことを思い出し、どれどれと検索してみた。

 湯沢市といっても広いが、たしか「国道」と書いていたので、見当をつけながら探してみた。頭の中ではまあ「中心地」か「観光地」だろうなと思っていたので、いくつかに候補は絞られていた。
 しかし中心地というのはやはりおかしい。そうであるならば、県都である秋田市から入るのが当然だから。では、観光地として有名なのは…実際あまりないが、名産品か温泉地か。
 
 ストリートビューのマークがつくのは、旧雄勝町付近。
 小野小町か!と思って周辺にいくらドラッグさせても反応なし。広範囲にとってしてみると、反応した。
 国道108号線と国道13号線が交わる箇所である。

 えっ、そうですか。ここでストップですか。

 つまり山形から来る13号線と宮城から伸びる108号線が、ぶつかった所までが、ストリートビューで見られる範囲ということ。
 たとえて言えば、県の南の玄関口を写したということですな。

 これです
(検索 秋田県湯沢市横堀六郎川原)

 これは悲しい結末です。
 
 確かに108号には温泉地があるが、山形からの13号も基幹道路といっていいが、ここで止められちゃ、秋田にはこの先あまり見るべきものはありませんよ、と言われたみたいで。
 しかも映っている部分に、トンネルが多いところも、泣かせる。

新しい何かを生むために

2010年03月19日 | 読書
 『僕たち太陽があたらへん』(福井達雨著 柏樹社)
 
 「止揚学園」「福井達雨」の名前は、かなり以前から知っていたが、じっくりと一冊の本を読むのは初めてだった。

 読んでいて心がうきうきするような内容ではないが、著者の持つ激しい熱が伝わってきて、少し高揚感を覚え、一気に読み切ってしまった。
 「知恵遅れの子の心をもっとしっかり見て」「家族の思いにもっと目を向けて」といったことが情熱ほとばしる文章は、魂の叫びのように感じられる。

 施設の名前として「止揚」を選んだことが、何より著者の止揚的な生き方を示しているだろう。
 個人的に止揚という言葉を知ったのは、この仕事についてからある文集の巻頭言を読んだときだった。
 その意味を深く解したとは言えないまま今まで来たが、この本の中に「二つのものがぶつかり合い、つぶれる。そのつぶれた中から新しい一つの統一体が生まれてくるという意味がある」と記されていて、得心した。

 中間項的な生き方を好む(そう言い訳しながら何か正当性があるように感じている自分がいる)日本人には、およそ受け入れ難い。
 しかしそれほどの決意、決断がなければ、著者の現在はなかったのだろうと思う。
 そして、自分も含めて多くの日本人が、中間項的な生き方、雰囲気に毒されて、抜け出せなくなっていることも同時に考える。
 この本は、現実に正対し、逃げないという気迫の著である。その対象が福祉であれ、教育であれ、それは一貫している。

 そこまで駆り立てられる熱情はどうやって培われたのだろうか。
 古今東西の偉人の伝記にはほとんどの場合、育った家庭、出会った人々の大きな影響が記されるが、ここでもいくつか見つけられる。

 著者が高校生のとき、病床にあった母親が語った言葉。

 どんな時でも目に見えるものより、目に見えないものを大切にしなければいけないんや。
 
 「目に見えるもの」が要求される時代。その推進が請われている時代。それに逆らうことは困難だが、「目に見えないもの」の大切さを末端に追いやってはいけない。

 昨日の卒業式では、そのことを語った。自分に言い聞かせるためにも。