すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

今、必要な「共同」という学習体験

2005年10月31日 | 読書
高学年になっても「好きか嫌いか」「損か得か」を基準にして行動する子や、感情をコントロールできない子が多い。
こんな子どもたちに、今、必要なのは、「共同」することによって、自分の存在と他の存在がはっきりするという体験である。「共同」によって、知と情がバランスよく高まっていく。

岩下修「授業研究21 2005.9」(明治図書)


一人ひとりを大切にということが
単純に個別学習という形態に流れていないか。
知の面ではある程度の効果があったとしても
それはきわめて皮相的な、薄っぺらで頼りないものだ。
情が結びついてこそ「力」になり得る気がする。

基礎学力と呼ぶにふさわしいのは…

2005年10月30日 | 読書
基礎学力というと、一般的には「読み書き計算能力」と思われていますが、それができても新しいことにチャレンジしないのなら、それは学ぶ力がないのと同じでしょう。新しいことにチャレンジしようとする力を、基礎学力と言うほうがふさわしいと、私は思っています。
平井雷太『らくだ学習法』(実業之日本社)


カテゴリーが違うと言えばそれまでなのだろうが
「本当に身につけさせたい力」と言ったときに
一番の基礎とは何かが問われる。
教科の学習の育ちなしに「やる気」や「意欲」が育つとは思わないが
教科の学習が身についても、チャレンジしていく力が育たないことは
現象として大きく現れていると言ってもいいだろう。

自己統制力をつけるためのネジ

2005年10月28日 | 読書
現代人に見られる品格のなさ、慎みのなさ、等々といった憂うべき姿に対しては、単なる対処療法ではなく、人格全体のあり方、「欲求、欲望」の自己統制に関わるメカニズムのあり方、を視野に入れた対応策が必要であることが明らかになるだろう。
梶田叡一「日本教育 2005.10」(日本教育会)


「自己統制」を具体的に教育現場でどう進めるかと考えたとき
いや、今まで行ってきたことや現在もしていることをあてはめて
その重点化を探ってみたとき
苦労をする、難儀をするなかに充実感を覚えさせるという原則が
浮かび上がってくる。
そして、それは何ひとつ新しいことではなく
毎日、そこでもここでもしている活動に
ネジを巻いていくことに他ならないことに気づく。

教育の場には無用な人

2005年10月27日 | 読書
創造の過程にある学校には、「正しさ」が人の数ほどあります。その中から新しい方向を見つけ出すのには、「仲よく」を欠くことはできません。---仲よく出来ない人は、教育の場には無用です。
船越準蔵『教師が変われば子供が変わる(下篇)』(公人の友社)


「仲よく」というシンプルな言葉の中には
きっと精神力の強さや創意工夫といったものが含まれる。
ちっぽけな職場の中だけでなく
子どもを取り巻く環境のあちらこちらに
この「仲よく」を適応させていくことだと思う。

「学級」を優先すべきその理由

2005年10月26日 | 読書
今ここで、子どもたちの学力向上を目指すのなら《生活集団の機能を重視した少人数学級》を優先させる以外に方法はない。少人数指導も一つの指導である。それでも《学級》を優先すべきである。我慢も苦労もしなければならない《学級》という人間関係の中で、「みんで協力してわかった」という経験を一人ひとりにさせない限り、勉強に対する意欲や耐性、ましてや他国なみの家庭学習量を期待することは不可能である。
長南博昭「学校マネジメント 2005.11」(明治図書)


まるで応急処置のような学力向上策がまかり通っている
とでも言えばいいのだろうか。
本当に子どもの頭脳を鍛えていくには
様々な我慢、苦労を体験させうる場が必要だということを
もう一度考えてみたい。
現実に「学級」がそうした場になっているか、とういうことも含めて。

強くなければ、踏み台にはなれない

2005年10月24日 | 読書
本当に腹の底から持っている価値観を、親や先生は徹底的に子どもに押しつけろ。それが踏み台になる。それがないと子どもは踏みだしていけない。
藤原正彦~県PTA研究大会記念講演より2005.10.23~

強くなれ、強くあれ
今この言葉は子どもに対して向けられるのではなく
この国の大人たちに向けられている。
強くたくましくなければ踏み台にはなれない。
自分の役割をしっかりと意識すれば、
やるべきことはわかっているのだから。

確実にコントロールができる勉強行動

2005年10月23日 | 読書
そもそも、本当にやる気になってるかどうかは、当人しかわからない。表面的にことらに同意しているようでも、別のことを考えているかもしれない。もちろん、心から同意している場合もあるだろうが、あくまでそこは推測の域を出ない。
しかし、これが表に現れる行動となると別である。心のなかはともかく、行動なら具体的かつ明確に観察できるから、確実にコントロールができる。
たとえば、子どもに勉強させるとき、当人が本当にやる気になっているかどうかはわからないが、机に向かって教科書を開き、英文を音読したり、計算問題を解くという行動は、誰の目から見ても明らかに勉強行動である。

和田秀樹『1+1=10を実現する仕事術』(三笠書房)


今大切なことは、
確実にコントロールできるものは確実にやるということである。
子どもの成長段階に合わせて何を習慣づけておくか
その習慣づけのために必要な方法をシンプルに行うことを
美辞麗句に惑わされて、とまどってはいけない。

高みに立てばオタオタしない

2005年10月21日 | 読書
例えば民主主義の歴史と意味をしっかり勉強すれば、状況を高みから見ることができる。そうすればオタオタせず、確信を持って行動することができます。いろんなことを分からないままに続けていると、自分ばかりが苦労している気になります。
河合隼雄「総合教育技術 2005.11」(小学館)

授業のことでも、職場のことでも仕事全般にわたって、
はっきりと流れが見えないと不安になる。
流れを見るためには、俯瞰する力が必要だし
そのためにはやはり自分自身の学びを高めるしかない。
苦労しているなあと、オタオタしているのは
流れにまきこまれ自分が見えなくなっている姿だ。

キムタクの人気と授業の目線

2005年10月20日 | 読書
私は国語の講座でSMAPのコンサートに行ったことがある人に次のように聞いたことがある。
「SMAPのコンサートでだれと一番目が合いましたか」
全員が「木村拓哉」だと答えた。

椿原正和「国語教育 2005.11」(明治図書)


データとしてよりエピソードというとらえであろうが
この事実は重い。
人を引き込もうとしたときの、
目線の強さ、目配りの広さということである。
教師と目線があった頻度によって
その子の学習意欲は増していくことは間違いないだろう。

体験の経験化

2005年10月18日 | 読書
体験のうち、試行錯誤できるものは「経験」にかえることができる。
齋藤 勉「現代教育科学 2205.11」(明治図書)


まず、活動を「体験」と「経験」に分けて考えてみる。
一回きりのものはどれか
繰り返すことができるものはどれか
そして、一回きりの活動をどう工夫することで
試行錯誤に結びつくか
これらがうまくつながれば「学び」が高まる。