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すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

「金持ち」が遠くなる

2025年04月14日 | 雑記帳
 定期預金を解約して少しまとまった額を現金で受け取る必要があるので、銀行へ事前に電話を入れた。予想はしていたが、詐欺事件多発は影響が大きい。使い道を行員が軽く訊いてくることは以前もあった。しかし今回は「警察」からの指導もありときた。事情を訊かれても…という話に『かまいませんよ』と応える。


 電話口でそう言った自分の声が少し弾んでいることに気がついた。「事情聴取」かあ、いつ以来だろう…そう言えば職場である事件があり、経緯を尋ねられたり隠しカメラ設置を話し合ったりしたことがあり…それはともかく、数十分後店を訪ねたらもう二人の警官(私服)が先着しており、行員から別室へと案内された。





 例の写真付き証明書を見せられ、聴取が始まる…と中味は個人情報満載なので控えるが、防犯上「安心」のお墨付きをもらい手続き解禁となる、そこで警察からもう一言。「定期から普通口座に移し、安全上現金は持たない方が…。」「いや、知っているのはお二人(警官)と銀行関係者だけでしょうから」と笑って見せた。


 連絡や手続きを進めている間に、残った若い警官の方と雑談。大変でしょうねと声をかけると、フランクにいろいろな状況を教えてくれる。巷で言われていること、なんとなく感じていた印象の真偽も答えてくれた。一つは「若い人が結構引っかかっている」、そして「被害は(秋田)県南が多い」。県南の若年層、要注意!!


 「ダンボールに800万円を詰めて送る」という記事は生々しかった。数億、数千万単位の詐欺も口座や電子マネーとなると、読んでも「ふうん」だが、現金となると「ナエデガ」と言いたくなる。やり取りを想像してしまうからか。Cashlessの時代は間違いなく来るだろう。「金持ち」という憧れの語も遠くなる。

あの「波」が来ても踏ん張る

2025年04月12日 | 雑記帳
 まだ半ばだが、世界的に見れば(笑)この4月は「トランプ関税発動」が刻まれることになるのか。その影響について様々に解説がされ、そう動くだろうと思いつつ、何かができるわけでもなく、いつものように冬の始末をして、春に備えるしかない。仮に「関税の波」が押し寄せても、この場で踏ん張っているために…



 今年も木瓜は花をつけました 。2025.04.07


 選挙で始まった今週は、月曜日の午前にタイヤ交換を終えた。2台分を結構スムーズに行った。毎度書きながら自分に念押しするのだが、省力化のための事前準備と作業の工夫は怠らないことだ。力任せにやってその疲労度を満足感と思うほど若くはない。これを「年の功」と言うのか。多くの失敗により得たものだ。


 冬囲いも外して収納した。劣化は仕方ないし、やれる範囲で手入れを続けていくしかない。これは人間の心身も同じだ。例年なら今頃畑の作業を始める隣家のご主人が火曜日に亡くなった。同世代だけにショックである。「あちら」にゆく人ばかりが増えていく。だけど、語り合えるのは「こちら」だけだと知っている。


 来週からのこども園「お話し会」の計画を完成させた。4月分の読み聞かせの選書もほぼ固めた。新しく借りてきた絵本の中に良いものがあり、読めるのが楽しみだ。さらに、来月初めに大人向けに語る機会が回ってきたので、大好きな長田弘の絵本を初めて読むと決めた。さらに「昭和の先生」を描いたあの本も…。


 それは、図画を太い一本の筆だけで描かせる担任の先生の話だ。そこに込められるのは、生き方の本質そのものだ。身体を使い、心を使う…今も変わらぬ教育の原点といっていい。来週から、毎年の「桜」写真も撮り始めることになるだろう。まだ花粉は怖いが、自分自身をよく教育して、踏ん張る手足を鍛えたい。

手詰まりからの脱却~選挙雑感

2025年04月07日 | 雑記帳
 一度も棄権はしたことがない。今回も県民、町民としての務めをきちんと果たしたいと考えた。それにしても…と、選挙運動期間中に頭をよぎったのは、どの候補も「政策に手詰まり感がある」。明確な争点があると見えるものも、方向性にそれほどの差も感じない。さらに選挙公報に載せられている文言の曖昧さ…


 かつてスタッフとして公報に載せる文面とレイアウトを考えた経験がある。改めてデータを見直してみた。もちろん、限られた紙幅でありスローガン的な言葉に留まるが、自賛めくにしても今回配られた内容よりかなりマシな気がした。短いなりに「筋」が通っている。集票のための多方向アピールで終わっては駄目だ。



 我が家の玄関先に今年も咲いた福寿草


 さて、改めて感じたこと「データ(統計)は凄い」。投票時間の終わった直後に、知事、秋田市長の当落判明が出た。国政選挙も同様なのでもはや驚くことではないかもしれない。統計学的に当然というが、サンプル数「1289」でぴたりとよくわかるものだ。人口一万数千の我が町など出口調査はなく、収集対象でもない


 もう一つ、詳しい市町村ごとの投票結果を見て細かなことでニヤリ。知事選で言うなれば「第三の候補者」への投票率が、我が町は最高ではないか。その自由な投票行動にやはり個性的な町(笑)だと思う。偏屈なだけか。しかしそれはある意味で「意志を示した」ことだ。その意志を自分の中に認め、行動してほしい。


 今回の選挙を通じ「政治への関心」が高まったろうか。若い方々が当選者となったので、そうとらえていいかもしれない。押し上げられた人たちは、この機を逃してはならない。きっと政策の大胆さや工夫以上に、その策に息を吹き込む住民の参画や応援の仕方が肝心なのだ。リーダーがどのように姿勢を示すかが問われている。


だらりと、独り視聴者委員会

2025年04月05日 | 雑記帳
 春からの連続ドラマが始まる前に、1月期のドラマについてだらりと書きつけよう。なかなか面白く視た印象がある。NHKでは連ドラ『おむすび』は世間の評判通り低調だったが、大河ドラマ『べらぼう』は異色の展開だし、『東京サラダボウル』『リラの花咲くけものみもち』などは、丁寧に作られていて楽しんだ。


 民放では、フジTV騒動があるにしろ『1195エマージェンシーコール』が良かった。NHKドキュメントとして放送している実際の現場には及ばないが、結構上手に取り入れられていた。日テレの『ホットスポット』は、脚本・設定が採用した俳優たちとぴったり合って、バカリズムらしさが際立ったエンタメとなった。





 と、それらはともかく、今回もTBSは強い(一週遅れ放送が少し情けないが)。『御上先生』には独特の魅力があった。ここ数年、一つのクラスを舞台にした好ドラマが目立つ。これも視点が違うが面白かった。私立エリート校の実情など知る由もないが、もし近い志向があれば少し希望が持てるような内容でもあった。


 文科省官僚が高校に派遣されてクラスを受け持つことから始まるが、冒頭から最後まで対生徒に向けて貫かれていたのが、この言葉『個人的なことは政治的なこと』~パーソナルイズポリティカル(The personal is political) だ。事実だが、相当の想像力、論理力を駆使しなければ建前で終わってしまう考えである。


 学園の癒着不正を暴く筋書きは、むろん構造的な問題でそこに立ち向かう二人の官僚、現場教師という構図になる。生徒と正対できる者だけが変容を促せるという結びに異論はない。それにしても主演の松坂桃李、岡田将生そして吉岡理帆まで、あの名作『ゆとりですが、なにか』(2016)では「ゆとり」だったなあ。

「手入れ」を嘆き、石を見る

2025年04月01日 | 雑記帳
 前月と比べて明らかに早く過ぎた。この感覚にちょっと戸惑ってしまう。ボランティアの読み聞かせはこども園のみで四回、あとは公的な会議等もなかった。親しい方々と一献できたのがちょうど中間地点だ。その後の関西旅行の前後が慌ただしかったからだろうか。ブログ更新も「羽後噺」は目標値7に届かなかった。


 手元に1枚メモを置いていて、「手入れ」と記してある。書斎環境を対象に…これが三月のポイントであった。書いた当初は意識して、手帳にチェックもしていたが、旅行を挟んで行動化が止まってしまった。復元力がないなあ。体力的な点はもともとそうだが、精神面もこれでは益々フレイル化(笑)が進行しそうだ。



 3月のベストショットか。ちょっと絵葉書みたいになったけど…


 ただ、体調はあまり崩さなかった。花粉は飛んでいたが、服薬を早く始めたし、帰宅時の「手入れ」はマメにやった。なんだあ、我が身に降りかかってくる怖れがあれば手入れできるのか。ということは、掲げた項目は切迫感が薄いとしか言いようがない。実は薄々気づいていながら、毎度繰り返しているに過ぎない。


 となれば、思い切った改革を決断しなければ…(まるで何かの立候補者のようだ)。それは、手入れする対象の「削減」。あるいは、手入れする対象の「集中」。二月にメモした意図とは別に進むことに頭を切り替えたい。購入する本選びをしていてブログ検索をしたら、ちょうど4年前の4/1に記したことにたどり着いた。


 世事に振りまわされるな。集中するべき二、三の石を置くための手入れでいい。幸いなことに新年度も様々な関わりは続けられそうだ。石を磨き続けることが肝心だろう。そのためのいい準備、仕込みができる四月にしたい。動いて、書きつけていれば思考が動く。そう考えてノルマを課している。今年も、いい桜を撮ろう。

春旅寸描からの教訓

2025年03月27日 | 雑記帳
 先週末から関西方面へ小旅行。何度か出向いたことのある場所だが、今回は今まで足を運ばなかったところへ、と思っていくつか選んだ。その一つは先日読書録に書いた、琵琶湖の観光船「ミシガンクルーズ」。大津港発着の90分コースは天気にも恵まれ、デッキで飲む昼ビールが美味しかった。北国では味わえない。



 京都の寺院の有名どころで、まだ行っていない伏見稲荷大社。あの千本鳥居だけは見ておきたかった。確かにその規模はアピール度が高い。バスや電車の便がいいので迷わず行けたが、それにしても外国人観光客の多さに辟易してしまう。平日でも休日でもそんなに変わらないのかもしれない。観光立国の核を見た。



 もう一つ、昔からの伝統的(笑)施設だが、映画村も見ておきたかった。時代劇というより、朝ドラファンの一人として「オードリー」や「カムカム~」の舞台になっていることもある。一回りをしてみたが、正直、やや物足りない。オープンセットの規模か寂しい。それなりに客は楽しんでいたが、「通」の世界のようだ。



「食べびと」を自認する声は少し低くなったが、それでも最終日に居酒屋経由で某有名ラーメン店へ向かう。夜でも案の定の行列。何とか席へ案内され漆黒の一杯を堪能した。ただ隣の女子親子連れ?が、私たちが食する間中(10分近いか)、ラーメンを撮りまくりそれから箸をつけた様子に、唖然とした後味も残った。




 親類へのお見舞いがメインだったので、無事予定終了でほっとする。しかし予想はしていたが、足の衰えを痛感する。鍛えても向上は望めないだろうから、もはや体調維持とほどよい計画立案のみか。これは全てに通じると年度替わりを前に再確認しました、ハイッ(笑) 

「もうあきてしまった」から…

2025年03月14日 | 雑記帳
 一月半ばに町歴史民俗資料館主催の「郷土かるた大会」が行われた時に、所属している団体として協賛したい旨を相談し、内容の一つに「羽後町クイズ」を入れ、主担当になった。図書館勤務時にも似たような企画をしたので、それをもとに手直しをして完成させた。当日は、概ね好評のうちに終えることができた。


 クイズ作成で新しく付け加えたなかに、冊子「羽後町の伝説」にある「あぐりこ神社」のことを入れた。各地にある稲荷神社だが、「あぐりこ」という名の由来が面白かったので、取り上げた。意味が「もうあきてしまった」だという。それゆえ、子どもの誕生に関すること、雨ごいなども祈願されたのかもしれない。


 「羽後噺」と題してホームページを開いている。サイト内の「羽後のはなし」へ、改めて「あぐりこ」の伝説を載せようとしたときに、もう一度その名の由来を調べてみた。ネット検索に「あぐりこ」と入れても、語源的な内容は見つからなかった。そこで「もうあきてしまった」と入れ再検索したら、そこになんと…。




 CDアルバムのタイトルとして「THE OTHER もうあきてしまった」が目に入ってきた。歌い手は長谷川きよし。一定の年齢以上の人なら「別れのサンバ」を知っているだろう。それは入っていないが、全20曲が1100円という破格の値段だ。デジタル・リマスタリング版で10年前に出されているが、中古ではない。


 初めて使う通販サイトだったが、ポチっと即買い。この盲目のシンガーは若い頃、隣市の文化会館中ホールで聴いた。ガットギター!!の超絶テクニックと伸びのある歌声は独特の雰囲気があった。ユーミンの「ひこうき雲」も歌っていて、このCDにも入っている。「もうあきてしまった」と言えるほど聴き込んでみたい。

この日に聴く歌

2025年03月11日 | 雑記帳
 記憶のあやふやさにどう歯止めをかけようか、などと時々思う。「今、ここ」が大切と分かっていながら、自分を形作っているのは間違いなく、過ぎ去った一日一日の積み重ねだ。ただ、思い起こさずとも「実」になっているものだけが本物。それを十分承知しつつ、欠落を埋めるように取り出すことにも価値があるはずと。



 2011.3.11 12:34 その日は卒業バイキング給食だった


 3月11日には、やはりあの時のことを思い出そう。昨年記した拙著にもこのブログから引用し、翌々日に認めたメモ、そしておよそ半年後の修学旅行引率について書いたことを入れた。何度となく読み返した。ただ、もう少し掘り出しもっと確かめるべきこともあるだろうし、今後も開くだろう。そして、この歌たちも…。


 東日本大震災後に、様々なアーティストらによって作られた曲がある。なかでも印象的だったのは、Mr.childrenの『かぞえうた』だ。そのことについて約一か月後に「闇の中なかで響きわたってほしい」と題して紹介している。その後いろいろな災害に見舞われた地域の方々のことを想っても、心打たれる歌である。


 もう一つの歌の存在は、震災から5年経ってから知った。「3月のこと」という題に、ぴんとこない自分の鈍感さに呆れたが、やや聴き取りにくく、歌詞を見てえっえっと思った。良ければ、ぜひ味わってほしい。最後に50年以上前に初めて聴いた「Before The Deluge(大洪水の前に)」を挙げる。J・Brownは先を見てる。

坂道を転がる心身を…

2025年03月05日 | 雑記帳
 去年の今日、記した駄弁に今の自分を問いかけてみると、「19歳の半世紀」なのか「18歳の半世紀+1年」なのか…。言うまでもなく後者か。きっと生物年齢の18から19は、実に様々な出逢いや変化があったはずだ。なんせ初めての一人暮らし、大学生活、ゼミやサークルへの参加、そして当然のように飲酒、喫煙…


 まさに「何者でもなかった」時代だ。学生運動のデモは初めて見たがすぐ下火になって、燃えかすのような先輩がいた。その姿に不満を持ちつつ、自分は何一つ踏み出せないまま、ただ髪を長くしジーンズを穿き、下手なギターを掻き鳴らす、昭和50年代初頭の典型だ。「三無主義」という言葉が投げつけられていた。


 「無気力・無関心・無感動」だと認識していたが、「無感動」ではなく「無責任」だと辞書にはある(後に無感動が入り「四無主義」らしい)。これらはあくまで、前時代との比較で称されたことに間違いない。そういう心的傾向は認めても、現実には様々な壁と衝突した時もあるし、熱き思いをたぎらせる出来事も多かった。


 それを想うと齢を重ねている今こそ、まさに「四無主義」へまっしぐらか。それも坂道。もちろん下り坂。物事への関心は下がり、当然気力も減る。責任は無い立場だし、感動は無縁か。いや「職」と無縁になったら損得の位相は違ってきたし、坂道を転がる心身をかろうじて引き留めてくれる存在はまだあるようだ。





 縁をつないで訪問しているこども園。今月は最終なので、昨日の園では「ありがとう」のしおりを頂戴した。そして今日はなんと教室へ行くなり「おたんじょう日、おめでとうございます」の声。帰りには、手づくりメダルを掛けてもらう。この齢になって素直に歓待してくれる場がまだあることに、手を合わせたい。

 最近、座右の銘となっているのは、新聞のコラムで見つけた和田秀樹氏のコトバ。忘れずに日々歩みたいものですな。

 「生きていれば何でも試してみることができます」

弐月は、逃げたか

2025年03月01日 | 雑記帳
 一月はずいぶん長かったと振り返りをしている。その反動?なのか、二月はずいぶん早く過ぎてしまった感がする。立春後に降った雪はさほどではなかったが、車庫の屋根は締まった結構積もっていて、重い腰を上げ少し排雪した。一昨年までなら一気にやっていた。しかし、今冬は短時間で二日続けるやり方にした。


 体力に合わせつつという心がけは肝要だろうが、若干寂しくもある。中旬、車のバッテリ劣化が目立ち、仕方なく交換した。通勤等もなくなり使用頻度が落ち、放電が進んだのだろう。機器だから交換可能だが、人間の身体はそうはいかない。まあ、孫の雪遊びに付き合うことは多少できるし、億劫がらずに維持を図ろう。





 読み聞かせは、こども園が4つ、小学校2つ。5年生相手に「おまけ」として谷川俊太郎の「ひとりひとり」という詩を読んだことが印象深い。高学年ならこれもありだと幅が広がった気がする。昨日の中学年の読み聞かせはどちらも新作で力が入った。声の衰えは感じ始めているので、だからこそ技能を駆使したい。


 昨日、運転免許更新を終えた。ゴールドに戻ったのが嬉しい。説明を受ける前からわかっていたが、次は高齢者講習が必要。その次になると認知機能検査となる。しかしそこまで維持できれば上等かもしれない。免許が安全を保障するわけではないし、不測の事態は誰にもある。準備と覚悟だけが自分を保持できる。


 コロナ感染が始まった頃、対策が強化された頃、ロシアのウクライナ侵攻が始まったとき…いずれも2月や3月の印象が強い。忘れがちになるが、その時感じ考えたことは頭や身体のどこかに残っているはずだ。先月も中途半端に終わった「手入れ」を一歩進めて、今年の春がよく回るようにしたい。あっ花粉対策も!!