すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

八月は、ひろがる虹で

2024年09月01日 | 雑記帳
 去年も暑い8月だったが、今年はとうとうエアコンをつけずに寝る日が一日もなかった。データはわからないが、蒸し暑さがずっと続いた感じがする。それでも生き物は正直なのか、盆踊りの終わる日を待ち構えていたように秋の虫が鳴きだしていた。気象に関する状況がどうであっても、ここで生きるというように。


 パリ五輪のことはちょっとだけ書いた。正直あまり印象深いことがなかった。誰の顔が忘れられず残っていくのだろうか…メディアによる軽重のつけ方で左右される気がするし、今はなんとも言えない。ただ、チームプレーが求められる団体競技が、ことごとく今一歩だった。大雑把であっても、これは記憶に留めたい。


 私事では、自費出版した記念の会を開いていただいたこと、それに孫との結構長い(笑)夏休みが印象に残る。拙著を一冊仕上げたことで次への意欲もやや高まってきた。孫の宿題や遊びに付き合うと今さらながら「イマドキ」がわかる。だからと言って、自分でやれることが増えるわけでもなく、徐々に輪郭がはっきりしてきた。


 こども園読み聞かせは先月からの延長が一つあって、計5回。楽しくやれた。選書はパターン化しているが、対象が違うのでそれなりに変化はある。自分の読書生活、これは極端に落ちている。メモだと読了が3冊、今読みかけが2冊で最低クラスだ。ただ内容として面白いので、これはペースが落ちても可としよう。


 これほどお天気が気になって、雨雲レーダーを見た数日間はない。5年ぶり、つまりコロナ禍以来の花火大会である。結果、幸いにも雨が落ちることはなく、風がないので煙がこもるのは残念だったが、やはり「大曲」であった。本番開始前に、観客席の声があんなふうに挙がったのを初めて聴いた。広がる虹だった。


「秋波」の色は泥水のよう

2024年08月30日 | 雑記帳
 何度か引用しているが、かの名曲『命の別名』は♪知らない言葉を覚えるたびに、僕らは大人に近くなる♪と始まる。しかしいくら「大人」になっても使ったことのない言葉は結構ある。聞いたことがあり、なんとなく雰囲気はわかっても意味は明確に言えないフレーズを新聞紙上に見つけた…「秋波を送る」である。




 新聞はこう記していた。「ハリス陣営は『トランプ氏にうんざりし新しい道を探している皆さん、われわれの選挙運動はあなた方のためにある』と訴え、秋波を送った」。慣用句であり広辞苑には「いろめをつかって、異性の関心をひこうとする」と記されていた。他の辞書では使用者が「女性」限定とも書いていた。


 なるほど。記事では、「皆さん」とは大統領選の行方を左右しそうな「ケネディ支持層」を指す。個人ではなく、集団を対象とした場合にも使われるわけか。ということは、向ける対象の性別ではなく、使用する者の性別に重きが置かれるわけだ。ジェンダーフリーとすれば関係ないか。いや使用自体がもはや偏見か。


 そもそも「秋波を送る」とは、どんなイメージがもとになっているのか。世の中、いろいろと研究している方がおり、ある病院の広報誌に載っていたので、興味深く読んだ。「眼差し」の強さを男女の違いで語っているのは、今どきの事情にあわない気がする。昔でも「流し目」が有名な男性俳優など結構いたはずだ。


 昭和後期の中高生であれば、好きな異性に「こちらを向いて」と念を送ったりした(笑)経験のある方は大多数のはず。そうした感情が徐々に乾いてくるのは仕方ないにしても、小説や映画などに触れ多少の潤いは残しておきたい。ともあれ自分が使いようもない「秋波を送る」は、今、権力闘争の泥水の色をしている。

そこに愉しさや懐かしさが…

2024年08月24日 | 雑記帳
 木曜日の朝刊一面トップに、教員の「教職調整額」増額の話題が出た。むろん、そのこと自体は賛成だが、付随している様々な「処遇改善案」なるものをみると、本当にそれが学校現場にプラスになることなのかは、疑わしく思えてくる。これは教員志望者の減少に歯止めをかけるための政策でもあろう。そもそもが違う。


 思い出すのは、教員採用試験!!を受けた時だった。確か二次の面接(あの頃は集団などなく、全部個別だった)で「ジンカクホウとは何か」という問いが出た。ええっ、全く頭になく思い浮かんだ字は「人格法」、思想上のことかと思ったが、正直に「わかりません」と答えた。「人確法」いわゆる人材確保法であった。




 公務員であるメリットは知っていても待遇がどうかという点には疎かった。時代的には、採用時に数万円台から始まった給料が急激に増えていく。その歴史はさておき、当時言われていたのは「金が欲しかったら教師なんかしないよ」ということだ。それは今でも変わらないのではないか。経済的な保障は不可欠だか…。


 極論すれば、志望する可能性のある者が全員、経験し接する「学校」「教師」の存在が、愉しかったり懐かしかったり必要があるのではないか。少なくとも、そう見える余地を残していることが、その「場」に仕事を求めたい者の下地になっていくだろう。誰しもが、毎日学校へ通い、毎日生の姿を見てきたのだから。


 教員業務に「残業」が多いことが既定事項になったり、上下関係が強まり今以上に上意下達になったりすることが、愉しさや懐かしさに結びつくだろうか。働き方改革と言われるが、それは教師裁量の拡大につながっているのか。人も物も隙間なく詰められ、効率性が重視され、息苦しさだけが募る場にしてはいけない。

あの時、何を祈って踊ったか

2024年08月19日 | 雑記帳
 久しぶりに盆踊り本番の日に通りへ向かう。コロナ禍になってからずっと観ていなかったので数年経ってしまった。2019年の時は初日にその場で町CM撮影をしたことを思い出した。今夏は小学生になった孫も、少しの時間は列に加わったようでぎこちなく手足を動かす姿を笑いながら観た(ただし、スマホ画面で)



 様々な問題はあるにしろ、大勢の観光客が来る現状は町にとって嬉しいことだ。貴重な文化が残っていくことを誇りと思うし、継承する方々には励みとなるだろう。ただ、ここで生まれ育ち、間近に接してきた者としてより注意深く見れば、文化継承は夢中になってやる、自己感情に従うだけでは陥穽となるかもしれない。


 先日、NHKBS再放送で「スピリアル・ジャパン」で盆踊りを取り上げた番組を視聴した。リポーターであるスペイン女性は、自分が体験してきたdanceと盆踊りの違いに驚きながら、さらに独特である西馬音内盆踊りの特徴を、最後に「顔を隠す」という言葉で語った。ああそうか、と今さらながらに気づかされた。



 まだ踊りの輪に加わっていた学生の頃に、取材に来ていたラジオ番組の方にインタビューを受けた。質問は定番の彦三頭巾についてだった。「亡者踊り」と言われていることなどを話した記憶がある。ただよく考えれば、編み笠も深くかぶり、顔を見せない点は共通している。これは何を意味しているかと問うてみる。


 顔を隠すとは「自分をなくす」こと。表を晒さない、かがり火を囲んで並び、揃って同じ振りをつける意味の一つは鎮魂である。そこに個性はいらない。つまり自己表現ではなく身体を使っての祈りの共同作業と呼べるか。そう結論づければ、若い頃に踊りながら感じた居心地の悪さに納得し、冷静に全体像が見える。

空はパリにも広がっている

2024年08月14日 | 雑記帳
 三年前の東京五輪の事は読書と関連付けて書いて残してあった。今回も熱心に見たわけではないが、備忘の一つとしてメモしておきたい。まずは、従来とは違う開会式の設定は面白かった。ただ入場行進?はダラダラ感が強く、何で締まったかというといわゆるパフォーマンス部門だと感じた。「芸術の都」だからね。


 新聞等でも取り上げられていたが、選手の活躍は大会前予想と違っていた部分が多数あった。当事者にすれば強化の時点から可能性の範囲を掴んでいたはずで、「勝負の綾」という面はあるにしろ、結果だけが今の力を示している。ただ、メダル数が国力を示しているなんていう乱暴な見解は、奢りに感じてしまう。





 いわゆるアーバンスポーツが前回に続いて注目された。カントリー(笑)に住む高齢世代にはまさしく縁遠い。映像やメディアを通してなんとなく普及しているイメージが少しだけ腹立たしく思えたりするのは、明らかにひがみだな。ただ、個々の競技がどんな「身体」を理想とするのか考える材料としては興味深い。


 男子マラソン放送を見られなかったが、女子は珍しくきちんと最後まで県出身者を応援した。増田さんの解説がいつも以上に冴え(笑)、鈴木選手が中学生の時に書いた作文の題名「走り抜けた夏」を何度か語ったことも微笑ましい。それにしても沿道の応援?伴走?の様子がいかにも自由で、羨ましく妬ましく思えた。


 自転車でスマホ撮影しながら追いかける若者もいた。日本開催ならまずあり得ない。そういえば期間中の新聞記事でパリの人々の様子を伝えるコラムがあり、「信号を守らない」ことへの驚きと考察があった。国民性の違いに関する見解は諸説あるが、根本は何を信じて生きていくか。多様性の時代に軽視されない点だ。

葉月立秋の頃日記

2024年08月11日 | 雑記帳
8月5日(月)
 パリ五輪真っ盛り。競技の時間帯が合わないので高齢者にはつらい。録画だと今一つ緊張感がなく、つまらない。午前中、いつものごとく孫の夏休み帳に付き合う。眠りが浅いのか、体調は今ひとつ。それにしても暑さが続いていて今年は夜もエアコンつけっぱなしの日が多い。9月の高校での絵本実習依頼あり。


8月6日(火)
 午前中はこども園へ。「海」がテーマなので「波音」をBGMに使ってみた。これがなかなか良かった。午後、歯科医院に行く。本格的治療は盆明けとなる。知り合いの方へ自作本を届けたら、礼状が届いた。この内容が凄い。自分の志向を見事に言い当てられている。さすがの「読書人」だ。新しい気づきもあった。


8月7日(水)
 立秋。とはいえ真夏日は続く。昨日に続き別のこども園へ。今日は年中児が相手なのでTVは使わず、すべてアナログで通す。久しぶりだが顔を見渡す頻度が増え心地よい。借りていた本の返却で隣市の図書館へ。今日まで七夕祭りだが日中は閑散としている。帰宅後、今月後半の読み聞かせ候補本をリストアップする。





8月8日(木)
 朝のベッドで読み続けた是枝裕和の本の感想メモをアップする。夕刻から知人たちが発起人になって、出版記念会を開いてくれた。たくさんの懐かしい方々と会う。気恥ずかしかったが、こういう機会がある幸せを思う。たくさんの「交換」が出来た。知らず知らずのうちに盃を重ねて、なんとか家にたどりついた。


8月9日(金)
 昨夜手当てはして寝たつもりだが、やはり撃沈状態。ぼやっと甲子園での金足農業戦を視聴する。六年前とは違うと予想しつつ見ていたが、最終回に「らしさ」を発揮し、なんとなく落ち着く。台風が東北地方へ向かっている予報が出ている。地震情報といい、災害対応に終始する国になったか…とまたぼんやりする。


8月10日(土)
 一昨日お世話になった方々へ御礼メールを送信。その後、予約した大型絵本を取りに図書館へ。イベントありで忙しそうだ。次の読み聞かせは「こわい話」で攻めてみる。展開を工夫したい。五輪は新競技の活躍が目立ち、放送もそれが多い。TBS系が見られずマラソンが観戦できないとは、いかにも時代の流れだ。

文月のエッ!!三つ

2024年08月01日 | 雑記帳
 七月のハイライトは、愛知・岐阜への旅行だった。アクシデントと呼べるほどの出来事はなかったがエーーーッと思わず声が出たことはある。二日目に長良川沿いのホテルの温泉に浸かり、部屋に戻って浴衣の裾をみると、血が点々と付いている。結構な赤さに染まっていて、どうやらふくらはぎからの出血らしい。
 
 
 右足を見ると、ポツンと虫刺されのように赤くなり、なかなか血が止まらない。立ち寄ってきた「天空の茶畑」と予想がついた。絆創膏を貼ってみたがすぐ滲んでしまう。単なる虫なのかそれとも蛭なのか見当がつかない。痛みも痒みもないが不安は残る。結局、翌朝には血が固まったが、赤い跡は今もって消えない。
 
 
 
 一学期の終業式があった日の午後。(やる必要はないのに)夏休み帳の一ページ目をやり終えた孫と居間で寛いでいたら、窓の外からバタバタと轟音がする。障子を開き目をやると、そこにはヘリコプターの大きな姿。墜落ではないよなと思うほどに近い。あっという間に降下して、我が家の近くの中学校グラウンドへ。
 
 
 エエッ!!ドクターヘリだ。孫の手を引き、着陸が見える場所へ。担架が出され、乗員が降りて校舎の方へ。何か重大な事故や怪我などがあったのだろうかと、心配してしばらく見ていたが、状況が進まず家へ戻る。少し経過してからヘリも戻った。命に関わる件ではなかったらしいが、平凡な日常には珍事と呼べる一つだ。
 
 
 
 以前「道の駅」で家人が菓子販売していた経緯もあり、知り合いから商品用シール作成を頼まれ続けている。久しぶりに注文があり消耗品をネット通販で購入しようとサイトに入ったら…エッ!!用紙も印刷インクも随分と値上がりしている。物価高は言われ続けているが初めて実感した次第。何事も身に迫らないとね…。
 

黒いグラウンドコートの姿が…

2024年07月30日 | 雑記帳
 四十数年前にT先生と初めて出会ったときの姿を今でも覚えている。先生は黒いグラウンドコートを着ていた。当時おそらく野球部担当で監督をしていらしたのではないか。ただその場所は、球場ではなく作文審査会をする和室であり、昭和50年代とはいえ諸氏とは異なっていた。新米の私に寄せた目つきも鋭かった。


 それから数年後、先生は私の教室にスーツを着こなした指導主事として入って来られた。たしか文法の授業であった。研究協議で「演繹法と帰納法」の用語を出して、提示した指導法について助言してくださった。その年、国語教育研究の東北大会で分科会発表者となった私の指導助言者も務めていただき、縁が深まった。


 「いいじゃないですか。これを参加者の前で堂々と語る先生の声が聞こえるようだ」と事前指導の折に励ましていただいたことも懐かしい。明朗快活に人に接するお手本を常に見せてくださった。地元での研究大会事務局でへとへとになった自分を、大会後に四次会までつき合って労わってくれた優しさも覚えている。




 思い出深い研修会がある。「詩の朗読」をテーマに今も活動している谷京子さんらを招いて実施した。その折に俳優の山谷初男氏も駆けつけてくれたことに、先生の交友関係の深さを見る思いがした。小宴では教育畑の方々とはまた異なる楽しさを感じた。山谷氏の送迎の運転手も務めたことも得難い経験の一つである。


 先生は、学校退職後にも不登校等の支援に関わる施設に務められ、お世話になった。しばらくご無沙汰をしてしまい、知らずにいたが、4年ほど闘病生活を送られていたという。「つらいとは一言も言わなかった」「120歳まで生きると笑っていた」と喪主の息子さんが語られた。ああ、T先生らしいと胸に迫る。合掌。

興行は格好よく、面白い

2024年07月29日 | 雑記帳
 名古屋場所が終わった。今場所は直接足を運んでもいるので書き留めておこう。大相撲観戦は三回目。国技館を諦めての名古屋行きだったが、今年で終わりになるという歴史ある体育館での開催も思い出になった。やはり生はいい。下衆な言葉で言えば見世物、正式には興行だから実際の目耳で感じるものはやはり強い。




 今回は「西」の真ん中の席で、仕切りや立ち合いについては見えにくい位置だった。その点の不満が残る。相撲を見続けるとその二つはポイントとして外せない。いわゆる儀式的な部分にある形式美と精神性は、実際の勝負への期待と予想を高める。テレビ観戦をする多くの高齢者にもそうした要素は多いはずである。


 人気の高い大相撲本場所には、様々な層のファンが入り、掛け声をかける。それを現場で耳にして「格好いい」響きについて考えた。酔客や集団での大声は該当しない。子どもの声援も論外だ。それは明らかに「芝居」への声かけと共通している。短く明確、もしくはリズムを持ってしこ名が叫ばれると気持ちいい。


 さて、肝心の結果は序盤を見ての予想通り、そしてある面期待した通りに横綱の優勝で終わった。琴櫻の取りこぼし(いや、それは実力であり、つまり力を発揮できない弱さということだ)がなければもっと白熱しただろうが、現段階の差がくっきり出た。隆の勝の奮起に驚きつつ、力量からは全くおかしくない流れだった。


 二力士の大関陥落、大関復帰ならずという現実は、新しい力の台頭を求めている。今年中の二場所で望みが出てくるようなら楽しい。大の里は当然にしても、小結平戸海の頑張りは、注目してみていきたい。体格、体重差を超えての戦いの面白さこそ醍醐味である。格闘技に関しては、五輪競技とは比べるべくもないと思う。

文化旅というほどの…参

2024年07月24日 | 雑記帳
 三泊目のお宿は三河湾沿いの温泉地。「天空の~」という響きに誘われ、海が見える絶景を求めたのは、やはり山間地に住む者の習性のようだ。入り組んだ昔ながらの小さな温泉街だった。それでも売り物のロケーションはとてもよく満足できた。食に関してさほどの特徴はないが、「深海魚」がウリということだった。



 温泉にはいつものごとく計3回入り、十分に温まってから(笑)酷暑の地の最終日。空港までの道のりで目ぼしい所は…と探し、ミツカンミュージアムという施設を訪れたが予約制であるとのこと。ショップ利用に留めたが、結構見所はありそうだ。思わず購入したのは「納豆かまし棒」。これは毎日使えそうな一品だ。



 かなり余裕を持って空港へ向かったが、レンタカー返却場所にたどり着かず、周辺をもう一周してようやく見つける。これは老化か。注意力の衰えは確かにあるから…。ただ名古屋市内も東名高速も、見知らぬ土地の細い山道も一通りは運転できたので良し。ほっと一息。空港レストランの名古屋揚げが美味だった。




 旅のチョンボの一つは、向かってくる時の飛行機の中で開いた文庫本を機内に置き忘れたこと。時間に余裕ができた帰りの空港ロビーで代替を探そうとしたが、ショップに本はなし。空港内コンビニの一軒にかろうじて週刊誌があるくらいだ。スピード化の時代に紙版活字は添え物程度であることが、はっきりわかる。



 振り返って心に残る景色は、遠景ながら岐阜城のライトアップに月が映えていた夜。数年間で様々な変化が定着した感じがするけど、残しておきたい日本の風情は大切だ…とつらつら思い起こしながら秋田へ到着直後、高校野球県大会で金足農業の勝利を知る。そういえばちょうど六年前。あの再現があればいいなあ。