すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

至福のたまごかけごはん

2009年10月31日 | 雑記帳
 10月30日は「たまごかけごはんの日」だそうな。

 いろんな記念日?を作るのは商業ベース、地域興し関連ということだろうが、なんといっても「新米の季節」であり、これは一言語りたいと思わせられた。

 まず、お米の友といったときに、生卵はベスト3には入ってくるように思う。ライバルは多く、納豆、明太子、しじみの佃煮、マグロのヅケ…かなりの数を挙げることができるが、ぎりぎり絞りこんでいっても落とすことはできないものである。

 その食べ方はどうなのか。ちょっとした変遷がある。

 子どもの頃だと黄身と白身をうまくかき回せない状態で食べていた。(その時はこれが旨いなどという意識はなかった)。
 次第に生卵から離れる時期、つまり目玉焼きやオムレツの方に目がいき、生卵など調理が面倒なときにしか食べないもの…などと思っていたような気がする。
 ところがそのうち黄身と白身をうまく混ぜ合わせるような力もついきて、うまく炊き上がった米との絶妙のバランスに改めて気がつくようになる。

 そんな時分に、あるテレビ番組を見た。調べてみたら、1987年だそうな。ずいぶん昔だったんだなあ。

 「炎の料理人 北大路魯山人」

 主演は緒形拳。
 印象的な場面がある。
 稀代の美食家がその「食」という仕事に疲れて帰宅し、むさぼるように食するのが卵かけごはんだった。そのときに海苔をあぶり揉みながらかけることにちょっと感動し、しばらくそれも真似てみた。

 この頃は黄身と白身をあまり混ぜ合わせない方がより楽しめるようになった。
 幼い頃の味覚がもとになっているのだろうか。それもあるだろうが、きっと昔に比べて、米や生卵自体の味がよくなっていることもあるのだろう。

 さっとかき混ぜ、醤油を適量。海苔があれば最高、なければ青海苔でも楽しめる。
 熱々の新米も卵の冷たさと混ざり適温になる。それをかき込むように…。
 ああ、至福の時!何杯も味わいたい…と思うのだが、コレステロールがねえ、と情けないオチでした。

野が野でなくなり

2009年10月30日 | 雑記帳
 地域の方をゲストティーチャーに招いての授業があった。
 その昔、田んぼへの用水事業に尽くした偉人のことがテーマだったのだが、お話の中にこんな一言があった。

 「このあたりは、昔、『ノ』と呼ばれていたんですよ」

 このあたりとは今学校のあるいわば地区の中心地のことで、「ノ」とは「野」のことである。

 そういえば、私の家にもこの地区に親類がいた。
「野に行ってくる」
「野のツァ(オジサンというような意味)」
 などという昔の家の者の声がよみがえってくるようだった。

 田んぼが広がっていたわけでなく、野原になっていた場所にたくさんの家が立ち、役所や様々な施設が出来上がっていたことは、全国どこでも似たものだろう。
 しかしそうであっても、現実に今自分のいる場所がかつて荒涼とした野原だったと想像してみることは、結構心が躍る。

 人はどんなふうにして、野原を均し、そこに道や建物を作り上げていったのか…。
 つくづく昔の人は偉いものだなあ、という気持ちが湧き上がってくる。
 まさしく「野」という字にふさわしい人々がそこに居たのだ。

 野が野でなくなり、そういう地名で呼ばれなくなり、人はだんだんと野から遠ざかっていく、という現実を考えさせられた。

酔いどれトムと再会

2009年10月28日 | 雑記帳
 ドラマ「不毛地帯」初回を録画でみたとき、エンディングテーマが流れてすぐ、あっと思った。

 トム・ウェイツだ。

 クレジットを確かめるまでもなく、この重くしゃがれた声は彼以外にないだろう。

 似たような音楽を聴いた同世代であれば、「オール55」という曲を思い出すだろう。ファーストアルバムは「クロージング・タイム」。当時新興レーベルだったアサイラムから何枚のアルバムを買ったのだろうと思う。
 何回か書いているがお気に入りはJ・ブラウンだったが、トムはまた別の意味で、というより「夜更けによく聴いた」1人である。

 「酔いどれトム」というニックネームが実にふさわしく、独りでアパートの一室で聴くには、実にふさわしい。
 70年代、ごく一部の若者のありがちな姿でもあったか。

 たまには懐かしがってもいいだろう。

 彼の一番有名な曲とも言われている「トム・トラバーツ・ブルース」。
 こんな齢になって、沁みてくることもあるなあ、と思う。
 もし、よろしかったら、夜更けに聴いてください。

 こちらは、少し若い頃の名曲です。

喜ぶ姿勢が窒息を救う

2009年10月27日 | 読書
 関西学院大学出版会が出した『こどもに命の大切さを伝える』というリブレットを読んでいたら、かの日野原重明氏と野田正彰氏の対談があり、その中で野田氏がこんなことを語っている。

 結局子どもたちの反抗がないというのは、やっぱり大人たちが社会に過剰反応することの練習をしているわけです。
 
 反抗期のない子どもが増える傾向があるらしい。それを私自身が実感しているわけでもないが、確かに昔ほどつっぱっているような子はいないのかもしれない。しかし、家庭や休日の暮らしではどうなのか、実際のところはっきりつかめてはいない。

 ただ「社会に過剰反応する大人たち」は自分も含めてそうだなと実感できる。
 これは仕事の面でもそうだし、政治や芸能人のスキャンダルまで含め、何か反応しないことが悪いかのように毎日が流れていく気もする。

 その反応の仕方も、いつもどこか「誘導的」であり、様々なメディアの情報に操作されたり、批判をかわすための無難な線を探したりということになっている。

 そんな状況を自覚している人は多いけれど、反発したときに集中砲火を浴びないだろうか、一人だけ浮いてしまい孤立しないだろうかと不安が先に立っているように思う。

 去勢された大人を囲まれている中で、窒息しそうな子どももいるだろう。上手になだめていく術だけを覚えて、反抗する心をきっとどこかに固めてしまうんだと思う。
 その隠された念のようなものはいつ弾きだされるのだろうか。

 野田氏はさらに語る。

 成長の過程として喜ぶ姿勢が親の中にないと、反抗期は生まれない
 
 喜ぶ姿勢はゆとりの表れである。親は自分がなくしているゆとりを取り戻さないと、その姿勢は生まれない。

 反応しなければいけない自分を時々笑ってみる。
 そして周りに合わせることをほどほどにして、ぼんやりしてみる。
 初めは多少居心地が悪い状態であっても慣れるかもしれない。

 喜ぶ姿勢が子どもの窒息を救う。

「石に言葉を教える」ということ

2009年10月26日 | 読書
 「壊れる日本人 再生編」(柳田邦男著 新潮文庫)
 単行本で出版された時のタイトルが「石に言葉を教える」であり、その言葉に込められた思いが、本全体を貫いている。

 石に言葉を教える
 
 何のことか、と思う。

 著者の想像の中で描かれた物語が、その発端となっている。
 山間の村の風景の中で、石に言葉を教えようとしている一人の男。
 毎日毎日石に話しかける、そのうちに作り話を語り、対話のような姿をあらわすようになる。

 こういう一種の「幻想」が、病む現代日本を救う処方箋であるかのように、著者はその言葉を何回か繰り返している。
 「文庫版へのあとがき」においてもその表現がくりかえされ、その言葉の解題こそが、この本の意味であるというように位置付けられているようだ。

 石に言葉を教える
 
 それは何のことだ、と思う。

 石という無機質のものに話しかける行為は何を表しているのか。
 著者にとって「言葉」、「言葉の力」が最近の大きなテーマであることは書いてある通りだ。
 共通の言語をもたない、いやそればかりか反応も示さない対象に向かって、何かを話すということは単純に自分自身に語っているのだ、と考えていいものだろうか。
 そんな容易い比喩のようなものだろうか。

 「教える」に大きな意味があるように思う。

 つまり、何度も繰り返す、わかるように工夫する、反応を見ながら伝える…
 反応のないものに対して、ということなかれ。石であってもおそらくはその日の天気によって表情を変え、その日の気温によって肌の色が違う、そして季節によって装いもまた異なるだろう…。
 つまり言葉を教えようと試みることは、毎回どんなふうに言葉を使ったかを心に刻むことになっていく。

 解説を書いた鎌田實は、それをこんな言葉で強調している。

 転移
 
 納得である。
 表面上の言葉のやりとりでは、けして深いところまでは届かない。

 石に言葉を教える、その心構えは言葉を使う仕事に就いている者にとって不可欠なのかもしれない。

遠い問題を視界から外さない

2009年10月24日 | 読書
 『日本語が亡びるとき~英語の世紀の中で~』の六章、七章を読み終えた。

 「普遍語」としての英語の台頭が「学問の言葉」として日本語が通用させなくなってきている。従って、日本文学は「現地語」としての文学に成り果てていく。「叡智を求める人」は日本語で小説を書こうとか読もうとかしなくなっている…著者はそういう認識を持っている。

 一方で、日本の出版業界を支える多数の読者がいて、それゆえ毎日多数の本が出て、もちろん小説と呼ばれるものもが売れていく現状があるわけだ。その安閑とした環境が文学にとって、日本語にとってプラスになっているのか、もはやそれは自明のことだ。
 だからと言って、一読者として何ができるか。正直これは重くて抱えきれない課題だ。

 最終章は「教育」について述べている。
 外国語が小学校にも導入され、その展開にどうも違和感を持っている自分なのだが、それは結局「読み」ということが核心にある。
 かなり以前に似たような考えを記した本が読んだ記憶がある。そして、ネットの普及によりそこに賛同する考えは益々強くなる。つまり著者いうところの

 学校教育で、英語を読む能力のとっかかりを与える
 
 ここを芯にすべきだと思うのである。今やっているコミュニケーションごっこのような形はいったい何を学ばせているのか時々不安になる。
 しかしこの流れもずいぶんと大きく強く、逆らえるものかと思ってしまう。

 もちろん最後に著者は国語教育にふれる。
 具体的に言及しているのは教科書のことだ。古典を取り入れ、内容を増やす傾向にあることは確かだが、それではまだまだなのだ。著者の思いは強い。

 もっと過激に。もっともっと過激に。 

 かの齋藤孝氏の主張も同様のものだが、それをブームとしないためにはやはりテキストをどう変えていくか、ここに尽きてくると思う。

 いずれにしても私にとってこの本は、遠くて見えなかった問題や遠ざけていた問題を、一歩、二歩ほど近づけてくれたと言える。
 視界から外されない問題である。

裏声ですばやく「キビシィーッ」

2009年10月23日 | 雑記帳
 子どもたちのマスク姿を撮り続けてもう4日目。とうとう学級の閉鎖という状態を向かえてしまった。

 帰宅して、家の者に思わず「キビシィーッ」と声をかけてみる。
 声をかけた後に、ふと
「そういえば、財津一郎ってこの頃見かけないなあ」
などと思わぬ方へ話が展開し、頭の後ろから腕を回して耳たぶをつかんでみたりした。

 で?「美しい言葉」である。

 再び、風呂の中で例の雑誌を読んでみたわけだが、結局美しい言葉ってあるのか、ということを思う。
 小林秀雄風に「美しい言葉はない。言葉の美しさがあるだけだ。」
などと気取って結論づけることじゃないだろう。
 ただ、いくつかのことを考える。

 言葉そのものが「美しい」ということは確かにあるだろう。
 しかし、多くの「美しい言葉」には背景があって、それが絶対的な条件のように思う。
 誰が、どんな状況で発した言葉か、このことを抜きには語れない。
 特に「誰」は大きい。美しい人が語れば、それはある意味みんな美しい…。

 「美しい言葉」を受け取る側の知識や感性は大事だ。
 どれだけの想像を働かせて受けとめるか。
 瞬間的に爆発するように感じたり、長くじわじわと広がったり、締め付けられたり…タイプは様々だが、そこに知識と感性は必要だ。

 いや、ではそれを「美しい」と判断するのは何か。
 「美しい」という言葉で括っていいのか。
 確かに「美しい」という言葉はずいぶんと大きな手をしているように見える。結局…

 耳たぶをつかみながら、裏声ですばやく「キビシィーッ」と言ってみる。

美しさはどこにある

2009年10月22日 | 読書
 雑誌BRUTUSが、またなかなかの特集をしている。

 「美しい言葉」…ダイレクトな取り上げ方だなと思いながら、中味は村上春樹から松本人志まで、さすがに読ませ上手な構成だなと感じる。

 「NEO俳句の世界へ、ようこそ」という頁が目に入る。
 自由律俳句の本を出した二人を取り上げている。
 
 自由律俳句といえば、山頭火、放哉という程度の知識はあるが、正直「それがどうした」という世界であって、普通の俳句でさえ満足に読めないのに、それが枠を取り払ってどうするんだ、という気持ちが心の中にあり、どうしてもこんなふうにダラダラと考えざるを得ない。

 一つ引用してみる。

 姿勢が良すぎる人とすれ違う(せきしろ作)
 
 この場合、詠み手?の心をあれこれ想像することは容易い。

 例えば鬱屈している日常を送っている自分が、ある日路を歩いているときに、向こうから妙に姿勢よく闊達に歩いている人を見かける。
 自分はその人にじろじろと目を送るのだが、その姿勢の良い人は視線をずっと前に向け、表情はにこやかに足元は軽い。
 近づく二人。
 視線を外しながらも自分の意識は、その人に向かっている。カツカツと靴音が大きくなる。あまり上がらぬ足を運びながら俯く自分。
 そしてすれ違う。その時少し風が冷たい…

 とまあこういう世界か。「だから何なんだ!」と考える。

 ここで、自由律俳句を一つ。

 キーボード見つめ夜明けを待っている

 と思って書いたら、定型だった。

「国語」とは何か、へ進む

2009年10月21日 | 読書
 『日本語が亡びるとき~英語の世紀の中で』(水村美苗著 筑摩書房)は、昨年出版されたときに書評なども目にしていてとても気になっていたのだが、少し荷が重いようにも思えて手にするのをためらっていた。

 しかし9月にある大型書店に行ったとき、書棚からぱっとその題名が眼に入ってきて思わず購入してしまった。
 ただ、それからが結構長く自室の棚に鎮座し、ようやく読み始めたのが今月の三連休のとき。読みも実際なかなかはかどらず、結構難航している。ようやく現在五章(全七章)を読み終えた。

 確かに荷が重かったが、私にとっては新鮮な知識も多く入った良書だった。言葉について自分なりに関心は高いと思っていたのだが、実に浅い勉強の仕方だったなと思わざるを得ない。

 言葉の歴史、文学の歴史…受験に出てくるひと通りのことはなんとなくわかっていたつもりだった。しかしそこにある「意味」をあまり深く考えてこなかったし、その点で実に新鮮な、時に驚いてしまう事柄がなんと多かったことか。

 カレツキというポーランド経済学者の悲劇。
 彼は、経済学が英語の学問であることを認識できなかったために、ケインズより早く理論を発表したにも関わらず、全然注目もされず、その証明さえ誰の目にも止まらなかった。

 翻訳という行為が漢字排除論という理念を実現させなかった。
 西洋語を学ぶ機会の中で、そこに蓄積された叡智の量と質に対抗できたのは、漢字かな交じり文を作り上げてきた日本語の豊かさなのだということ。そしてそれが日本の文化を結果的に救ったともいえる。

…まだまだあるのだが、そういったある意味ではドラマチックな展開が溢れていると言ってもよい。
 そして考えさせられるのは、結局、次のことである。

 「国語」とは何か

 この本の中では「『国民国家が自分たちの言葉だと思っている言葉』を指すものとする」と規定されているが、そう考えると固定されたものとは言えず、結局今自分たちがそれをどうとらえ、どう進もうとしているかで決まってくるとも言えるだろう。

 その意味で、インターネットと英語教育を取り上げる残り2章が鍵になることは不肖な自分でさえ理解できる。
 じっくりと読みこんでいきたい。

美しい姿として残る条件

2009年10月19日 | 雑記帳
 「平成の三四郎」こと柔道金メダリスト古賀稔彦氏の講演を聴く機会があった。

 だいぶ講演慣れはしているんだろうなと思わせる口調、内容だったが、それでもやはり秀逸だと思ったのは、集まった小中学生を相手にしたワンポイントレッスンだった。

 打ち込み練習における「視線」の大切さはなるほどと思った。視線が「姿勢」を決め、それが技の完成度につながる。他のスポーツにも当てはまる大事な原則だ。
 一番心に残ったのは、打ち込みで技を決めた後のことである。
 
 投げた後に3秒ぐらいに姿勢を保つ(静止できる)
 
 自分で投げをうちバランスを崩すようでは、技の入り方が正しくないというのである。投げればそれでいいのではなく、つり手や引き手が正しく決まっていることが大事だという。
 
 ここで思い出したのは、弓道における「残心」。剣道でも使われる言葉である。

 精神的な言葉でもあるが、そこには技術的な要素が不可欠だ。
 つまり、正しい方向へ力を込めそれが決まった時、それは美しい姿として残る…とでもいえばいいだろうか。これは一つの技の場面にもあるし、競技全般に通しても言えることだ。

 日本人の多くは武道やスポーツにそういう姿を求めているように感じる。

 試合後のガッツポーズが美しく見えるためには、大切な条件があるということだ。