すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

大晦日に「改」一つあり

2016年12月31日 | 雑記帳
 いつ頃から意識したか忘れてしまったが、オリンピックイヤーつまり閏年は自分にとって大きな出来事が起こっている。2012年は娘らの結婚や就職、妻の退職があり、08年は比較的少なかったが、04年は管外異動、家の新築があった。そして今年は正月に実母死去、2月に次女結婚、年度末に自身が定年退職となった。


 母の死は別にしても、それ以外は予定されたことだったので戸惑いは少なかった。いや、というより準備立てをしながら迎えたことだ。しかし、当然だろうが、予想と実際は違う。そのギャップ、それはほんの小さな隔たりが積み重なっていく感じだった。しかし今はそのギャップが見えてきたことを収穫と捉えたい。



 春まで被写体として選んだ多くは子どもたちや授業等だったが、それが叶わなくなったので、町内外の自然等の写真が多くなった。ビデオ作成の仲間にも入れていただき、フォトストーリーや短い作品をいくつか完成させた。それなりの出来だったが、感じるのは様々な制約の多さだ。ネット時代の息苦しさの一つか。


 読書は冊数カウントを止めた。昨年は130冊、今年は余裕があってもさほど伸ばしていない。やはり「数」は一つの励みになるし、自分の性に合っているのかもしれない。ぱっと浮かぶ書籍は、小説では『怒り』『あん』が印象深い。また、現場を離れたが『学校でしなやかに生きるということ』にはイタク共感した。

 ◆『怒り』読みました

 ◆囲いを越えた心で生きる ~『あん』

 ◆まだ風穴を探している
 
 ◆まだ風穴を探している②

 
 今年一番多く聴いた歌い手は「ハナレグミ」。今まで知らなかったがNHKのカバーズに出演したときに、その歌声に強く惹かれた。即CD購入に動いた。自分の好みは、やはり声にあることを再認識する。曲として印象深いのは小谷美沙子の『3月のこと』…歌い手の使命ということを感じさせてくれた、久々の歌だ。

 ◆「うた」を通して向かい合っている


 年頭に「今年の漢字」を決めることを、家法(笑)としている。今年自分が選んだのは「」。予定通りに新しい環境に身をおいたが、「よくする」という観点では、甚だ辛い点数だ。でも悪い事を数えても無駄だし、良い事をいくらか拾って満足して終わろう。そんな楽天的気分を持てていること自体が「改」の一つか。

フィクションの幸せな読み方

2016年12月30日 | 読書
 『つねならぬ話』(星新一  新潮社)

 1988年刊。「はじまりの物語」「もしかしての物語」「ささやかれた物語」と章立てされ、短編の神話や伝承、妄想?などが載っている。今まで読んだ星作品とは異質で、意図がつかめず肩透かしを味わった気分だ。ただ「海」と題されたタコの話を読み、結局、物語の肯定か否定かを問うのがこの本なのかと感じた。


 『幕が上がる』(平田オリザ 講談社)

 数年前話題になって、映画化されたはずだ。久々に「青春小説」を読んだ気がする。なんだか素直に高校生に戻りたいような感情が浮かんだ。肩を叩いて励ましてやりたいような…。演劇という独特の空間と、ほんの少し関わりを持ったことがある。やはり、「幕」や「舞台」の緊張感は、生の充実感と強くリンクする。


 『食堂つばめ』(矢崎 存美  ハルキ文庫)

 臨死体験をした者が足を踏み入れられる「街」で、食事を中心とした話が展開される。単なる「よみがえりもの」とはどこか違っていて、設定にユーモラスな面が感じられる。主人公が「食い意地」を持っていたことが、現実とその街を行き来するきっかけだった。結局、強く願う力は、何事にも勝ると思わされる。


 『空の穴』(イッセー尾形  文春文庫)

 イッセーの一人芝居が観たい!と無性に思った。数年前に終演?休演?という形をとったが、それまで近県での公演はほとんど見逃していない。一緒に写真を撮らせた経験も嬉しい。短編の一つ一つを読むと、どうしてもその姿や声が浮かんでくる。イッセーの演じる人物は、やはりイッセーの分身なんだと気づく。



 続けてフィクションを読み、改めて気づかされる。フィクションの持つ空間、時間の自由度はある意味無限だ。それゆえ、書く者は自分の筋道をより強固にしておかないと、その種のようなものを霧散させてしまうだろう。たぶん作者の強固に歩む道が見え、一緒に進んでいる感覚が得られれば、幸せな読み方になる。

巧すぎて「和解」できません

2016年12月29日 | 雑記帳
 最近、違和感の残る語が耳に入ってきた。一つは「育ての母」。これは「育ての親」が一般的なはずだ。傍にいた家人は「いいんじゃない」とつぶやいたが、「育ての親」という語は「育ての母」「育ての父」の二つに分類できるものではない。当然「養父母」という存在も指すのだが、そうした戸籍上の関係を超えて範囲が広い。


 「本当の親ではないが、実際にその人を育てた人」と意味が類義語辞典に載っている。小分類として「育ての親」そのものが掲げられ、示されているのは次の語群である。「養い親」「養父」「養母」「養父母」「里親」「代理親」…。しかし「継母」という語は別分類だ。「育ての母」なんて勝手に和語にするなと言いたい。



 もう一つは「和解の力」。このビッグワードに噛みつくか、と及び腰だがどうにもすっきりしない。違和感は「和解」「の」「力」の三語それぞれにある。練りに練り上げられた言葉だろうから、意図的なことは確かだ。一つ目は国同士として一般的な「和睦」を使わず、集団、個人レベルの「和解」を持ってきた点だ。


 「私たちを結びつけたものは、寛容の心がもたらした、the power of reconciliation、『和解の力』です」という演説文は、私たちという主格で括れば、自然な流れにある。だからこそ「真の和解か」という問いを立てると、押し付け的表現にも思う。次は、結びつけるのに便利な助詞「の」。なぜ「和解する力」ではないか。


 より広い意味を持たせるためだ。「和解に必要な」「和解しようと努めた」などを包括したイメージだ。そして「力」。それは、前段の「寛容の心」との照応もあるが、ここには「実行」や「技術」といった意味合いが強く込められている。えっ…結局これは、あまりに巧いワードづくりを妬んでしまった文章となった。

レベル更新のきっかけ

2016年12月27日 | 読書
Volume32

 「リアリティの破れ目、というかレベル更新のきっかけは、むしろ日常の思いがけないところに偏在している」

 
 現代社会にある閉塞感、仕事や家庭など個人的に抱える圧迫感を打ち破ろうと、人は旅をしたり、何かの限界に挑戦したり、または積極的に学んだりと忙しい。
 屋久島に行く、日蝕を観るなど「インスタント巡礼的な発想」も生んでいると、歌人穂村弘は上の文章とともに、そんなことも書いていた。
 奇蹟へ行くことによって、人生が変わるなどというイメージを持っている人は少なくないかもしれない。

 しかし、周囲に取り巻かれもしくは自ら囲い込んで、抑え込まれているリアリティのレベルを上げようと思うならば、それはやはり目の前の現実からしか掬い取ることしかできないのだ。



 かつて自分は様々な研修会で学んだ。

 いくつもの衝撃的な場面を見たり、心が震える話も聞いたりもした。

 ただ、その場その時に、力がついたとか見る目が変わったとかは絶対ないものだ。

 教室や職場において日常のある場に立ち止まった時、それはふいに納得し実感し得る。
そんな経験がいくつかはあった。

 ほんの少しの習慣づけや、視点の変化がもたらしてくれることが多い。
 

手当の本当を痛感する

2016年12月26日 | 雑記帳
 指の荒れが治らない。数年前に薬指から始まり、昨年頃から時々他の指にも見られ、一気に広がった。夏過ぎに通院し塗り薬だけでなく飲み薬も服用しているが、完治しない。手指が使いにくい生活は、結構煩わしい。薬を塗ると白い手袋をしている時も多く、なんだか選挙運動か鑑識係のようで、来客も変な目で見る。


 先週だったろうか、ベッドに血がついていたので驚いた。結局、膝に小さい裂傷がありそれを気づかなかっただけと安心したが、いつ、どこで傷つけたのか思い出せない。さらに思うのは、この頃こうした傷が治りにくいことだ。数日間放置すれば治ってしまった昔がなんだか懐かしい。治癒力の衰えということか。


 三年ほど前、『ほぼ日』サイトで単行本を買ったら、エアプランツ(写真)がおまけとしてついてきた。水気が必要と思い風呂場に置いたが、全く世話をしていないので冴えない。結局、黒ずんだ部分が増えてきてこの状態だ。何もせず放っておいて育つわけない、と薄情男は反省する。手当てにもタイミングがある。



 「手当」という語は、今なら「治療」それに「給与」というカテゴリーに入るのが一般的だ。しかし、そもそもは(辞典を開いて、第一に書かれている)、「計画」に関する意味である。後からこう対処するというとらえ方でなく、見取りや手段、算段といった段階における手当は、齢を重ねてから痛感するものなのか。

目に見えるものに騙されるな

2016年12月25日 | 読書
 『絶叫委員会』(穂村弘 筑摩書房)


 筑摩書房のPR誌「ちくま」での連載。ほとんど目を通していた内容だったが、この歌人の文章は肌が合うとでもいえばいいのか、しっくり馴染むので繰り返し読んでも楽しい。言語に対する批評眼も見事だと思う。例えば通販でありがちな「満足できない場合は全額返金保証」をこう斬った。「サービスの顔をした恫喝」。


 つまり、満足という個人の主観に対しての「強気」は、「商品に対する自信」というレベルとかけ離れている。多くの人はそんなに簡単にハマらないだろうが、もし踏み入れたらその後は恫喝(そんなふうに自らを追いこむ心理も含めて)かもしれないなあと、想像できる。コピーを考えた側は思いもしないだろうけど。


 同様であるが『「ありがとう」たち』と題した文章も深く頷いた。商業施設のトイレによくある「いつもきれいにご利用いただきありがとうございます」最初にこの文言を見た時の違和感も覚えている。注意書きとして行動を促す言葉ならいいだろう。しかし、感謝の言葉を前面に押し付ける顔つきは、想像したら怖い。



 胸を衝かれた話。昔の悪役レスラーF・ブラッシーは銀髪の吸血鬼という異名を持つ。生の試合を観戦してショックを受けた実の母親は彼に「リング上の怖ろしいお前と、私の知っている優しいお前と、どっちが本当なの」と尋ねた。ブラッシーはこう答えた。「どちらも本当の私ではない」…真実は目には見えない。

落穂拾い~本棚解体の頃

2016年12月24日 | 教育ノート
 昨日アップした原稿と同様に、小学MMに掲載した内容だった。
 その最終回ということで書いた。

 2002年から約2年間、慌ただしく過ごしていたその頃の自分を思い出すこともできる。そして、読書傾向が徐々に変わり始めた時期だ。

 それから干支がひと回りして、また本棚に並ぶ本も様変わりをしているようだ。



---------------------- 2004.3 小学MM連載

     「こんなほんだな」解体


 読んだ本の題名ぐらいは書きとめておこうと思ったのは、99年初頭だった。
 それから5年余り、年間100冊以上という目標はなんとか継続できている。私の「こんな本棚」も内容は軽いわりに、重量はずいぶん重くなってしまった。

 自宅の建替えなどもあり、愛着のあるこの本棚を解体することにした。思い切って、本の処分もしなくてはならない。
 しかし、どうしても手放したくない本もある。

 ここ数年間で購入した教育書の中で、最も私の心をとらえたのはこの本だ。

■『教師の言葉が生きる瞬間』(岩下修・明治図書)■

 岩下氏と言えば「指示」。86年刊『「指示」の明確化で授業はよくなる』と89年刊『AさせたいならBと言え』(どちらも明治図書)は、当時大量に発刊された「教育技術の法則化運動」関連著作の中でも、群をぬく明快さがあった。

 この本も副題として「続・AさせたいならBと言え」とあり、指示のことばつまりは「B」についての突っ込んだ検討がなされている。間違いなく参考になる。
 そして単なる技術論にとどまらず「長期的にみる『AさせたいならB』」が全体を貫かれていて、著者の関心はことばから身体へと厚みを増している。納得の連続である。

 まさに、教師の仕事の醍醐味を感じさせてくれる一冊だ。


 新書を多く読んでいる。本棚におさまりきれず収納ボックスに入れているものも多い。
 改めて背表紙を見直してみると、やはりというべきか「ことば」につながるような本が多いことに気づく。
 次の3冊は特に印象に残る。

■ 『「わかる」とはどういうことか』(山鳥重・ちくま新書)■

■ 『「書く」ということ』(石川九楊・文春新書)■

■ 『子どもはことばをからだで覚えている』(正高信男・中公新書)■




 「私にとっては、むのたけじも、糸井重里も同じだ。」
 などと口走って、馴染みの飲み屋のマスターに顰蹙をかったのは昨年だった。
 そういう意味で?ぜひこの新書も挙げておきたい。これからの時代の「生き方」を考える好著だと今も思っている。

■ 『インターネット的』(糸井重里・PHP新書)■



 小説類はあまり多くないが、本屋で立ち読みをしてつい惹かれて購入してしまうパターンだった。

 帽子を目深にかぶった少年の表紙絵が印象的なこの本もそうだ。

■ 『きよしこ』(重松清・新潮社)■


 吃音のある少年が主人公の小説だ。重松氏の自伝的要素もあるという。吃音でなくとも誰もが「言いたいことを言えないまま、呑みこんでしまった」経験があるはずで、
 少年少女時代のそんな出来事を思わず重ねてしまいそうな描写が数多くある。少しせつなく、そして温かい「重松ワールド」が展開される。

 教師を目指したこともあるという著者は、主人公にこんなふうに心の中でつぶやかせている。
「子どもたちになにかを教える―――というより伝える仕事はとても素敵だと思う。少なくともお金を儲けるために誰か話すよりも、ずっと。」

 この仕事に私たちは生きている。

(後略)
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落穂拾い~理想の小学校

2016年12月22日 | 教育ノート
 5月、6月とPCデータの整理に腰を据えてかかったのだが、あまりにも画面を見過ぎたためか体調を崩したことがあった。
 それからは、のんびり構えてしまい、雑事に紛れてなかなか手をつけないままだった。

 年末となり、少しずつ取り掛かろうと、また始めた。
 物品整理と同様につい中身を見てしまうので、また時間がかかってしまう。

 しかし、その悪い癖に居直り、この際、集約冊子にもブログ等にも載せていない原稿をいくつか拾ってみることにした。

 退いた者の戯言とも言えそうだが、実はまだ 現役バリバリの頃の放言である。


 (その頃の書棚スナップ。エッセイはあるけれど、小説が一冊もない!)


---------2004.2 小学MM連載原稿
   
  理想の小学校を描いていますか

  ~『理想の小学校を探して』(草生亜紀子著・新潮社)を読んで~


  大型書店の教育書関連コーナーで、この本の背表紙を見て手にとり、題名を見たときにこんな気持ちがよぎった。

 「理想の小学校といってもねえ…どうしても結論は個人や家庭の中にいっちゃうんじゃないかなあ」
 
 この予想は当然ながら?ある意味であたっていた。
 著者は前書き、あとがきで次のように記している。

 「私の意図する『理想の学校』は、英語でいえば『my kind of school(私の好みの学校)』であって、『ideal school(理想的な学校)』ではない。」P18

 「最終的には両親である私と夫の世界観・人生観が問われることになる。果たして、わが家が娘にとっての『理想の学校』たり得るかという意味で、私の中の『理想の学校』探しは続くのだ、きっと。」P153

 それはともかく、出版社の編集者兼記者であるという著者の、学校への目のつけどころや自らの教育者体験を綴った文章はなかなか興味深く、載っている学校の多彩さにも惹かれて、すんなり読み進めることができた。

 紹介されている学校は7校。
 日本にただ一つの「バイリンガルな日本の小学校」という加藤学園暁秀初等学校。イマ-ジョン・コースという、半分以上の授業を英語で行う課程を設けているという。
 岩手県にある小規模校、木細工小学校。作文を中心にすえた活動を展開し、コンクール入賞作品を次々と生み出している。
 ラーンネット・グローバルスクールというのは神戸にある私塾である。「出る杭を伸ばす」を看板として、不登校児等も受け入れ、モンテッソーリ教育を推進している。

 この他にも、「動物の飼育を中心にした総合学習」「学力保証を掲げた習熟度別指導」「地元の食材にこだわって継続されてきた学校給食」「週休土曜を利用して地域に広げる教育」等々が取り上げられている。
 校名を聞いたことがあるのはわずか2校だけと不勉強さを恥じると同時に、自分にとっての理想の小学校とはどんなものか、というところに自然に思いがおよんだ。

 著者がいうところの「私が取材してきたような意識的な取り組みをしているわけではない全国津々浦々の公立小学校」の一教員にとっての理想の学校像…。

 表現や読書、研修体制など核にしたい事項はいくつか思い浮かぶが、トータルなイメージを形作れない自分に気づく。

 私は人並みに、いやそれ以上に他県などの学校を見てきたと思う。
 自費で出かけたところも少なくない。新任1年目でいったのは、当時独自の教育課程で注目を浴びていた明星学園だったし、昨年は新潟の大森修校長の結小学校公開にも出かけた。

 しかし今となっては数え切れない学校参観を、どれだけ自分が消化できたのか心許なく感じるのは、結局自分の理想をいまだに築けていない、その作業を怠ってきたからではないかと少し唖然としている。

 本の中に登場するリーダーのことば(多くは校長)は、けして声高ではないけれど、ずしりと重く響く。

 「教師は、童心をもっていなくてはならない」

 「学ぶのは子どもで、教師は的確にそれを見つつ激励する」

 「学校に隠すものは何もない。そもそも、情報を共有しないと正しい状況判断はできないでしょう」

 

 生きる力も学力向上も、いや顧客満足とか説明責任という言葉さえも、下位に従えられるような理念、信念がほしい。
 
 仕事に理想を持たない大人に教えられる子どもはさみしいだろう。


 理想の小学校を描いていますか。

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ぼんぼら話

2016年12月21日 | 教育ノート
 冬至。

 ふと思い出した。

 あの2011年は、ちょうど二学期の終業式が冬至と重なっていた。

 それで考えた話があった。

 結構自分でも気に入っていて、昨年の終業式にも多少アレンジして話した。


 
 最初に作った2011年の原稿がないか探してみたらあったので
 
 「冬至記念」として採録してみる。

 まあ、自分に言い聞かせる意味でも…




2011.12.22

 ~前半 略~

 今日はちょうど「冬至」、冬至の日に終業式をするのはあまりないので、そのことを話して、二学期最後の話にしたいと思います。

 さて、冬至とは…どんな日か、高学年ならわかりますね。

 一年のうちで昼(おひさまの出ている時間)が一番短い日です。
 これから少しずつ少しずつ昼が長くなっていきますね。

 さて、冬至といえば…柚子。ゆず湯といって、きっと今晩はゆずをお風呂に入れて入る家があるでしょう。

 どうして、冬至の日にゆずをお風呂に入れるかははっきりしないそうですが、ゆずを入れたお風呂は血のめぐりをよくするそうで、健康にはとてもいいと思います。

 今日だけでなく、冬休み中も一日元気よくすごしたら、しっかりお風呂に入って身体を清潔に、そして温めてゆっくり休みましょう。

 さて、もう一つ、冬至といえば…かぼちゃです。
 今日は家でかぼちゃを食べる人がきっといると思いますよ。

 かぼちゃは…こんな漢字を書きますね。…「南瓜」

 どうしてかぼちゃという名前がついたかというと、ある国の名前から来ています。
 なんだと思いますか?
 
 「カンボジア」ですね。

 それが「カンボジャ」になって、「カボチャ」になったということも言われます。
 ビタミンAという栄養がたくさんあるので、冬の食べ物としても有名なんですね。

 さて、「かぼちゃ」のことを、このあたりでなんというか知っていますか。
 聞いてみましょう。

 …「ぼんぼら」です。
 
 前にテレビで放送していた「週刊ことばマガジン」には、こんなふうにのっていましたよ。


 (引用)
 「ぼんぼら」

 「ぼんぼら」とは、カボチャのこと。
 秋田県雄勝郡で使われていることば。ポルトガル語でカボチャを意味するアボーボラということばが変化して、ぼんぼらになったと言われる。
 カボチャはポルトガル船によって今の大分県に伝えられた。
 江戸時代に秋田で活躍した羽後町出身の学者(農学、経済学、天文学、測量、気象、鉱山)佐藤信淵の先祖歓庵が西日本からカボチャの種を持ち帰ったことが秋田での栽培の始まりと言われる。 
 (引用終わり)


 かぼちゃの栽培は、この羽後町が秋田で最初だったんですねえ。

 実は、ぼんぼらには、もう一つ意味があります。

 この形、人の頭に似ています。割ってみると、種が多くて中身が少ないです。

 つまり「空っぽ」です。

 だから「頭が空っぽ」という意味になります。
 頭が空っぽとは、考えて行動しないということになりますね。
 だから、昔のこのあたりではよく喧嘩をしたときに、「この、ぼんぼら頭ーっ」とか「ぼんぼら野郎」などと言ったものです。

 ここで、皆さんに大事なことを言います。
 冬休みの暮らし方についてです。

 ぼんぼら食べても、ぼんぼらになるな。

 つまり、「かぼちゃ」は食べた方がいいけれども、頭が空っぽになるような暮らし方はするな。ということです。

 頭が空っぽになってしまう暮らし方とは、どんな暮らし方なのか…そこは、担任の先生からどんなことなのか、聞いてみてください。

 ぼんぼら食べても、ぼんぼらになるな。

 このことに気をつけて、また来年、1月16日に、みんな元気でここに揃って、三学期をスタートさせましょう。



「神様除去」という境地

2016年12月20日 | 雑記帳
 封切りから一か月。
 まだ県内では上映されていないので、隣県まで足を伸ばし、映画『聖の青春』を見た。

 (映画予告編はこちら↓)
https://www.bing.com/videos/search?q=%e8%81%96%e3%81%ae%e9%9d%92%e6%98%a5%e6%98%a0%e7%94%bb&qpvt=%e8%81%96%e3%81%ae%e9%9d%92%e6%98%a5%e6%98%a0%e7%94%bb&view=detail&mid=70E8230F8CC75ED588B970E8230F8CC75ED588B9&FORM=VRDGAR


 原作のノンフィクションは、大崎善生の小説を読み始めるきっかけとなった一冊だ。
 もう十数年経つが、間違いなく名作だ。

 調べてみたら、2002年の11月に読んでいた。
 こんなふうにメモを残してある。

 話題になったノンフィクションの文庫化。
 400ページを越えるものだが、早朝から読み始め一気に読了した。
 引き込まれたのは、村山聖という強烈な個性とともに、筆者の文体の持つ魅力だった。将棋界を取り巻くドラマも垣間見た気がした。


 将棋自体にはほとんど興味はないが、映画化はなんといっても、主人公の村山聖を松山ケンイチがどう演ずるのか、非常に楽しみだった。

 全体的に抑えめ?の演技のような気がした。
 しかし「怪童」と呼ばれる迫力は十分感じさせてくれたし、本当に何気ない一言に、哀しみのこもる表情をよく出していたと思う。
 松山が「今までで一番役にのめり込んだ」とコメントしていたと記憶している。



 また東出昌大の羽生善治役は、ずいぶん研究されていたと感じた。
 ハイライトが羽生名人との対局であり、「戦い」の表現としてはある意味とても典型的な場面を見せつけてくれたように思う。

 つまり、相手と対しながら、常に自分の能力と戦っているというイメージだ。
 奨励会という制度の厳しさは話題になることが多い。
 そこを通過した者だけが、到達できる境地だろうか。

 まして村山聖のように難病を抱えていたときに、どんな力がそこまでを可能にさせるのだろうか。

 「神様に一つだけお願いするとしたら」という項目に対して、「神様除去」と記した村山の精神を、簡単に理解できるとは到底言えない。