すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

よろこばしからずや

2016年05月31日 | 読書
 Volume3


 A面「近き者説(よろこ)び 遠き者来る」

 地元に出来る「道の駅 うご」の運営会社「おも・しぇ」の社是。論語の一節である。



 いい社是である。政の要諦を問われた孔子が答えた言葉である。
 訳すると「近くにいる民が喜び、幸せである。そうすれば、遠くにいる民もそれを聞いて集まってくる」ということか。
 味わい深い。様々な立場、環境で心がけたいことでもある。

 ところで「よろこぶ」に「説」という漢字が使われている。
 これは著名な「学びて時に之を習ふ。亦説(よろこ)ばしからずや」も同じである。
 「説」という字は、「とく」とも読む。これは「解く」と同字源であり、そんなことから「心をとく、解き放つ」と言った意味に通じ、よろこぶことに結びついたようだ。
 その解釈も実に心に響く。



 B面「やりすぎ家電」

 雑誌『特選街』5月号に、連載として始まったタイトル。

 この表現は知らなかった。
 記事を読まないでこの言葉だけだと、いろいろな想像ができそうだが、要は「高級家電」特に炊飯器など様々な加工を凝らしているので、それを称しているらしい。

 初回は「電気式コンパクトピッツァ釜」が取り上げられていた。なんと価格は54万円。
 それにしても、鉄器を使ったりダイヤモンド加工をしたりして10万超もする炊飯器で炊いたご飯ってどんなものだろうと思う。「異次元」の美味しさなのだろうか。

 そこまで機器に金を使うなら、米の銘柄、さらには炊飯のための下準備等をどこまで追求しているのかということにならないか。

 ここから想像するのは、一つは当然だが果てしなく続くオートメーション化の拡大。
 そしてそこに金を使える層が一定数いるという現実、格差社会の一面か。

 その意味では「やりすぎ」という形容が合っている気がしてきた。

まなざしの鍛えが要求されている

2016年05月30日 | 読書
 『授業を成立させる基本技60』(岩下修 明治図書)

  岩下修先生から新刊のご著書をいただいた。
 「アクティブ・ラーニングを目指す授業づくり」と副題が添えられていた。
 
 へそ曲がりと言われそうだが、私自身は一昨年あたりから目についてきたこの「アクティブ・ラーニング」に対して、実はいい印象を持っていなかった。

 それは、教育界に流布する文言そのものが、政治家がよく使うスローガン的に消費されることが多かったし、そのために振り回される教育現場の実情も見てきたせいがあるだろう。
 もっとうがった見方をすれば出版業界などとの関わりも強く感じられて、どこか斜めに構えていた。

 しかしそういう個人感情はさておき、「アクティブ・ラーニング」は、いや「単元を貫く~~」も「伝え合う力」も、とても重要であり、その言葉に載せて喚起できることもしっかりと把握できているつもりだ。

 だからいつも、肝心なのはその捉え方であり、子どもたちの現実と照らし合わせながら、具体的な手立てを見い出すことと考えてきた。




 さて、この一冊はそのためのヒント、手がかりが多くつかめることは間違いないだろう。
 特に若い方々には知っていただきたいことが網羅されている。

 「基本技」と題されているように、ここにある実践群のなかには教育界の中にすでに発表されていたものもある。
 意図的に学んできたキャリアを持つ教員であれば、似ている内容を目にしているだろうし、実際に自分で取り入れてきたかもしれない。

 しかし、この書を手に取り、その実践の意味が何だったのか、そして仮にレベルが上がらなかった反省があるとすればそれは何故か、振り返ることは価値が高いと思う。

 言うなれば、すべてはアクティブ・ラーニングであったかどうか、なのである。

 岩下先生は「はじめに」で、次のように書かれてある。

 アクティブ・ラーニングは、講義型の授業に疑問を投げかける。活動ありきの授業に警鐘を鳴らす。大事なのは、子どもの精神がアクティブであることだと。

 まさに、アクティブ・ラーニングのなんたるかを捉えている文章だと思う。
 最後の一文のとらえを、自分はしっかり行ってきたか否か。

 岩下先生がよく使われてきた「知的」という表現は、まさしくそのためにあったのだと、今までの著書も振り返ることができた。
 

 個人的にこの本の肝を感じた部分は第一章にある。

 この部分、特に今回のキーワードは「まなざし」ではないかと、読み始めてすぐ感じた。

 そして吉本均先生の「まなざしの共有」が引用されていることに意を強くした。

 ここに書かれている「技」、言い換えれば「型」や「形式」に、個々の教師が自分の願いや思いを乗せて語ったり、動いたりできるか。
 それがきっと一番強くでるのは「まなざし」であろう。

 まなざしの鍛えが要求されていると感じた。

子規のエネルギーに導かれる

2016年05月29日 | 読書
 『ノボさん』(伊集院静  文春文庫)




 副題は「小説 正岡子規と夏目漱石」。題名が「ノボさん」なので当然中心は子規の方にある。二人の交友についてある程度知っていたが、これほど多くの関わりを持っていたことを改めて驚かされた。何より子規という一個の人間が持つエネルギーの強さ、眩しさが漱石との出会いを演出したし、この作家も導かれた。


 いわゆる近代文学は詳しくないし、文学史も常識程度だろう。それでもあの有名な「柿くえば」の句ができるまでのエピソードなど非常に面白く読んだ。また、漱石も含めて子規の周りに集う多くの各分野の先駆者たちの様子も生き生きと感じられた。どこまでの脚色かはわからないが、とにかく楽しめる小説である。


 子規といえば「写生」。彼がどのようにそれに立ち向かっていったかも描かれる。様々なことに興味を示し、俳句に関する歴史的な編纂も行い、膨大な歌や句を書き残していても、写生の確立は安易ではなかった。親しい画家との交流から、写生の本質を見い出したという箇所は心に残る。不折という青年画家の言葉である。

 
 「あるものを見たままに描くのでは写生になりません。見た時の感想、たとえば綺麗な花だと思ったこころを描くのが写生です」


 読んでいて映像化してしまったのは、あの『坂の上の雲』である。NHKで3年間にわたって放送された司馬遼太郎作品。全篇見たかどうかちょっと忘れたが、香川照之の子規役は実にぴったりだった。Youtubeで検索したら、次の箇所が出てきて改めて見ると、また感心してしまった。このエネルギーは胸を打つ。

 こちらです→ 「正岡子規と秋山真之」



やっかいになる「叱りの成立」

2016年05月28日 | 雑記帳
 ネットマガジン(当時は6000人以上の購読者がいたように記憶している)に書いた『「叱り」の成立』という原稿には、珍しく反応があった。

 一つは嬉しく有難いことだった。
 愛知県のある教育サークルがその原稿を例会時の資料として使ったという情報が載っていた。
 その討議内容は明らかにされなかったが、提案として材料にされる価値があったことは素直に喜びたい。



 もう一つはあるメールが私個人アドレスへ寄せられたことだ。
 短い文面であったが、この一言は覚えている。

 「あなたのような教員が、戦後教育を駄目にした。」

 詳しい説明はなかった。結局のところ「体罰」についての見解の相違であるようだった。腰がひけていると考えられたのかもしれない。

 私は一瞬ごく素直に「そうなのかもしれない…」と受け止めた。
 「戦後」という括りはずいぶんと重いし、教員の多くが私と同様だとは思わないが、歴史的な変遷における一つの典型として、その方はとられたのだろうか。

 ただ私はそれ以上に、そのメールが匿名であったこと、そして返信も叶わない方法であったことが残念だという気持ちを強く持った。

 私に対するメールは、その方がもし私より年配者であったとすればある意味で「叱る」行為とみることもできると思うが、最終的に叱りは成立しなかったと言える。
 もし逆に若い世代であれば、その責任の一端は間違いなく「戦後教育」にあるから、一面で批判はもっともなことだと自嘲めいた考えにもなった。


 いずれにしても、批判、評価するのは構わないが、匿名であることは問題に対する当事者性を欠いているといっていいだろう。
 おそらく対象である私との関係に利害関係が生ずる場面もないはずだ。

 とすれば、そこには批判をして自分だけが気持ちよくなればいいという幼児性が見え隠れする。

 結局、匿名であることは、「叱られる側」になる可能性も排除する、もしくは低く抑えることになる。
 人同士のコミュニケーションという大きな問題になってしまうが、特にこの問題について「顔が見えない」ことは決定的なのである。


 この匿名者を「叱る」ことができ、それを成立させられる人間は周りにいるのか。
 この匿名者にはどんな言葉が伝わっていくのだろうか。

 社会の変化が、「叱りの成立」をますますやっかいにしていることだけは確かなようだ。

そこまでありの社会

2016年05月27日 | 雑記帳
 先週、旅行からの帰路。飛行機最終便なので帰宅は午後11時近くになった。ほとんど暗闇の中、車を走らせて自宅近くまで来たら、田んぼを照らしながら作業している農耕機が…田植えか。この時間帯の作業は初めて見た。請け負いかもしれない、日中できない事情があるのか…いやあ、夜の田植えは結構衝撃的だ。


 この広告、なかなかいいコピー。店頭に並んでいたら思わず手を伸ばしそうだ。しかし、まてよ、そもそもコーヒー豆って国産なのか。沖縄はあるらしいが…。焙煎したっていうことなのか。よくよく読むと「日本の水に合う」ということを言いたいらしい。それじゃあ、その天然水を手に入れろということじゃないの。


 新聞折り込みを見て、思わず「えーっ、これ見た」とある葬儀社の広告を見せたら、家人は「知ってる。都会ではよくあるらしい」という返答。そうなのか…「入棺体験あり」。葬儀に関わる事前?準備はどこまで許容されるか。「体験」するのは、結婚式と違って、大方予想される該当者ではないことは確かだろうなあ。


 例えば身近な高齢者を連れてきて入らせ「どお?じいちゃん、これでいい?狭くない?」なんて訊くわけではないだろう。葬儀に関わる人が入り「木の香りが素晴らしい、安らかに眠ることができそう」と想像することに意味があるのか。そんなことに価値をつける…経済が誘導する妄想が膨らんでいくということか。

『暮しの手帖』の叱り方は…②

2016年05月26日 | 読書
「叱り」の成立~『暮しの手帖「叱る!!」保存版Ⅱ』(暮しの手帖社)を読んで

昨日からの続き

 結局「叱り」は、叱られた側によって成立するのではないか。

 どんなに激高してみても、言葉をていねいに尽くしても、受けとめる側にとっては、単なる「怒り」であったり「ムカツキ」であったり「繰り言」にしか思えないこともある。
 その場の状況によって違いもあろう。また時には、受けとめる側の感性の育ちに問題となる場合もあるかもしれない。


 「叱り」の成立に向けて、いわば叱る立場の教員である私は大きく二つのことを考えてみた。

 一つは、相手とのつながりである。斎藤学氏は言う。

 叱ることが効果を持つには叱る相手に関心を持たなければならない。人に関心を持つとはその人を愛しているということである。(P60)

 学校・学級という集団の中で、一定の時間を共に過ごすことは有効ではあるが、一緒にいればそれだけでつながるほど甘くはないはずだ。
 ごく当たり前のことではあるが、声をかける、話す、共に作業するなどの、日常的でしかも意図的な積み重ねによってしか、つながりはできない。

 話は広がるが、地域社会の中で「よその子を叱ることができるか」という話題が出てくることがある。
 これは実はよその子に対して愛情を注げるかという問題なのである。
 叱るという行為の弱体化は、そのまま愛情の不足という言葉に置き換えてもいい。

 もう一つは、叱り方を貫くことである。

 多様な叱り方があり、それを学ぶことも必要かもしれない(ロシアやイギリスの叱り方の紹介もあり、これらも実に興味深かった)。
 しかし、人にはその人なりの叱り方があるように思う。
 一番似合う方法、その人が自分のエネルギーを出せることが肝心だ。子どもに届くのは結局のところ、他者のエネルギーではないか。あまりにも方法や技術にこだわると、エネルギーが弱くなる気がする。

 とすれば、時に暴力的な行為となる可能性を否定できないだろう。
 しかし学校という公的機関の指導者として、その選択は失格である。自戒をこめてそう言い切る。

 多くの場合「叱る」は非日常的である。
 その行為が日常の言動としっかり重なり合っているか、そうでなければ、例外として認めていいほどの事情や都合があるのか、叱る教師を見つめる子どもの目は案外そんなところを判断しているかもしれない。

 二十数年前の自分の行為は失格だった。ただそれが「叱り」になったかは、Sが決めてくれたはずだ。
 そしてそれによって評価されるのは、実は学級づくりそのものである。

 (再録、ここまで)


 少し端折った感じもするが、基本的にその時と考えは変わっていない。
 教師が意図的に叱るとき、その叱りが成立するかどうかは吟味しなくてはいけないし、基盤ができているのかと常に問い続けることが必要なのだ。
 それから今改めて読むと、堀裕嗣氏が提唱している教師のキャラクター分析につながる要素も含んでいるなあ、と少し感じる。

 さて、この原稿がなぜ印象に残っているかと言えば、若干の反応があったことと、「叱り」について雑誌等に書いた経験とつながるからだろう。

 そのことは明日以降に触れたい。

『暮しの手帖』の叱り方は…➀

2016年05月25日 | 雑記帳
 2001年から2年間、MM小学校教師用ニュースマガジンに月1回のペースで読書記録を載せていただく機会があった。

 そこで書いた印象的な回に、下記の文章がある。
 『暮しの手帖』つながりということで、再録してみたい。
 長いので今日明日と分割する。前半は冊子の概観の紹介が中心になっている。


 「叱り」の成立~『暮しの手帖「叱る!!」保存版Ⅱ』(暮しの手帖社)を読んで

 受け持った子どもを殴ったことがある。
 二十年以上前のことだ。
 学校に隣接するグラウンドでの陸上競技の授業、100メートル走のスタート練習で、ある子のズックのとれかけた紐を見て、わざと足で踏んづけたのはSだった。
 「何をするんだ!」
 思わず出た右手はSの頬を直撃し、身体ごと3メートルばかり吹っ飛んだ。しばらく立ち上がれなかったSの様子を今でもくっきり覚えている。

 自分の中に沸きあがった怒りを、子どもに対して腕力で示したことを後悔した。  
 これを指導とは言わない…私はそんなふうに、はっきりと体罰と決別した。


 『暮しの手帖』は知ってはいたが、購読したことはなかった。
 今春「叱る!!」と示された大きな題字を書店で見かけ、迫力?を感じ手にしてみた。
 304ページ、全八章からなる構成は、そのうち半分が書き下ろし、残りが従来の記事の再録であるようだ。
 「叱る」をテーマに各界の著名人が語る思い出や提言が中心になっている。

 「『叱る』文化。『叱り』の復権」がテーマである。
 作家の曽野綾子氏の「母のお仕置き」と題された文章が巻頭言として載っていることからも、なんとなく全体の文脈が予想されるようなところもあった。
 つまり、もっと大人が自信を持って子どもを叱るべきだ、そうしたことを怠ってきたから、今の不甲斐ない社会があるのではないか…と。

 確かに、多くの論者が自主性尊重の教育に関して大きな疑問を呈し、叱ることの重要性を強く述べている。年々やわになっていく私にも頷く部分が多かった。

 ただ、それ以上に「叱る」ことの多様さ、その姿や意味、方法などについて考えさせられたといってよい。
 エッセイ風に書かれた多くの文章は、ほとんどが自分の体験をもとに書かれていてそのタイトルだけでも多様さが想像できよう。

■熱い感情を持って      (高樹のぶ子・作家)
■叱るということは、劇薬である (堀田力・弁護士)
■「叱る」より「パワー落とし」 (斎藤学・家族機能研究所)
■叱らずに「叱る」      (林望・作家)
■「叱られる」ことは「愛される」ことなんだ(鎌田實・諏訪中央病院管理者)

 
 別の章では「私を叱ってくれたあの人、あの一言」というアンケートに22人が答えている。藤本義一、大林宣彦、小山内美江子、田部井淳子といった著名人が並ぶ。
「私を叱ってくれた○○さんの一言」という回答に寄せられた姿は、様々であった。文字通り、強烈なパンチとなる一言もあれば、無言の叱責もあり、握った手の温かさというものもある。

(以下、明日へ)

暮らしとぜいたくと工夫と

2016年05月24日 | 読書
 『花森安治伝』(津野梅太郎  新潮文庫)


 雑誌には興味があり、偏っているとはいえ多く読んでいる方だ。戦後日本で100万部を超えた雑誌『暮らしの手帖』の存在はもちろん知っている。しかし世代的にさすがに手は出なかった。ただ、一度だけ別冊を買ったことがある。この件は後述するとして、その創刊編集長が花森安治。伝説に彩られている編集者だ。


 もっとも何故これかといえば、NHK朝ドラ「トト姉ちゃん」がきっかけである。社長大橋鎭子がモデルになっていて、現在時点で花森の役は登場していないが大きな存在になるのではないかと予想している。いわゆる名物編集者と称される方々の個性の強さは独特であるが、この花森の人間臭さはまた格別だった。


 「ぜいたくは敵だ!」という歴史的なコピーは花森がつくったとされている。それがこの評伝を成立させる典型的な事柄だと言ってよい。つまり民衆統制を支えた強いスローガンの意味する多重性…日々の生活を切り詰め辛抱することと工夫して生活を良くすること、戦時下においても存在した格差社会の現実である。


 「ぜいたくは敵だ!」は、贅沢廃止運動のなかで上級富裕階層に働きかけられたものだったが、現実には庶民への強い相互監視の目をつくる役割を果たした。しかしその言葉の底にあるものは花森が関わってきた「くらしの工夫」ということに間違いなく、「足らぬ足らぬは工夫が足らぬ」によく象徴されていると思う。


 『暮らしの手帖』の発刊の辞を引用する。

これは あなたの手帖です
いろいろなことが ここには書きつけてある
この中の どれか 一つ二つは
すぐ今日 あなたの暮しに役立ち
せめて どれか もう一つ二つは
すぐには役に立たないように見えても
やがて こころの底ふかく沈んで
いつか あなたの暮し方を変えてしまう
そんなふうな
これは あなたの暮しの手帖です


 これが1948年に発せられたことは今思うと暗示的だ。その後この国が歩んできた、止まることを知らない消費社会に対する警告にも思える。モノに対するこだわりは、その誌面の「商品テスト」として結実する。この功績は現在数多のモノ雑誌に受け継がれているが、癒着なしという一点が守られているかが鍵だ。

 
 花森からすれば自分たちは孫世代。モノや消費に対する見方、それ以上に現実の暮らし方に相違がある。それを踏まえてなお、花森が主張する「工夫」という点について深い共感を覚える。それはモノにとどまらずコト、生き方に関わるからだ。もう十数年前に私が初めて手にした号は、特集名が「叱ること」だった。

ミノゴナシ旅・マイ土産

2016年05月23日 | 雑記帳
 食べ物の類はさておき、旅の思い出として家族や自分へのお土産をどうするか。これも結構大事なことだ。今回、事前に一つだけねらいを決めていた。「二度目の台湾」という旅番組で紹介があった「日星鑄字行」という店に行き、活字印版を作ること。結局、自分で探せず店員頼みだったが、素敵な仕上がりとなった。




 九份のみやげ物街で器を求めた。少し遠くに出かけた時にあまり高くないぐい呑みなどを買ってくることが多い。今回は台湾なので茶器なのだろうが、小さいのでぐい呑みでも十分いける。白磁っぽいオシャレな器を見つけた。数百円ではお得だと思った。空港の免税店では似たようなものが3倍の値がついていた。


 アクセサリーを買う趣味はない。しかし今回九份で求めたものがある。様々な石などを磨き飾りに仕上げている店は、観光地につきものである。そんな中初めて見かけたその名前に興味を引かれた。「試金石」。先日そんな言葉を使ったばかりだ。私がその本物よ、とその黒いだけの変哲のない石が呼びかけた気がした。




 少し残った台湾ドルは空港内の店で使うことに。珍品を探して猪肉の燻製に目をつけた。値段も手頃だ。手に取ると店員がカタコトの日本語で「これは検査されるよ」という。そういえば注意書きを目にしたような…。びっくりしたが、こんな風に細かい取り決めが張り巡らされていることを実感できた出来事だった。

ミノゴナシ旅③

2016年05月22日 | 雑記帳
 ツアーには観光地や歴史的建造物が含まれているので、ガイドブックにある有名な箇所を、いくつか訪問できた。台湾の歴史についていくらかの知識はあったが、改めて思うのはこの島が歴史に翻弄されてきた事実である。そしてある意味でそれが観光の目玉にもなっている。自分は、どの程度受け止められたのか。


 知っていたつもりだが、信仰に対する向き合い方に強い印象を持つ。有名な龍山寺での、人々の振舞い方を見てそう思った。地べたに這いつくばり、懸命にずっと祈りを捧げている若者。まず日本では見られない光景だ。そこには人目を気にする様子もないし、神仏との対峙に集中する一種の清々しさも感じられた。


 宿泊したホテルのTVでは、NHKの地デジとBSが視聴できた。そのことで、なんとなくほっとするのが正直な気持ちだ。一人旅だとしたら日本語を耳にするだけで安心だ、という感覚がわかる。また、台北でも多くの場所で英語の普及度は高いし、逆に通じるようで通じない日本製「外来語」も多いと改めて感じた。


 旅を通じて痛感したことは、事前リサーチの徹底だ。一応ガイドブックも買ったが、十分に検討し選択していなかったことが無駄を生んだ。無駄を楽しめる余裕もなければ、下手に動いた結果のハプニングに対する不安も大きかった。ミノゴナシとしてはこのあたりをどう処していくか。やはり、リサーチしかない。


 考えてみれば、リサーチを徹底することも、ハプニングを楽しむことも、実は毎日の暮らしの中で重要な心構えだ。置かれた環境や性格にもよるが、より良く生きるためには、どちらかあるいはどちらも大切にするべきだ。そんな内省をしながら、帰国の機上で時計の針を1時間進める。また元の人生時間に戻った。