すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

「高価で有限な教師」という自覚

2009年01月31日 | 読書
 『勉強しなさい!を言わない授業』(西川純著 東洋館出版社)を読む。

 去年のうちに最初の部分は読み始めていたが中断したままになっていた本である。
 いつもながら西川先生の小気味のいい文章が続いている。
 こんな一節に目が止まった。

 現行の教師主導を根づかせているものの最大の要因は、学習の最大の手段が、高価で有限な教師であるというモデルに則っているからだ

 こういう見方もあるのか、と思わず唸ってしまう。
 たしかに教師は「高価で有限」である。それに比して、印刷物、視聴覚物、ネット等々は低価であり、圧倒的な量をほこる情報を提供するだろう。
 それでもなおかつ、学習の手段として教師に価値があるのは、「モデル」としての部分なのだということがいえる。
 つまり「学ぶモデル」としての教師。
 それを具現化している学校、教室は、指導法がどんなものであれ子どもたちの多くにとっていい教育の場だということだ。

 それにしてもというべきか、それだからというべきか、いやおそらくというべきことなのだが「高価で有限」という自覚を持っているか否か、それが芯になる。

「情報」から身の置き所を探す

2009年01月30日 | 読書
 『情報の文明学』(中公文庫 梅棹忠夫著)を読んだ。
 
 梅棹氏の本はあの著名な『知的生産の技術』ぐらいしか読んだことはないが、この本もまたえらく本質をついた内容だった。その発端となる論文が1963年に書かれたことを知って、またびっくりする。
 農業社会から工業社会そして情報産業社会へ、という流れをその時代に予告していたという事実は、解説者が書くように、人類文明史的にはプラトン、マルクスと並び称されると言っても大げさではないのかもしれない。ま、そこまでいかなくても名著であることは間違いない。

 糸井重里はこの著を「ほぼ日」の父と称したが、モノを作る、モノを売るということの本質とその歴史的な位置づけ、そして情報の将来像を明確にしてみせたという意味では、納得できる気がした。
 しかし、情報という言葉の持つあまりの範囲の広さに道に迷いそうで、明確に読みとれた自信がなく立て札ばかりを覚えている、そんな感じである。

 ところで、産業の歴史を人間の身体構造と絡めて説明するくだりで、ふと思い浮かんだのは、あの養老孟司の「脳化社会」という言葉。
 情報に経済的価値が発生し、その価値が高まれば高まるほど、相対的に農産物、工業製品といった物質そのものの価値は低くなっていく。それは結局、多くが脳化している状態と言えるのではないか…。
 ただ、結局のところ人間は食べなければ生きてはいけないし、身体を動かし筋肉を維持することも必要だ。その中で実感(ここが問題だが)できることを、「生」と呼んだりする。

 情報産業に依存している脳化社会への身の置き所は絶えず考え続けねばならない、このことだけは確かだ。

風穴は小さい傷から

2009年01月28日 | 雑記帳
 気に入らない世間くんに一つ説教でもしてやろうかとその肩を叩いてみれば、振り返った顔は自分の顔だった。

 講談社のPR誌『本』に載っていた本多孝好という作家の言葉だ。

 わかるなあ、その感覚と思いながら、そうした風景を思い出さぬように、気づかぬふりをして、生きているのではないか、そんな気がしてくる。
 世間を構成している自分の存在をどの程度の重さで自覚しているか…まさしく陥穽状態か。

 しかしいくら思っても、全方向に力を発揮できるわけではない。
 風穴は、小さい傷から始まる。
 いつも具体的でなければならない。

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 と、そんな文章が書き散らしたドキュメントの中に入っていました。
 寝かせておいた?…そんなわけではないが、「風穴は小さい傷から」ということに我ながら少し納得。まあ、それぐらいの体力・気力しかなくなったということでもあるのだけれど。まだ時間はかけられるだろう。

問いを立てる力を育てる

2009年01月27日 | 読書
 『授業深耕への架橋 続授業深耕への架橋』を読み終えた。

 「続」の後半部は、千葉氏が授業の具体的なあり方について記している。
内実のある授業を創造するためのポイントが列挙されていた。その時代(平成1~4年)の教育界を席巻していたともいうべき「新学力観」に惑わされることなく、目の前の子どもを見よ、学校の現実を見よと語りかけていたと思う。むろん、それは15年以上を経た現在でも忘れてはならないことである。

 こんな一節がある。

 現在、急速に変容する社会であればあるほど、前途に予測できない数多くの事態が待ち受けております。それに対応する人間は、自分で問い、自分でそれを解明するといった能力が強く求められるのではないでしょうか。
 
 「『答え』より『問い』を大事にした授業構想を」という項目で、森本哲郎氏や森隆夫氏の文章を引用しながら、その重要性を指摘している。この点はそうあまり変わっていない現実があるのではないかと思った。
 クイズ番組が垂れ流し状態のように流されて「解答」だけが氾濫しているし、学校の授業では活用重視と名づけられてはいるが実は「答え方」の練習に多く時間が割かれたりしている。
 本当の「問い」の立て方…それは容易く語られることではないが、少なくてもじっくりと時間をかけた取り組みの中でしか育たないのではないか。

 高度な情報化時代、かの超整理法の野口悠紀雄氏はこれからの基礎基本を「読み書き検索」と書いていたが、そこで決定的に重要になるのは「問題設定力」だと強調していた。その力のない基礎基本は結局役には立たない。
 情報の海を渡っていくためには、既存の灯台などに頼っていてはだめだ。自分で現状を見つめ問いを立てて、行くべき方向を見つけ針路をとることだ。

 そのための力を育てることが「知育」の核となっていくだろう。それは一年生の授業であっても意識しなくてはいけないのだと思う。

忘れそうな当たり前のこと

2009年01月26日 | 読書
 昨日に続いて『授業深耕への架橋 続授業深耕への架橋』を読み進める。

 千葉氏が記した「続」の前半部は、「授業と基礎学力」について多くの頁が割かれているが、読み応えがあった。
 「基礎学力」「基礎基本」「基礎的な内容」など様々な言われ方をするが、その一つ一つにはきちんとした意味があるわけで、それを曖昧にしたまま口にしていることを反省させられる。

 「基礎学力」をとらえる視点として次の三つを挙げられていた。私たちが使う教育や授業研究のことばを考えるうえで、非常に大切だと感じた。

・全体的にとらえる
・動的・相対的にとらえる
・歴史的にとらえる

 何が「基礎」であるのか、そのとらえ方によって使う言葉は見事に違うだろう。
保護者や地域の方々に自分の声でわかりやすく説明できるか、それは何を学ばせようとしているかが明確でなければ無理なことであり、絶えず問われていることなのだ。

 さらに「あえて、次の二点を付加し」と、提示されたことについては、少々ギクリとした。

 その第一は、教師は「子供の否定的な面と肯定的な面とを、並列的にとらえる」ことだけは、絶対に避けたいということです。

 ともすれば、「○男は算数は駄目だが、体育なら一番だ」(だから、そちらを伸ばしてやればいいんだ)などという安易な発想をしてしまうことがなかっただろうか。そんな姿勢は、少なくても初等教育では通用しないことを何度も思いだして戒めとしなければならない。

 第二に強調したいことは、何といっても、学校の基本的役割は「知育」にあるということです。

 「知・徳・体」は確かにその通りであるが、それは全ての「教育」に当てはまる。知育こそ学校の一番の本務であり、その地域にあり、その地域の子が通い、集団で学問をする場所が学校なのだということ…目まぐるしい状況の変化に時々忘れそうになりそうな、当たり前のことである。

授業の奥義を知る人

2009年01月25日 | 読書
 火曜日に取り上げた本と順番が逆になったのだが、『授業深耕への架橋 続・授業深耕への架橋』(竹内栄治郎・千葉信一郎著 秋田県教育振興会)を読み始めている。

 前半の竹内氏が執筆した部分を読み終え、ああこれは書きとめておきたいと思ういくつかのことがあった。
 およそ90ぺ―ジほどの論考は昭和60~61年頃のものと予想される。大正末期に付属小訓導として教師人生をスタートさせた竹内氏の、授業に寄せる熱い思いに裏打ちされた文章だった。二十数年を経た今であっても十分に納得のいく部分が多くある。

 例えば、「学習意欲のわく根源」について言及し、そのための測定をするべきだと六つの項目を挙げて紹介している。題材の興味や内容理解だけでなく、学級への所属感も重要視されていることに納得がいった。

 「実感主義の持つ限界」という章も考えさせられた。
 子どもの持つ実感が全て正しい、そのまま受け止めようなどという誤った姿勢を私たちは持っていないだろうか。対応の技術は大切だが、基本は次のようなことだと改めて思う。

 実感を重んじながら、ひとりだけの生活体験から出てくる実感を、もっと幅の広いものにするという方法。自我の構造を中軸として実感の相互関連をはかっていく方法。
 
 圧巻だったのは、論考の終盤。
 ある小学校の1年生の算数に臨時に1時間だけ補充として入ったときの記録である。算数の「基数+基数=11以上の数」という教材において、計算式の問題作りをやらせ子どもたちに発表させ、検討させ、発展させていく過程である。
 現時点であれば、いわゆる穴あきの計算、多答型の課題と済ますことができる。
 しかし、その授業が昭和20年12月半ばであるという事実は、私にとっては大きな驚きであった。
 授業を受けた子どもたちは、家へ帰っても計算式を多く見つけようと帳面を開いたという。

 授業の奥義を知る人、偉大なる先達からはまだまだ学ぶことがある。

雪の風景から聴こえる

2009年01月24日 | 雑記帳
 先週退勤中の車で聴いたラジオ番組。地方のFMローカルである。
 「雪かき(除雪)を始める前に気分を高める音楽」というちょっと粋なコーナーを、男女2人のパーソナリティがやっていた。お互いに選んだのは洋楽であり曲名もわからなかったが、アップテンポなリズムはなるほどね、という感じがした。

 何か特定の行動を促す音楽があるのかどうかはわからないが、雪かきのような寒い中での負荷の大きい労働のためには、脳のナントカ核をかなり刺激する必要があるのだと思う。以前その音楽を聴いたときのいい記憶(やる気になる、楽しい思いが浮かぶといった)がある人はやはり有利なのかな、などと考える。初めての曲だとしても、それは脳刺激との関連だろう。

 それにしてもつらいのは単純な作業をどう繰り返していくかであり、ここは携帯プレーヤーで流して作業能率を上げる音楽という特集があればもっといいかもしれない。いやいや、除雪作業は路上も多いのでそれでは危ないか、これは寒風に身をさらして天の声でも聴けということか。

 ところで、景色に合う音楽というのは確かにあると思う。
 もちろんこれは個人的な趣味でしかないのだが、数年前別ブログにも書いたように「雪景色には平原綾香」が私の一つの定番である。特に、風雪時の運転には「祝福~blessing」がぴったりはまる。
YouTube版を観て、その違いに思わずニヤリでした)

 去年話題になった『風のガーデン』の最終回でも、挿入歌「カンパニュラの恋」が見事にマッチしていた。以前の倉本脚本の『優しい時間』の主題歌も彼女であったが、曲調と声質がやはり北のイメージに合うのだと信じている。
 
 でも、除雪をしながら平原綾香でもなかろう。
 雪道をとぼとぼと歩いたり、吹きすさぶ様子を窓から見たり…ある意味絵になる人限定、やはりそう考えると容姿も年齢も限定か。いやいや、そんな小さいことを見えなくしてくれる、吹き飛ばしてくれるのがこの季節の雪なんです。

たいしたことはないことなのか

2009年01月22日 | 雑記帳
 先日の会議で不祥事防止やいわゆる危機管理についての話が出たとき、禁句として三つの言葉が紹介された。

 「たいしたことはない」
 「なんとかなる」
 「よくあることだ」
 
 なるほど、ある問題事態をそういった言葉で簡単に片付けてしまわないことは確かに大切だ。
 しかし、これらの言葉は例えば人生訓的な見方として語られることもあるだろう。
 言ってみれば「人生山あり谷あり」「小事にとらわれないで堂々といけ」のようなニュアンスであり、気の小さい私のような者にとっては励ましの言葉になることもあるわけだ。
 従って、個人的生活に適用される場面ではシンプルで力強い一言でもある。

 ただ、組織で生きていく者にとっては、そういう心持によって引き起こされる事態は個人に止まらず周囲や社会に大きな影響をもたらす危険性をはらむということだろう。
 単純にいえば、それらの言葉を警戒することによって組織は小心者化するし、リスクのみ強調されていく。
 「たしいしたことはない」という判断は自分で下さずやるべきことを全てやる、そういったマニュアルでがんじがらめになっていくということでもある。
 つまり、してはならない、しない方がいいネガティブなリストが増えていくことを言っているのではないか。

 一方では、学校教育に担ってほしい教育活動としてポジティブリストがどんどん増えていき、その片方では危機管理、問題処理、不祥事等の未然防止というネガティブリストも際限なく足されてくる。
 面倒なのはネガティブの場合ほど周囲の声、社会状況に左右されやすく、いつも流動的な要素を抱えているということだ。

 こんなふうに考えてくると、少し滅入ってくることも確かだ。
 いや、それは昔から「よくあることだ」。大丈夫、「たいしたことはない」から、ちょっと上手くやれば「なんとかなる」。のか。

一番根っこに置いておくこと

2009年01月21日 | 雑記帳
 1/20の「今日のダーリン」は、こう書いた。

「うまく言えてなくても、受け手側が前のめりになれば伝わるもんだ」

 受け手側が前のめりになるためには、まず伝えたい側に強い気持ちが必要だ。
「あのね」「聞いて聞いて」と思わず人に伝えたくなる中身を持って、話し始めること。
 そうでなければ、受け手は引き取ってくれないし、前のめりになることは少ないだろう。
 伝えたい中身を持つそんな対象に出会わせたり、向き合わせたりすることが、教師の大きな務めのように思う。

 しかし、それだけでは通用しない。
 やはり言葉は教えなくてはいけないし、どんな言葉をつかうのかということもそう、どのくらいの長さがいいとか、どんなふうに終わったらいいのかとか。それに慣れるための場を作ることも大事だ。そんなふうにして話し方や聞き方を学ぶところが学校だから。

 それを踏まえながらもなお、やはり「伝えたい気持ち」や「伝える人を支える気持ち」はもっと大切にしなければいけないと思う。
 決して忘れないように、一番根っこにおいておくこと。
 話してよかった、聞いて楽しい、伝え合って気持ちがいいという時間を今日どれだけ作り出せたか、その振り返りは大きな仕事だ。

授業史に学ぶ人に学ぶ

2009年01月20日 | 読書
 『秋田の戦後授業史に学ぶ』(千葉信一郎著 秋田県教育振興会
に次のような一節がある。

 授業史に学ぶということは、現在、私たち教師が直面する切実な課題そのものを、過去と未来とのつながりにおいて意識することなのです。

 およそ10年前に書かれたこの本(雑誌連載のまとめ)は、戦後だけでなく戦前、明治・大正期までさかのぼって本県の教育を概観しながら、授業に関わる教師の意識の変遷という点を中心に書かれてあるように思った。

 歴史的な資料もあり十分に興味深い。例えば昭和31年に始まった全国一斉学力調査、本県は下位だったと聞いてはいたが、まさしく国語も算数も最下位だったこと。「沖縄よりも低かったのです。」という文章まで添えられてある。悉皆調査ではなかったといえ、まさしく隔世の感がある。

 そんなことより自分がこの本から学ぶべきこととして強く残るのは、次の二点である。もちろん、直面する課題に正対するという意味を含めてのことである。

 一つは、二元論的発想にとらわれないことである。歴史の数多くの論争とその結果の不毛さがそれを物語る。今でいえば「学力テスト」しかり「英語教育」しかりである。
 もう一つは、子どもの現実、社会の変化をカリキュラムとして生かすという点である。経験主義と系統主義のせめぎ合いが大きく取り沙汰されてきた時代であるが、社会状況の変化がそれらの主義自体も変質を余儀なくしているように思う。指導する側として現実と将来を見据え、信念をもって組立て実践していく必要を感じた。

 著者の千葉氏が亡くなってから10年が経つ。まさしく秋田県教育界の重鎮でもあった方だ。今の県の状況をどんな思いで見つめているだろうか。
 その千葉先生へ一度手紙とサークルでまとめた冊子を送ったことがあった。20年ほど前だったろうか。中味はもう覚えていないが、授業研究についての熱い思いを書きなぐったのだろう。
 そんな田舎の一教師に対しても励ましの言葉が綴られた返信が確かにあった。その便箋は今も机の中にある。