すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

頭の働きのリズムに合わせる

2005年09月30日 | 読書
新しい考えが結晶化して、言葉として紡ぎ出されるまでには、一定の時間がかかります。頭の働きのリズムは、一人ひとり異なります。「ひらめいた!」と瞬時に結晶化する人もいれば、長い時間をかけてゆっくりと考えが熟していく人もいます。ですから教育に一番必要なのは、一人ひとりの子どものなかで生まれた気づきが自分なりの考えへと熟していくまでの時間を、きちんと与えることなのかもしれません。
山鳥 重『VIEW21 2005-2』(Benesse)


一人ひとりの子どもの考えを熟する時間を保障するなど
とうていできないことだと決めつけず
限定的にであれその点を意識すれば
おのずと授業運営は変わってくるのではないか。
集団で行う授業だが、一人ひとりが違う活動をしていても
授業者の意図が明確であれば、学習は保障できる。

教師のエゴイズムが学び合いを邪魔する

2005年09月28日 | 読書
複数の教師が協力し合って指導に当たる体制は一部の教師、特に、学級での一斉指導に自信があり、学級経営がうまくいっている教師には「わずらわしい」ものと映る。それは教師のエゴイズムであり、指導力不足の教師をつくり出さないために、お互いに「学び合い」「支援し合う」体制へと移行すべきではないだろうか。
加藤幸次『現代教育科学 2004.11』(明治図書)


ティームでの仕事の仕方は一様ではないが
ティームであるメリットを生かすことと
責任の所在を明確にすることのバランスをとりながら
教育活動がなされる必要があるだろう。
学級担任という仕事は、深まりは容易に追求できるが
広がりを意識して行うには、もう一歩の前進が必要だ。

表現力指導のための三つの感覚

2005年09月26日 | 読書
上條晴夫先生をお迎えして、校内研修会を開催した。
テーマは「話す技術・聞く技術と意欲」。
ワークショップを取り入れながらの充実した三時間となった。

導入としてのレクチャーや質疑応答の中で特に心に残ったことを
三つのキーワードの形で自分なりの総括をする。

安心感
「表現教育に、とっても大事なことは安心感である」
上條先生の仰ったこの言葉が強く印象に残った。
クラスメイトや教師に対して安心感を持っていることは
表現をさせていくための一番の条件かもしれない。
その要素をふだんから築いているか。
例えば、show&tellでモノを持つ意味として
視線からの逃れによる安心感というとらえがあったことは得心がいった。
まず、この感覚が問われる。

距離感
具体的な指導の場で大切なことは、
その子が持つ距離感である。
物理的なものでは例えば、学習形態をどうするか、教師が働きかける位置は、
といったことに端的に表れる。
また、活動内容に対しての距離感を予想しておくこともポイントである。
身近な題材からかなり遠いテーマまで、その順序や配列に気を配ることは
対象となる児童を深く見つめることである。

共有感
表現の場では、発表しあったり聞きあったりすることで
内容が反復され、定着していく。
共通の手法を使いながらも、個々の違いにも気づいていく。
「型」の良さまたは窮屈さも感じるかもしれない。
体験型の授業では、終末にそれらを振りかえらせることで、
子どもが共有感を持てたとなれば
それは、集団への授業が成功したととらえていいだろう。

正解はあると思って立ち向かっていく

2005年09月26日 | 読書
いまの社会は、ほとんどの場面で、唯一の正解がなくなっている。それなのに学校教育は、九割方正解はあると思って立ち向かっていく人を育てている。
藤原和博『児童心理 2005.10』(金子書房)

確かに人は「正解」を求めて進んでいくものだ。
だから、そこにたどり着くための方法を、
様々な知識、手法を駆使して教えていくことが必要になる。
そして、正解が複数であったり、正反対の方向にあったりという視点を交えながら、
実は「正解」のありかは、外にはないことを感じさせていくことか…

自信は、鑑賞を成立させる

2005年09月25日 | 読書
鑑賞の授業はまず、自分がいいと思ったことは間違いない、その自信をつけることから始まります。
酒井臣吾 ~「わくわく授業」NHK教育~


感性を育てるには、まずその感性が大事にされなければいけない。
見方や考え方を認められ、誉められることで
他に学ぶ意欲も同時に高まっていくだろう。
鑑賞の成立は、「自信」によって大きく左右される。

曖昧で論点の不明確な思考の奨励

2005年09月24日 | 読書
現在の学校教育は、イエス・ノーを明確にすることに抵抗を示す。いろいろな考え方がある、答は一つではないという口実のもとに、イエス・ノーを明確にすることを「単純な二分法」とみなして嫌う。その結果、様々なものを灰色にし、ぼやけさせる。曖昧であることが人間性のしるしと考えて、実は様々な事柄について判断を保留する。つまりは曖昧で論点の不明確な思考を奨励していることになる。
樋口裕一『ホンモノの思考力』(集英社新書)


「○か×か」を問う手法には厳しさがある。
その厳しさを積み重ねることが、思考力を鍛える。
「○×方式は、○か×か」という問いに
今「△」を出してしまったら
永遠に△を出し続けなければならない。
○でも×でもいいから
決意を持って判断するから、思考は動く。

「教師」であるか、「先生」であるか

2005年09月22日 | 読書
先生方には、「教師」と「先生」のふたつのタイプがあります。「教師」とは教える技術に長けた人、「先生」は子どもと一緒に考え行動する人で、子どもをひきつける生きた言葉が話せる人でもあります。今は、そうした「先生」タイプが少ないのではないかと感じています。
武田鉄矢『総合教育技術 2005.3』(小学館)

仮にこの二分類であれば
子どもが求めるタイプは決まっていることになる。
しかし、親の立場だったらどうだろう。
子どもの今、子どもの将来のためには
自分のタイプを知り、両方を使い分けていく…
少なくてもそういう姿勢は持ち続けたい。

読解問題に取り組んでも、読解力は育たない

2005年09月21日 | 読書
読解力の低下傾向という指摘で、各教室で読解問題に取り組んでいる学校が出始めている。このような取り組みでよいのであろうか。
否である。
「視点の転換」「書く力」で「考える力」を育てなければ読解力は身に付かない。
各教室の取り組みに憂慮している。

齋藤勉『現代教育科学 2005.10』(明治図書)

読解力をどうとらえるかという分析はもちろん
「読み方」を教えるためには
いくつかの武器とステップが必要であることを肝に銘じなければ、
身につく力となりえない。
それは、今まで「あまり語られない数多くの」実践が示している。

他の人に役立つものとして機能させる場

2005年09月19日 | 読書
どういう学習状況で子どもたちが意欲を見せるのかという点が重要です。自分たちでやったこと、例えば、制作物とか、発表とか、演示とかが、他の人に役立つものとして機能して、そこにやりがいを感じていくというような場面づくりは、それこそ小学校や中学校でも工夫できるのではないかと思います。
市川伸一『学ぶ意欲とスキルを育てる』(小学館)


何のために作らせるか
何のために発表させるか
その目的は、学習のねらいによって異なるが
「他の人に役立つ」という機能面を大きく上げることは
学ぶ意義の基になる部分を作っていくことにほかならない。

「良い顔」をした学校

2005年09月17日 | 読書
克博さんは、機械メーカーの技術者の世界でよく言われている話として「機械の顔」の話を披露した。その道のプロは、外観を見ただけで機械の良し悪しがわかるというのだ。「見た目がよい機械は、性能、品質、コストの面からみても優れていて、高いレベルで作られているということなんだよ」と克博さんは説明し、そのことを浜之郷小にあてはめた。
川久保美紀『いのちのリレー』(ポプラ社)


新しいか古いかということではなくて
「良い顔」というものがある。
それは、そこに住む人の対応や雰囲気など
トータルなとらえと言っていいかもしれない。
外観は必ずそうした内面を映し出すということか。