すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

叱る側にある望ましい権威

2005年11月27日 | 読書
叱る、叱られるという関係は、平たく言って叱る側に権威があり、叱る側が優位に立っている。これが望ましい関係である。ひとまずそういう関係を正常と考えた場合、叱っている中味そのものの吟味は大切であるが、「叱り方」というようなところはあまり心を向けることは、却って叱る者の自信を無くし、望ましい権威を崩しかねないのではないか。
野口芳宏『楽しい学級経営 1996.7』(明治図書)


「相手の身になって」ということをどこまで具体的にするか
どこまでも微細に考えていくことが
果たして、教育の本質に結びつくのか…
小賢しい言辞などよりは、強いリードと迫力が
心を鍛え、引き締めていくのではないか。

ランナーに駆け寄ることができる人

2005年11月26日 | 読書
「全力疾走していたマラソンランナーが突然路上で倒れたら、道端で小旗を振っていた人や大声で応援していた人は皆、息を呑んで思わず駆け寄ろうとするかもしれない。でもね、ランナーに駆け寄り、声をかけ、体調を察し、棄権をするか、マラソンを続けるか決断させることができるのは身近でランナーを見続けていたコーチ、そして責任ある監督だけよね?そして担架で運ばれたランナーを治療することができるのはお医者だけよね?小旗を持った道端の人達は大勢いるけれど、できることはあまりない…。でしょ?」(親友R子の話)
佐島直子「学校マネジメント 2005.3」(明治図書)


問題が生じた時に
自分の立場はいったい何なのか考えることが大事だ。
役割の明確化と自覚こそが
問題を解決することに役立つのであって
小旗を振る人を認めてもいいが、近づけてはいけない。

「国際理解」にある日本人の「ずるさ」

2005年11月23日 | 読書
「国際理解」という、いろいろの国のことを理解しようと考える。いろいろの国に日本を理解させようとの発想は、なかなか生まれない。(略)
日本人は、自分を表現しないことを、慎ましさ、謙虚さと捉えているが、時にそれは「ずるさ」に映りもするのだ。確かに「国際理解」といえば「理解する」ことと、「理解させる」ことの両方を示しているのであった。

高橋俊三「国語教育2005.12」(明治図書)


アウトプットよりインプットを重視する日本人の特性
とかく「目立ちたがり屋」という言い方などで表現者を抑制したがる傾向
…慎ましやかさを大事にするという言い方もあるが、
しかし、教育が何かに貢献しようとすれば
それはアウトプット以外の何者でもないような気がする。
そうした練習をしておくことも重要なことだ。

精神的生命を担当する

2005年11月22日 | 読書
私は今でも「医師は人間の生物的生命を、弁護士は人間の社会的生命を、そして教師は人間の精神的生命を」担当するのだから、教師が最も難しい仕事をになっており、そのためには養成機関がより長くならざるをえないと考えている。
安彦忠彦「現代教育科学 2005.12」(明治図書)


今日、この子のどんな心を育てたか
今日、この子にどんな新しい考えを教えたか
そして、この子の精神を形づくることに有益だったか
教師の営みは、
「九九」の指導を通して、とび箱の指導を通して
そのことが問われなければならない。

満足できるわからなさ

2005年11月13日 | 読書
小さい頃にもう一人尊敬している先生がいて、禅のお坊さんの逸話みたいなものを語ってくれたことがありました。それを聴いて、意味はわからないんだけど、子どもながらにとても満足するということがありました。するとその先生は、満足できるわからなさというのは必要なんだよって言われたんですよ。
齋藤孝『自分を「売る」力』(講談社+α文庫)


意味のあることが
意味があるように通ずるためには
その内容によって心を満たされる必要がある。
それはそれなりに教育の場にふさわしいことだが
意味のわからないものによっても満たされるならば
きっと、そちらが「長持ち」するだろう。

教育用語の防衛的武装

2005年11月12日 | 読書
教育用語は、いつでも、「防衛的武装」をしている。どこからも、何も文句を言われまいとして、個性と独創性と具体性を欠いた表現になってしまっている。
野口芳宏『第二著作集 5』(明治図書)


学校要覧や研究計画であれば
どの部分を読んでも、
大方が批判を飲み込んでしまうような美辞麗句が並ぶ。
一般の方がはっきりとわかる具体的な表現でないのは
具体的だと、現実に対しての批判をかわせないという
心理が働いているのではないか。

子どもは本来勉強に向いていない

2005年11月11日 | 読書
「勉強」を子どもににさせていく場合、何より重要なことは、「子どもは本来勉強に向いていない」という本質認識、現実認識、あるいは事実認識である。そこからの、腹を据えた出発が教師にとって重要である。子どもを甘く見てはいけない。
野口芳宏「児童心理 1996.12」(金子書房)


面白さで引きつけよう
必要感を持たせた学習をしよう
それらを出発点にしながらも
なおかつ、工夫と努力は継続されなければならない。
また、勉強の大切さをわかるように説き
一面では厳しく行動を制御しないと
子どもが勉強に向かい続けることは難しい。

自分が変わらないうちはまだ「上達」したとは言えない

2005年11月10日 | 読書
そして「離」に至れば、それまでの経験をベースに、真正面から子どもと向き合い、自らの創意によって子どもの事実を変える。「子どもとともに」自分も成長・発達するという考え方に進まねばならない。自分が変わらないうちはまだ「上達」したとは言えないのである。
安彦忠彦「現代教育科学 2005.11」(明治図書)


自分を変えるほど難しいものはない。
だからこそ、自分の変化を自覚できれば
それは大きく上達していると言えるだろう。
漠然とした感覚的なとらえでは、なかなかおぼつかない。
記録していくことの大切さもそこにある。

名人の明るさは勉強によるものである

2005年11月06日 | 読書
いろいろ言われたけどね、「暗い」って言われたのが一番こたえた。だから勉強したわけですよ。自分の性格を変える、明るく変える勉強をね。
有田和正 ~わくわく授業(NHK教育)2005.11.6放送~


初めて授業を参観させていただいた時の
有田先生の表情の柔らかさ、笑顔を忘れることができない。
そして、その後何度となくお話を聞く機会があるが
その印象は揺らぐことがない。
なぜか。
厳しい勉強の積み重ねによって身につけられたものの強さを感じる。

脳が親子関係に干渉する

2005年11月04日 | 読書
生き物の親子関係って何億年も続いているんですよ。人間に脳みそができて意識が生まれたのなんて、ほんの10万年前のこと。脳みそなんて、親子関係に邪魔になるだけ。基本的に脳が親子関係に干渉するのは余計なお世話なんだ。
養老孟司「日経アソシエ 2005.11.15」(日経BP)


本能だけで動けはしないことは承知しながらも
本能を感じながら、大切にしながら子育てしていく…
きっとそのためには、自然にもっともっと触れていく体験が
必要になってくるだろう。
親も子も外に出てみること。