すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

棄てられぬ男、花に学ぶ

2024年06月30日 | 雑記帳
 ちょいとけじめをつけた気分もあったので、またぞろ書棚の整理に取りかかった。1箱ぐらいは古本屋に送ろうという算段もあった。土曜午前から取りかかって30分も経たないうちに棄てようか棄てまいかといういつもの葛藤が起きた。「棄てられない男」だという自覚は十分ありながら、以前と全く同じではないか。



 これは「整理好き」だからと思ってみた。いや正確には「整理をする自分が好き」なのだ、きっと。結果いつもうまくいかず断念し、それを忘れ(いや覚えているが、今度はうまくいくと信じている)、同じ行動を繰り返すのだ。まあ、これが整理で、生理的な艶っぽい方向でなくて良かったと気分転換し自虐的に笑った



 夕方までかかり、残っていた教育書などの箱詰めはようやく完了した。次は様々な実践資料や記録である。これも当座はということでクリアファイルに入れていたものが多い。思い切って個人情報のない物品は資源ごみへ。しかし冊子に作ってあるのは迷ってしまう。自分で拵えたという重みを感じてしまう優しさ(笑)よ



 6月も自宅周りの「花」を撮った。いくつかこのブログにも載せている。考えてみると植物は偉いなあ。毎年枯れていく運命にありながら、芽吹き葉をつけ花を咲かせている。それは根が残っているからと今さら想う。そう、根付いていれば、毎年何か伸び、咲き、実をつけるかもしれないと、無理やり学んでみた。



走り終えて水無月末へ

2024年06月28日 | 雑記帳


 様々なことが一段落した安堵感のある月末となった。まずは少しずつ書き進めた本の印刷が終わり届いたこと。知己や関係者にはほぼ渡し終えた。構想そのものは昨年からあったが、本格的に取り掛かれたのは4月当初から約二カ月。いろいろと想いは巡るが、忙しくもありつつ、編集まで楽しくできたのが何よりだ。


 それから、このブログにリンクを貼ったので気づかれた方もいるかもしれないが、新ホームページ「羽後噺」を立ち上げた。もっとも内容は図書館時代のブログの再構成である。しかしこれは自分がやるべきことと、少しばかりの使命感もあった。取りあげるのは過去ではあるが、気持ちとして未来志向も含んでいる。


 それにしても無料のホームページ作成サイトを使ったのは、結構な挑戦だった。未だに慣れておらず、更新頻度は低い。HP作りを始めてから四半世紀が経つが、あの頃は初心者向けが多く、結構簡単のように感じた。今は膨大な情報ツールがあり、高齢者には何が何やら…。そこに立ち向かった(笑)自分を誉めたい。


 読み聞かせは今日で計7回を終えた。選書は今まで取り上げたものが多くなり、そこは少し怠慢か。図書館に務めていれば新本チェックも当然できたので、様々試すことができた。半面、固定化している意味は「いい本」を読み続けているとも言える。自分で買ったある一冊の絵本は、なかなかチャンスがめぐってこない。


 今月も一応10冊程度読了した。ジャンルはいつも通り節操がないし、読み込む本もあれば、読み飛ばし気味のものもある。『数学の贈り物』はいい一冊だった。表現するための素養がないのだから仕方ないが、憧れを持った。さあ「文月」が近い。軌道に乗せること、取り掛かりたい新プロジェクト…ペースを作ろう。

実は「記号接地問題」に悩む

2024年06月24日 | 読書
 本屋大賞作品のRe53『成瀬は天下を取りにいく』(宮島未奈 新潮社)を読んだ。その続編であるRe54『成瀬は信じた道をいく』も翌日に読了した。主人公の持つ痛快さ、ユニークさがこの物語の骨子となり、確かに面白く読めた。こうした設定がウケるのは、自分も含め読者が彼女に一種の憧れを感じるからに違いない。


 『隠蔽捜査』の竜崎しかり、古くはTVドラマ(コミックか)の『斎藤さん』しかり、そのいずれもが正義感が強く、日和らない、めったにぶれない…多数がそうありたいと願う人物像を据える。だから「変わっていく」のは本人ではなく周辺人物。読み手は誰かの心境に共感するのかもしれない。そんな思いが浮かんだ。


 「二百歳まで生きる」と宣言した冒頭に成瀬の真骨頂があり、掲げていく他の様々な目標とつながらないように見えて、一つ一つクリアしていく度に力をつけ、スケール感を増す。時事ネタを上手に取り入れつつ「生きる」芯も感じる筋だ。ドラマ化ならば成瀬役は平手友梨奈か。一緒に読んだ家人と意見があった。





 新聞一面下部に広告があったので、興味を惹かれた。Re55『言語の本質 ことばはどう生まれ、進化したか』(今井むつみ・秋田喜美 中公新書)。オノマトペを手がかりに言語の本質に迫っていく構成で、途中で少し読みがだれてしまった。ただ、「記号接地問題」という認知科学上の言葉を知っただけでも価値があった。


 言葉の意味を理解するために、「まるごとの対象についての身体的な経験」の有無や大小などが問われており、非常に興味深い。一年生の孫の宿題を見てやる際にも日々感じていて、考え出せば小学校教員の仕事は今は怖くて難しくて出来そうにない。だから、本県の教員志願倍率は落ちたのか…ってかなり無理矢理(笑)。

そえたい「か」は学びの時

2024年06月23日 | 読書
 『数学の贈り物』(森田真生)に、著者が紹介・引用した語は実に印象深い。数学者らしい選択となっているが、全て人の生き方そのものに関わってくる気さえする。一つは「かぞえる」。これは、かの白川静によれぱ、「かぞえ(へ)る」←「か+そへる」←「過ぎ去った日に『か』の音を『そえ』ていく」という由来らしい。




 「はかばかし」や「はかどる」の「はか」が、田んぼの区画を分かつときに使われた単位であることは、かなり昔学習で扱った記憶がある。今回、それが「はか(則、計、量)」に通ずることを読み、そこを基点とした計算認識の浸透によって、「さらなる便利と効率を追求しようという動き」の拡大が何をもたらすか考える。


 ダンプカーのおもちゃで石集めに夢中になる息子を見て、著者はこう語る。「僕の頭はいつも『いま』を、過去や未来との対比のなかで『はかる』ことで忙しいが、それに比べて息子は、はかない『いま』に、全身で没入している」…「はかどる」ことばかりに目が向き、瞬間の輝きを見過ごしがちな私達への警鐘である。


 この聡明な学者でさえ「これからどんな時代が訪れるのか、たった十年後の世界がどんな場所になっているか、僕には想像もつかないのである」と吐露する。教育に関する知見はそこを基盤とし、大人の「自分は学び終わっている側」という考えに釘をさす。「対象とともに自己を変形させていく」営みが求められている。


 古語辞典から「おくり」と「おくれ」が同根のことばだと書き出す「あとがき」も心に響いた。何かを「贈る」とは「おくれの自覚とともにおくる」のだという。学びから何かを見出すことが「前に進むだけでなく、自分の遅れに目覚めていくことである」という一節は、今頃似た作業をした自分にぴたりと当てはまった。

行為に先立つ意味がないのは…

2024年06月21日 | 読書
 『数学の贈り物』(森田真生 ミシマ社)の感想メモの続き。「意味」と題された章は、なるほどと思った。数学が苦手と語る人々は「『意味が分からなくなった』ことを以て『挫折』と決めつけてしまっているようである」と記し、分数の割算や、負の数によるかけ算などの例を出している。確かに思い当たるふしがある。


 ふと教員採用になる半年前、講師の時に中学校3年生へ数学を教えた(補充だったのだろうか)その教室で「1/2÷1/2の意味が分かる奴はいるか」と問い、いわゆる秀才も含め誰一人挙手できなかった場面が蘇ってきた。本質を理解しないまま包含除の考え方で誤魔化した時間が今さら恥ずかしい。そもそも意味は必要か。




 著者は、数が当初は意味を表現する道具だったが、記号として自立すれば演算は意味の記述のために定義されないと述べる。始めから予定された意味などなく、記号が人を導き「次第に意味はつくりだされていく」とし、「×(-1)」の演算行為を例にしながら、分配則や数直線の空間的なイメージをもって説いている。


 苦手と称する者に救いになるような一言がある。「自分が数学についていけなくなったのではなく、意味が数学についていけなくなったと考えてはどうか」この発想は、数学に限らないのではないか。ただそれは、意味を軽んじるということではないだろう。「意味ないじゃん」「意味わからん」を常套句には出来ない。


 「行為に先立つ意味がないというのは、日常においては常識である」


 この一節を深くとらえよう。我々大人は、ある面で「意味」の世界に安住している。日常生活のモノやコトはほとんどが意味づけられており、それゆえ時々目の前に登場する「意味不明」に心揺さぶられる現状がある。既成の知識や情報にすがってはいけない。やはり「意味をつくりだす」姿勢が、最後の手綱である。

「いまのいま」の豊かさを

2024年06月17日 | 読書
 Re52『数学の贈り物』(森田真生 ミシマ社)は、実にいい本だった。もちろん専門書ではなくエッセイ集である。数学的な記述は確かに多いが、どちらかと言えば「ことば」全般について色々と考えさせられた。メモしたい想いが多くあり、身辺雑記を交えながら何度か続けて書いてみたい。まず冒頭の一文に惹かれた。

 先日、もうすぐ三歳になる息子が、「おとーさん、だれかのおとしものをさがしにいこうよ!」と誘ってきた。

 「――偶然の贈り物」と題された前書きにあるこの件だけで、豊かさが迫ってくる感覚を受けた。暗い夜道を懐中電灯を手にして歩く親子は「だれかのおとしもの」を探している。そして場所は京都の、あの「哲学の道」である。子どもが見つけた「小石」を、私達はどのように受け止め評価できるか、全てがそこに通じる。





 午後のTV再放送枠で「フラジャイル」という病理医を主人公としたドラマをやっていた。今は引退したTOKIO長瀬智也が主演している。内容はともかく意味も考えず観ていたタイトル「Fragile」という単語を、かの本に見つけたのだ。フランシスコ・ヴァレラという生物学・認知科学者の言葉が引用されていた。

 Life is so fragile, and the present is so rich

 著者は、若くして逝った学者の考えをこう解釈する。「生の儚さをあきらめきることが、即ち「いま」の豊かさに目覚めることだ」そういえば、TVドラマは治癒した患者も当然いたが、そうでない結末を迎える者も多くいて、そこにどう救いを見出すかが一つのテーマのようだった。「身体と心の関係」が常に問われる。


 数学者岡潔、澤木興道禅師の言葉を引用し、著者が示しているのは「実感」の大切さであり、それは数学という「見えない研究対象」を扱っているゆえだろう。そこで戒められる「自我と根拠への執着」…こうキーボードを打ちながら「いまのいま」の豊かさを感じるため、心底の奔放さをどう発揮するか、考えている。

良作や難作や凡作や

2024年06月14日 | 読書
 『流星シネマ』のアナザーストーリーとも言うべきRe48『屋根裏のチェリー』(吉田篤弘 角川春樹事務所)を読んだ。これもなかなか面白かった。話者人物への共感というより、登場者たちの見え方が当然ながら『流星~』より広がり、姿がくっきりしてくる。こうした手法や展開のさせ方の小説がもっとあっていい。


 マイ吉田篤弘ブームで続けて取ったのは『天使も怪物も眠る夜』(中公文庫)だが読了できず。「螺旋プロジェクト」という企画は8人の作家の「原始から未来までの歴史物語」の競作。「正体不明な未来のガジェットが頻出し、決して読みやすいお話ではなかった」と著者があとがきで記す通りで、高齢者は第一章で断念。





 Re49『隠蔽捜査10 一夜』(今野敏 新潮社)。お気に入りのシリーズは、図書館の予約待ちでようやく借りた。しかし今回は凡作だ。筋書きは途中で読めたし、主人公竜崎の言動も今一つピリッとしない。作家業界?の内情は多少知れるが平凡だ。同齢のこの作家もマンネリになっているか。未読の同9.5に期待したい。


 実は昔はサンマーク出版のファンだった。月刊誌も買っていた。胡散臭く感じる人も多いが、神秘的な事柄に惹かれるのは、家が神道だからか(んなわけない)。書名だけで手にしたのは、次の2冊だ。Re50『幸運を呼び込む不思議な写真』(FUMITO)。それからRe51『幸運を呼び込むもっと不思議な写真』。幸運はあったか。


 「見るだけで、いいことが起こりはじめるという噂が!」と帯にある。いったい誰が「噂」しているのかと思う時点で、半信半疑の読者となる。写真に映るエネルギーと称されるのは、いわゆるゴーストではないかと…。ただ一つ「龍雲」の意味が今さらながらわかり納得した。そうかあ、我は何度それを目にしたことか。

水無月の絶望も希望も

2024年06月08日 | 雑記帳
6月2日(日)
 昨夜は友人たちと久しぶりに楽しく飲めた。ある程度睡眠もとれたので、さほど体調も悪くない。競馬の安田記念、参戦した外国馬の強さが目立った。それでも微妙にプラス。これで春のGI10戦は4勝6敗。収支はからっきし駄目である。六月は大相撲もないし(笑)、ここはいろいろなボランティアに専念するか。


6月3日(月)
 薬の処方箋を変えてもらったがどうも合わないようで、体調悪し。これはかかりつけ医へ申し出ねば…。購読紙の一面トップに「『希望』最下位、どうする秋田」の大見出し。月曜からがっくりする者も多いか。しかしその下にヤクルト石川投手の「44歳23年連続勝利」という記事がある。順位付け無用、進むのみ。




6月4日(火)
 こども園での読み聞かせ。前回、あまりの小人数に驚いたが、今日は休んでいた女の子たちがいて何故か落ち着いた雰囲気。紙芝居なども「こんなに集中した時見たことがない」と担任の先生も誉めるほどだった。その後、薬のことで通院。帰りにドラックストアに寄って試してみたいサプリを買う。我ながら物好き


6月5日(水)
 昨日に続いて別のこども園へ。こちらは年中児だけで少し補足しつつ、楽しんでもらえるよう心がける。帰ってすぐに思いがけない訃報が届く。自分より一歳年下の旧友である。思わず大きな声を出す。だんだんと「あの世」の知り合いが増えていく。死生観は変わらないのだけれど、考えようを切り替える頃なのか。


6月6日(木)
 朝に従弟が来て思い出話。亡くなった友人と三人で、本当にバカなことをしていた頃の出来事をコーヒー飲みつつ話す。その後、隣市のとある施設へ向かう。来月読み聞かせをするので「場」の確認。対象者が従来とは異なるので、どうこなすか考えるのも面白い。全ての過去を燃料として、目の前のことに力を注ぐ…


6月7日(金)
 午前に庭木剪定のことで業者が来る。20年経過は大きい。ブログ編集画面に「開設して7000日」という表示が出た。更新ペースは落ちたが少し感動する。UU(訪問者数)ももうすぐ100万。閉め時を考えなくもないが、こんなふうに気晴らしに書けるうちはいいか。役立つサイトでなくとも自分の精神衛生にはいい(笑)。

手離さなければ、自ずと残る

2024年06月04日 | 読書
 Re44『旅屋おかえり』(原田マハ 集英社文庫)。既にドラマ化されていて視聴した覚えがある。それなりに面白いドラマだった。当然、原作は違う部分も多くあり、こちらも気軽に楽しめた。「旅屋」という発想はあるようでなかった気がする。人が旅に込める思いは範囲も広く、また深く、テーマは無限にありそうだ。


 数年前にずいぶん売れた。その時読んだことは失念していた。結果、再読となるRe45『それでもこの世は悪くなかった』(佐藤愛子 文春新書)。その時に「ずいぶんと『侠気』に富む」と記していた。まさに今回の読後感も同じ。どうやら映画化されるようだが、私たちは何かこういう痛快さに飢えているような気がする。




 100円だったので何気なくカゴにいれたRe46『上機嫌な自分でいるコツ』(和田秀樹 新講社)。主対象はビジネスマンのようだった。キーワードは当然とはいえ「感情」でありそこにどうアプローチするか。刺激の与え方、コンディションの保ち方等、本来の内部操作を外部からコントロールするテクニックを教える。


 Re47『一度きりの人生だから』(伊集院静 双葉社)。「大人の男の遊び方②」が副題。週刊誌連載が集約されている。ギャンブル、麻雀から他者とのコミュニケーションまで、この作家の「流儀」が書かれている。人からの批判など「それがどうした」と一言で受けとめる、今となっては旧き男の典型は、ファンが多い。


 雑な軽読書に終始した印象が残る5月。併行して読んでいる小説は結構スローリーディングだ。翻ってこれらは正直ぺらりと進めた。こういうメリハリをつけるのもいいか。本はどんなふうに読んでもいい。残るのは価値ある語だけだろうし、それなら黙っていても自ずと飛びこんでくるはず。本さえ手離さなければ。

水無月朔日の述懐

2024年06月02日 | 雑記帳
 以前ならば6月1日というと真っ先に「衣替え」という語が思い浮かぶものだったが、いつ頃からかそんな季節感との結びつきが壊れかかってしまった。半世紀以上前に一人の男子高校生だった自分には、ある意味「心ときめく日」とも言えた。女子高の制服が「夏服」になる。そして、当時は制帽のある時代だった。


 その色も、「紺」から「白」になる。それだけで、何か華やかに感じたし、好意を抱いていた子の笑顔が一層眩しく見えたものである(笑)。Y北高はなんと言ったらいいか…いわゆるハット系だったし、Y商高はベレー帽だった。当時「帽子に憧れて…」という進学理由を口にする子がいたのは、まんざら嘘ではない。


 そんな昔話から書き始めた水無月朔日は、読み聞かせボランティアグループの研修会。郡市内にある5つの団体が交流して互いに発表しあう。当番が我が町であり、4月当初から内容検討や申込、諸準備とあれこれあった。自分の担当は当日要項や名簿づくりであり、それは早々に済ませたら、変更が入ったりして…。

 

 さらには全体進行を頼まれて…そう言えば、まあ20名を超す程度の集まりなのでさほどのことはないが、5年前も同じでしたな…それに私の「黒一点」も変わりなし…メンバーは多少顔ぶれが変わりつつも、ほとんどが半世紀以上前の女子高生であり…「衣替えは死語のようですが、心の衣替えを…」と切り出した。


 午前中びっしり2時間半、絵本の世界に染まって無事終了した。選書の幅を広げるというより、自分に合う本の手がかりをつかむ機会を持ち続けねばと思う。夕刻からは、久々に友人たちと一献。それぞれに苦労はあるが、酒で溶かして明日の英気を養うことはとても大事だ。水を一杯湛えた田園の姿に己を重ねたい。