時々興味のある回をちらっと観てはいたが、全部通したのは初めてかもしれない。『100分de名著「老い」~ボーヴォワール~』は、作家への関心ではなくやはりテーマに惹かれたのだろう。その中でも、おっそうかと考えてしまう点が多かった。特に、この齢になるまで疑いもしなかった、一つの思い込みがあった。
「若い!」…齢をとっても活動的な人をそう呼ぶことがある。それは身体面、精神面のどちらにも適用するようだ。そして、そう言われた人は多くの場合、それを誉め言葉として受け取る。自分が仮にそう声をかけられたら「いやいや」などと口にしながら、まんざらでもなく、きっと嬉しい気持ちになるにちがいない。
その事実そのものが、「老い」が価値の低いことを指している。その意識は結局のところ、この私たちの社会、文明が作り出している。定義づけとしても「生産年齢」は15歳以上65歳未満とされている。「老い」とは生産者としての位置づけが下がることを示している。それを当然の論理とする世の中が作られてきた。
教職にあった頃、相応のベテランになり「教師にとって若さは、それだけで魅力だ」というような事を言ったものだ。否定できない経験則は、主として外見や覇気のような部分を示していた。しかし考えれば「老い」がもたらす指導上の優位さが全くなかったわけでもない。それを上手く体現している教師も見てきた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/33/4a/51a8f9ea1797d598929cb910865db669.jpg)
身体の老いに比べ、成熟できない自分に苛立つことも少なくない。このままで「老いの現実をさらしていく」ことが出来るか、甚だ不安である。しかし私には一つの理想像がある。4年前に南独で観た「ヴィース教会前のバス停にいた一人の老人」の姿。あの笑顔は写真に収めていない分、まだ瞼に焼き付いている。
「若い!」…齢をとっても活動的な人をそう呼ぶことがある。それは身体面、精神面のどちらにも適用するようだ。そして、そう言われた人は多くの場合、それを誉め言葉として受け取る。自分が仮にそう声をかけられたら「いやいや」などと口にしながら、まんざらでもなく、きっと嬉しい気持ちになるにちがいない。
その事実そのものが、「老い」が価値の低いことを指している。その意識は結局のところ、この私たちの社会、文明が作り出している。定義づけとしても「生産年齢」は15歳以上65歳未満とされている。「老い」とは生産者としての位置づけが下がることを示している。それを当然の論理とする世の中が作られてきた。
教職にあった頃、相応のベテランになり「教師にとって若さは、それだけで魅力だ」というような事を言ったものだ。否定できない経験則は、主として外見や覇気のような部分を示していた。しかし考えれば「老い」がもたらす指導上の優位さが全くなかったわけでもない。それを上手く体現している教師も見てきた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/33/4a/51a8f9ea1797d598929cb910865db669.jpg)
身体の老いに比べ、成熟できない自分に苛立つことも少なくない。このままで「老いの現実をさらしていく」ことが出来るか、甚だ不安である。しかし私には一つの理想像がある。4年前に南独で観た「ヴィース教会前のバス停にいた一人の老人」の姿。あの笑顔は写真に収めていない分、まだ瞼に焼き付いている。
いつまでも、アクティビティが高く、楽しく人生を送った方が心豊かな老後だと私は思います。
私も数多くの同級生から、「精神的にも、体力的にも若いねぇ」と良く言われます。
答え(応え)はいつも同じで、「頭も体も使うことだよ! 使わなければ老人に限らず退化あるのみだよ!」って、言っています。
リタイヤしてから、短期間に大学のコースを3つも卒業、いまでも朝埼玉を出発して夕方山口に着く運転を頻繁に繰り返しているのは、心身共に健康だからできることです。
こうして精力的に毎日ブログを更新しているのもその一環で、やめてしまうと一気に老化すると思います。1日が24時間で足りない忙しさが健康の秘訣だと思っています。