すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

見られている存在だと意識する

2015年04月30日 | 読書
 【2015読了】40冊目 ★★★S7『学級づくりで鍛える』(野口芳宏 明治図書)

 小学校学級担任が学級経営を「前向き」にとらえて実践しようとするときのエッセンスとヒントが凝縮されている一冊。

 ◇目的、本質をしっかり見据えることが、効率的な経営に手をつける一歩だ。
 ◇子どもの身近にいる教師は、言葉に敏感でありたい、自覚的な言葉の遣い手でありたい。
 ◇学級づくりの全体も部分も、限定的な取り組みであるからこそ、重点化や工夫が生まれる。

 この昭和期に発刊された教育新書の内容は、今の世の中に通用するだろうか。
 読みとおして、いくつかの部分において先生の提言や言い回しが少し変化していることに気づいた。
が、しかし本質的な点は何も揺らいでいないし、先生がずっと主張なされてきたことは今持って初等教育の任にある私たちに、その重責を感じさせてくれる。

 「まえがき」には心打たれる思いがする。
 ご自身の小学校時代の担任である谷先生の忘れられないエピソードから、教師にとってまさに肝要であることを、次のように書かれている。

 それは、教師というものが、実は「見る存在」であることよりも、より大きく「見られている存在だ」ということを意味する

 この自省意識に支えられながら展開される学級づくりは、積極的かつ個性的であり、今そのまま全てを実践にかけられるかと言えば、障害は多いことだろう。
 ただ、経営の効率化の工夫は今もって十分に有効である。
 また教師自身が自分に見合った実践を見つけ、そこを突破口により密度の濃い経営へ向かうためのヒントは満載である。

 教育とは何ぞや。子どもに接する時、何を一番に考えるべきか。
 授業づくりも学級づくりもスタートがそこにあるのは間違いない。
 自分のぶれない芯の在りかを問いかけてみたくなる。

「舟を編む」という域の遠さ

2015年04月29日 | 読書
 【2015読了】39冊目 ★★★★『舟を編む』(三浦しをん 光文社文庫)

 あまりに有名なこの小説。辞書づくりの内容であることは知っていたし、映画化されていて、テレビでも放映があり、それも録画しておいたのであるが(あえて見ていない…もちろん原作を読んでからの方がいいだろう、ということで)、さらには三月下旬、本屋に平積みされた文庫本を、即買ったのであるが…どういうわけか、ページをめくらなかった。なぜ?


 読もうという気があって、居間の隅においていたら、ちゃっかり家人が先に読了。感想を話しかけてきたので「まだ読んでいない」と口止めしておいた。それが4月上旬だったかな。満を持して(なにが満なのか、さっぱりわからん。つまり、現実逃避が必要だったということか)読み始めたら、これがさすがの「本屋大賞」だと思った。薄味ながらダシがいい。


 個性的でありながら、身近なところにもそういう要素を持っている人がいるな、と思わせる。解説子も同様のことを書いていたが、私なら「西岡」の気持ちがわかったりする。と同時に、主人公の「馬締」の成長を読者の多くは温かく見守るに違いない。なぜ「舟」なのかは、読めばすぐにわかるが、昔からよく比喩されるように「航海」には多くの要素がある。


 自分は辞書好きと思っていたが、それは教材として見つめる目が強いだけなのかとふと考えさせられた。言葉に興味があっても、辞書をつくるような人には一番向かないタイプなのだ。基本的に整理整頓を編集者の資質とみる表現があり、マイッタアと思わされた。言葉にこだわりがあると褒められたこともあるが、まったく薄い薄い。しつこく、くどくあれ。


 馬締の妻である板前の香具矢が「修業のためには言葉が必要です」と語るシーンが印象的だ。「言語化」の重要性は大方が語るが、コミュニケーションや伝え合いなどの言葉で括られない「本物」には修業が似合う。語るべき体験、経験の質量こそが言語化に結集される。題名の「編む」に込められた緻密さや丹念さが物語る域は、自分からずいぶんと遠くにある。

新書がいつも新しいようでは…

2015年04月28日 | 読書
 【2015読了】38冊目 ★★★S6『授業の話術を鍛える』(野口芳宏 明治図書)

 教育の場における話し方の技術について、本質から具体的ポイントまでを網羅している一冊

◇話術という技術は、常に相手がいる場所で発揮するものだから、鍛えていくためにかなり広範囲を見渡し、その分類や関連を考える必要がある

◇話術の上達のためには、かなり限定した課題やポイントを持ちながら、それを積み重ねていくことが有効である

◇常に、目的や本質を忘れず話す、語る。自分自身を把握して活かす。


 この教育新書は、『小学生に対する話し方技術』という80年代前半の著書を改定して、89年に出版されたものである。
 私は前著も持っているし、おそらく数回同じ文章を読んでいるのだが、今もって話術は高まらないし、また書かれている記述に、ははあっと新たな発見をしているような気分になっている。
 これは言いかえれば、いかに定着しないかということだけなのだが…。

 例えば

 常識として知っておきたいことばの役割あるいは機能には次の五つがある。
 ① 認識機能    ②思考機能   ③伝達機能
 ④ 社交機能    ⑤調整機能


 こうした基本的知識についても、まだまだ駄目だ。
 改めて「⑤調整機能」による自己コントロールという点は、この頃特に大事だなと思うようになった。

 この著において「聴衆分析」という用語を先生は既に使われていた。
 それを忘れてしまっていて、ビジネス用語の影響なのかなあと多くの実践を見ていた自分が少し恥ずかしい。

 どの著書もそうであるように、この本も単なる話術上達のマニュアルではない。
 先生の「授業」「教育」に関するお考えの一端が強く出ている。

 それらは自分の考えのもとにもなっていることが多い。
 何度も書き出して忘れないようにしなければ、と自戒の意味を込めて引用する。

 授業というものには実践原理はあるにしても、その原理をふまえた具体的な展開方法はもっと個性的で多様で柔軟なものでなければならない

 教師の本当の任務は、子どもを向上させることである。冷たい本当によってへこますよりは、温かい嘘によってでも希望を持たせ、向上への意欲を促すべきである。(中略)教育の本質を理解し、ことばの根本的な意義を承知している教師は、常に相手の立場や心情に思いを馳せ、愛情豊かなことばを相手に贈ることができるのである。


ウメェこと言うなオメェも

2015年04月27日 | 雑記帳
 立川談春の三十年記念落語会は楽しみに待っていた。去年の11月末はチケットを取っていたのに、研究会があったために泣く泣く家族に譲った。今回は先行予約で取ったはいいが、どういうわけか最後列になったので、なんだか悔しく、職場の文化活動事業予約にも申し込んだらそちらも当たり、少しいい席が取れた。


 結局1倍半ほどの料金を取られたが、それでも談春を2時間以上聴けるのであれば…。全体評として「さすが」とは思った。ただ本人が言うように花粉症?のためか喉が少しやられているようだ。声のきれが少し気になった。演目は「宮戸川」そして著書「赤めだか」のドラマ化のことを語り、メインが「百年目」。


 「百年目」のサゲを変えることがパンフに書かれてあって、それが今回のツアーの目玉らしい。確かに談春なりの施しがされ人情噺として仕上がり、客の拍手も長く続いた。しかし今回、自分はそれ以上に談春の語る仕事論、プロ論のようなことが心に響いた。なるほどウメェこと言うなオメェも…という感じだった。


 一つは「稽古」ということ。壁に向かって一万回繰り返したって、お客を目の前にした一回に敵わないかもしれない、と口を開いた。つまり、毎日の高座そのものが稽古であると。昨日のどこかの高座は、今日の秋田のための稽古であり、今日のここでの高座は、明日の盛岡のための稽古であると。この心構えよしだ。


 もう一つ。落語の語る世界を理解できるかどうかではない、ということも喋った。例として歌舞伎などを持ち出しこんなふうに語った。「見てもわからない。けれどそんなことではなく、きれいかどうか、気持ちよいかどうかでしょ」…確かにと頷く。なぜ談春がいいか、それを姿・形と書いたことが過去にあったなあ。


今年の花見、その一

2015年04月26日 | 雑記帳
 近くにいるのになかなか行けなかった角館・桧木内川堤防の桜をようやく観にいくことができた。以前、叔母より「観にいくなら朝がチャンス」と教えられていたので、6時過ぎには家人を伴って家を出た。土曜のその時間帯だとあまり車もなく、すいすいと一時間ほどで到着。それでも観光客は結構目立っていた。


 駐車場の大きなところは大型バス専用となっていた。さすがにまだ一台も止まっていない。隣の個人駐車場に前の2台とともに入る。少し係りのおじさんと会話する。10時になると歩行者天国が始まるとのこと。その前がポイントらしい。桜は当日の朝刊では満開となっていたが、ピークは前日あたりだったろうか。


 桧木内川堤防の桜は東側?並木になっているので、どちらかと言えば午後がいいのだろう。光の向きで写真にはやや不向きだなという感じをもった。それでも続く並木はさすがに長く、歩いているといろいろなポイントがある。時間が経つにつれて、徐々に人も増えてきた。一通り堤防を歩き、武家屋敷通りへ向かう。


 こちらは人通りが絶えない状態。しだれ桜はもう散り初めであり、少し残念だった。それでも、何度か傍までは来ているがじっくりと歩くことがなかったので雰囲気を味わっただけでもよかった。紅葉の時期はいいだろうと思わせる庭がいくつも見つかった。この程度の人出であればまた来たいと思わせる通りである。


 再び川沿いへもどり、光の向きが変わった桜をみる。バス専用駐車場にはもう10台ほど並んでいる。中国人らしい団体の姿も見える。「さくらの町」のピークの週末か。歩行者天国の始まる前に駐車場から出る。町外れにあったしだれ桜の一本がとても色鮮やかで、そばに寄ると数えきれないほどの虫が乱舞していた。


 あまりに有名な風景なので、よくあるアングルは撮らなかったが、一応記念と思い、3枚残してみた


ボツ原稿を浚う②

2015年04月25日 | 雑記帳
 昨日に続いて、「禁止」に関してボツにした部分の原稿である。

 これは、もう30年以上も前のことだ。

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 「禁止」に関わって、思い出してしまう古い話がある。

 若い頃に勤めた学校で、受け持ちの子2名が学区の外まで自転車で出かけたことがあった。
 それが学校で定めたきまりに違反したということで、教頭より「この二人は、自転車乗りは禁止だ」と宣言されたことがあった。

 きまりを破った子どもに同情したのではないが、この一方的な言い方には少しカチンと来た。

「いつまでの禁止ですか」
 と問うたら
「きちんと反省するまでだ」
 と答えられたので
「では、どんなことをすれば反省したことになりますか」
 と食い下がった記憶がある。

 罰則について共通理解はなかったし、そもそも自転車という交通手段について所有者、責任者である親を抜きに一方的に決めていいかという疑問もあった。

 結末は記憶がおぼろげだが、「禁止」を持ちだすにも手続き、見通しがいると強く感じた一コマだ。

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 若さというより、青臭さの感じられる思い出だ。

 この学級には、書いても書いても尽きないほど、いろんなことがあった。

 やったことが出鱈目だったが熱意だけはあった。
 そしてその熱意はいつも空回り。だから余計に思い出すのだろう。

ボツ原稿を浚う①

2015年04月24日 | 雑記帳
 「禁止」がテーマの原稿依頼があって、結構悩んだ。

 気の向くまま書き始めたが、いつものブログのごとくなってしまったので、結局のところ、自分でボツにした部分がいくつかある。
 その一部分…

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 「ネルネル」という商品を知っている方はいらっしゃるだろうか。

 いびき防止のための「口閉じテープ」である。

 自分のいびきは周囲に聞いてもさほど大きくないようだが、実は睡眠中に口呼吸に陥っているようであることが、起床時に口の渇きが酷いことでわかった。

 なんとか鼻呼吸にできないものかと検索して探し当てた商品である。昨年の秋頃から愛用しているが、これが実にいい。
 さほどの不快感、不自由感もなく、起床時の口の中のいがらっぽさが解消できている。

 長々と私的な健康話題を記したのは、「禁止」で思い浮かんだことが、この「口閉じテープ」だったからだ。
 いわば強制力によって口を無理やりに閉じておくことが、結局のところ鼻呼吸をするという理想?通常?の状態を保障することになったのは確かだ。

 もちろん、個人の健康保持と、教室の子どもたちの生活づくりと同一にはできないが、共通点を見いだせないわけではない。
 例えば

 ①目的に照らし合わせて、何かを強制的に禁止することも一つの有効な手段たりえる
 ②そうすることで身に付いた習慣が、よりよい生活のための基盤をつくることができる。

 とは言える。それが禁止の効果だろう。

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 実は、ネルネルは二学期末のPTAで、実物を貼り付けてみせたという、いわくつき?の商品である。
 冴えないチャップリンみたいだった。

さみしいから桜並木を撮る

2015年04月23日 | 雑記帳
 昨年より一週間以上は早いと思う。グラウンドの桜が満開を迎えた。「桜」は昔から自分にとっての大切なテーマである(これについては別に記す予定)。とにもかくにも今年も「最後の桜」といっていい一つになるだろう。そこを意識したわけではないか、先々週、膨らみ始めた蕾から、校地内周辺の桜を撮り始めた。今週は月、火と小雨模様で残念だった。


 天気予報通り、昨日からはまさに桜日和の空が続き、一気に明るさを増していく。昨日は交通安全教室があり、今日は外清掃などもあって屋外の活動が続いているが、天気に後押しされて、子どもたちの表情も明るい気がする。かつて、ちょっと気取って「桜の国の子どもたち」と題したスナップを別ブログに挙げたことを思い出した。今見ても気に入っている。


 これほど見事な並木はないが、本校の桜古木もそれなりである。朝にちょっと撮り、昼に出た時も数枚撮り、そして…何かいいシャッターチャンスはないかと窓の外を並べていたら、あっあっと思った。低学年が帰っていく。これなら絵になる。どこがいい、そうだ、二階だ、と思って階段を駆け上がり、ようやく間に合ったのがアップしたうちの一枚である。


 振り返れば、いつの年も桜を撮ることにはまる日々がある。もう十年以上前になるが当時作っていたホームページに、町内のあまり有名でない?桜を半日かけて撮りに歩いたこともあったことを思い出した。こういう素人カメラマンは多いだろうな。あの時は並木よりも一本桜、それも山桜や墓場の桜(笑)が多かった気がする。さみしくなかったからだろうか。

平凡な今日も日付をつける

2015年04月22日 | 雑記帳
 今日の残念:加瀬邦彦の訃報が載ったとき、ああ一度は見たかったワイルドワンズと思った。バンドの人気や実力は一番ではなかったが、馴染みやすさではとても心に残っているグループだ。自分がミュージシャンだった時代に(笑)唯一歌ったグループサウンズの曲が「想い出の渚」。今でもいい歌だと思う。


 今日の焦り:交通安全教室で挨拶をしたときに、漢字の「止」を空書きした。そしたら、後ろで見ていた職員の数人がどこか不審そうに首を傾げた。あれっ筆順間違ったかな?と一瞬どきどきした。結果、左手で鏡書きしたので曲がったように見えたらしい。確かめてはいるが、自信満々とはいえないのが中途半端。


 今日の驚き:交通安全教室中は歩き回って写真を撮り、学校ブログにアップした。教室が終わって報告が一件、自転車運転実技中にある子が道から外れ、側溝に落ちたという。幸いかすり傷程度だったがずぶ濡れ状態になったという。確かに今日が乗り始めでずいぶん不安定な子も目立った。上手になるとは思うが…。


 今日の苛立ち:先週から取りかかっている依頼原稿書きが進まない。普通書き始めて3,4回頃に目星はつくが、今回はバージョン6まで作っているが、まだ見えてこない。そもそも自分の実践の範疇にあまりないことだ。それでも周囲のいろいろな事象から掘り起こしているが、掘り起こしっぱなしで、騒乱状態だ。


 今日のやっぱり:道徳の副読本、各社のものがテーブルに並べられていた。ある程度の予想はつくが、やはりN社版が自分には一番面白い。前版よりは抑えている印象がする。しかし視点が他社とは違っている。ちなみに6年生の冒頭は「日付とコトバ」。こんなふうに始まる。「日付をつけると、コトバは強くなる

会議は続くよどこまでも♪

2015年04月21日 | 雑記帳
 4月も四週目に入った。先週までは会議ラッシュだったが今週からは…と一瞬思ったが、今日も校外での会議が二つも入っている。まだため息モードのスタートかと思いつつ、いつもように校門での街頭指導へ。グラウンドの桜がちらほらと咲き始めている。その通りを歩いてくる子どもたちの姿が絵になっている。


 今日の仕事は…明後日の職員会議案件、PTAの様子を中心にした学校報、そして児童写真一覧作成も取りかからねばと思う。教委からの連絡、指示事項を入れて案件作成し、勤務評価の計画作成もと思っているところへ、全国学力テストの問題用紙が届く。他職員は忙しそうだったので中身チェックは自分一人で行う。


 文書作成を終わり、児童写真の名前入れに取りかかる。担当が撮ってくれた複数枚の写真から一人一枚選ぶ作業、そして番号と氏名をファイルに打ち込む作業…なんといっても例のキラキラネームの文字変換に難儀する。ようやく一学年分を終了すると、もう昼近くになっている。業務の一つである検食時間である。


 チーズ入り肉団子が美味だった給食を終え、校内を一巡。その間に4時間目が終わり、もう昼の放送が始まろうとしていた。今日から「新入生インタビュー」するということなので、急いでカメラをもって放送室へ。委員の子が一年生に質問しているところを撮る。それを今日のネタにして、学校ブログをアップした。


 学校報作成が、あまり進まないうちに会議の時刻となる。町の教育振興協議会の役員会、代表者会、各委員会と連続でこなす。事業等は例年通りだが、来年度の学校統合に伴う見直しが少しやっかいだ。5時前終了。次の会議まで1時間ちょっと。自宅にもどり、月末に講師としていらっしゃる横山験也先生にメール。


 6時過ぎ統合関係の会議。一番難しい問題を扱う。なんとか合意し次のステップへ進む。しかしこの後の詰めが肝心だ。自分に課せられた仕事である。8時少し前に帰宅。明日もあるなと思いながら遅い夕食をとっていたら、野口芳宏先生より夏の大会の件で電話をいただく。いつも変わらぬそのお声に少し元気が出た。