すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

教員の資質としての「自己矛盾」

2006年01月29日 | 読書
教員は、人間らしくとか、人間性の回復などといいながら、人間性の回復が真に望まれるようになった背景へと、子どもたちを引き連れていくような自己矛盾に気付いているのだろうか。
若月秀夫『学校マネジメント 2006.02』(明治図書)


自分の言葉と自分の行動を照らし合わせられることが
教員の資質として大きな部分を占めるのではないだろうか
自己矛盾を抱えながらも、それでもなおかつ
教師としての言葉や行動を選んでいく…
それを生き方として示すことができれば、と思う。

自由にならないものがあることを教える

2006年01月25日 | 読書
自分の生は、自分一人のものではない。子供を産む、産まないもそうだし、自殺するしないもそうだ。これは、子供たちに是非とも教えなければならないことである。個人の選択の自由ばかり教え、自由にならないものがあることを、きちんと教えてこなかった結果が、少子化や子供の自殺につなかっているのではないだろうか。
本川達雄『日本教育 2006.1』(日本教育会)


「自由」を目指した社会は
明るく映っていたが
ずいぶんとその光を弱めてしまった。
人間が「生物」であり、
生物としての生き方の本質から離れてしまった人間は
今、この生物学者の教えに耳を傾けなければならない。

「考える方法」を形で示せ

2006年01月21日 | 読書
ちゃんと考えろと言われても、考える方法を知らなければ、何も考え出すことはできない。しかし、残念ながら、学校でも社会でも、考える方法というものは提示されなかったように思う。
宮川俊彦『北風は太陽に負けない!』(角川書店)


「よく考えてから…」「じっくりと考えよう」
頻繁に使われる言葉である。
考える方法は…というと
「図にかいてみよう」「もし~~だったら」等々
手持ちはかなり限られているように思う。
また図をかくこと自体は思考法とは言えまい。
もっとまとまった形で「考える方法」を取り上げてもよくないか。

教えないのが師匠の務め

2006年01月20日 | 読書
将棋界の慣習として師匠は教えないということになっていますから。だからコーチじゃないんです。教えないのが師匠の務めだということです。基本的に自分の力で強くなりなさいと。将棋は誰かに教わって強くなるというのじゃないんですよね。
羽生善治『簡単に、単純に考える』(PHP文庫)


特殊な世界に学ぶことは大きい。
人は、教えられることが習慣化されると
自分で考えられなくなる、という。
自分で考えていくことを教えるためには
いかに教えないかがポイントとなってくる。

『野村ノート』の本質

2006年01月11日 | 読書
実践においては意識付けを中心に、「備えあれば憂いなし」「準備の充実なくしていい結果は得られない」という準備重視(プロセス重視)が私の野球である。
野村克也『野村ノート』(小学館)


実践の質は、すべて準備にある。
ある意味では結果を見ずに、過程を見ることである。
顕在意識をいかに持たせて取り組ませるかが
指導者としての役目であることを強く感じた。
野球という仕事を全うしようとしている人だと思った。

国語教育への違和感の原因

2006年01月09日 | 読書
現在の国語教育(本書で扱ってきたような文章理解ですが)に違和感を持っている学生は決して少なくはありません。ということは、その時期を通り過ぎた大人の多くも、かつては少なからぬ違和感を持っていただろうと推察されます。文章を読むのは好きだけれど、国語の授業はちょっと、と感じている人は少なくないのです。その原因は簡単です。文章の解釈は自由であっていい、と先生に言われながら、実際の授業や試験では、ただ一つのものが正答とされたことに対する違和感です。
西林克彦『わかったつもり~読解力がつかない本当の原因』(光文社新書)


著者の主張のキーワードは「整合性」である。
整合性という観点で考えると
「最も適切なものを選べ」というような設問は避けるべきだと…。
読みの過程で、整合性のないものを指摘し
その後そこから絞り込んでいくという活動を私もずいぶんしてきた。
問題は、絞り込んでいく具体的な学習がどう行われるかではないか。
より適切なものを選ぶことが、読解力の一部であることは間違いない。

診断ではなく、課題をみる

2006年01月04日 | 読書
私たちは目が悪いとメガネをかけます。メガネをかけなければ生活に支障をきたしてしまうからです。子どものニーズに応じた教育的支援とは、目の悪い人にとってのメガネみたいなもの。大事なことは、その子の診断名ではなく、その子がどういう課題を抱えているかを知り、その課題に対してどういった教育的支援ができるか考えることです。
品川裕香「児童心理 2006.1」(金子書房)


診断名が、その子の重要な形容詞となってはいけない。
誰かにその子を伝えるために診断名を使うことはあるだろうが
子どもと自分との関係で大切なことは
子どもの抱える課題であり、つけたい力である。
教育行為の本質を見失ってはいけない。