すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

不良、反骨、いやいやズボラ

2022年11月28日 | 読書
 「晩秋」は暦通りに今週中盤で終わりを告げ、本当の「初冬」となるようだ。こんな読み方でいいのかという乱読法にすがって、三冊読む。


『不良のための読書術』(永江朗 ちくま文庫)

 ちょうど2000年発刊で、90年代までのことが主となっている。デジタルの勢いは留まることなく出版界を変貌させているように見えるが、それでも新刊書が「洪水状態」で出し続けられていることも事実だ。
 第一章「いったい誰が本を読んでいるのか」では読書に関する分析めいた内容が載っている。結論は「カミは物体だからエラい」にあるだろう。今もって「本」の存在感は残っている。
 そして過剰な供給状況に対応して、著者は第二章で「ゴダール式読書法のススメ」を提示する。その方式の基本とは「適当にページを開き、20ページから30ページ読む。それだけである」ということ。一つの本に対して真面目なつき合う必要がない、という「不良」の精神なのである。



『世間のカラクリ』(池田清彦  新潮文庫)

 ゴダール式の基本をそのまま実践できるほど「不良」ではないので、最初から順に読んでいったのだが、繰り返しが多かったり、興味の持てない分野であったりしたので、結局拾い読みをするような形になった。
 TVバラエティでの語り口が頭の中に浮かんでくるように、今我々が知らず知らずのうちに陥っている諸々の問題(政治経済、環境、健康・寿命など)を、独特の観点で斬っていく。
 こうした小気味よさを、解説の内田樹氏は「態度が大きい」と表現している。もっともこの「態度が大きい」は、「威張っている」とは異なっていて「強きを挫き弱きを助けるという今どき珍しいメンタリティ」と語っていることに注目する。自分の論を明確に持てる目的がはっきりしているからだろう。「反骨」の意味を深く知る。


『幸せになる百通りの方法』(萩原浩  文春文庫)

 読み始める前ふと思ったが、この書名は以前に読んでいたような…。やはりそうだった。6年前にこんなメモを残していた。今、その拙文を読んでなるほどねと感じたりするから、ずいぶんズボラな読書だ。不良とはニュアンスが違うな。
 しかし、なんとなく展開が予測可能に感じたのは、再読であるのはもちろんだろうが、こうした類いの物語に慣れたから、もしくは一種の予定調和に陥っている選書ということかもしれない。
 活字を見ているという安心感は、ぬるま湯につかっている気分に似ている。それも「ああ極楽、極楽」ということか。



ヤバい病三昧

2022年11月23日 | 雑記帳
 先月末かかりつけへ定期通院した翌日に、町立病院の整形を受診した。5月に痛めた右足の膝部分がどうにも気になる。もちろんその時の痛みとは違うが、時折ズキンとすることがあり、何が原因なのか知りたかった。初診となるのでやはりレントゲンから…骨には異常がないのでさらにMRI検査をすることになった。


 じん帯か何かと予想したが、結局齢相応に軟骨が減っているだけで特に異常なしというお達し。これは喜ぶべきことなのか。結局「老化」現象の一端が痛みになるとすれば打つ手なし…「だましだまし」で暮らしていくと決意したはずの自分を励ますしかないか。そんな日々のうち、首に出来た吹き出物が腫れてきた。


 手元の軟膏などを塗り付けてはみたけれど、捗々しくないので皮膚科を受診することに。写真を撮られ、エコー検査をし、「切開」が妥当と判断された。その場すぐではなく、一週間ほど投薬して内部(粉瘤?)を育てる(笑)らしい。そんなに痛みがあるわけではないが、腫れ具合を気にしつつ、漢方薬を飲み続けることに。


 一週間後、ベッドにうつぶせになり若干周囲の髪も切られながら、麻酔を打たれての手術。少し痛かったが数分で終わり、安心した。一日一回、石鹸で患部をきれいにし薬を塗って保護すれば大丈夫らしい。来週初め状態を見せに通院予定だ。しかしこれで今月は何度病院に行くのかと数えたら、あの夜のことが…。


 中旬の週末に久しぶりに娘や孫たちと食卓を囲む。こども園男児二人の騒々しさはかなりだが、まあ楽しく終えて皆が帰った後、明日の体調管理の為にあるサプリを飲んだ。その時何の拍子か乾燥剤が口に入り、喉の奥に引っかかった。鏡では見えないのでもしかしたら食道まで…。何度吐き出そうと試みても無駄だ。



 PC検索。「飲み込んでも成分は人体に影響はない」が「食道や胃壁を傷つける可能性がありすぐ病院へ」とあるではないか。とたんに酔いもさめてきた。すぐにと言っても午後10時近い。救急!!そんな恥ずかしい…と頭を抱えていたら、咳込みが酷くなりトイレへ直行。数秒後、便器水面にプカリとブツは浮かんだ

食欲の秋も暮れてゆき…

2022年11月20日 | 雑記帳
 今朝もいい小春日和で、たまには「羽後の食べ人」バージョンでも書き連ねますか…

 このひと月ぐらいで撮っている「食」はというと、まずはひと月前に隣市の食堂で食べた「あんかけ焼きそば」。



 これはボリュームいっぱいで、久しぶりに一皿で満腹となった。
 町中華とは、最近よく言われるが、この店は自信を持って推せるな。


 次は、この一葉だけで、わかる人はわかる「日本一」のそば、うどんである。



 すぐに「自販機かあ」と気づくだろう。
 秋田港そばにある、例の「ドキュメント72時間」で歴代ナンバーワンに輝いたあの作品である。
 一回は食べてみるべきだろう。人もいっぱいだった。お札や500円玉が使えないので要注意。


 そして、以前書いた小旅行でのお刺身盛り合わせも載せておこう。



 こうしたお皿を刺身に使うのもなかなかいい。味もよろしく、ぴったり日本酒にあった。


 先週初めて入った店は中華料理。コースは四川なので、辛さへっちゃらの夫婦には合う。なかでも…



 白子入りの麻婆豆腐は旨かった。これは家でもぜひ試してほしいと懇願した。
 ちなみに合わせてみた酒は、紹興酒。



 三種類のお試しセットがあるというので、初心者はすぐ試す。
 黄色く透明な右の酒が、妙に飲みやすかった。
 
 お腹具合は健康で(笑)、秋を乗りきれそうだ。

人気者を読んでみる

2022年11月19日 | 読書
 だんだんと新しいモノゴトやヒトへの関心が薄れていくのは、脳の退化か。ここは意図的に直木賞作家やインフルエンサー?を読んでみようか。晩秋の夜から朝。


『夜に星を放つ』 (窪 美澄 文藝春秋)

 短編集だからということもあるのか、いやそれだけではない。実にすらすら読める。流れるような文体という言い方があるが、きっとリズムがいいのだと思う。(才能か秘訣か、興味あり)
 テーマそのものに強い個性があるとは感じなかった。しかし実際、直木賞の受賞作なので、読解力の弱い自分を露呈しただけかもしれないな。
 題名にあるように星や星座がモチーフや背景にある。描く風景は極めて私事、個別的な出来事といえる。ただ、それらと対照的に、あるいは饗応するように夜空に散らばる遠景を位置づけるような点が巧みでありますわな。



『人生が好転する100の言葉』 (ひろゆき 学研プラス)

 新着本棚に残っていたので、あまり期待もしないで手に取って借りてみた。
 モノマネ番組で知った「はいっ、論破」というフレーズに、論破をかつて授業で取り上げた者としては、やや茶化された印象を抱いていた。冒頭にそれは自分のセリフではないと記してあり、その他流布している語に関して正しく背景を説明している。
 2チャンネル、ニコニコ動画等を立ち上げた輝かしい業績があり、「頑張らずに楽しく生きる」という副題に添った、そのコツを示す本だった。「やりたいことをやりたいだけ」やるために、どんな工夫が必要か。
 年配者から見れば「ごまかし」と感じる考え方も少なくない。ただ一つ、これは共通思考だなと思ったのが「社会に出て一番役立つのは、頭のよさより、むしろ体力です」。これって、わたしの感想ですかね。

「今、ここ」で終わるために…

2022年11月17日 | 雑記帳
 暖めておいたわけではないが、ようやく読み聞かせの機会に恵まれた『3つのなぞ』。モニターに絵を映しながら、絵本から書き写した本文を読む形で小学校6年生を相手にした。それなりの回数は読み込んだのでトチリは少なかったが、広めのホールだったので声が届いたかどうか。内容は理解できたとは思うのだが…。



 それにしても…とつい考えたこと。読み聞かせの時に「感想」を子どもたちに求める活動についてである。現役教員の頃から私自身は必要なし派であった。読書するたびに感想文を求めている感じもするし、読んで(聞いて)すぐに反応を求めること自体いかがなものか、と思っている。パターン化に陥っていないか。


 語る立場とすれば、ちょっと余韻に浸ってほしいのが正直なところである。感想を語る活動を設定する多くの学校、教員に立場はおそらく、思いや考えを言語化し表現する活動の一環として捉えているに違いない。まあ低学年であれば、発表の機会を増やすねらいもあるだろう。しかしそれも「面白かった」で結構だ。


 理由付けを必須にする形で進むと、苦痛が伴わないかと年寄は心配になる。(もしかして)楽しみな読み聞かせの時間が、最後に荷が重く終わってしまう。さらに心配なのは、一種の「感想ごっこ」的状態に陥ることだ。これは読み聞かせに限らず、担当者は常に意識すべきこと。建前で終わるならある意味有害である。


 『3つのなぞ』のテーマにつながる「今、ここ」を大切にするとは、聴いた子に感想を求めることか。担任であれば自分の想いやエピソードを語る場合があってもよくないか、などと思いつきで勝手に考える。実は、明日もう一つの学校でも6年生相手に予定していたが感染拡大のため中止。「今、ここ」が一つ消えた。

脳は動くためにある

2022年11月12日 | 読書


 この本を閉じたら、今すぐ動け!!

 『運動脳』(アンデシュ・ハンセン  サンマーク出版)

 著者の提言はたった一つ。「運動をして脳の機能を高めよう」である。それについての科学的知見が網羅され、説得力の高い論述が続いている。「身体を動かすことが健康にいい」という常識中の常識を、脳に特化して語っているのか。いや、そうではない。人間の、動物の「脳」そのもの本質に直結させて、導き出す。


 象徴的、かつ刺激的フレーズは次の文章。

 「脳」の最も大事な仕事は「移動」

 そう考えると、「動物」と「植物」の根本的な違いにはっと気づかされる。そして問題なのは、我々人間の多くは動かなくともいい社会を作り上げてきたことだ。ベストセラーになった『スマホ脳』と同様、ここでも繰り返されている重要な認識は「生物学的には、私たちの脳と身体は今もサバンナにいる」という点だ。


 つまり「脳は変わっていなくとも、脳をとりまく環境が劇的に変わった」。本来、狩猟採集民である脳は、実はあまり変わっていない。その根拠として、我々がおやつ等を残らず食べたくなる例を出しての説明が、興味深い。それは「たっぷり蓄えておくために、脳が『すぐに食べてしまえ』と命令する」からだそうだ。


 そうやって人間は生き伸びてきた。しかしその生存本能の衝動と現実の生活様式は噛み合わないし、備えるべき食糧難とも距離がある。さらに狩りをするため、また生命を守るための「逃走と闘争」のための運動の機会は、皆無といってよい。そんな生活様式の中で「脳」、つまり心と身体が不健康になるのは当然だ。


 高齢者としては「健康維持」の観点で読んだ。それはそれとして、やはり教育のことが思い浮かぶ。学校の現在の詳しい状況はわからないが、以前のように一斉トレーニング的な時間の目減りは確かだろう。あくまで一面だがその事実は、この本に照らし合わせれば明らかに脳の機能を高める機会の減少と言い切れる。

晩秋の乱読期に突入

2022年11月10日 | 読書
 読書の秋もスパートで、時々やってくる「乱読期」に入った。


『続・孤独のすすめ』(五木寛之 中公新書ラクレ)

 先日の続編。国の政策として「孤独・孤立対策」が推進される世の中なので、この著書を読むと、何か変だという気になる。
 著者が強調するのは「時機相応の思想」つまり考え方が時代の状況、流れの中で変わってくるのが当然という思考だ。孤独・孤立は悪いと決めつける志向が社会にあるとすれば、それが問題であると気づく。
 もちろん周りの支えは否定しないが、もっと大事なのは誰しも持っている「孤独」をきちんと見つめることだ。


『日本人には二種類いる』(岩村暢子  新潮新書)

 著者には「食卓」に焦点をあてた著書があり、注目して読んだ記憶があった。
 この新書は副題に「1960年の断層」とあり、その年を境に日本人は「60年型」と「旧型」の二種類に区分されるとし、その根拠を歴史的な出来事と照応して、証明(?)する。複数の世代的区分より断定的な主張に、フムフムと思わされる。
 考えさせられたのは、あとがきの「『自由』という言葉をどう捉えるか」という違いだ。「断層」は何でもできる自由と何もやらない自由だ…当然、生き方に関わる。




『警官の目』(今野敏、他  双葉文庫)

 今野敏、五十嵐貴久、三羽省吾、譽田哲也という四人の作家によるアンソロジー。警察が舞台であっても、様々なアプローチの仕方があるものだと改めて感心する。
 ただ、どうしても警察組織の階級制、そして上意下達の壁が「物語」を作るのだなと思わざるを得ない。本筋にそれがなくとも味付けには欠かせない要素であり、強固な常識への考え・思いのぶつけ方の表現こそが、面白みを作り出すのだなと、ジャンルの共通項を見出した。

細く暗いぞ、立冬!

2022年11月07日 | 雑記帳
 ガラケーからスマホへの買い替えを家人に勧め、購入したものの詳しくないから悩まされた。機種変更だけでこんなに苦労するのに…。自分では普段あまり手を出さないアプリインストールを、久しぶりに行う。PPT製作のための効果音が欲しかったからだ。用途に合う玩具はないか百均に行ってみたが空振りだった。


 そこで検索すると、いやいやいろいろとあるものだ。広告は入るが無料だし取り合えず簡単に完了。しかし、これをスマホからPCに移す段取りがなかなか複雑で、結局は効果音の別サイトを探してそこからPCへダウンロードすることに。最初からこうすれば良かったという結論に、やはり知識・活用力不足を痛感。


 その自覚がありずっと手をつけていなかったWindows11の導入。詳しい方のサイトでは「早い方がよい」と奨めていたので、11月だし(笑)比較的時間のある今と決断した。モバイルPCの方は既に終わっていて、さほど心配はない。案の定それなりの時間はかかり、レイアウトも少し変更されたが杞憂に終わった。


 百均に行ったとき、つい玩具替わりに手を出したの「電子メモ」。500円だし、まあいいかとカゴに入れる。家で取り出して試すが、結局何に使うのと目的なしに今さら気づく。家族二人でメモのやり取りをするわけでもないだろうし、職場での仕事メモなら付箋で十分だ。孫のお絵描きには、不向きにしか思えない。



 我ながら見通しのなさに呆れ、つい書いてみた「立冬」の二文字。天気予報にまだ雪マークはつかず、この北国も実際は晩秋だ。しかし、朝の冷気は気持ちをきりっと引き締めてくれるここ数日だ。思えば人生の時期としても、もはや「立冬」あたりか。厳しい季節をどう凌いでいくか。電子メモの線では細すぎる。

神々が戻る頃の日常

2022年11月05日 | 雑記帳
10月29日(土)
 慌ただしかった神無月を県内小旅行で締め括ろうと計画を立てた。10年ぶりくらいの男鹿半島行きだ。注目していた道の駅はさすがに魚の品揃えがよい。日帰りなら即買いだ。宿に着き「全国旅行割」の手続き不備を言われたが、配慮してくれた。それにしてもこのクラスのホテルで、週末の客は二組5人だけである。



10月30日(日)
 経営が変わり名称も違うが、実はこの宿は30年ほど前に泊まった経験がある。絶好のロケーション、なかなかのメニューなのに、やはりコロナ禍は大きいか。大潟村や三種町を周り、サキホコレも買い求めて(笑)次の温泉宿に…。一人旅の高齢者がレストランでタブレットを鳴らしながら食事している。まさしく老害か。



10月31日(月)
 旅行割もそうだが各市町村の地域振興クーポンもずいぶんと役立つ。買い物はほとんどそれで賄える感じだ。高速を使って横手で下り、酒の量販店で発泡酒を買う。物価高なので辛抱暮らしが始まるか(笑)。お土産にと八郎潟町の和菓子屋の名物を買った。類似品はいくつかあるがここの餅は絶品。孫にも好評だった。


11月1日(火)
 午前中はこども園へ読み聞かせ。年少から年長まで勢ぞろいなので、少し雰囲気が違うが4冊ともみんな喜んでくれた。帰りに焼き芋を頂く。退勤後に業者に来てもらい、雪囲いの見積もりを頼む。図書館の講座開催のため、隣県の知人にメールを送り、快諾を得た。野口芳宏先生の講座案内をもらい、申し込んだ。


11月2日(水)
 今日も午前はこども園へ。広場では年少組が発表会の練習、隣では年中組の保育参観、そんななかで年長組へ読み聞かせる。小さい絵本をTVで映しているが「映画みたい」と満足する声が嬉しい。午後から今月の読み聞かせ(小学校6年生が2校と全こども園)に向けて選書。おっと思うものが2冊あり、読み込む。


11月3日(木)
 朝からJアラートで騒がしい文化の日。家人がようやくガラケーからスマホへ。これ以上遅くなると慣れるのも至難という私の判断。作業に午前中いっぱいかかってしまう。勤務予定はない日だが3時半頃から図書館へ。ブックフェスタに向けての打ち合わせ、来年度予算の方向など小一時間話す。5時になると真っ暗だ。


11月4日(金)
 ずいぶんと肌寒い感じがする。図書館も「紅葉狩り」と銘打った新コーナーができる。今日はデスクワークに専念し、1月の講座構想を書き出す。さらに絵本PPT作成。帰宅後、亡くなった友人の七回忌が近いので、某所で親しい二人と一献傾けた。数年ぶりの話題はやはり「老いと病」。嬉しくも淋しいのが現実だ。

オオカミは様々な場に…

2022年11月03日 | 絵本
 オオカミの登場する絵本はずいぶんと読んでいる。いわゆる西洋ものに割合として多くあるのだろう。ハロウィンという意識も多少持ちながら、月末と11月一週目で4つの子ども園をまわり4冊ずつ読んだ。オオカミの出てくる本がそのうち3冊。バラエティに富んでいるなあと改めて思う。

 紹介は図書館ブログの方で⇒https://ugotosyokan.hatenablog.com/entry/2022/11/03/083720



 最初は「おおかみだあ」。これは、「しかけ絵本」で本を傾けたり、ひっくり返したりして、楽しませる類だ。小さい版だがデータ取り込みしてモニターに映せるものではない。だから結構練習した。本をまるごと使って読み聞かせるのはタイミングが肝心だし、間のとり方なども工夫がいる。緩急を声と手と目で行う。


 次はなんとグリム童話「おおかみと七ひきのこやぎ」。名作であるが、今読むと結構残酷な気もしてくる。食べられたこやぎを救うだけでなく、石までお腹に入れてオオカミに復讐する母親、いやこれは天罰と受けとめるのか。素朴に受け止められるのはどの程度の年齢なのか…と語る側は思わず考えてしまうのだが…。


 それでも、こども園初の紙芝居ということもあってか、子どもたちはほとんど真剣に見入ってくれていた。こういう童話の持つ、明快な筋の力があるのかもしれない。とかく新作に飛びつきがちな自分を振り返り、もっと昔の作品を読み込んでみたらどうか…そこから今の作家たちのアプローチの気づきもあるだろう。


 最後は、宮西達也の2019年の作品。「やきいもとおにぎり」。これはオオカミが主人公ではないが、やはり(少し)悪者として存在する。発端とオチの一つ手前を担う。中心は他の動物たちのドタバタ劇である。声の変化に迷いつつ語ったが、これはキャラクターではなく、勘違いという筋の面白さで十分楽しめる。