すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

イライザ、きいてくれ

2023年06月28日 | 雑記帳
 沖縄ではまたぞろコロナ感染者が増えだしたらしい。この辺りだって依然として患者はいるに違いない。もはやこの流れでは、コロナかなと思っても熱さえ上がらなければ…夏風邪だろっ…と安易な方へ向かうのは当然だし、明言はしないにしろ政治もそう動いているのではないか。9波の高さは正確に測れるのか。



 コロナ禍が始まって、正直ありがたかったのは様々な補助制度なわけで、三年前あたりの記憶が薄れているけれど、ずっと通して有効活用させてもらった。旅行支援は、使うことによって影響を受けた方々へいくらか貢献できる制度なわけだから躊躇なく頼ってきた。ただし、使い勝手がどうだったかはまた別の話だ。


 特に地域限定クーポンの扱い。電子マネーに不慣れな高齢者には本当にイライラものだ。初期は紙媒体が主流で非常に使いやすかった。ただ延長する度にスマホへの取り込みが普通の形になっていった。泊まったホテルでは、クーポンを開かなければ紙と同じように使えると説明されていても、実態は違っていた。


 今年に入ってから確か四度、隣県と本県でそうしたイライラ(紙で使える店を探す⇒結局ない⇒スマホに取り込む作業⇒店側も明確にわからない等々)状態を経験した。デジタル化を進めたい意図は、つまるところ時間短縮、コスト軽減につなげたいのだろうが、現実をみれば過大なる時間浪費、精神圧迫が明らかだ。


 もちろんそれは高齢者の個別的問題と処理される。しかし、マイナやsuicaトラブルをみてもシステム障害等の脆弱さには不安は覚えるし、どうにも全体が順調でない気がする。ここは、会話した人を天国に導ける(笑)ChatAIのイライザに訊くしかないのか。いやいや、単に愚痴を聴いてほしいのか。helloイライザ!

令和五年夏至の週日記

2023年06月24日 | 雑記帳
6月19日(月)
 何年ぶりになるだろうか。天気もよいので美郷町のラベンダー園へ。昨日は天気が今一つだったが今日はいい日和である。敷地の広大さが気持ちよく、いい写真が撮れた。帰りに横手のラーメン店Rへ寄って大好きな海老ラーメンを食す。絶品である。帰宅してからはうつらうつらと昼寝。『よき時を思う』を読了する。




6月20日(火)
 図書館ブログで連載を始めた「羽後の伝説」をアップする。今週末と来週の読み聞かせの準備に入る。また選書に少し迷う。4時過ぎに退勤して行きつけの理髪店へ。様々な情報を聞く。帰宅し、風呂場で再読していた新書を手元が滑って浴槽に落とす。読める状態だが…改めてネット注文する。大切な一冊なのだ。


6月21日(水)
 夏至。「夏至の夜に読もう」と題して図書紹介したら、思いの外アクセス数が伸びて嬉しい。図書館だより来月号の作成に取り掛かる。抽出だろうが、町からの自殺予防アンケートが届き記入する。「幸せ度」を1~10段階で答える設問があり、瞬時に🔲とつけた。実感である。では、残った🔳は何か、しばし考える。


6月22日(木)
 図書館だより三種類の原稿を完成させる。来訪者がありしばし歓談。どうしても昔を懐かしむ内容になってしまう。やむを得ないか。ブログネタを調べていて今日が山本周五郎の生誕日と知り、それをもとに蔵書紹介をする。今日は午前で勤務終了。午後からは自宅で少しゆっくりしてから、明日の下読みを少しした。


6月23日(金)
 午前中に明日の月例イベント紹介をアップ。さらに、来月予定している「大人のための読み聞かせ会」のチラシを作成した。午後から三輪小学校中学年の読み聞かせ。感想は重視していないが今日はバラエティに富んでいて良かった。3時半より町保育会の評議員会に出席。二度発言する。夕刻から三年ぶりの懇親会。


6月24日(土)
 「絵本とあそぼ」の月例会。今の時期にふさわしい「てるてる坊主」のミニ工作が可愛い。去年の今頃は身体的苦痛に喘いでいたことを思い出す。昼に帰宅し、冷やし中華。午後からは録画していたドラマ「ペルソナの微笑み」を観る。この山梨県警モノはなかなか魅せる。プリンターで来週配るイベントチラシを印刷。

参参参(二十五)よき時とは…

2023年06月20日 | 読書
 背筋の伸びるフレーズは貴重だ。のんびり本を愉しみつつ、きちんと正対したい。


『嘘みたいな本当の話』(内田樹・高橋源一郎選  文春新書)

 再読。一般人へ向けて募集した「ショートストーリー」の入選集。テーマは書名の通りでそもそもは米国版があり、それに倣ったものだ。今回も飽きずに読了できた。応募された中味が米国と日本で大きく違うことを分析している柴田元幸×内田樹の対談が興味深かった。日本人の持つ「定型」の意識の深さはどこからくるものなのか。文章表現だけではなく日常生活の端々に、私たちは周囲との同調を求めているのかもしれない。もう一つ、内田の記したあとがきに「自分の身体を内側からモニターしてくれるような言葉」という表現があり、今抱えている課題にずばりと刺さってきて、ずうっと考えている。





『よき時を思う』(宮本 輝  集英社)

 「まだ間に合うだろうか」とぼんやり思う。ここに登場する人物の背筋がぴしっと締まった生き方に近づきたいと…。九十歳の記念に自ら晩餐会を主催する祖母の言葉は、例えばこうだ。「見ていると幸福な気持ちになる。それはやがて『もの』ではなく幸福そのものになる。わたしはそういうものを探して集めてきた」…描かれている環境にどれほど違いがあっても、その矜持には憧れを感じる。象徴的な表現としての「大きな箱」をイメージとして持ち続けよう。その中味を端的に言えば「よき時」そして、「それはかつての栄光ではなく、光あふれる未来のこと」。



『大人のいない国』(鷲田清一・内田樹   文春新書)

 何度も繰り返し読もうと決めた一冊。同じ言葉を挙げているなら、それはまだ身についていない証拠。そのつもりで引用し続け、飽きるほど自分に言い聞かせてみたい。今回はふたつ。まずは「国誉め」のこと。暗そうな未来のことを暗そうに語っても何も生まれない。実際は僅かであってもその光が増すような立場で発言し、盛り上げることが価値につながる。そしてもう一方では、定型化された社会に、時代の趨勢に、ノイズを発し続けたい。それが未熟に思われたとしても、全体の成熟を担保するには必要不可欠であり、もはやそこに焦点化するしかない。暴走老人とまでは呼ばれたくないけれど。




キニナルキ、あや懐かし

2023年06月19日 | 雑記帳
 以前、カテゴリーにも挙げていた「キニナルキ」のように並べてみた。


 林望氏のエッセイ「一騎討ちの伝統」を読んで頷いた。

 やはり「白兵戦」よりも「一騎討ち」という美学を日本人は好むのではなかろうか

 まだ記憶に根強く残るWBCでの侍ジャパンの活躍。最高の瞬間として投手大谷翔平と打者マイク・トラウトの対決から、そんな結びを導き出している。相撲や剣道を持ち出すまでなく、そういう伝統は他国より強いイメージがある。個性を抑えつけられてきた歴史があるとすれば、その裏返しでもあるのだろうか、そんな考えが浮かんだ。


 脚本家中園ミホのインタビュー記事にあった一節だ。

 半径5メートル以内で聞こえる声に社会の真実があると思う。

 「物事を俯瞰で見ること」に努めてきたつもりだが、能力的な限界を感じている今の自分には、救いのような声だ。ただし、要は半径5メートルにどれだけの人がいるか、自らどこまで動けるかが条件になる。コミュニケーションの場は多様、拡大しているが、直接身体で聴きとり、感じ、考える姿勢をどれだけ保てるか。





 姜尚中の連載エッセイにあった、一つの表現が目に留まった。

 大学は「干物」を扱う世界なのだ。それに対して、テレビは「生もの」を扱うメディアである。

 ここでの「干物」とは「じっくりと長い時間をかけて人間や社会の移り変わりを探求する」ことを意味している。この比喩の汎用性は結構広いのではないか。「生もの」ばかりに翻弄されている世の中、それではどうしても落ち着かない。確かに新鮮で躍動感はあるのだが、じっくりとした味わい、噛みしめ甲斐のあるものと言えば…。



参参参(二十四)俯瞰する余裕なし

2023年06月12日 | 読書
 読書に堪え性がなくなった(笑)と感じつつあるが、やはりいい本を読めばきちんと読むし、面白ければ続けて読みたくなると実感した時期。


 『未来の年表 業界大変化』(河合雅司  講談社現代新書)

 「瀬戸際の日本で起きること」という副題を読むまでもなく、どうしても悲観的にならざるを得ない。「人口減少日本のリアル」で取り上げられた28種の業種・職種で「起きること」は、地方の人口減少が進む我が県、我が町ではすでに「起きたこと」になっている事象も多い。そして深刻さは増すことは確かだろう。この本の構えは「『戦略的に縮む』という成長モデル」で、そのための経済成長をどう構築化するか提言がある。読みとれるほどの知識・判断力はないし、正直自分にとって肝心なことは、どんなふうに巻き込まれていくか、己の矜持をどう保つかに尽きるだろう。俯瞰しつつ、と考えてきた余裕はなくなっているのかもしれない。






 『本屋で待つ』(佐藤友則・島田潤一郎  夏葉社)

 いいドキュメンタリー番組を見たような印象が残った。今の書店業界の現状は誰しも知る通りだし、まして地方の山間部の町にある「本屋」がここまでやるとは…。そのキーワードは「待つ」に違いない。こう書いてみて、自分が教員として「授業」にいささかのこだわりを持っていた時のことを想起する。「待つ」行為の裏にある膨大な営みには、確実に共通項がある。それはきっと倒れ込むほど努力する期間が必要だし、現在進行形で姿勢を保っていなければ、簡単に口にできるものではないだろうこと…。「本」が「人」に渡ることの意味を作り出そうとしていることが、「ウィー東城店」で形を成している全てと結びつく。



『白鳥とコウモリ』(東野圭吾  幻冬舎)

 ある県の図書館を取り上げた番組があり、蔵書になったこの本の貸出予約が百三十数件あったというテロップに少し驚いた。確か我が館でも2年前の貸出回数は1位ではなかったか。500ページを超える長編ミステリ、小説誌で7回連載された作品を加筆してまとめたとあるから、通して読むと若干のくどさも正直感じた。途中である程度見えた結末だったが、人物造形の巧みさはさすがに最後まで読ませてくれる。映像化されて描くとすればこんなイメージかと浮かんできてしまうのは、パターン化された一種のマンネリではないかと大流行作家に注文をつけてしまいそうになった。

「時は金なり」ありやなしや

2023年06月10日 | 雑記帳
 午前5時40分。今朝も寝覚めはあまり良くないが、館から借りてきた一冊『本屋で待つ』を読み出すとことのほか面白く、30分ほどで半分は読んだ。ベッドで日課の眩暈予防運動をして、朝風呂に入る。風呂ではいつもの文庫を開く。新聞とTVニュースを見つつ、パン、コーヒー、バナナの朝食。天気はいい。


 午前8時15分。勤務日ではないが、「時の記念日」であり図書館ブログをアップする。改めて「Time is money」という語を調べ、慣用句としての用例に載っている「時は金也といふ言葉なども俗悪極まる思想」という福田徳三なる人物を知る。私達はそもそも「機会損失」という経済上の意味に毒されているのだ。


 午前10時10分。絶好の日和とは言えないが毎夏の撮影ポイントと定めている七高山へ車で向かう。来週にはきっと草だらけでもう向かえなくなるだろう。植物には疎いが、この時期ならの緑にそれぞれの存在が映える。道端でワラビを少し採ってから昼前に帰宅する。孫が待っていて車に乱入。少し暴れる(笑)。





 午後0時20分。とろろそばの昼食。食後の抹茶アイス、イチジク甘露煮入り。至福の時を過ごしゴロンとなれば、後は半分寝ている状態で刑事ドラマの録画を観る。『相棒』『安積班』と毎度のパターン。その後、明日の館内イベントで読み聞かせをするので下読み。久しぶりに使う機器の充電やらチェックやら。


 午後4時30分。とある原稿を書きながら、Mr.childrenの古い曲「1999年、夏、沖縄」を思い出す。この詞にある「世界一の酒」という表現…ずいぶん遠くなったかな。続けて名曲「花」を聴く。♪負けないように、枯れないように…♪の響きがいいね、桜井君と言いたくなる。写真整理、ずいぶんと日が長くなった。


 午後9時10分。日課のアナログ日記を記入。数行なので10年以上続けているが、正直忘れる日も多かった。しかし最近ある習慣を徹底したら順調である。さて「時の記念日」記念で時間を追って記してみた。実際の百分の一にも満たない内容ながら、時の上に乗せて表せば金とは言えないまでも鈍く光るものだ。

カブカカスイカカカエルカカ

2023年06月07日 | 雑記帳
 日経平均株価がバブル期以来の…などと書き出すと、いくらか知識でも持っていそうに見えるが、皆無である。TVニュースで毎日見聞きしてこれほど疎い分野も珍しい。身近な企業にも影響がある…程度のことは理解できる。しかし、結局自分までたどり着くのに結構な時間が掛かってしまうことから興味が湧かない。


 週刊誌で「池上彰のそこからですか」という連載を読み、多少わかったような気になっても、所詮「ような」で済む。おそらく我が生涯終了まで縁遠いのだろう。話は飛ぶがsuicaという代物とも縁が薄い。一応JR絡みのカードは持っていたので、都会に行った折にチャージして使った記憶はあるが、何年前の話だ!!





 人口に絡む全国ワーストデータが突出している我が秋田県でも、suicaが使えるようになったと報道にあった。しかし実に限られた地域限定である。最寄りのJR駅(しかも車で15分はかかる)まで、そのシステムがくるのに何年かかることか。今の齢を考えれば、かのJR絡みカードも処分する時期だし益々遠くなる。


 身近な食物「かぶ」と「すいか」なら好物である。しかし、語の響きは同じでも「カブカ」「スイカ」となるとかけ離れてしまう…などと、田んぼのカエルの鳴き声が聞こえ始めた夜にぼんやり思っていると、全然見慣れない語がネットニュースに載っていて、首を捻った。Z世代の流行語「蛙化現象」カエルカ…何!?


 「好きになった人を両思いになった途端に気持ち悪く思える」という若い女性に見られる現象を指すという。由来は童話「カエルの王様」らしいが複雑にねじ曲がって言語化された。膨大で多様な情報に抑圧される個人の心が、路上でひき潰されている蛙の姿に重なり、哀れを誘う。余計なコトバは振り払うに限る。

落語絵本、二席終え

2023年06月05日 | 絵本
 先月と今月は5年生、6年生の読み聞かせがあり、購入した落語や講談絵本の出番だと思った。紙芝居も含め今まで何度か試みたが、正直子どもたちの反応は今ひとつ。今回もその覚悟はできている。しかしこうした文化に触れることも大切だと考えるし、読み聞かせの大きな前提、自分が気に入っている点が大きい。


 さらに言えば「語り」の味が心地よい。去年いただいた感想集にたった一人だが、語りの速さが気持ちよかったと書いてくれた子がいて、嬉しかった。そう表現してくれなくとも、生の声で耳に届けられたらという思いもある。さて、今回選んだ落語絵本は次の二席。とても有名な噺であり、何度も高座で聴いている。


     

 道具屋が茶店で見つけた貴重な茶碗。猫の食べ物皿にされているのを見つけ、一芝居たくらむが…。道具屋と茶店の主人のやりとりはごく自然に運ぶが、最後のどんでん返し(オチ)が楽しい。解説を入れたのは「三両」の部分。やはりどの程度の価値か子どもにわかるようにしたい。のどかな時代の雰囲気も伝えたい。


     

 これも寄席などでよく語られる噺。お馴染みの熊五郎、八五郎のキャラクターの演じ分けは大事だろう。「そこつ」は現代では死語であるが、こうした滑稽さには江戸文化の持つ強さも同時に感じられる。「浅草」という舞台が地方の小学生にはわかりづらいとはいえ、雰囲気は絵からもある程度伝わるのではないか。


 さて二席演じてみて(笑)、自分の出来としては80点ぐらいはやれるのだが、やはりどうしても反応は薄い。表情をみると面白そうという目がわずかに感じられたことが救い。言い訳めくが、場の設定をもっと限定すれば雰囲気が生まれたかもしれない、と困難なことも浮かぶ。ともあれもう少し継続して語りたい。

そして、田水之月へ

2023年06月02日 | 雑記帳
5月27日(土)
 午前は図書館で「絵本とあそぼ」の月例会。人数が少なく残念だが、それでも喜んでくれる子がいることは貴重だ。午後からはのんびり。大相撲夏場所は結構じっくりと見られたなあ。結果、横綱の復活優勝となったのは気迫の差だろう。ただ千秋楽前に決まるのは明日の楽しみが減って残念。やはりドラマが欲しい。


5月28日(日)
 去年の今頃は痛みにあえいでいた。アナログ日記を見返すと初めてペインクリニックへ行ったとある。ブロック注射の初経験もした。公私ともに様々な出来事があった時期だ。しばし思い出す。こうして一年が過ぎていくのだ。第90回日本ダービー、大本命が勝てなかった。娘の家から釣果のキスをフライで頂く。


5月29日(月)
 午前、先週のある些事をネタにしつつブログを書き始める。午後から青少年育成の町民会議総会。「強い現実」と語を入れた挨拶をする。改善は日常の現実から…。その後、かかりつけへ定期通院。異状なしをいいことに??赤星の瓶ビールが飲みたくなって隣市の量販店へ。こんなことじゃ駄目か…。まあ、それも現実。


5月30日(火)
 夏へ向けて結構準備、決定することが多く、その相談や作業をする。絵本ライブは期日調整がうまくいった。イベントは決めかねていることもあり、少し悩む。来週は読み聞かせもびっしりでその支度も進める。読みたい本が結構ある。5月のまとめのブログアップをし、図書館だよりも仕上げる。





5月31日(水)
 自転車通勤。友人と出会い声をかけ合う。7月に大人向けの絵本会実施を決定する。今月最後は町のカルタネタでブログを書く。帰宅後、中学校部活を横目で見つつ、孫と散歩する。届いたボランティアグループ通信を見て、自分の文章が変だと気づく。元原稿を見たら替えられていると判明。校正する側が間違うのか(泣)


6月1日(木)
 勤務予定がないので大型ショッピングモール内の某専門店に行くことにした。念のため確かめたらなんと「閉業」と記されていた。結局出かけずにブログアップや読み聞かせ練習をしていたら、図書館から連絡があり、午前中いっぱいかかり事務事項を仕上げる。6月初日から慌ただしくなった。健康維持が肝心だ。