(20180130 暮れの月~車庫上より)
今日は1月末日。旧暦では12月15日となっている。「三冬(さんとう)」という旧暦の言葉では10月は孟冬、11月は仲冬、12月を季冬と言い、季が「末」を表すそうである。もはや冬も終わりに近いはずなのだが、ここ一週間は結構厳しかった。おかげで(笑)自然的筋トレ、除雪技能は高まる一方だったということか。
「三冬枯木秀 九夏雪花紅」(さんとうこぼくひいで きゅうかにせっかくれないなり)…「真冬の枯れ木に秀麗な花が咲き、真夏に赤い雪の花が舞う」と訳される。ありえないことを言っているが、逆説的な表現によって、ありきたりの思考を脱却せよと教えている。禅語にはこうした文体がしばしば見られるという。
我見や執着を否定し続け、自己を徹底に究めることで、見えなかった、聞こえなかった存在にたどり着くと解されるようだ。難しいことだと思う。「ユギチョシ」をしながら、多くの人はナンデコンナコト…ユギノナイドゴヘイギデァ…ふと頭をよぎる。その感覚を散らばして、心の中に「秀麗な花」を咲かせられるか。
先日亡母の三年祭をした折、親族としみじみ先祖の苦労を偲んだ。まだ60歳頃だった亡き祖父の腰は大きく曲がっていたと目に浮かぶ。世代、地域、仕事を考えれば、その姿は一般的だったろう。それに比べれば…と車庫の上で腰を伸ばしてみれば、ウゥーゥと声が出て、東の空の雲間からは暮れの月が見つめている。