すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

Tシャツにしたら、売れ…

2019年02月28日 | 雑記帳
 先週金曜は2月22日、猫の日ということで、TVなどでずいぶん猫にまつわる番組やコーナーがあった。猫に関心はないがBSテレ東で放送された映画『先生と迷い猫』は録画しておいた。主演がイッセー尾形、このblogにも何度も公演感想を記したように大ファンである。最近はドラマ出演も多く楽しみにしている。


 ステレオタイプの人物を独特の表現で身体化するので、演技が鼻につく方もいるだろうが、実際に生のステージを見ている者にとっては、懐かしく微笑ましい。この映画でも堅物の「元・校長先生」の役を、いかにもという雰囲気で演じていた。台詞は脚本家や監督が考えたのだろうがウイットの効いた展開だった。


 唯一親しい若者との会話で「先生」という仕事が面白かったかどうかを問われ、「面白かった…校長になるまではね」と返したあたり、こうしたパターン化がしみじみとした味わいにつながるのだろうな、と考えた。社会多数の目が思う真実はその辺りにある。個人的に一番ウケたのは次の言葉。そうかと膝を叩いた。


 北乃きい扮する元教え子が、校長に卒業時に色紙に書いてもらった四字の言葉の意味を問う場面があった。その語は「愛感同一」。訊かれた時、校長は戸惑いを見せつつ「頑張れ!ということだ」と言い放ち、教え子を憤慨させる。一視聴者の予想は「愛情と感動とは同一だ」「愛し感じ合って一つになれ」(笑)だったが…。


 物語は終盤となり、迷い猫探しを共にした夜更けに、疲れ果てた校長は吹っ切れたように、その答を教え子に明かす。「Ican do it」…いやいや、これは一本取られましたという心境になった。堅物だった校長の中にあったユーモア精神、しかも完璧な励ましになっている語でもある。Tシャツにすれば売れそうだ。

女優編~独り視聴者委員会

2019年02月27日 | 雑記帳
 藤沢周平『隠し剣 鬼の爪』は山田洋次監督作品で『たそがれ清兵衛』より好きだ。繰り返し見たくなる映画の一つだ。江戸時代末期の兵隊を組織していく場面がユーモラスに描かれていて印象に残る。松たか子の演ずるきえはその時代を生きる女性の芯の強さを感じさせる。顔と視線の上げ下げで表現する巧さをみた。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9A%A0%E3%81%97%E5%89%A3_%E9%AC%BC%E3%81%AE%E7%88%AA


 映画『深夜食堂』をまた見入ってしまった。「おせっかいをしない」意味を店主から学ぶ。他者の持つ気配に敏感なこと、それは本当に救いや手助けが必要で、価値に結びつくか判断する力だ。多部未華子は、不満・意地を抱え込む役柄にふさわしい顔つきだなあと改めて思った。目つきと声の質を生かしている女優だ。
http://www.meshiya.tv/series/shinya_movie


 録画で観たドラマの中で、素晴らしいと感じたのは黒木華だ。TV朝日の開局60周年記念の松本清張ドラマ『疑惑』、容疑者役の「鬼クマ」を演じた。奔放さ、狡猾さをよく表現していた。何度も映画化・ドラマ化されているが、その熱演は一、二を争う。ルックスは平凡(笑)だが才能を感ずる。大竹しのぶレベルになるか。
https://www.tv-asahi.co.jp/giwaku_yonekura/#/?category=drama


 NHKもここまでやるようになったかと「ゾンビが来たから人生見つめ直した件」という深夜ドラマを観ている。30代女子の典型的な姿を石橋菜津美、土村芳、瀧内公美の三人がよく演じている。設定の突飛さ、筋の跳び具合にツッコミを入れながらも楽しく笑える。特異状況を欲する気持ちは、人の心に眠っている。
https://www.nhk.or.jp/drama/yoru/zombie/

アイディアを求める楽しさを

2019年02月26日 | 読書
 今となっては恥ずかしいが「アイディアマラソン」なるものへ挑戦したことがある。発想をノートに記していく単純な方法ではあったが、案の定一週間ほどでギブアップ。それに限らず試したことも多いが、確実にモノにできた実感がない。教育実践、学校経営、また暮らしに新しさを求めてはきたが、道遠しだった。


2019読了21
 『アイディアのレッスン』(外山滋比古  ちくま文庫)



 文庫の裏表紙にはこんな惹句が書かれてあった。「『思考の整理学』実践編」。かの名著はもちろん読んでいるが、忘却の彼方でもあるので、直接的に思い起こされることはなかった。しかし発想法的なことに興味のある者にとっては、非常に参考になる一冊だ。「基本」「ルール」「つくり方」の構成、読みやすさも一品だ。


 「アイディアとはなにか」を考える第一章を、問答形式で進めていること自体優れたアイディアだ。しかも、敬体文ゆえにじっくりと染み入ってくる印象がある。ものにこだわり、ものをありがたがる日本人の思考には、情報の価値を軽くみる傾向があり、それが創造力の軽視につながっているという論は納得した。

 
 「プロ的アイディア」「アマ的アイディア」という表現に驚く。その違いは仕事や経済に関わっていが、筆者は「アマチュアスポーツ的なアイディアの重要性を見落とすべきではない」と言う。つまり実際的利益ではなく考え出すプロセスを喜ばないと、発想や創造性は豊かにならない。偉人たちの生き様を思い起こせ。


 第三章に書かれた「つくり方」は、ブレイン・ストーミングや延長線・慣性の法則等10項目が提示される。自分の拙いアイディア作りも少し当てはまるものがあった。人によって向き不向きはあろうが、いずれこの10項目は大きなヒントになる。知の巨人自ら実践しているアイディアを求める人生はとても楽しそうだ。

アイデアは、平凡それとも非凡

2019年02月25日 | 雑記帳
 NHK上半期連続ドラマ「半分、青い」の主題歌は星野源だった。曲名が『アイデア』で、何故アイデアなのかふっと頭に浮かんだことがあったが、突っ込んで考えてもみなかった。もちろん題名はテーマにつながるし、要はアイデアを出して生き抜いていこう、のようなものだろう。物語の中味もそんな感じだった。

 該当する歌詞の部分は、こうである。

 つづく日々の道の先を
 塞ぐ影にアイデアを
 雨の音で歌を歌おう
 すべて越えて響け



 他の部分を読んでも、アイデアの中身が語られる構成にはなっていない。きびしい社会や繰り返される日常だけれど、ひらめきを持って個性を生かしながら乗り切っていこうという姿勢と解釈した。アイデアというある意味平凡な言葉を題に据えた決意やセンスは、ソングライターの内部の豊かさを象徴しているかもしれない。


 さて、雑誌だったかTwitterだったか失念したが、先日印象深い言葉に出会った。

 「アメリカ(合衆国)というのは、一つのアイデアなんだね。」

 うっ何のこっちゃと一瞬思い、ああそうかもしれないと、やや理解モードに入ったことを覚えている。つまり、アメリカ大陸の発見、そして開拓、合衆国という組織、多人種の存在等々は、言うなれば様々なアイデアによって成立し、多方向に切り拓かれ今に至る。他国にも部分的に該当はするが、際立つのは間違いない。


 アイデアを辞書で引くと、通常の「思いつき。着想。考案」という意味の他に、哲学用語として「理念」があり、倫理社会で習った「イデア」という語につながる。そこまで行くと漠然とし過ぎるな。ここはきっちり押さえたいと手を伸ばした一冊は、『アイディアのレッスン』(外山滋比古著)…もやもやを払ってくれるか。

地上生活者を憐れむ声

2019年02月24日 | 雑記帳
 火曜日の「雨水」が示すように雨模様であったり、少し晴れてみたり、風が強く吹いたりする週だった。気温の変化は激しいが着実に春に向かっている。雪はまだ降るだろうがもう安心かな、不安なのは花粉だけか、と空を眺める。ただ、地上の人間生活はそんなに単純ではないなあ、といろいろあったここ数日の事。


 確定申告も三度目となり、役場主催の相談会(係の方に書き込んでもらう形)に出向かず、盛んに宣伝しているe-Taxに挑戦することにした。IDやら取得のため初めて税務署に入った。結果、やり直し数回後に無事?自宅で終了したが、いかに知識不足かを痛感する。そして一年後はまた忘れているのかと不安になる。


 蓄熱暖房機とエアコンを併用しているが、金曜日起きたらエアコンが作動していない。エラーナンバーを検索すると室外機の不調とある。見てみると室外機の裏面の半分近くが氷に覆われている。雪の降り方や低い外気温度が影響した。手の届く箇所ではないので放水作業約1時間で解氷させ復旧。結構辛い時間だった。


 翌朝、エアコンは通常だが今度は蓄熱暖房機・温水器の不調に見舞われる。深夜に何らかの理由でブレーカーが落ちたようだ。こうなるとオール電化の家はやや悲惨だ。暖房は代用ができるが、温水は風呂を満杯にする余裕はない。凌げるけれど「文化的生活」の脆弱さを改めて感じさせてくれたと思うことにした。


 我慢するかと思いつつこんな時は発想を変えてふだん行かない温泉施設へと考えた。十数年前までよく訪れた隣市の某施設へ。一時期廃止が検討されたらしいがどうにか存続している。だがやはり老朽化は否めない。一つ残った露天風呂で空を見上げると、白鳥たちの北帰行の声がする。おい、地上生活者を憐れむか。

考える体力が一番だと…

2019年02月23日 | 読書
 「情報が溢れている時代だからこそ、あえて情報を遮断することを、できる限り心がけています。知ることも難しいけれど、考えることはもっと面倒で難しい」この覚悟がなければ、いくら考え方のコツを学んでも身にはならないだろう。情報過多の海を泳ぎ切るためには、最終的な頼りは自分の「考える体力」だ。


2019読了20
 『考え方のコツ』(松浦弥太郎  朝日文庫)



 「暮しの手帖」編集長であることは知っていた。書店の棚でその名前はよく見かけていて、一冊手に取ってみた。少し意外だったのはまだ40代だったこと。名の感じから年配者と予想していたが、バリバリのビジネスマン?という印象も匂う。自分には用無しかもしれないが「思考術」「想像術」の二章は興味深かった。


 「考え方のコツ」の冒頭に、「一日二回『思考の時間』を確保する」ことを挙げる。まったく当然のこととはいえ、この根本部分を重視できていない人が多いのではないか。課題解決であっても企画発想であっても、隙間時間のひらめきなどに期待するのではなく、きちんと時間確保することがまず土台になると認識しよう。


 具体的な方法論として「一考二案を基本とする」は納得した。ベストの案に絞り込んでこそ提案だ、という考えもあるだろう。しかしA案、B案という形をとった場合には、比較できるメリットに加えC案へ向かう発展も含むと考えると、実務的な方法だ。会議を承認の場でなく、協議に向かわせる手立てでもある。


 いつの場合もそうだが、時間管理こそ仕事術の基本になる。著者が名付けた「消費の時間・投資の時間・浪費の時間」は、ずばりと指摘できる区分だ。傍目にどう見えるかも大切だが、自分自身がどういう意識で今を過ごしているのか…。「時は金なり」…それは、「無意識」の時間を無くすことに尽きる。眠りもそうか(笑)

自分らしさを捨てれば独自になる

2019年02月22日 | 雑記帳
 録画しておいたNHKBS「最後の講義」を観た。登壇したのは、みうらじゅんいわずと知れた「サブカルの帝王」である。「マイブーム」「ゆるきゃら」等の生みの親であるが、正直今までは軽く見ていた。しかし今回の講義でぐっと惹きつけられた。さすが、「先生」と慕う有名人が多いわけだ。敬服したと言ってよい。


 その発想に驚いたのは、中学生の頃自分の日記を母親にこっそりと見られた時のことだ。普通であるならば、猛然と抗議するもしくは置き場所の変更ということだろうが、みうらが思ったことは「読み手がいる」。そこから、その日記に「盛る」ことを考え、その実現を目指したという。これ以上の前向きさはそうない。


 名づけや言葉に対する感性は独特である。「自分らしさをなくす」という今回の内容の一つに対するアプローチに笑った。例えば仕事のなかで自分らしさを考えた時に、それを音の響きから「自分かしら」に変え、さらに意味の伴わない「自分さしら」に移っていく。この連想・妄想のなかで個は解放されていくようだ。


 傍目からみたら「どうかしている」思考や行動を重ねていくのは容易ではない。それを自ら「DS」と命名し、キーワードに仕立てるあたりも笑いながら納得した。自虐めいてはいても、卑屈めいた部分を一切感じない。時折読む週刊誌連載の書き出しは、常時「人生の3分の2はいやらしいことを考えてきた」である。


 取りあげたなかにアパートか何かの「空あり」という看板があった。仏教を重要なテーマとしているみうららしい目の付け方だ。この言葉を「クウアリ」と読み、「ナイことがアル」その矛盾表現?について滔々と話す。さらには「空なし(クウナシ)」という深い境地にも話が及ぶ。自分らしさを捨てれば、独自になる。

みんな悩んで、つながればいい

2019年02月21日 | 読書
 「」と「」はつくりが同じでその部分は頭骨(また脳味噌そのもの)を表している。そうすると、それに「心」を添えて「悩」としたのは、結局人がそもそも思い悩む存在であると示している。悩みがない人を羨ましく思ったりするが、もし本当にゼロだったら怖い…あれ、そう想うのは何故か。悩んでしまう。


2019読了19
 『悩みいろいろ』(金子 勝  岩波新書)



 雑誌やSNSで著者の存在は知っていたが、本は読んだことがなかった。経済書は苦手なので、柔らかそうなもの…と「人生に効く物語50」という副題に惹かれて注文したら、なんといわゆる人生相談の類であった。しかしそこは「闘う経済学者」であり一味違った展開になっている。一つのブックガイドでもあった。


 「孤立と不安」「予想と後悔」といった章付けはあるが、相談内容は似通っていて、環境の異なる様々な人たちが今を生きる苦悩を曝け出している。十代から九十過ぎまで相談が寄せられ、高齢者の方が多い。いくつになっても個の悩みが尽きないのは自然か。当然とはいえ、ある面で社会が作りだした悩みだと気づく。


 情報化、グローバル化が進行している裏面で、現代社会は個々の「つながり」が断ち切られるような様相が濃くなっている。政治の方向性もあるし、個別消費にどっぷり浸かったツケがきているようにも思う。家族、職場等の人間関係に限らず自分の行く末を想う時、あらゆる場で語られるのは「孤立の怖れ」である。


 著者は処方箋を渡す形でなく、悩みに沿った形で小説などを紹介する。また落語も多い。やはり自力解決と俯瞰的な思考の奨めがあるように思った。著者の結論に共通項があるとすれば「自分がしてきたことを否定せず、もう一つ別の視点を持ち合わせる」「次の世代へ向けて自分が何をできるかを問う」ではないか。

最初の発語は大事なものへ

2019年02月20日 | 読書
 もう一度『大人のいない国』から。ほぼ毎日、言語を獲得する前の孫と接していると興味深いことが多い。繰り返している物、人の名が分かりかけている時期だが、この後どんなふうに発語するのか楽しみである。この文庫の終章は対談で、テーマが「身体感覚と言葉」。言語の生成や獲得について、関心が高まった。


2019読了18
 『大人のいない国』(鷲田清一・内田樹  文春文書)



 オノマトペの話題が面白い。言語学研究においては主流でないらしいが「普通の言葉より抽象力がある」ことは確かであり、その出来方は興味深い。ギラギラ、ガリガリ、ツルツルなどは想像できるが、オメオメ、ノコノコといったような何も擬していない語たちは、いかにして生まれてきたか。それは身体感覚だ。


 鷲田は「舌が内蔵の先端」という考え方を知り、そうしたオノマトペの生ずるときの内臓感覚に思いを馳せる。ネガティブな語の多さにも触れ、感覚的に受け入れられない場合に抽象化されるズブズブ、ヘラヘラ、ヨロヨロなどは確かにそうだ。そうした語を「ある種のアラーム」と内田が位置づけた慧眼にも驚く。


 それと関わって鷲田が「子どもは大事なものを最初はある一つの音に全部託してしまうんです」と、例を挙げたのが「ママ」という語だった。言うまでもなくお母さんであり、ご飯。英語ではMammaは母であり、乳房でもある。ちなみに哺乳類はmammalだそうである。そこからローカルな言葉の例が一つ挙がった。


 京都では仏様の前で「マンマンチャン・アン」と、大人が子どもに拝み方を教えるという。自分が今孫相手に口にする「アマンマ、トウダイ」という祭壇へ拝み方と共通しているではないか。『秋田のことば』で調べたら「あまま」の見出しがあり「仏様。幼児語」とあった。最初の発語は大事なものへ向けられるのだ。

ノイズと無秩序が大人を育てる

2019年02月19日 | 読書
 国会の統計不正論争はもはや不毛。昨日の某議員発言がとどめを刺す。「総理大臣に官僚が良い数値を持ってきたら、それはいいから悪い数字はないのか、困ってる国民はいないか、社会の矛盾が埋もれてないか。そういう総理なら数値論争は起きてない」。まさしくまさしくと頷く。この国には大人がいないと思い知る。


2019読了18
 『大人のいない国』(鷲田清一・内田樹  文春文書)



 6年前の文庫発刊のときすぐ読んでいる。「大人のいない国の大人に学ぶ」と題したメモも残してあった。そして今回また新たに目を見開かされた箇所がいくつもある。第一章の対談の冒頭から、今の現実場面にそっくり当てはまるような話が繰り広げられている。政治家や経営者の「幼稚」に言及し、鷲田はこう語る。

 皮肉な見方をしたら幼稚な人でも政治や経済を担うことができて、それでも社会が成り立っているなら、それは成熟した社会です。


 「幼稚なままでちゃんと生きていける」社会は、世界を見れば極めて特殊であり、それがつぶれないで済んでいる現実の脆弱さや危うさを指摘している。その社会で生きていくことは、個にしてみればラクチンだが、心に抱える不安はとても強い。個に成熟させない心を育んだ消費者マインドは、実に頼りないものだ。


 特に第4章「呪いと言論」が興味深かった。「祝い」「呪い」は内田がよく掲げるテーマだ。ネット社会においてこの二つの割合は、発語される総量のなかでどうなっているのだろうか。極めて印象的には、悪口雑言が圧倒的に多い気がする。「言論の自由」を守ることは最重要だが、言祝ぐ文化の侵蝕は著しい。


 この国では便利で淀みない暮らしを実感できる。同時に、それを担保する様々な規制が、公的私的に張り巡らされ息苦しさを感じることがある。不寛容さも増している。表面上「成熟した社会」の内部では腐食も進行しているのではないか。その進行を止める大人の存在が不可欠だ。行動指針を内田の文章に見つけた。

 あまりに好調に機能している「全国民の規格化・標準化」工程に意図的にいささかの「ノイズ」を発生させ、システムに局所的な「無秩序」を生みだすこと。それが「大人」育成のためにもっとも確実な手立てだろう