すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

スギッチ、頑張ったね

2017年11月30日 | 雑記帳

(UGO morning sun 2017.11.28②)

 「スギッチ退職」…秋田県民にとっては結構重みがあるニュース。勤続10年、県の新キャラ登場で賞味期限は切れたのかもしれないが、あの2007年国体推進のために、ずいぶんと活躍してくれた。一番大きく記事を取り上げてくれたのは産経ニュースのようだ。「日馬富士引退表明に隠れた形」とまで書いていただき……。
 http://www.sankei.com/life/news/171129/lif1711290042-n1.html


 その記事でも取り上げられているが、スギッチは「ゆるキャラ 初代日本一」なのである。あの伝説的な名番組「TVチャンピオン」主催だった。ゆるキャラ興隆期であり、本当に価値が高い。ゲストはみうらじゅん、糸井重里、坂下千里子など。単に人気投票でない心技体(笑)を見る選手権だったので、頑張ったのだ。
 http://www.tv-tokyo.co.jp/tvchamp1/060420/under.htm


 あの時「スギッチ」(の中)だった人は、ずっと継続していたのかな。それともたまたまだったのか。県や市で「貸し出し」もしていていろんな行事に出現して名を売っていた。そういえば、当時勤務していた学校にもやってきて、校務員のKさんに入ってもらい、縦横無尽に走り回わっていたことがずいぶん印象深い。


 記憶に残るのは、国体開催に向け各学校でスギッチを入れた掲示を作るよう指示があったこと。取り組みは学校に任せられ、当時の勤務校では保健室が作成の場であった。関係者なら想像できそうな状況があり、日々制作に励む子がいて立派なスギッチオブジェが出来上がった。実際はG先生に大変な難儀をかけた。


 国体マスコットから県公式キャラクターになり、牛乳パックにまで登場して、浸透度としてはかなりではないか。きっと今の20代以下が昔話をする頃には、強力な共通アイテムではないか。インパクトが欠ける設定でよく頑張った。かの「スギちゃん」との共演も懐かしい。でもどちらもワイルドに成りきれなかったね。

まっすぐ読めば、まっすぐ

2017年11月29日 | 読書
 まっすぐ読めば
 まっすぐ伝わってくる
 それがいい (はるを)

 と気取ってみましたが……


 (UGO morning sun 2017.11.28①)

2017読了118
 『詩人の魂』・『いま出逢うふたつのいのち』(相田みつを美術館)



 ブックレット、図録といった体裁の2冊をまとめて読む。
 相田みつをと重なるところの多い二人とのコラボレートである。
 最初のは金子みすゞ、もう一つは星野富弘。個人的にも昔から親しんでいる二人だ。

 金子みすゞとの縁は、第一次ブームと称してもいい時期にちょうど山口県へ管外研修を命ぜられ、矢崎節夫氏の講演も聴いている。
 授業として取り上げたのも、教科書に載る以前だった。

 星野さんの本は10年前までの発刊は全部取り揃えているはずだ。絵葉書類も結構多く買い揃えた。
 これは残念ながら授業として選んだ記憶はないが、教室掲示にはよく使わせてもらったなあ。

 相田みつをとの共通項を探るようにして読むことは、そんなに難しくない。
 みすゞとの著で強調されるのは「弱者への視線」。
 星野さんであれば、「いのち」か「生きる」か。

 改めて並んで読んでみると、この人たちの訴えていることは、人間の根源的なところを響かせるんだなあと思う。
 次のページ、また次のページと畳みかけてくるようだ。
 それが詩人の詩人たる所以か。

 いのちのリズムみたいなものに逆らわない生き方、ことばの遣い方ができるからだろう。
 しっかり丁寧に生きていることからしか生まれない。

 と、ごくごく平凡なことしか浮かばない。

 その平凡さは、近いようでいて、限りなく遠い気もする。

カバーの点検怠らず

2017年11月28日 | 読書
 「幼児的万能感」や「全能感」などと少し格好つけて、専門用語を使いPTAで話したことがあったなあ。「自己肯定」は確かに必要だけど、勘違いをしてはいけないことがある。結構な大人を対象にして語っても、その違いが理解できない場合があるようだ。自己コントロール能力形成は、やはり小さい時期が肝心だ。



Volume86
 「『幼児性がある』というのは、別に悪いことではない。誰の中にもそれはある。それを弾圧してしまうと、人間は錆びついてしまう。でも、幼児性は誰のにもあるもので、成長した人間は、自分の幼児性を守るために、そして暴走させないために、幼児性を覆うカバーを持っている。そう進むのが『成長の方向性』というもので、日本人はそれをいつの間にかなくしたらしい。」


 例えば、高速道路での煽り運転など様々な事件や揉め事などを見るにつけ、その「カバー」が壊れちゃったのか、いやそもそもカバーを作ってこなかった、もしくは非常に弱々しいものでしかなかったのかな、と思うことがある。

 これは新聞やテレビに載るような話でなくとも、もしかしたら身の周りでも近い現象は少なくないかもしれない。
 若年や中年に限らず、老齢であってもキンゾク疲労はあるのだから気を配らなくては……。
 言っている自分の内部にも目を向けて、カバーの点検を怠らないようにしなくてはと思う。

 この国全体がそういう傾向だとしたら、その原因は何かとまた考えてしまう。
 この文章を書いた橋本治は、こんな皮肉で締めくくっている。

 「大人にならなくていい。大人にならずにいれば、消費経済を支えるいい消費者になれる」でいいのね?

 なるほど。やはり、そこか。

活字中毒者のアメニティフレーズ大賞!

2017年11月27日 | 雑記帳
 【ノミネート作品】

1 若さの源泉は好奇心にある
2 自分に見栄を張って生きろ
3 強烈な意思は結果を創る
4 どの一瞬にも熱い情熱が溢れるそんな人生を
5 気合を入れて 格好つけて 意識して生きろ
6 今日の全力が明日の最善をつくる



 【審査結果】

 大賞はエントリーナンバー「5 ヘアーブラシ」の
 「気合を入れて 格好つけて 意識して生きろ」でした(拍手)

 なお他のエントリーアメニティグッズは、

 1 シャワーキャップ
 2 ヘアーリング
 3 ボディスポンジ
 4 ヒゲソリ
 6 歯ブラシ  でした。


 【審査委員長講評】

 同じ命令口調の2もなかなかでしたが、5はリズムがよく、高揚感がある詞になっています。口ずさみながらブラシを使って鎔かすと、いい髪型になりそうです。



 全国チェーンを展開する某有名ビジネスホテルのアメニティグッズの袋には、上のような言葉が印刷されている。思わず真剣に読み込んでしまう自分が笑えた。
 なお、番外として、別の某ホテルの場合。
 アメニティは歯ブラシしかなく、その袋にはこんな言葉が記されている。これも洒落ている。

 「ecoロハスなエコひいき  お使いにならなかった歯ブラシをフロントへお持ちください。ささやかですが、お菓子をプレゼントさせていただきます。」


麗老の方々に学ぶ

2017年11月26日 | 読書
 「麗老」とは辞書には載っていない。書家相田みつをの造語である。
 読書の醍醐味の一つは、人生の諸先輩まさに麗老とも呼ぶべき方々の言に触れることにある。この冬もじっくり読みたい。



2017読了116
 『いま、こころを育むとは』(山折哲雄 小学館101新書)


 10年ほど前に開催された「こころを育む総合フォーラム」での各地の基調講演をまとめたもの。若干重なっている内容はあるが、開催地に即した話題もあって興味深かった。
 「個・個性・個の自立は翻訳語だ」という項は納得して読んだ。ヨーロッパの市民社会がつくり出した価値観は、たしかに「正しかった」に違いないが、そのまま適用できるほど私達の国は成熟していなかったのだろう。
 著者は、それに代わる大和言葉「ひとり」が、様々な歌や思想に表れていることを指摘し次のように記している。

 輸入語としての「個性」の中身を、この「ひとり」という、日本人が千年以上培ってきた伝統的な価値観によって埋めていく必要があったのではないか。



2017読了117
 『男のおばあさん』(永六輔  大和書房)

 
 パーキンソン病を患ってからの著者の姿は、テレビを通して何度か見かけたに過ぎない。しかしその間もライフワークであったろうラジオ番組は続けており、その実況的な語りがまとめられた一冊だ。
 例の口調なので文章では伝わりにくいが、圧倒的に面白いエピソードと信念は「さすが」と思わせる。

 原発問題のデモに参加したとき、人混みの中で瀬戸内寂聴と会う。どちらも車椅子。混雑の中、呼んでも話しても聞き取れない二人の話を、デモに参加した人たちが伝言して伝えてくれたそうである。「市民デモはこうでなければ(笑)」という結びには頷ける。
 昔、「ゆく年くる年」で銀座四丁目の交差点でグランドピアノを中村八大が弾く企画を立てた。そのピアノを運ぶために、道路交通法をもとに移動用車輪がついているので「諸車」という扱いにして、警察を押し切ったというのは痛快であり、良き時代を感じさせてくれる一コマだ。

結局「こころ」の養い方

2017年11月25日 | 雑記帳
 「コメ作り」という言葉に問いをもったことはなかった。しかし「こころ」の視点から考えると、宗教学者山折哲雄が「『稲作』のこころを喪失してしまった」と語ったことが響いてくる。「秋の実りを祝い楽しむかわりに、車をつくるようにコメをつくる時代」に私たちは生きていて、その日常で「こころ」を養っている。



 NHKクローズアップ東北「コメで未来を切り開け!~ポスト減反時代・新潮流を追う~」を観た。47年続いてきた「減反政策」の廃止は、国の農業政策の大きな区切りであることに間違いない。食管制、食管法の変更、改正の時点から見込まれていたことを考えると、そこからの関係者の動きも問われるはずだ。


 いわゆる「ピンチをチャンスに」という発想で切り開いていこうという趣旨が見えた。実践例として取り上げられた二つは、「大規模集約化」「新規ビジネスモデル化」といった方向であり、若手経営者の持つ視点や活躍に、地元篤農家の存在も絡ませながら、業務合理化や世代交代などを印象付ける内容になっていた。


 農業や経済の詳細には踏み込めないが、新しい時代に対応した発想を持ち、行動する人間育成には興味がある。教育の方法や内容が、時代の支配的な価値観や規範等に大きな影響を受けることは当然である。言うとおりに減反すれば補助金をもらえるという現実が払拭されるこの時、いったい何を指針とすればいいか。


 「売れるものがいいものだ」と「いいものだから売れる」という両視点の隔たり。前者は「売れればいい」に陥った時、抱える価値観の脆弱さに気づく。後者は常に現実とのギャップに悩む。「ものづくり」と「ことづくり」を「つなぐ」あり方にも専門化と同時に総合化が求められ、結局それを支える「こころ」に戻る。

心のビックベンを誇れ

2017年11月22日 | 雑記帳
 連日のように大相撲力士暴行問題が報道されるが、あまりに量が多すぎると関心が薄れていくのはありがちなことだ。それはさておき、最近のニュースで気に留まった一つに「日本の鉄道会社、定刻より20秒早く出発し謝罪」がある。まあ、謝罪を出した理由は想像がつくし、海外からの声も納得できる記事ではある。



 平田オリザが高校や大学のディスカッション型の授業で、こんな題材を使っているという。「なぜ、日本は高速鉄道の輸出で苦戦するのか?」世界最高の技術といってよい新幹線が、すんなり海外進出に結びつかない理由は、コストや敷設する鉄道の規格の問題が挙げられるが、さらに踏み込めば「弱点」が見えてくる。


 日本以外の営業マンになったつもりでネガティブキャンペーンを張るとして、どう言うだろうかと学生たちへ問いかけるそうである。我が国の誇る安全な技術、正確無比な定時運行能力、そして死亡事故を一度も出していない実績…国民なら誠に誇らしく胸をはって薦められるが、ライバルはこう囁くはずだという。


 「あれは日本人だからできるんですよ」「あまりにも完璧でちょっと気持ち悪くないですか」。いや、時間通りで正確なことがいいに決まっている…そう思うのは、やはり日本人だからこそではないか。ヨーロッパあたりの鉄道でもずいぶんアバウトな発着があることはよく放送されることだ。「文化」の違いの認識である。


 今回、英国のキャスターは次のようにツィートした。「『日本の電車が20秒早く発車で謝罪』。読んだ、泣いた、また読んだ、笑った」…こんなふうに理解されていることを胸に留めよう。しかし阿ることはない。「日本人は皆、心の中にビッグベンを持っているのです」ぐらい言いたい気がする。英語で言えないけど(笑)

饅頭を買ってもらえず

2017年11月20日 | 雑記帳
 土日に当町道の駅「端縫いの郷」で「まんじゅうミニ博覧会」が催され、たくさんのお客さんが見えたようだ。
 詳しい様子はこちらの湯沢雄勝観光ブログ「こ・ま・ち」で
 https://ameblo.jp/komachinosato/entry-12329578781.html


 「自称饅頭通」を広言するたべびととしては覗きに行かねばなるまいと、来客の少ないだろう時間帯をねらって、一通り見学してきた。他の道の駅からの出品もあり、なかなか見ごたえがあった。で、結局買わずじまいだったのは…食べてコメントをつければ、もしかしたら営業妨害になるかもしれず(笑)と杞憂して(嘘)


 そもそも我が「西馬音内」は「そば」の町であるとともに、「饅頭」の町でもある。名の知られるきっかけは、「そばまんじゅう」にあるだろう。まあ、子どもの頃はよく口にしたが、最近は食べていない。しかしよく考えるとあの皮の部分の塩味は、かなり特徴的かもしれないと思う。他店に「みそまんじゅう」もある。


 Y店の「みそまんじゅう」は、かの食文化史研究家として名高い永山久夫が「東北で一番うまい」と某番組で語った逸品だ。東北地方のみのローカル放送だったが、饅頭の町として西馬音内が特集されてからもう十数年経つ。永山氏と女性アナがコミセン裏の川辺に腰を下ろし、饅頭談義をしているシーンを覚えている。


 皮と餡子に様々な工夫を加えられる饅頭という菓子は面白い。しかしシンプルゆえに奥が深いのが、名品の条件だ。従って本町の一番は…とまずこれは禁句として、個人的に日本一と思っているのはT総本店の黒糖まんじゅう。どこかで勝手に決めた「日本三大まんじゅう」の評価は、岡山が未食なので保留している。



 ミニ博覧会で饅頭を買ってもらえなかった(泣)たべびとは、自宅で「よもぎ大福」を作ってもらい食べました。自分で作った小豆餡がほど良く美味でした。

初雪の日、大人を考える3曲

2017年11月19日 | 雑記帳
 昨日の『復路の哲学』に絡んで、音楽篇を少し。

 この著には「三波春夫は『大人が大人でありえた時代』の最後の歌い手」だと書いてある。

 同年代以上の年配者しか口ずさめないだろうが、この一見(一聴か)明るい曲は、歌詞を読めばわかるように「敗残者」の唄だ。
 つまり、この明るさを消すことなく、悲しさを表現する様が、「大人」なのだ。

 「チャンチキおけさ」三波春夫
 https://www.youtube.com/watch?v=T7SZOk7mv5c


(UGO 2017.11.19)

 BS「カバーズ」フェスで初めて見たバンドだった。
 なにかの映画の主題歌らしいが、初めて聴き、耳に残った。

 大人の(年配の)出演者までが一緒に声を合わせられる歌はめったにない。
 久しぶりにロックを感じる曲だった。

 「大人になったら」GLIM SPANKY
 https://www.youtube.com/watch?v=v-8dXLngI_4



 今さら紹介するのが躊躇われるほどの名曲。
 様々な人がカバーし、ハナレグミとの共演で演奏している人も多い。

 まだ観たことがない人がいたら、ぜひこの清志郎と一緒のバージョンだけはじっくり味わってほしい。
 自分がイメージする「大人」の佇まいがここにもある。

 「サヨナラCOLOR」ハナレグミ&忌野清志郎
 https://www.youtube.com/watch?v=uVCUTpkFqhY

知ってる「大人」がいる

2017年11月18日 | 読書
 テレビかネットだったか失念したが、「自分を大人だと思ったのはいつ」といったアンケートの結果が出ていた。予想できるように、その返答がずいぶんと高齢化(笑)していたと覚えている。自分だったらどう返答するか定まらぬままに遡ってみれば、かなり若い頃から成長実感もないし、大人到達感覚などあったろうか。



2017読了115
 『復路の哲学』(平川克美 夜間飛行)


 大好きな平川氏の文章。「復路」とは「人生の復路」という意味であり、冒頭から「大人」についての記述が多い。とてもよくわかる定義をしていた。ネット注文で買った古本、状態は「良い」でとてもきれいだったが、唯一目立たぬように小さく本の端が折られていた箇所もそこであった。こんなふうに書かれてある。

 会社においても、社会においても、多くの方が責任の所在を明確にしたがる風潮がある。しかしそれは結局、子供の論理だろうと思う。大人は、自分の責任でないものに対して、それを自分の責任であるという役割を演じる。そういう存在なのだ。


 そのように今まで出来たことがあったろうか。家族や仕事のことでいくばくか矢面に立ったり背負ったりしたことは、自分の責任の範疇でしかなかったように思う。けれど、他者の言動でそのような「大人の姿」を見た記憶が何度かある。それは今も鮮やかに蘇るし、かくありたいと心に蓄えていたことは確かである。


 ある映画のシーンをもとに推察された論が心に残った。昔、商家の「のれん」をかたに銀行から融資がされた。現代から見ればその不合理な事実は、日本人の中に存在していた「規矩と倫理観」であり、別の基準を示していたのではないかと書く。そして著者は下記のように結ぶ。これを理解できる大人でありたい。

 それは、ひょっとしたら経験値の堆積が生んだ、次数をひとつ繰り上げたところにある合理性だったのかもしれない。


 2014年刊のこの著は、今の国内外情勢を読み解く一つの視点も確かめられる。つまり90年代に米国が「死活的脅威」と認識した「日本の経済力」を、「ソフトな戦争」によって解体しているプロセスが、ここ二十数年の出来事に合致する。構造改革、グローバル化、防衛強化…すべてかの国の「作戦」にハマったのだ。