すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

警告と希望の書

2011年11月29日 | 読書
 『奇跡のリンゴ ~「絶対不可能」を覆した農家 木村秋則の記録』(石川拓治 幻冬舎文庫)

 この一冊を、成功物語と括ることは憚られる。
 これは警告の書であり、希望の書であると感じた。

 何が警告されていたか。
 リンゴ栽培に農薬が必要なことは知っていた。しかし、これほどまでに農薬に深く依存し、農薬づけにされながら収穫される実態には思いが及ばなかった。
 その不明を恥じながら、読むにつれて重なり合うように浮かんできたのが、仕事上の「教育」のことである。

 虫や病気を寄せ付けないための農薬散布が繰り返されることによって、個体の持つ耐性はどんどん下がっていく。リンゴそのものの生命力はどんどん弱っていく。土と木、枝と実の結びつきはきわめて弱く、多くの世話をかけることでしか維持できない畑。
 それによって品種改良を重ねられた、見栄えのいい、消費者受けする味のリンゴがどんどん生産されていく。

 教育現場や子どもたちの現状と、どこか似ている、何か共通する傾向が見えてくると思うのは、けして私だけではないだろう。

 台風の酷い被害があった年の秋に、木村のリンゴ畑は被害が軽く、多くの果実が残ったという事実が物語ることは、あまりにわかりやすい。

 このままではいけない。しっかりと土に根をはり、虫や病気に負けない、いや共存する意識を持たなければ…。

 木村が何を決意し、「最悪」「無残」な状態からどう歩んできたか、数々のエピソードが語られる。筆者の文章力もさることながら、その一つ一つの出来事は、「ひとつのものに狂った」人間の顔が立ちあがってくるようで、引き込まれてしまった。
 特に死を覚悟しロープを手にして入った山中の場面、また畑の一本一本の木に語りかける場面…。

 これほどの強さがなければ、希望は開けてこないかもしれない。しかしまた、人が何かを本気で成し遂げようとするとき、逆風の中にも必ず支えがあるということを、この本は教えてくれる。

 それは家族の存在であり、少数であってもわずかに背中を押してくれる人たちだ。人は人を簡単に見捨てない。

 そして、現場にこだわり続けることによって得られるトータルなものの見方という感覚だ。
 どんなに研究しつくした学者の論文も、日々動き、変わりゆく畑の姿を解明はできない。そこにいる者、何度も試行錯誤しながらけして離れない者だけが、結局より広くを見渡せる。
 繰り返し登場する、畑や木や葉や虫を見つめる木村の姿がそれを証明していることは、ひしひしと伝わってくる。

 「人間そのものが、自然の産物なんだからな。自分は自然の手伝いなんだって、人間が心から思えるどうか。人間の未来はそこにかかっていると私は思う。」

 こう話して「リンゴの木の手伝い」に向かう木村。
 その考えは自分の直接の仕事に結びつくものではないかもしれないが、大きな流れの中で見失ってはいけないことだと共感する。
 さて、何の手伝いができるだろうか。

鍛える国語~「チャンス」を考える

2011年11月28日 | 雑記帳
 今年も花巻の「鍛える国語教室」に参加させていただいた。

 翌日に何も予定がなかったので、懇親会にも入れていただき、研修会と同様充実した時間を過ごすことができた。
 毎年、精力的に企画、運営する照井校長先生を初めスタッフの方々からまた元気をいただいたような気がする。

 さて、今回は講座が4つとミニ講座が4本という構成であった。
 トータルに振り返って考えさせられるのは、やはり国語科は何を教える教科なのか、授業で何を扱うべきかということである。
 もちろん野口芳宏先生がいうところの「教科内容」には違いないわけだが、言語を扱う国語科として範囲をどの程度で括るか、ここは日々授業をする立場としては大きな問題だと思う。

 つまり、ミニ講座で示された学習用語は当然にしても、野口先生が「イルカのねむり方」で扱われたような語彙指導を、どのような原則のもとに行っていけばいいのか、ということである。

 できるだけ抽象的な語彙を身につけさせたい
 
 語彙獲得の一番有効な方法は、チャンスを生かすことである


 野口先生がお話されたことである。全くその通りと思う。
 では、チャンスを生かすとは具体的にどういうことか。

 当然であるが、それは指導者自身がチャンスと認識することから始まる。
 チャンスは二通りの道でやってくる。
 「子どもの問い」そして「教師のねらい」、願いと言い換えてもいいかもしれない。

 子どもが求めて抽象語を知りたいとはなかなか思わない。とすれば、やはり教師の認識こそが最優先だろう。目の前の子たちにこんな言葉を身につけてほしいと願うことは、やはり教材としっかり向き合うことで立ち上がってくるのではないか。

 三年生の国語。説明文「イルカのねむり方」の第一文目。

 イルカは、魚と同じように水の中でくらしています。

 ここで語彙指導をするとすれば、私は「水の中」を取り上げる。
 「水の中→水中」は三年生なら適当なレベルだ。
 「海中」「空中」なども取り上げられる。
 さらに本文中の「水面」との比較ができる。「夜中」との読みの比べもあるかもしれない。

 このような根拠をもって選んでみるべきではないか。
 「魚類」や「同様」「生活」も考えられるが、候補どまりだ。
 もちろん、そこに子どもの問いが発せられれば、それがチャンスになる。
 模擬授業でもあったが、「えっ、イルカって魚じゃないの」といった問いが子どもからでれば、それはまた違う方向で辞書を引いたり、分類したりするかもしれない。

 いずれにしろ、教師がチャンスと認識するには、教材研究としての素材研究の重要さにたどりつく。

 いつものごとく師匠の言うとおりの結論となった。
 今年もこんなまとめになりましたか。

日本のフレーベルよ

2011年11月27日 | 雑記帳
 「日本のフレーベルと言ったら、佐藤信淵なんです」

 えっ、と思った。
 フレーベルが幼児教育の祖であることは、遠い昔、教育学か教育史で学んである。しかし教育面で佐藤信淵という名が登場するとは初耳だ。

 信淵が学び広めた考えは、非常に範囲が広い。
 農政、経済、海防、地理、天文…に加え、社会保障や社会福祉に関わる著もある。
 『垂統秘録』にそれが詳しいとされている。

 「病養館」という国立保養所、国民健康保険に相当する考え、そして「慈育館」「遊児館」というのが、貧しい民の子を官費で養育し、修学前の子どもを保育する場所を設けよという考えにあたる。

 そういう経緯で、保育士の試験問題(まだ保母と言われていた時期であるそうだが)で、「日本のフレーベルは誰」という問題では「佐藤信淵」という答になるそうである。
 もっとも、現在ネット検索をかけると倉持惣三という方(幼稚園そのものの設立者)の方が多いようだ。

 講演で講師が紹介した、信淵の教育に関する言葉が興味深い。
 「人はどうすれば活性化できるか」というような命題について考えを巡らし、小さい頃からの教育の重要性を説いたという。 特に驚くのは、次のことを示していることだ。

 二足歩行できた時から、三歳ぐらいまでの教育が重要である。

 つまり「手が自由になったときから頭が働く」という、手指と脳の関連について、もう江戸時代に語っているという。恐るべき識見ではないか。
 これなら、日本のフレーベルと称されても文句は出まい。

 「しんえんさま」自身がどんな幼児期を過ごしたかは記録にないが、少年時代の逸話は残る。乱暴者だったために、寺に預けられ、仏門を嫌ってとび出し、近くの山頂にある神社に籠って、巨岩に座って読書をした、という有りがちと言えば有りがちな話である。

 そして、生涯を通じて各地をめぐり、様々な学問を学び、一時は名声を得ることもあった。ただある時は迫害をうけ結局大きな存在として認められなかった信淵の生涯は、どちらかと言えば不遇だったと括られるかもしれない。

 しかし、心の中に抱えきれないほどの望みが持ち、それは「夢」と言い換えてもいいのだろうが、ひたすら前へ進んだ先人として、自分の中では一つ輝きを増した。

 近くにある碑にお参りするときは、また新たな気持ちで手を合わせることができるような気がする。

東京の名づけ親、ここにあり

2011年11月26日 | 雑記帳
 佐藤信淵という江戸後期の学者の名前を知っている人は少ないだろう。
 詳しくはウィキペディアで。
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BD%90%E8%97%A4%E4%BF%A1%E6%B7%B5

 我が地元秋田県羽後町の出身であり、「しんえんさん」「しんえんさま」という呼び名で通っている。
 出生の地については町内の二カ所にその説があり、定かではない。
 先日聞いた講演では、そういうふうに出生地を明らかにしないこともよくあるらしい。多少、謎めいたほうが箔がつくということなのかもしれない。

 この信淵、江戸時代に多数の本を書いたが、あまり日の目は見ずに明治期に見直された。それは明らかに当時のこの国の大陸進出政策と思想が合致していたということだろう。
 そうした経緯があって、例えば秋田県民歌の歌詞に、平田篤胤とともにその名前が載っている三番は歌わないことになっているという状況が生まれている。

 さて、題した「東京」の件である。

 歴史上はあの大久保利通の建言によるとされるが、その基となった「東京」の名称は、実は信淵の『混同秘策』という著に記されている。この著自体が国内統治論、世界征服論を書いたものだというから、遷都、江戸の改称は合点が行く。

 その文章は、大阪を「西京」とするということも続けられている。そちらの案は退けられたが、190年を経た今、別の形で「西京」を目指している?動きがあることも面白い。(とのんびり構えていい問題ではないだろう)

 それにしてもあの「しんえんさん」が、東京の名づけ親だったとはねえ…。
 東京という命名がこの国の一極集中の形を作るうえで果たした役割は小さくないと思う。いわばそれは国家的なビジョン、世界的な視野に基づいたものなのだろうが、現在の地方の疲弊につながったことを考えると複雑である。

 信淵は「経世家」と言われている。
 「経世済民」がその思想の核にあるからだろう。卓越した考えに時代が追いつかなかった、いわば天才と言うべき信淵が、今この世を見て提言するとすれば、どんな策を示すだろうか。


 講演を聴いて、もう一つ興味深いことを講師が言われた。

 「日本のフレーベルと言ったら、佐藤信淵なんです」

 えっ、と思った。

遥かに遠い友人

2011年11月25日 | 読書
 ああこれは自分のことを書いている、考えていることが全く同じだという本にめぐり逢ったことが数回ある。

 その一冊が穂村弘の書いたエッセイで、それ以来彼には強いシンパシーを感じていた。『ちくま』の連載「絶叫委員会」なども実に楽しい。二年ほどNHKの短歌番組を見続けたことがあったのも、その影響かもしれない。

 今年の読了百冊目は『短歌の友人』(穂村弘 河出文庫)だった。

 歌論集という区分らしい。「伊藤整文学賞」というなにやら偉い賞を受けた本である。文学について浅い知識しかない自分には、結構難解な箇所があった。しかしそれは同時にいくつかの点で、自分がぼやっと考えていたことを見事に言語化してくれたようにも思う。
 例えば、次の文章。

 生のかけがえのなさに根ざした表現が詩的な価値を生むとしても、それが生の全体性にとっても常に最善とは限らないのだ。むしろ日常的な生活や社会的な生存の現場においては不利に働くことが多い。

 幼い憧れとして詩をかじった者にとって、「ああ」と言わざるをえない。
 一言にこだわり続けることが、結果自分を傷つけてしまうことに恐れを抱かない者が詩人であり続ける。

 塚本邦雄の作品に存在した怒りがどう引き継がれたかを問題とした文章には、こんな件がある。

 戦後の現実に順接的な現象として「言葉のモノ化」だけが受け継がれていった。いわば武器ではなく道具としての言葉であり、それを時代への「対応」から受け身の「反映」への変質と捉えることも可能だろう。

 「言葉のモノ化」…虚構の中で作り上げられる歌は、言葉が示した真実、現実の強度を失わせた。ただその変質をどのレベルで受けとめるかは、個々がどれだけ自分に問いかけているかによって決まってくるのではないかと信じたい。

 モノが貴重で新鮮なうちはよかったが、手垢に染まった、デフレ的な粗悪品というイメージも膨らんでいる気がするし、今自分が放つ言葉の芯を、不断に磨いていく作業が必要だと痛感する。

 知識満載で刺激的で、時に重厚な語り口で評した歌論集となった。
 勝手に友人と決めていたが、実は遥かに遠い所に立っているのだった。ちょっと寂しい気がする。

 「もう一度、せめて茂吉から勉強してみようかな」とふと思った(実際無理だろうけどネ)。

談志、逝く

2011年11月24日 | 雑記帳
 昨日の夕方のテレビニュースは、一斉に立川談志の逝去を報じていた。

 一度も生で観たときはない。しかしとにかく抜群の存在感である。それを世の人たちも認めているからこそ、トップニュースとなる。

 私にとって最初のイメージは「笑点」でしかなかったが、最近は志の輔、談春の師匠であり、お気に入りの彼らを作りあげた張本人とも言えるだろうなあと思う。

 今年の冬に『人生、成り行き~談志一代記~』の感想を三日にわたってこのブログに記した。

 http://blog.goo.ne.jp/spring25-4/e/f92753a3565c6d33babd105cda0b9c3b

 http://blog.goo.ne.jp/spring25-4/e/ecf7432059d4708679028aadf637cec3

 http://blog.goo.ne.jp/spring25-4/e/fe7500055b86b280a94a434fb7c5a0e1

 ただそれだけでなく、折にふれて「談志」の名前を出しているようで、少し調べてみた。

 http://blog.goo.ne.jp/spring25-4/e/033c3e216f5bfec89dcb165209c7dbc9

 http://blog.goo.ne.jp/spring25-4/e/c11246f8a606ba4a92c70661c8374d53

 http://blog.goo.ne.jp/spring25-4/e/d1fa6555d7fd2d4f0e6cef45c9649381

 他にも『赤めだか』やBSドキュメンタリーのことなども当然あるし、まだいくつか書いているはずだ。

 一代記を改めてちょっぴりめくってみると、その語り口、声がよみがえってくるような気がする。
 最後の章で、志の輔が「二十五年たっても天狗にしてもらえない」と、嘆きながら感謝する。
 それに対する談志の返答は、次の一言だ。

 「そいつはすまなかった」

 今、弟子たちの慟哭に対しては、どう応えるだろうか。

 「そいつあ、すまなかったなあ」だろうか、「てやんでぃ、おめえら、勝手に大きくなりやがれぇ」だろうか。

 それにしても洒落た戒名をつけたものである。最後まで笑わせてくれた。
 http://www.j-cast.com/2011/11/24114041.html
 合掌。

まず、種を鍛えよ

2011年11月23日 | 雑記帳
 総合教育技術誌の野口芳宏先生の連載に、次のような一文がある。

 その人に備わった何気ない仕草が、実はその人のトータルな教養とも言えるからである。

 なんとも心に沁み入る、また自分自身の言動を振り替えざるを得ない着眼である。
 「自分は育ちが悪いから」などとこの齢にして言い訳にならないことを口にしてしまうこと自体、無教養の極みというかなんというか。

 ただ冷静に振り返っても、ある程度「育ちのよさ」ということは影響があるように思う。
 家庭環境によって支配されるものは大きい。それは言葉遣いであったり、食事であったり、どこかあまり意識されない場でひょいと顔を覗かせたりするものだ。
 そんな時あっと思い、自分に備わっていないなあと感ずることのあまりの多さよ…と言って嘆いてばかりいずに、せめて意識的な振る舞いぐらいはきちっとやるべきか。

 それはそうと、この「仕草」という言葉。辞典などで調べると「仕種」という表記が多い気がする。
 私はもっぱら「仕草」の方を目にしてきたせいか、何故「種」なのか気になる。調べよう。

 以下、わかったことを列記する。

 (1)「種」は「くさ」と読む。
 (2)その意味は「物事を起こすたね。もと」である。
 (3)「仕」は、「す(為)」の連用形の宛て字である。


 よって、仕種とは「その行為を起こす種のことであり、種によってもたらされた行為」という両面の意味を持つのではないか。
 かなり私的な解釈をしてしまった。

 「種」を、「種類、種々」と意味づけて、「行為のいろいろ」としてしまうのは「仕種」に対して失礼ではないか。

 種こそ肝心。種は変えられないものという考えもあるだろう。しかし、実は日々の生活で作られていると言えなくもない。

 まず、種を鍛えよ…そうすれば、仕種も自ずと高められていく。


そういうシステムなんだよ

2011年11月22日 | 読書
 一時期、「システムとレパートリー」が実践上のキーワードだった。
 学級の中にシステムを作ることを当然と思い、それは今も変わってはいない。スムーズに動く仕掛けと言い換えてもいいかもしれない。そのこと自体に疑問はない。


 しかしこの「システム」が大きい規模をもつ時、そこに自分がいることの(きっと様々なシステムがめぐらされている)不気味な感覚を味わわせてくれる小説…そんなふうに形容してもいいかもしれない。

 『モダンタイムス(上・下)』(伊坂幸太郎  講談社文庫)

 チャップリンの名作と同題名であることが、すでにこの話の骨格を見せているような気もする。
 機械化文明の発展における人間性の疎外…言葉にしてみると、とても立派で雄弁な?イメージになる。それゆえとも言えるが、その文明を享受している者にとっては実際あまりぴんと来ていないのではないか。

 この小説では、具体的にネットの検索というシステムによって翻弄されていく主人公たちの姿が描かれる。
 エンターテイメントの要素が強いので、派手な舞台設定をしているが、実は私たちの身近な問題とつながり合っている面は多い。

 ネット通販などを利用したときに、その履歴や検索状況によって「おすすめ」メールが頻繁に送られてくるようになっている。これに対して親切、便利なように見えて、少しの怖ろしさも裏打ちされているように感じるのは自分だけだろうか。

 これは誘導であり管理ではないのか。
 見える形で選択自由と思いこまされている、見えない力ではないのか。

 また、私たちも一つの大きな組織、システムの中で仕事を得ているわけであり、次の言葉は冷静に受け止められているだろうか。
 主人公を取り巻く奇妙な輩が吐く言葉が、妙に説得力を持つ。

 細分化された仕事を任された人間から消えるのは…『良心』

 これはもしかしたら、日常の些細な業務にさえ言えるのかもしれない。
 そして、そのことに時々気づく自分が、システムが悪い、それを作ったのは誰かなどと少し声を荒げてみても、そんな声は行き場を失っていることは、明らかだ。
 岩手に住む老婆は真実をこう語る。

 独裁者なんていない。おまえのせいだ!と名指しできる悪人はどこにもいない

 結局、この小説の結論も、関連が深いとされる『魔王』と同じく「考えろ、考えろ」ということになるのかもしれない。
 ただ、逃げ延びた『ゴールデンスランバー』の主人公も、この『モダンタイムズ』の夫婦も、いつか何かやってくれそうと思わせてくれる。国家や時代と対峙していく小さな熱を持つ存在がいることに勇気づけられる。

正面掲示考、再録

2011年11月21日 | 教育ノート
 先月からいくつか研究会があり、他校の教室を参観する機会があった。
 当然ながら教室環境に目がいく。その中でも真っ先に目に入るのは正面掲示である。

 うーん、最近この分野?はどうなんだろうなと思う。
 ビジュアル的に様々な工夫は目立つが、なんだか画一的のようにも感じる。
 他校の例は失礼なので、本校のを見てみよう(ちゃんと公開しているということは自信があるということ??)
 http://www.yutopia.or.jp/~miwasho/profile4.html

 まあ、それなりだとは思う。印象としては去年の方が少しよかったかも…。

 ただ、本校も含めて、少しスローガンに偏っているきらいがないか。本道ではあるけれど、やはり個性にかける。
 と時間のないところに我がままな注文をしてしまう。
 いや、かつては真夜中まで教室に残って「○○ワールド」と称されるダイナミックな正面掲示を作っていた同僚もいたっけなあ…。

 昔、その正面掲示について書いたことがあった、と記憶している。
 校内通信として出し、サークルで話題提供したものだったか、確か以前のホームページには収めていた気がする…とデータを探ったら見つかった。
 …まあ、そんなところか、時間があったら読んでください(「教室環境を考える 94.6」という文章の一部です)

-----------------

 正面掲示あれこれ

 「方向性が見える」という点で考えれば、やはり正面掲示は大きなポイントです。一般的には「目標」「スローガン」「詩」等々目指す方向が示されることになるはずです。何を使うかは、担任の先生なりの個性と工夫が出るところですね。

 二日間、分校の一、二年の教室におじゃましましたが、そこには「ジャングルジム」というまどみちおさんの詩が、きれいにレイアウトされて掲げられていました。やはり詩人の作る言葉は吟味されていますし、子どもたちの心に刻みたいという願いのもとに選ぶとすれば最適かもしれません。

 では、それ以外の方法を考えてみましょう。

 ダイレクトに学級目標を提示する方法もあります。担任が練りに練って考えた目標です。上学年であれば、しっかり把握できるのではないでしょうか。その目標を受け、「言葉を換えて」スローガンのような形にする方法もあるでしょう。これはかなり一般的ではないかと思
います。
 子どもたちの考えた目標を貼りつける場合もありますが、これは少人数のほうがあうようです。側面掲示でもよくあるパターンですね。

 今まで見たもので印象的だったものとしては、次の二つがあります。
 一つは、言葉が全然書かれてなくて、二つの絵(図?)が掲げられていた掲示です。
 片方は「礼をしている姿」、もう片方は「握手する手」です。ずばり教室の目標がわかりますね。
 二つ目は、「聞きじょうずになろう」「仕事じょうずになろう」という言葉です。
 かつて同学年を組んだF先生の教室です。普通のようにみえますが、これは実は最上級生である六年生に掲げられたものなのです。低学年から中学年のようなスローガンに思えますが、先生は「子どもの実態をよく見て」という根本のところをとらえてこの言葉を選択したのだなと、今でも印象に残っています。
 子どもをとらえて教師の願いを強く表す場として考えたいものです。

 おまえはどうなのだと問われそうなので、いくつか拙い例を紹介します。
 高学年を担任したときは重みがあるほうがいいかなと思って、目標に関連させ次の二つの言葉を掲示したときがあります。
 「向かう心」「続ける力」。
 中学年のときで覚えているのは、□を使ったものです。これも二つ掲げました。
 「□をねらって□をせよ」「□をして助け合う心を大きく」…これは授業や帰りの会に絶えず使って意識させることをねらいました。
 初めて一年生を受け持った時は「はてな?」と「やるぞ!」。そしてその中に宇宙船のようなものを描き「トトロたんけんたい」と名をつけました。
 そして、だんだんとシンプルになり、昨年などは学級通信のタイトルであった「わ」の一文字だけです(しかしそこには深い意味が…と自画自賛しております)。

 ちょっとしたアイデアですが、「額縁」など使うとりっぱに見えます。私は写真用のパネルのワクを購入して使っていました。こうすると、へたな字でもそれなりに輝いて?見えたりするものです。

抜け落ちてしまったディテール

2011年11月19日 | 読書
 文庫本になった上下二巻の『モダンタイムス』(伊坂幸太郎 講談社文庫)を買い、読み進めている。

 上巻の半分過ぎまで読んだが、なるほどの伊坂ワールドだなと思う。通読後に感想メモするのが常だが、長くかかりそうだし、ここで書き留めたいと思ったことがある。

 この小説には「井坂好太郎」という小説家が登場する。主人公渡辺の友人役であるが、このキャラクターが実にいい加減で、実に魅力的である。主人公との会話ではお互いに貶しあうような楽しい?やりとりがある。この後の展開ではどうなるのだろう…それはさておき、小説上の井坂が、こんなことを語る。

 小説にとって大事な部分ってのは、映像化された瞬間にことごとく抜け落ちていくんだ

 ここを読んで、先頃観た映画『悪人』に今一つ喰い込んでいけなかった理由がわかった思いがした。
 海外の映画祭でも高く評価された作品だし、作者の吉田修一もかかわりながら仕上げた映画だと聞くし、私ごときの評価はいかほどのものでもないが…。

 映像を観ていて、本を読んでいたときに迫ってくるような人物の呟きがかなり落ちている気がして、どうも薄っぺらな感じがした。以前も書いたように、それなりに個性的で芸達者な配役をしたわりには、今一つだったという印象しか残らない。
 むろん、ああここは映像でしか表現できない箇所だなと思ったところも数箇所ある。しかし、それ以上に原作にある細かい、おそらく自分の感情が揺さぶられた点が抜け落ちてしまったということなのだと思う。

 作中の井坂も、こう重ねている。

 粗筋は残るが、基本的には、その小説の個性は消える

 小説が映画化された作品をそう多く見ているわけではないが、案外的を得ているのではないか。
 ただ、伊坂幸太郎の小説の映像化は結構面白いのが揃っているという印象を持っていることが、少し不思議ではあるが…。

 「小説の個性」とは何か。
 曽野綾子は、こう書いている。

 小説はおこがましくも、人生を捉えようとするのだ。もちろん分を知っているから、小さな範囲で捉えた人生を描く。だから「大説」とは言わずに「小説」なのである。(『ただ一人の個性を創るために』)

 小さな範囲で捉えること、つまりディテールにこだわることだ。だから読み手と呼応するディテールがどれほどあるかが小説の醍醐味なのだろう。

 限られた時間の中に映像化することは別物であるとよく言われる。
 やはり映画は一種の読書感想の手段なのかもしれない。