すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

国語教育としての音読

2006年03月24日 | 読書
国語教育としての音読は、意味を無視してはいけない。意味を重視するあまり、他を無視してもいけない。意味をとらえ、意味を伝えるものでなければならない。
高橋俊三「国語教育 2006.4」(明治図書)


どこで意味をとらえるか、という問題である。
「どこ」とは、一つは学習者の感覚であり
もう一つは学習の段階である。
繰り返し読んだり、速く読んだりして
言語の身体化をはかることは効果的であると感じている。
どの段階で意味に近づいていくか
どの段階で意味を持ち出してみるか
タイミングのはかり方が指導者の裁量である。

教師力、学校力に期待されるもの

2006年03月21日 | 読書
所得格差の拡大によって「勝ち組」「負け組」が顕在化し、子どもの学力や学習意欲も、親の所得や家庭の文化によって二極化しつつあることが指摘されている。家庭の教育力に格差のあることが明確になったから、教師力、学校力に、格差是正を期待する。そういうことではないのか。
勝方信一「学校マネジメント 2006.4」(明治図書)


ジャーナリストのとらえた全体像は的確なのかもしれないが
学力や意欲の格差、それは昔からあった。
その現実に対していつも向き合ってきた気がする。
しかし、時代背景をもとにした根の深い格差の進行を
はねかえすだけの力を持つことは、よりしんどい。
何から手をつけるか、
それは一時間の授業しかない気がする。

対話的な関係に身をおく

2006年03月17日 | 読書
子どもたちが求めているのは、決しておもしろおかしい先生ではありません。「どんな小さな悩みでも一生懸命聞いてくれる」先生であり、意外にも「自分のことをいろいろ話してくれる」先生なのです。しかしながら、「子どもの声をよく聴いて自分を語る」ことが、なかなか容易でないことは皆様のほうがよくご存知ですね。もともと、我が国の教師は、「教え教えられる」関係が制度的に固定化されている中で、一斉に多数を相手に問答することは得意ですが、個と向き合うと命令や指示になりやすく、対話的な関係に身をおくこと自体に抵抗感がある方も多いと思います。
村松賢一『できる教師の「話し方・聞き方」』(明治図書)


対話的な関係をどの場面で使っていくか
意識的になることで、子どもとの関係がよくなるはずである。
授業場面で何気なくうまれることもあるだろうし
給食や放課後の会話であれば、かなり充実できるような気がする。
もちろん、意識せずできている教師も多いのだろうが
「一日に2回は対話的な関係に身をおいてみる」
という決め方があってもいい。


記憶力と独創性は反比例する

2006年03月15日 | 読書
記憶が曖昧だからこそ、そこに遊びや余裕が生まれます。これとあれを結び付けてみようという「知の連合」が可能になります。そういう意味で、記憶力と独創性は反比例すると思いますよ。
池谷裕二「プレジデント 2006.3.20」(プレジデント社)


状況の変化に応じて、知識を活用していくためには
記憶があまりにも正確だと逆に作用していくという。
杓子定規で一面的な理解や把握が、
独創性を発揮することを抑制してしまうということだろう。
知識の有用性は絶対であるが
その習得の手続きや他と関連を意識化できるか
そのあたりがポイントになってくるだろう。

小学校教師に必要な技

2006年03月12日 | 読書
ある場で生まれた力や自信を、他の場所へも発展させる。これは、小学校教師に必要な技である。
岩下修『国語の授業力を劇的に高めるとっておきの技法30』(明治図書)


学級担任という仕事のメリットはそこにある。
この、いつでもどこでもできる技を
意識的に使いこなしている教師がどれほどいるのか。
言語として明示すれば、
こうした言い回しができているかどうか、だ。
「~~~のときのように、~~~しなさい。」

無駄にするのは、先生です。

2006年03月11日 | 読書
授業で子どもが発したもの、表情、手の動きなど、何一つ子どもの動きや声に無駄はないとおもっています。無駄にするのは、先生だと思います。だから無駄にしないようにしてあげれば、子どもはどんどん、素直に出力してくれます。
和田裕枝~名古屋フォーラム「子どもを伸ばす教師力」セミナー・模擬授業解説より~


「表情発言」をどう読み取るか、である。
見逃さず、取り上げて、それを生かす…
そういう意識がないかぎり、
子どものつぶやきも表情も、無駄なものでしかない。
学習を成立させるために大切にしなければいけないことに
いかに目を配っていないか、反省させられる。

一つのズレの例を前にして

2006年03月09日 | 読書
教育界では、基本的に前例主義であり、運動会も学芸会も、その原案は前年度のものがベースになります。変化はほんの少しずつ取り入れるような仕組みになっているのです。
学校という組織のこの性格が、流れの速い社会の動きと次第にズレてきているのです。

堀田龍也『できる教師のデジタル仕事術』(時事通信社)


社会の動きを感知し、反応できる教員
そうでない教員
敏感に流れを察知できる保護者、一般の方々
学校への頑ななイメージを抱いている地域住民
様々なズレを感じながら
それを修正?しようと日々の仕事をしているのか
ズレはズレのままに、違う方向を認めているのか
整理する必要を感じている。

知識で整理していけない限り

2006年03月06日 | 読書
知識で整理していけない限り、力はつかない
野口芳宏~日本言語技術教育学会大阪大会の発言より~


メモせざるを得なかったこの短い発言は
ともすれば聞き逃してしまいがちな
当たり前といえば当たり前のことなのだが
きっと、自分の現況を見事にあらわしているのだろう。
例えば、学習指導上の問題点
例えば、研究の進め方
それらを、短く的確な言葉で表現できているか
語尾があやふやだったり、言い換えが多かったりしないか…
すべては、知識の問題から始まっている。

教師たるもの、の義務

2006年03月03日 | 読書
教師たるもの、
「何としても、毎日子どもをほめる習慣をつけること」である。
これは「義務」であるとわたしは考えている。

有田和正「授業研究21 2006.3」(明治図書)


今日、誰をどこでどのようにほめることができたか
二つや三つは軽く言えるようでなければ
習慣がついているとは言えないだろう。
教師たるもの、の義務を果たせていないことに気づく。