すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

梅の実を日向に置いて明けを待つ

2017年07月31日 | 雑記帳
 今日現在、気象庁は東北の「梅雨明け」を発表していない。「入り」が一週間以上遅かったので、明けもそうか。明日から8月だよ。以前のように「宣言」してくれると気分もハレバレだが、そもそも「宣言」は正式ではないから仕方なし。しかし人間の心理とはかくも言葉に左右されやすく、湿っぽく7月が終わる。



 一番動いたこと…と言っても、多い時でも一時間程度なのだけど、ラズベリー収穫作業を連日頑張った。初めは朝だったが、大量に汗をかくし夕方の作業とした。虫刺され予防が、結構大変である。ゆえにあまり他人には見せられない格好だ。ある勤務校から不要になった根をもらって5年目。どこまでも増えていく。


 気になったこと…所沢市の小学校で担任教師が子どもに対し「飛び降りろ」と迫ったという報道には正直驚いた。しかし教師への処分に対する署名運動が起き、結局捏造された情報と収まったことに唖然とした…ネットで語られる顛末には似たような経験もあるし、改めてどこで起きても不思議のない出来事と思った。


 やってみたいこと…「舌洗濯」、何のことやらと思う方が多いだろう。予防医学研究者石川善樹が提唱する、昆布茶の薄めたものを飲むことで、舌の感覚を日本独特の「うま味」優先にしていく方法である。結局「ダイエット」に通ずるらしいが、確かに舌の感覚が麻痺しているから無謀な飲食になるだろうと納得した。


 結局挫折中のこと…CD整理が必要と思い立った。PC音源化も結構しているし、今はamazonのprime musicを流していることが多い。地震でもあったら頭から降ってきそうに700枚ほどが積まれている。しかし、箱詰めできたのは現在1割程度。この物持ちの良い性格(笑)どうにかならないか。8月こそと思うが…。

祝「羽後麦酒」誕生

2017年07月30日 | 雑記帳
 二ヶ月ほど前、ビールのことを少し書いた。

 その頃、「羽後麦酒」の動きも知ったように思う。
 
 羽後町にビール醸造所が出来るなんて…こんな時代になることは、正直想像していなかったなあ。

 やはり「失われなかった十年」…その頃の規制緩和による小規模醸造認可の動きは、ここにもたどり着いたんだなあと思う。
 何より、やる気を持ってチャレンジした方々に敬意を表したい。
 ささやかながら、クラウドファンディングで支援もした。

 さて、何より肝心なのは「飲むこと」で応援すること。
 昨日の「道の駅うご」での発売は、あっという間に売り切れたようだが、そこは抜かりなくきちんと手に入れた(もちろん、並んで)。



 「たべびと+連れ」の一言感想を、以下に記す。
 当然ながら、個人的見解である。
 しかしこの二人は六月にはミュンヘン遠征をし、自宅の酒類冷蔵庫には地ビールメーカー3社のストックがある、かなりの強者(笑)なので、それなりに辛口コメント、もちろん大いなる期待を込めて。

ゴールデンエール
・副原料にあきたこまちを使っているせいか、かなり飲みやすく仕上がっている。苦みもソフトなのであっさりめに感じる。

ペールエール
・結構な苦味が口を覆う。しかし雑味がなくすっきりしている。個人的にはこれが一番好みである。

ぺルジャンホワイト
・香草を入れているわりに癖がなく、フルーティな味わい。バランスがとれているとも言えるし物足りないとも言える。


全般的に
・「個性的」という形容詞は安易にはつけ難い。しかしそれは醸造者の考えがあるので、一概に評価できないだろう。いずれも度数は抑え目ながら、しっかりした飲み口になっていると思う。常識的ではあるが冷やしすぎないで飲むことが大切だ。今の時期より、秋以降が似合うかもしれない。

最果からのキニナルキ

2017年07月29日 | 読書
 いつ頃だったろう、この詩人の存在が気になったのは。まず名前がいい。「最果タヒ」。どこか人を寄せ付けないような響きがある。妙にフレンドリーな雰囲気を漂わせる輩とは違う。この30も年下の詩人の言葉を拾ってみた。…と言いながら、まだきちんと単行本を読んでいないので、近々詩集を買おうと思っている。

Volume66
 「人間というのは別々で暮らしているし、だから思考回路も価値観もバラバラだけれど、しかし実は多くが重なっている。(略)その重なっている部分になじんでいく言葉や話は、どんなに離れていても伝わっていく。感情なんかよりそういうものがずっと近くにあり、響き合っているのだ」

 「重なっている部分」とは、日常生活における衣食住のことであったり、寿命だったり、ごく普通に見聞きすることなどを指している。
 その「事実」がとても大切で、ディテールを突き詰めていくことによって、「自分」が伝わっていくということじゃないかな。
 感情だけを先走って口にする傾向がある。それでは、伝わることは少ない。


(十数年ぶりに花を開かせた我が家のサボテン)

Volume67
 「命の話は、『それすなわちそなたの心の美しさ』みたいな態度で、その人の口から飛び出す言葉を見張っている。測っている。」

 「命」を「生死」と置き換えて考えれば、半径数メートルの話と、距離の遠い話では、ずいぶん差があるか。
 遠ければどうしても「想像できない、想像しない、想像しようとしない」…いろいろなレベルを混在させつつ、人は自分で論理を組み立てる。
 それは、あまり美しいとは言えない気がする。何を見つめているか、ということだろう。


Volume68
 「一回見たらもうその作品は用済み、という価値観はただただ趣味の問題と思うし、そういう人たちにとって、ネットは都合がいいだろうなあ、と思う。でも、彼らが一番ネットに、なにがしかのおいしいものを吸い取られていっているような気も、実はする。」


 プロの写真家がネットに自らの写真をアップしている話題から、そのサイトの見方について語っている。

 きっと「なにがしかのおいしいもの」とは、人生でかなり重要なものではないか。
 見ていて、ああ、ああっと気づかなければならない。「待て」と断ち切らなければならない。と、自省を込めて思う。

F先生を見送る

2017年07月28日 | 雑記帳
 よき先輩であったF先生の訃報が新聞に載った。
 ご病気であったことは昨年末に知ったが、これほど早くに逝かれるとは本当に残念である。



 校長になった年に、地域の郡市校長会から大役を仰せつかった。
 校長会長が退職するので、送別会で会員を代表して送る言葉を話せという。

 会長とは、F先生である。
 一番若輩なのにと思いつつ、国語教育研究会における私との関わりを知ってくださっている方々の配慮と思え、有難く拝命した。

 当日、緊張しながら読み終えた、その送る言葉の原稿を今再び噛みしめている。

・・・・(前 略)

 ご承知の先生方も多いと思いますが、雄勝の国語教育研究会、国研というと、その昔、非常に多彩な方々が集まっており、一種の「巣窟」のようなイメージを作っておりました。
 詩人がいて、小説家がいて、劇作家がいて、組合の闘士やら、舞踊をやる人やら…時代の申し子的な方々が私たちの大先輩なわけですが、年代的にそうした方々の後に位置したのがF先生でした。また、そのあとをちょこちょことついていったというのが私です。

 郡市の文集「かっち道」、まだ教育会館が佐竹町にあった時代に、私も審査に加わりました。間もなく消防署の方へ会館が新築になり、その頃にF先生と一緒に幹事の役を仰せつかることになりました。
 といっても、当時はまだ午後3時になるかならないかのうちに、やかんに酒を沸かすのが若い者の仕事でした。
「審査の評な、家さ行ってでかしてこい。まず飲め。聞げ」と言われ、酒も話も存分に吸収できるいい時代だったなあと思います。
 しかしF先生は、そういう時でも着実に、その後を見据えていたのだなあと、今になって感じます。

 取り組まれた改革の詳しくは述べませんが、代表的な仕事としては(… 中略 …)中央の著名な講師を招いたり、協議形式に新しい手法を取り入れてみたり、郡市で唯一のホームページを開設したり、他の団体に先んじて、様々な活動に取り組みました。
 これら全てがF先生を中心として、会として結束できた成果だということは、本当に誇るべきことではないでしょうか。

 F先生は「下の者とよく相談して、若い者の声をじっくり聞いて」とよくおっしゃいます。私のような何事も拙速に過ぎる者にとっては耳が痛いのですが、実はそれがマネジメントの極意であることを、先日ある本を読んで納得できたところでした。私たちに求められていることは、細部まで落とさず見つめるだけでなく、大局を見る、俯瞰力のようなものではないかと思います。
 そういう意味で、F先生はその温厚な人間性とともに、全体を見渡して行動していくということを明確に示されてきたと思うのです。
 だから、先生のもとでは下の者、若い者が育ち、勤務された学校や所属した団体はうまく回転していったのではないでしょうか。

・・・・(後 略)


 ずいぶんとお世話になった。
 私たちが進んでいこうとした道を、丁寧に均してくださったような気がする。
 数多くの自慢していい事柄をけして声高に語ることなく、F先生は旅立たれた。

 合掌。

「すいか泥棒」無き時代に

2017年07月27日 | 雑記帳
 用事があって車で出かけFMを聴いていたら、今日が「すいかの日」らしくそんな話題になっていた。

 そこで流された曲が、なっなんと

 「レッツ すいかどろぼう」(by Crystal Key)

 「なんて歌だ!」と思わず小峠のように言ってしまいたくなるが、ユーモラスを越えて、なるほどと納得したくなる部分もあるではないか。
 多くの大人(まあ50歳以上かなあ)は「すいか泥棒」と聞いて、なんとなく「許せる」というイメージを抱いてしまうのではないか。

 もちろん、それは「良き時代」へのノスタルジックな感情と言っていいだろう。
 すいかを盗られた方は当然怒るが、周囲はそれを大目に見てくれているような寛容さがあったように思う。
 「すいか」という、ごろっと畑で寝ているような作物、そして両手で持てる大きさ、ほどよい甘さ、みずみずしさ…の持つ雰囲気が、その感情を助長しているのかもしれない。

 今「すいか泥棒」と聞けば、どこかの倉庫からごっそりとブランド西瓜が盗まれる事件をイメージしてしまう。それが時代認識というものだろうが…。



 ふと思い出したのは、M小学校に勤めていた時のこと。夏休みに入る直前だったか。

 学校に電話があり、ある高学年の男児が帰り道にすいかを盗っていったという連絡があった。
 翌日、問い質すと、一緒に帰った低学年の妹があまりの暑さに、すいかを指さし「食べたい」とつぶやいたという。それで、心優しき兄はつい…。

 その後の詳しい顛末は忘れたが、苦笑と叱責で簡単に済まされた時代だったはずだ。


 そんなことを思い出しながら、家に帰って「レッツ すいかどろぼう」の歌詞を検索してみた。

 J-Lyric歌詞  

 改めて聴くと、「遠い昔の人々からの ことづけ「ことわり」って、いったい何だろうと考えてしまう。

 「すいかどろぼう」がいなくなった時代が、いや人々が失った何かを指していることは間違いない。

一日一鰻はできないが…

2017年07月26日 | 雑記帳
 昨日は、土用丑の日。
 商戦に身を任せてやはりうなぎを食したいとお願いした。

 さて、世の中にはうなぎ好きが結構多いようである。

 主人公がうなぎをおいしく食べ続けるだけ、ただそれだけの漫画コミックがあるのをご存じだろうか。


 『う』(ラズヴェル細木  講談社)がそれである。
 全部で4巻ある。

 これはネット書評にもあるように「資料的価値」も感じられるほどの力作である。

 主人公は「一日一鰻(いちにちいちまん)」をモットーに生きる男。
 そして著者は、こんなふうに第一巻第一話を締め括っている。

 うなぎ それは 奇跡の食材 
 そして うなぎの かば焼きは 
 人類が 生み出した 最高の 料理である


 そこまでは思わない…けれど
 また「一日一鰻」が出来るほどの余裕など到底ない…なので


 せめて土用丑の日ぐらいはねえ…と、
 少し豪華にうなぎづくしっぽい食事をしてみました。


(肝焼き・山椒をふりかけて、苦味が際立つ)


(うざく・きゅうり酢とのバランスがいい)


(肝吸い・ごはんと一緒に味わいたい)


(鰻丼・温かいご飯との相性度はランキング入りですね)

 と、堪能しました。
 原産は、日本・中国・インドネシアの三カ国でした。
 どれがどれかはあえて書きません(笑)

 なお、今年は土用丑の日がもう一回あるようです。

 次はあれで…

独り視聴者委員会~土用篇

2017年07月25日 | 雑記帳
 「独り視聴者委員会」もGW以来。それだけTV番組がぱっとしなかったということか。ともあれ?大相撲名古屋場所のことは触れねばなるまい。白鵬の偉大な業績に絡んで、繰り返し強調されたのは、「彼ほど基礎練習に時間をかける力士はいない」ということだ。この事実は、全てのアスリートが噛み締めるべきだ。


 若手力士の活躍、台頭も目立った場所だった。某日、解説をしたある親方が、今場所も活躍し人気の高い関取に対して、痛烈に(ある意味、批判的に)言い放った一言が忘れられない。「本当に強い力士は、場所の土俵の上より稽古の時がもっと強い」…これを根性至上主義、精神的な見方と一笑に付すことができるか。



 この頃のドラマは冴えない。焼き増しを見ているような感じだ。しいて挙げれば、NHKのドラマ「ブランケット・キャッツ」はなかなか見せる。猫を素材にした人間物語であり、重松清原作に納得する。特にエンディングのフォトの使い方が上手だなあと感心。ピリッとしたアングルも多い。もうすぐ終わるけど。


 22日(土)の「AIに聞いてみた!?どうすんのよ、ニッポン」は、好企画だったが、少しモヤモヤ感が残った。マツコと有働アナを配置したことはよかったと思う。しかしあのマツコにして切れ味が少し鈍った気がしたのは、AI機能を読み解く複雑さのせいか。いろいろ工夫して改善できるか。三年間で7回やるそうだ。


 NHKでは県内の大雨に関してサイドと上部テロップで、かなりの時間を割いて繰り返している。データ放送を今回は頻繁に見た。少し被害が落ち着いた昨日から郵便局の情報があり、さらにS急便とY運輸の遅配なども流れた。えっNHKが、と感じたが、一般性、必要性が高い情報選択と考えれば頷けなくもない。

味わい堪能した一冊

2017年07月24日 | 読書
 小説を味わうことは料理に似ていると言えるかもしれない。特に短編集だと、お任せコースに近い感じがする。そのどれもが美味しいことはめったにないが、この一冊はどれも唸るほどだった。白い西洋皿もあれば、カジュアルな模様の器もあれば、ぴりっとした小鉢もある。読みながら酒は飲まなかったが堪能できた。



2017読了77
 『気分上々』(森 絵都  角川文庫)

 短編が9つ収められている。と言ってもわずか3ページの掌編もあれば、60ページを超す読み応えのある作品も入る。中味が多彩で、題名や出だしが上手なのにはいつも感心させられる。今回は特に切れ味がいいと感じた。文章のテンポがいいのか、それも緻密に計算し尽されている印象だ。料理に喩えたくなる味だ。


 “自己革命”を目指す女子高生の「17レボリューション」が面白かった。特に主人公の親友役イヅモのキャラが実に痛快。「客観的に生きるってのは、自分を捨てて生きるってことだよ。本当の感情を無視して設けた価値基準に、どんな価値があるっての?」…この啖呵はしびれる。どこかで再び登場させてほしいと願う。


 「ヨハネスブルグのマフィア」という恋の話も読ませてくれた。その文章表現は、美味な料理で遭遇する「おっ」「おいおい」といった感じに似ている。例えば「人間は恋の始点を選べない」例えば「一語でいうならば、希望。もしかしたら人が人に与え得る最大のギフト」…思わずウマいと唸り、ごくっと呑み込んだ。


 ラストは表題作「気分上々」。男子高校生を主人公に、やや劇画チックな展開が見事である。十代を描くのが本当に上手だ。またどちらかと言えば男子の描き方はあっさりめで、女子の方が深味を感ずるのは作家の性か。いろいろ想い巡らすと、料理素材として何が好みなのか、どんな味つけにするか等共通点が見える。

心の見せ方はいつも

2017年07月23日 | 教育ノート
 最近、視察や撮影等で「こども園」を訪れる機会が数回あった。また研修の場にお呼びがかかったこともあり、書店で久しぶりに教育書コーナーに立ち寄ってみた。時々手にしていた雑誌『児童心理』を懐かしく思い、ページをめくる。特集は「ほめ方上手・叱り方上手」…何年かごとに必ず登場する、永遠の課題か。


 この特集テーマに沿って、自説を述べれば、「ほめ方が上手でなければ、叱り方は上手にはならない」…「上手」と限定するのは難しいかもしれないが、少なくとも「ふだんほめられていなければ、叱られても効果がない」ということは言えるだろう。そう言えば、PT(ペアレントトレーニング)に通ずると思った。



 小児科医であり特別支援教育の実践者でもある横山浩之先生を、当町にお迎えして講演を聴いたのは、ちょうど2年前である。あの時のお話の中にも出てきたPTの芯は、子どもの行動を三つに分けた対応だった。曰く「増やしたい行動をほめる」「減らしたい行動を無視する」「絶対に許せない行動をすぐに止める」


 その優先順位を間違わず実行することが、家庭であれ教室であれ重要である。そして、二番目の「無視する」という手法は、最初の「ほめる」抜きには成立しない。「ほめる」行為の積み重ねによって、相手にしない、無視する「意味」をつかめるのである。結果、無視が子どもの行動を変え、ほめることにつながる。


 原則を学び、経験を積んでも、なかなか思うようにいかない場合がある。それだけ対象者が多様になっているからか。心理を探ったり、言葉を吟味したりすることはもちろん重要だが、もしかしたら一番は「笑顔」。それも心からの笑顔で接することと今更だが思う。顔や表情に「」が見えることを誰もが知っている。

子どもの変貌を目にしたとき

2017年07月22日 | 教育ノート
 とある研修会に呼ばれ、少し話をしなければならなくなった。
 参加対象者がどうあれ、結局のところ自分の経験でしか語れないので、おのずと拙い教職生活を振り返ることになった。

 「子どもの見方」という点で、考えさせられた出来事、忘れられないポイントがいくつかあるが、この二つは特に印象深い。


 S小学校に勤めていた時だから、昭和の終わりか平成になったばかり、三十年近く前のことになる。
 その日の6校時は委員会活動だった。
 4年以上の学年が授業を終えてから集合し、保健委員会や放送委員会などの所属に分かれ計画にそって活動する場だった。教師になり10年ほど経っていた私は、当時もう「怒らない」でも子どもたちを動かす術(すべ)を一定以上身につけていた頃だと思う。
 指導していたのは、環境委員会の子どもたちで、分担や順番をどうするか相談していた時だ。
 一人の子がなかなか集中せず、注意しても話したり、他の子へのちょっかいを出したりするのを、止めなかったので、仕方なく(もしかしたら結構熱くなっていたのかもしれない)「やらないなら、帰れ」と叫んだ。
 ひと呼吸あって、その子が言った言葉は
「じゃあ帰る」。
 そう口を開いて、その場から立ち去っていってしまった。
 小学校4年生の男の子が、教師からの一言をそんなふうに「受け取る」時代になったことを、実際に感じ取った一瞬である。

 「帰れ」と言われて帰ることは、その集団からはじき出されることで、そういう意識が薄い子、つまり自分が良ければ人からの目は気にしない子の出現。
 もちろん、もっと前からそういう子は居ただろう。しかし実際に小学生のうちから、それも山間部の小さな小学校で、それを平然と行う子が目の前に出てきたことは一つの典型かなと感じた。

 その子は現在40歳前後で、小学生の親であっても不思議ではない世代。
 もちろんそんなに短絡的な見方はしないが、流れとしては考えられる。



 もう一歩進んだと思ったのは、K小に勤めていた18,9年前のこと。
 教頭として勤めた小規模校で、複式解消授業で4年生の算数をしていた時だった。

 ドリルによる個別練習で、ある男の子へ2桁のわり算を教えていた。
 筆算をしていて、いつも同じような箇所を間違うので、「ほら、ここをいつもこうやってしまうから、合わないんだよね」とやさしい口調で間違いのわけを指摘したら、その男の子の手が止まり、黙ってノートを見つめている。
 「どうした?」と尋ねると、怒ったような声でこういう。
 「ぼくは、悪くない」
 「えっ」と驚くと、さらに強く
 「ぼくは、悪くない」。
 あとは泣き出してしまった。

 直接口にしたわけではないが、その子の反応からは、こんなふうに覚えさせてしまった、こんなふうに間違ってしまう自分にした大人、親や教師に対する不満が強く感じられた。

 これは、いいことは自分、悪い事は自分以外の他者、という区分けをするような、言い方として妥当かどうかわからないが全能感のようなものに通じている気がした。
 責任などという言葉を噛み締めるのは、もう少し成長してからだろうが、結果をしっかり見ない、悪い事には目を背けるという傾向を見せる子がその頃からだんだんと目立つようになった。

 その後の教職生活でも似たような子がいたっけなあと、今改めて思い出している。